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第四章

第22話 デリカシーって知ってる?

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 再び目が覚めると朝になっていた。眠る前より身体のだるさや頭のぼうっとした感じがなくなっているから、熱は下がったんだろうな。それでもまだ起き上がるのは辛いので、朝になったことを教えてくれたのは朝食を持ってきたノエだった。

「先に歯磨きたい。顔洗いたい」
「我儘だなぁ。ほれ」
「待っ……――そうじゃなくて!」

 抗議を入れるよりも早く、私の身体がベッドから浮いた。ノクステルナに来てから何度となくやられたこれがなんなのか、もう考えるまでもない。
 しかもいつものお姫様だっことは違って、今回はノエに正面から抱きつくような形で持たれている。背中の怪我を考慮してくれているんだと思うけれど、いつもよりも密着度の高い持ち方に顔に熱が集まっていくのが分かった。
 しかもほら、私寝起きなわけですよ。寝起きってちょっと臭うっていうじゃん。今までそんなこと気にしたことなかったけれど、それは寝起きに会うのがお母さんくらいだったからで。なのに突然心の準備もなく顔だけはいい男にくっつくって中々羞恥心がぐわっとくるのですよ。

 でもノエはおじいちゃんだから、そんな乙女心気にしてくれない。歩きながらベッド横に置いてあった椅子を掴むと、そのまま洗面所へと向かった。っていうか今更だけど腕力凄いな。吸血鬼は人間よりも身体能力が高いと聞いていたけれど、片手でも全く安定感を損なわないあたり、思っていたよりもずっと力が強いのかもしれない。
 ノエは片手に私、片手に椅子と両手が塞がっているから、足で洗面所のドアを開けた。見えたわけじゃないけれど、ノエの身体が一瞬傾いたから片足立ちで何かしたということだろう。直後に開いたドアがそれが何だったかを示していて、私は苦し紛れに「お行儀悪い」と言うことしかできなかった。

「だってほたる重いんだもん」
「片手で担いでるくせによく言う! っていうかそれだったらこんな運び方しないで!」
「えー、面倒臭いじゃん」

 はい出た、面倒臭い。久々に聞いた気がするノエの得意技。
 一体何が面倒臭いのかと思ったけれど、考えている間に洗面台の前に置かれた椅子の上に着地させられて思考は強制終了。

「ほら、早く」
「え、見てるの? 私見られながら顔洗ったりするの?」
「別にいいじゃん」
「なんかやだ」

 私が渋れば、ノエは「はいはい」と言いながら洗面所から出ていった。終わったら呼べとも言われた気がしたけれど、それはつまりまたあの体勢になるということなので聞かなかったふりをする。ああ、そういえばトイレも行きたい。

 顔を洗って歯を磨いて、水ですすぐ時に背中が悲鳴を上げたもののなんとか耐える。次の敵であるトイレは、同じ空間にあるのでなんとか這ってたどり着くことができた。ありがとう欧米スタイル。
 しかしまあ、思ったより背中が痛い。これ本当にあと二日で治るのか。いや、日付が変わっているからあと一日? ノエがぼけたんじゃなかろうか。

 どうにか用を足し、再び洗面台まで這って進む。昨日起きた時には着せられていたワンピースのパジャマはトイレには便利だったけれど、這うとなるとなかなかに邪魔だ。でも私は手を洗いたいので一生懸命洗面台を目指す。

「――……疲れた」

 一通り終わったときには痛みで疲れ切っていて、私は椅子に縋りつくのがやっとだった。

「ノエぇー……」

 力なくノエを呼べば、ドアからひょっこりと青い頭が覗く。すんごいどうでもいいことだけど、ノエの頭の青色はなかなか落ちないな。こまめに染め直したりしているんだろうか。……なんか想像すると微妙な気分になるから忘れよう。

「もっと早く呼びなさいよ」
「だってトイレも行きたかったし」
「連れてってやるのに」
「デリカシーって知ってる?」

 ノエがまた私を抱えようとしてきたので、咄嗟にそれを止める。流石にだっこはもう嫌だ。

「肩貸してくれればいい」
「届くの?」
「馬鹿にするな!」

 そりゃあ貴方は背が高いでしょうけれども! 私は日本人の平均しかないわけですけれども!
 そう憤りながらノエに立たせてもらい、肩に手を伸ばす。どう見ても届くじゃないかと思ったけれど、問題は手の長さではなかった。

ったい!」
「だろうな」

 知ってたのか! いやまあ背中怪我してるのに腕を上げたら痛いのは当然なんだろうけれども。
 結局ノエの肩ではなく腕にしがみつく形になってベッドまで戻ることになった。……うん、こっちの方がなんか恥ずかしい。

「ほら、朝飯冷めるぞ」

 ベッドに座って落ち着くと、ノエが膝の上に朝食のプレートを乗せてくれた。
 今日のメニューはパンとオムレツ、ソーセージにサラダ。なんだかホテルの朝食みたい。てっきり南米系の食事が出るのかと思っていたけれど、そういう感じはしない。もしかしたらリリの国でもこういう朝食が一般的なのかもしれないけどね。

「食べたらまた寝ちゃいな、起きてても痛いだけだろうし。普通より治りが早いはずだから、寝て起きたら少しは痛みもマシになってると思うよ」
「これ本当に一日で治るの?」
「治る治る。多分夜には抜糸できるから」
「本当かなぁ……」

 話しながらもしっかり朝食は食べ進める。ちょっとお行儀が悪いけれど、話すのに集中しちゃうと食べるのが遅くなってノエに文句言われるし。
 っていうか食べたら寝ろってことは、この後またすぐに痛い思いして歯を磨かなければならないということ? ああ、嫌だなぁ。


 § § §


「……本当にマシになってる」

 目が覚めて、ノエの話は嘘だろと思いながら身体を起こしたら自力で普通に起きられたことに驚いた。
 更にベッドから下りて洗面所に向かっても、我慢できる程度の痛みしか背中には感じない。寝る直前には涙目になりながら歯を磨きに行ったのに、寝て起きたら平気で歯磨きできるってなんだかちょっと怖いぞ。
 シャコシャコと歯ブラシを動かしながら、もぞもぞして朝のような激痛がないことを確認する。時々突っ張るような感じがあるのは縫ってあるからだろうか。
 口をすすいで服をめくって、鏡に背を向けようとしたところでやっぱり止めた。いや、どうなっているか気になるんだけど。でも絶対怖い感じだろうからまだ見る勇気がない。
 抜糸してちょっと経ったら見てみようかな。傷跡は時間が経ったら薄くなるしさ、いつか見なきゃいけないなら少しでも怖くない傷口の方がいいじゃない。

「とりあえず着替え……は、駄目か。下着が抜糸の邪魔になっちゃうだろうし」

 見たくないのに見たい。そんな好奇心を誤魔化すために別のことをしたいのに、何をしたらいいか思い浮かばない。となると私にできることは一つだけ。思い切り息を吸って、準備完了。

「のぉおおおえぇええええ!」

 ドアを開けて大きな声でノエを呼ぶ。いやこんな呼び方は相手にちょっと失礼かもしれないとは思うんだけどね、でも他に呼ぶ手段がないのだから仕方がない。
 すると廊下の先、突き当り付近にノエのシルエットが現れた。早いなと思っていると、そのシルエットがパッと消える。

「……急ぎじゃないじゃん」
「おわぁっ!?」

 消えたと思ったノエは、次の瞬間には目の前にいた。これはあれだね、瞬間移動だ。
 そこは不思議ではないんだけど、一回姿が見えたってことはもしかしてこれって直線移動しかできないのだろうか。となると昨日ノエ達が助けに来てくれるまで少し時間があったのも納得できる。このお城の廊下、曲がり角多いしね。

 そしてノエが呆れたような表情なのも、なんとなく納得できる。多分私が大声で呼んだから急いで来てくれたんだろう。でもどう見ても緊急じゃないから、肩透かしを食ったというところだろうか。となれば。

「えへっ!」

 全力のぶりっ子。ちなみにこれは学校で友達と練習したものだから完成度は高いぞ。勿論おふざけで、だけど。

「誤魔化さない」

 ちょっと顰めっ面でノエが私を見下ろす。そんなに怒っているわけではなさそうだったけれど、私は「ごめんなさい」と素直に頭を下げた。

「だいぶ良さそうね」
「そうそう、びっくり。多少は痛いんだけど寝るほどじゃないから暇で」
「暇つぶしで人をあんなふうに呼ばない。また何かあったかと思ったじゃない」
「それは本当に申し訳なく。でも他にどうやって呼べばいいか分からなくて」

 ノエを部屋に招き入れ、ソファに向かい合って座る。
 今思えばこのソファ初めて座ったな。そしてとてもふかふかで良いと思います。

「そこにベルあんじゃん。あれ鳴らせばいいよ」
「そんな使用人呼ぶみたく……」
「他に方法ないからしょうがないだろ。まあほたるって分かれば何の音でもいいんだけど」
「ならやっぱ叫ぶね」
「それは紛らわしいからやめなさい」

 なんだろう、会話の内容はいつもどおりなのに、ノエの顔が少しだけいつもより優しい。というかちょっとほっとしたような感じ?
 やっぱり怪我のことを気にしていたのだろうか。確かにノエ達の読み間違いっていうのも原因ではあるけれども、最終的には助けてくれたし、私もリリも無事で済んだ。だから私に対してはそんなに気にしなくていいのにとは思うものの、それをわざわざ口に出すのも微妙なのかなぁ。

「抜糸っていつするの?」

 だから別の話題を出して、ノエの気を逸らす。するとノエは思い出したような顔をして、「今する?」と仰った。……今?

「今からお医者さん的な人を呼ぶってことだよね?」
「今から俺がやるってことだよ」
「……怪我の手当ては誰が?」
「俺だけど?」

 あれ、待って。それちょっとおかしい。いやおかしくないけど、思ってたのと違う。

「……誰かが手伝ったりは」
「してないけど」
「……つまりこの着替えは」

 私が言うと、ノエは合点がいったようににやっと笑った。「ああ、そういうこと」だなんて言いながら、にまぁっと笑みを深める。

「俺が全部ひん剥いて、手当てして、それ着せてあげたけど?」

 私がまた大声で叫んだのは言うまでもない。
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