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3 社交界の華 〜出会い〜
しおりを挟む噂一つであっても、この王宮内では情報戦と捉え、勝手な憶測や推測で話を広げた者への罰則規定がある。
ヘルムーズ浮気の報を告げた女官は、この規定により内乱未遂罪が適用され、王宮地下の排水処理場へと送られたのは記憶に新しい。
優秀な側仕えたちの情報にアーナルヤは再び溜め息を吐いて、モニーチェへ目を向けた。
「聞けば聞くほど、とても伯爵家の生まれとは思えない所業だこと。刃傷沙汰など起こせば、実家のソンダース家も無事では済まないと考えが及ばないのかしら?」
「夫人は、姫さまがご夫君をお見染めあそばしたのを、恨みに思っていたようで御座いますから」
「あのウラミーナ・ダーマネンの自業自得でしょうに。姫さまに咎など御座いませんわ」
ユディア・ハニヤ姉妹の呆れを含んだ言葉に、アーナルヤは力無く首を横に振ると、何度目かの溜め息を吐く。
「わたくしが略奪者なのは本当だから、恨まれても仕方がないことなのだけれど。……ところで、被害に遭ったカヤーノト子爵夫人の怪我については聞いていて?今宵のことはわたくしも無関係とは言えないわ。後ほど見舞いに行かなくては」
そう言うなり、モニーチェへとお湯から出る合図を送る。
侍女たちに身を清められる間、アーナルヤは目を閉じて過去を思い出していた。
*‥*・゜゚・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゚・*‥*
アーナルヤの姉であるミフォーレ・ルナ・ヨゥ・アイスワーレ第一王女が隣国へ嫁ぐ前祝会があったのは、約二年前の晩夏だった。
宰相付きの雑務官に任命されたばかりのワルエトージ侯爵子息、ヘルムーズ・ビアイシンと初めて言葉を交わしたのが、その前祝会である。
ヘルムーズという人物は、それなりに整った顔立ちではあるが、誰もが振り向く美丈夫とは言い難い。
衣装の選び方一つ取ってみても、生地や仕立ては上等だと思われるが、色味などは焦茶や濃紺、濃紫、深緑など、兎に角暗い色ばかりである。遠目には刺繍もない、差し色も分からないレベルだ。
社交界での彼は、常に両親の後ろに控えめに立ち、目立つところがなく、凡庸というか無難というか、人々の間で埋没しているイメージのみ。
実際、宰相府に勤めだした彼の評価も、地味だの、生真面目だの、堅物だの、融通が利かないだのという、良いのか悪いのか微妙なものである。
前祝会の一月ほど前に婚約したばかりのへトゥアル伯爵令嬢、ウラミーナ・ソンダースを伴い入場したヘルムーズは、儀礼に従い、迷う素振りもなく国王と王后へ言祝ぎを告げた。
それから主役の第一王女、王太子、アーナルヤ、弟シューサイラの順に挨拶と言祝ぎを受け、二言ほど言葉を交わし、その時にダンスを申し込まれる。
それも王太子と主役にではなく、アーナルヤと弟・シューサイラにだ。
アーナルヤは澱みないその言動を見て、感心したのだ。存外優秀ではないか、と。
アーナルヤとシューサイラは、社交術として初対面とも言える彼とその婚約者の誘いを受けることにしたが、弟も彼女と同じ感想をヘルムーズに持ったと言っていた。
貴族たちから一通り挨拶を受けた後、順次ダンスをこなし、比較的早い段階でヘルムーズの番になった。
エスコートされて舞踏場へと進み出て、彼と向かい合い一礼してからホールド。
その際、衣装の襟元に施された全く目立たない繊細な刺繍に目を奪われた。
(焦茶は本人の瞳の色ね。そして、刺繍糸は深緑。深緑は……婚約者の瞳の色か。成る程。まぁでも婚約者の色なら髪の亜麻色でも……)
そんなことをツラツラ思いながら最初のステップを踏み出せば、家族とのダンスとは少し違うが、妙な安心感を得た。
踊るに連れて、この腕の中なら身を任せても良い、などと思い始める。
今までにない思考に感情が揺れ、アーナルヤは戸惑う。次第にヘルムーズと視線を合わせることが出来なくなった。
社交界の華を自負する己が、宮中内外でいまいちな評価をされている男に惹かれるなど、あり得ないことである。
そう思いながらも、いつも以上に足運びが軽やかで踊りやすい。
そして、それがとても楽しいと、安心出来る腕の中で嬉しいと、何故か心が浮き立ってしまう。
王家に生まれた者として、徹底した帝王学と紳士・淑女教育を叩き込まれ、近隣三カ国の言語と歴史・文化を習得した。
いずれ国益の為に政略結婚の駒として生きるのは義務だと理解もしている。
言葉を巧みに操り相手を誘導する術、首の角度によって変化する表情を使い分け、相手に忖度させる術を身につけた。
その内心を決して悟らせない強固に固まった微笑と、強かさを武器に、姉と自分は母である王后をも差し置いて、社交界の華として生き抜いてきたのだ。
(この男が欲しい)
人生で初めてそんなことを思った。
その欲求に内心で愕然としながら、ここで他者の婚約者を奪うことなど王族としても人としてもあるまじき行為だと、何度も考えを振り払う。
姉はじきに隣国の王太子の下へ正妃として御国入りし、彼方の国の社交界を牛耳るだろう。
そして、己も近いうちに国益の為に政略による縁組が決まるものだと、覚悟をしている。
それなのに、既に婚約の決まっている男女の仲を裂いてまで、気持ちを貫くなど愚の骨頂だ。
ダンスの最中だと言うのに、鉄壁の微笑が強張り始めたと感じた時、ヘルムーズが口を開いた。
「申し訳ございません」
その謝罪の意図が分からず、逸らしていた視線を彼に向け、首を傾げる。
「その謝罪は何に対するもの?」
「殿下の貴重なお時間を、臣のような者と共有させてしまったことに対して、で御座います」
何やら己の態度から、難しいことを思案したらしい無表情なヘルムーズの言葉に、アーナルヤは焦った。
もしかすると彼の機嫌を損ねたのではないのか、と。
「あなたとのダンス、とても良いの。わたくし、こんなの初めてで……だから、たまらなく恥ずかしくて」
上目遣いのアーナルヤの言葉に、ヘルムーズの表情に変化はないが、耳だけが朱に染まっていく。
「わたくしの方こそ、未熟でごめんなさい」
そして、アーナルヤの初めての経験は、楽曲とともに終わりを告げた、はずだった。
「殿下はお疲れのご様子。よろしければ、臣がお席までお送り致しましょう」
ヘルムーズからのこの言葉がなければ。
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