マリオネットララバイ 〜がらくたの葬送曲〜

新菜いに/丹㑚仁戻

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第三章

第15話 ……どうも、普通です

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 大きな扉の先には、とても広い空間が広がっていた。
 正面を数メートル進んだところにはカーペットの敷かれた大きな階段、その両脇には扉。映画で見たことのあるような、まさにお城と言った造りをしている。
 驚きながら私は慌てて背筋を伸ばしたけれど、予想に反してそこには誰もいなかった。

「どしたの?」

 先に中に入っていたノエが固まっている私に首を傾げる。

「いや……広いし、誰もいないし……」

 何から言っていいのか分からない。ノストノクスも広かったけれど、あそこは少しお役所感があったからここまで驚かなかった。
 それに人がいないのも予想外だ。こういう高級そうな建物っていうのは大勢の使用人がつきものだと思っていたから。

「ラミア様、やたら人がうろうろしてんの嫌いだからなァ」

 もしかしてラミア様って気難しい人なんじゃないだろうか。ノエが断片的にしか教えてくれないから、私の中のラミア様像がどんどん不安な方向に出来上がっていく。
 それは余計に私の足を重くしたのだけど、ノエは全く気にする様子もなく、「ほらほら、さっさとラミア様んとこ行くぞ」と進んでしまう。

「待ってよ!」

 静かなホールに私の間抜けな声が反響する。
 抑えたつもりだったのに、前情報どおり凄く響いた。びっくりした。

「――なんだ、その子ねずみ」

 遠くから声。いや、近いのかもしれない。やたら音が反響するこの場所では、声の大きさからその場所を正しく予想するのは難しかった。
 でも驚いたのには間違いなく。私はさっとノエの後ろにくっついて、声のした方を探す。

「あれ、聞いてねェの?」

 そう言ったのはノエだ。彼の声に緊張感はない。

「……ああ、もしかしてスヴァインの子か?」
「そうそう。これからラミア様んとこ行くんだよ」

 ノエの顔の向きを参考に、相手のいる方に視線を向ける。するとそこには黒髪の若い男の人がいた。日本人、ではないかな? 日本語話してるけど。
 男の人は私のことを物珍しそうに見ながらこちらに歩いてくる。……いや本当すっごい見てくるな。イケメンならドキドキしちゃうけれど、この人は割と強面。彼を格好良いと言う人は探さなくてもいそうなものの、私にはその視線も相まって怖さの方が印象的だった。

「普通だな」

 すぐ目の前までやってきた男の人は、私のことを見下ろしながら呟いた。

「……どうも、普通です」
「そこは名乗るとこでしょ」

 ノエに突っ込まれるけれど、いつもみたいにへらへらする気にはなれない。だってこの人怖いし。私がノエの服をぎゅっと掴むと、ノエは気付いたように声を上げた。

「ニッキーが怖いって」
「何故」
「ほらお前、相手のことすぐ凝視すんじゃん。だからじゃね?」

 ノエに指摘されて、ニッキーなる人はむむ、と眉根を寄せる。待ってくれ、余計に顔が怖くなったぞ。そしてニッキーさんはそのまま少し考える素振りを見せたかと思うと、再び視線を私に向けた。

「癖なんだ。怖がらせてしまったならすまない」
「……大丈夫です。えっと、ニッキーさん?」
「ニックでいい」

 あれ、ニッキーじゃないのかな。ミッキーみたいで可愛いと思ったのに。
 一応ノエの顔を確認すると、「ラミア様以外にニッキーって呼ばれるの嫌いなんだよ」と教えてくれた。だったら何故貴方はニッキーと呼ぶの。

「ノエは性格が悪い」
「あ、分かる」
「なんでよ」

 なんだろう、ニックさんは思ったより怖くないかもしれない。これはもっとお近づきになっても大丈夫なやつかな?
 と思ったけれど、ニックさんはノエに吸血鬼の言葉で何か言っていた。私にあまり聞かれたくない話なのかな。さみしい。

「おっ、助かるー!」

 何が助かるんだろう。吸血鬼の言葉で話すニックさんとは違ってノエは日本語。だからノエの言っていることは分かるんだけど、何に対する「助かる」なのか分からないから全く話が見えないんだよな。
 と思っていたら、ノエが手に持っていた私の荷物をニックさんに渡していた。ニックさんもそれを特に疑問に思うふうでもなく受け取るので、もしかしたら「荷物持つよ」「助かるー!」って会話だったのかもしれない。

「じゃ、また後で。ほたる行くよ」
「え、うん。あの、ニックさん、また後で!」
「ああ」

 話が見えないけれど、なんとなく私も「また後で」と言ってみる。それに荷物預けちゃったから、後で会わないといけないと思うんだよね。
 本当はニックさんがどこに向かうのか見たかったけれど、ノエが階段を上り始めてしまったので断念する。だってよそ見しながら階段なんて怖いじゃん。しかも段数多いから途中で落ちたら悲惨だぞ。

「ニックさんと何話してたの?」
「えー、ほたる分からなかったの?」
「……ごめんなさい」

 吸血鬼の言葉を私に教えてくれているのはノエ先生だ。その先生にそんなことを言われてしまったら謝るしかない。

「荷物部屋まで持ってくからラミア様のとこさっさと行きな、って」
「やっぱそうなんだ。っていうかそんな難しい言葉まだ教えてもらってない!」
「あれ? そうだっけ?」

 ノエはとぼけてみせるけれど、これは絶対分かっているやつだ。だって顔がにやにやしている。

「なんでニックさんは日本語じゃなかったの?」
「日本語苦手なんだよ、ニッキー」
「そうなの? 凄く上手だったけど」
「昔は使ってた時期があるらしいんだけどな。ここ数十年まともに話してないから、いざ使ってみたら言葉がうまく出てこなかったんだろ」

 そういうものなのか。最初に「子ねずみ」だなんて言うから日本語メインで話す人かと思ったけれど、そういうわけじゃないんだなぁ。でもそう言われると確かに「子ねずみ」っていう表現も現代的ではない気がする。

「ま、ニッキーはいい奴だよ。顔怖いけど」

 だからお近づきになってもいいよって意味かな?
 なら後で時間できたら話しかけてみよう。ああ、でも先にお風呂入りたい。なんか身体が気持ち悪い……って。

「待ってノエ! 私ほぼ二日お風呂入ってない!」
「知ってるよ」
「そうでしょうとも! でもラミア様に会うのにお風呂入ってないって駄目じゃない!?」
くさいか気にしてんの?」
「恥ずかしながらそうです!」

 いや、乙女が自分の体臭気にするってどうなんだって話なんだけどね。でもそんなに汗をかいてはないとはいえ、二日もお風呂に入っていないのはどうかと思うの。ましてや偉い人に会うのに身だしなみが整っていないどころか不潔に近いというのは流石に私も駄目だと思うわけで。しかも相手は吸血鬼、人間より五感が鋭いなら匂いにも敏感かもしれない。
 と色々考えていると、ノエがずいっと顔を私の方に寄せた。

「んー……大丈夫、問題ないよ」
「なっ……なんっ……!?」

 何故耳元で囁く!?
 久々にやられたと思いながら、私は顔を真っ赤にしてにやにやと笑うノエを睨むことしかできなかった。


 § § §


 そこから先のことはよく覚えていない。
 楽しそうにケタケタと笑うノエの声を聞きながら、顔を伏せたままその後に着いていく。いやほんと、なんでああいうことするのかなぁ! 四百年も生きているノエからしたら私なんて子供なんだろうし、私だってノエのことはお父さんみたいだなぁだなんて思っちゃっているけれども、こっちは男の人にああいうことされるの慣れてないんだよ!

 と、心の中で不満をぶちまけていたら、ノエの足が止まった。顔を上げればエルシーさんの時みたいに高級そうなドアが視界に飛び込んでくる。
 ああ、デジャヴ。エルシーさんの時、ノエは全く気負うことなく部屋に入っていった。だから今回もそうかもしれないと思って急いで気持ちを整える。ノエに借りたままのジャケットをちゃんと着てピンと正し、一呼吸。
 さあ、準備はできたぞ。ノエよ、いつでも無礼にドアを開ければいい!

 ……が。

「……ノエ?」

 ノエ、ドアを開けない。これは予想外。
 しかも私が声かけたのに返事もしないし、よく見るとこころなしか表情が固い気がする。

 もしかして、これって。

「ノエ、緊張してるの?」

 私が問いかけると、ノエははっとしたようにこちらを見た。

「いや? ただちょっと、ね?」

 一体どうしたんだ。ノエのくせに緊張しているように見えるし、彼のそれを否定する言葉もなんだか歯切れが悪い。まさかラミア様はそんなに怖い人なんだろうか。今までノエはおちゃらけてラミア様の話をしていたけれど、実際はノエ本人も怖いと思っているとか……?
 そう考えると私まで緊張してくる。どうしようと思っていると、ノエが意を決したようにドアをノックした。

「――入れ」

 微かに聞こえたのは、低い、女の人のような声。
 ノエが扉を開く。広い部屋、たくさんの本。その先に窓。
 窓の前には、紫色の光に照らされた華奢な人型のシルエット。

 身体が痺れた気がした。それはこの人の持つ雰囲気のせいなのか、緊張に飲まれてしまったからなのか。気付けば私は既に部屋の中に入っていて、自分が一瞬でも完全に放心状態になってしまっていたのだと知り、背中からどっと汗が吹き出した。

 これがラミア様という人か。今まで出会ったどの吸血鬼の人よりもずっと、大きな存在感。それなのに。

「ただいま帰りましたー」

 前から聞こえてきたノエの声。いや、軽くない?

「無事で何より。で、その嬢ちゃんがそうだな?」
「そうっす。神納木ほたる、十七歳。よく食べよく眠り、勉強はちょっと苦手」

 おい待て、途中からいらない情報だぞ。
 っていうかノエの感じがいつもと変わらない。口調は裁判の時にエルシーさんに使っていたような敬語とは言い難い敬語だけど、入る前の緊張感が全くなくなっている。
 そしてラミア様の口調もなんだか軽い感じ。さっきまでの威圧感はどこへやら。見た目はラテン系の黒髪美人で、声はハスキー。あれだな、ハリウッド映画とかで女性兵士役とか凄く似合いそう。だからこの口調も外見には合っているのだけど、ノエが緊張するくらい怖くて偉い人だと思っていたのでなんだか意外だった。

「ほたる、ね。私はラミアだ。ノエから事情は聞いている――面倒なことに巻き込まれたな」
「あっ、おっ、お気遣いありがとうございます!」

 うん、やっぱりそんな怖くない人なのかもしれない。びっくりしてどもっちゃったけれど、威圧されるような感じはしないし。

「ノエ」
「……うっす」

 あれ? 急にノエがおとなしくなったぞ?

「お前は捕虜でもない年頃の娘を、まともに風呂にも入れてやらんのか?」

 うおおおバレてる! お風呂入ってないのバレてる! やっぱり私臭いんじゃん!

「いやァ、一日二日平気かなって……」
「時代は変わる。現代の衛生観念で育ってきた人の子にはそれなりのものを用意してやれといつも言ってるだろ」
「……すんません」

 ラミア様いい人じゃない? 絶対いい人だこれ。
 ノエは多分、部屋に入る前にこれを思い出したんだろうな。だから怒られると思って緊張していたのか。意外と可愛いところもあるじゃないか。
 とはいえなんでノエがこんなに大人しくするのかは分からない。だって怒るって言ってもラミア様そんなに怖くないし。もしや私の前だから怖くないだけで、ノエは後からこってり絞られるとか? あらやだ、いい気味。ノエには感謝しているけれど、さっきのいたずらを思い出すともっと怒られてしまえって思う。えへ。

「うちの者がすまない、ほたる。お前に用意した部屋には一通り設備が揃っているから、ここでの話が終わったら好きに使ってくれ」
「はい!」

 やばい、ラミア様イケメンだ。女の人だけど。

「それでノエ――」

 その声と同時に、突然ラミア様の雰囲気がガラッと変わった。あまりの変わりようにさっきまで私の中にあったふざけた気持ちがさっと姿を隠す。どうしよう、ちょっと緊張する。

「――この後どうするつもりだ?」

 そう言うと、ラミア様はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。張り詰めた空気のせいもあって、なんだか悪役感が漂っている。
 これが私に向けられたものだったら怖かったんだろうな。でも相手はノエを見ている。雰囲気に少し息苦しさを感じるけれど、怯えるほどじゃない。
 でもラミア様に視線を向けられているノエは、ほんの少しいつもよりも真面目な顔。

「まずはほたるの安全確保。それが出来次第、スヴァインを追いたいと考えてます」

 まるで答え合わせをする子供のよう――それが今のノエを表す言葉だった。

「どうやって?」

 ラミア様が質問を重ねる。その問いに、ノエはゆっくりと口を開いた。

「神納木ほたるを囮に使う――それが、ノストノクスの方針です」
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