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2章 海中都市オロペディオ
20話 暮れゆく港
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エルツ共和国オパール港。夕刻になってようやく到着したその港は、僕たちが先日まで滞在していた港とは、全く正反対の様相を見せていた。
立ち並ぶ家々の外装は白く、屋根には青い塗料――海に負けない程鮮やかな青色が敷かれている。高いものから低いもの、広いものから狭いものと、ぱっと見ただけでも多くの形の家が存在するようだ。
うだるような熱もなく、ざらついた空気もない。代わりに夕日が針となって僕の目を刺した。
湧き上がる激情は留まることを知らず、むずむずと僕の身体を揺さぶる。ぴたりと止まった僕の後ろで、相棒が足踏みをする。迷惑そうな人々の視線など、もはやどうでもよかった。僕は天に向けて両手を突き上げた。
「着ーいーたー!」
有り余った感情は、放出されてもなお収まらない。未知の世界が、何十日も変わらない景色の中で恋い焦がれてきた世界が、手の届く場所に広がっているのだ。押し込められていた好奇心が、強くしなやかに躍動する。
ぐるりと辺りを見渡すと、広場のようなものが見えた。何本もの支柱が立てられ、それぞれに白い布が渡されている。その下では多くの人々が行き交い、船着き場と同等か、それ以上の賑わいを見せていた。僕はその一角を指差して飛び跳ねる。
「カーン、市場があるよ。行こ!」
「リオ様、その前に換金して、宿を探しましょう。それから、これから陸地の移動が続くので、荷馬車か何かの使用も検討しましょう」
「馬車かぁ。いいね、いいね。旅みたい!」
踊る心に釣られるまま、僕の足は歪な円を描く。
「そういえば、人間界の馬って四本足なんだっけ。長旅で疲れてしまわないかな」
僕たちの故郷における「馬」は六本足が主流で、稀に八本足が誕生する。四足の馬は殆ど生まれず、例え生まれたとしてもすぐに食料行きだ。庶民の乗り物や動力にすらならない。
だから僕達は、人間界では馬と言えば四本足の生き物であると聞いて、とても驚いた。同時に心配でもあった。少ない足で、しかも細足で、どのようにして荒野を駆け巡るというのだろうか、どこに荷物を取り付けるのだろうか、と。
そんな懸念を抱く僕の一方、カーンは平然としていた。これから探しに向かうのは、使い慣れた六本足の馬であると言わんばかりに、不安の欠片も見えなかった。
「人間族も移動や荷物の運搬に馬を使うそうなので、おそらくは問題ないかと」
「あ、そっか。確かにそうだね」
僕は頷く。四足の馬も、人間界の営みの中に組み込まれている。この地に住まう人々は、荷物や人の運搬を、細足の馬に任せているのだ。
逞しい限りだ。感心しつつ、僕達はしばらくの宿を探す。
長い海旅を経験した僕にとって、海を望む、地平線から登るまたは沈む太陽が見える、などといった条件は必要なかった。寧ろ、もうこりごりだ。
我儘がないお蔭で、今日の宿泊所はすぐに見つかった。船着き場や市場からは少し離れた、比較的内陸にある宿だ。海は見えず、喧騒からも遠い。久方ぶりに静かな夜を過ごせそうだ。
安堵した僕たちは荷物を置き、早速探索へと出掛けた。
日の落ちかけた市場。人の流れは絶えることなく、しかし時折、物惜し気に温かい光の中に滞留する。この時間帯ともなると、流石に魚は売っていなかった。代わりに酒やその肴、軽食が店先に賑わせている。
先日訪れた砂漠の港と比べると、民の生活と密接に関わった品揃えが目立っていた。貴金属や調度品は殆ど見られず、また特産と思しき物も置いていない。大陸と島とを繋ぐ重要な拠点でありながら、この街は訪問者に媚びていなかった。
その中で、僕はあるものを見つけた。細長いパンの間に様々な食材を挟んだ軽食。それを売り歩く女性を呼び止めては、多くの酒飲みが金を落としていく。そして幸せそうに頬張るのだ。そんな光景を見せられて、我慢できるはずがない。疲労が見え隠れするカーンを引き連れて、僕は問い掛けた。
「これ、何ですか?」
「ゼントヴィッチですよ」
「ぜんと、ゔぃっち……」
「パンの間に様々な物を挟んだ食べ物です。今日はレタスや魚の揚げ物、それから茹で卵を挟んであります。いかがですか?」
自然で鮮やかな笑みの女性。その目元には、微かな隈が浮かんでいた。彼女も苦労しているのだろうか。随分と繁盛しているように見えるのに。
僕は背後を見遣る。こちらを見下ろすカーン目掛けて、僕はねだった。
「ねえねえ、これ、食べたいなぁ」
「分かりました。では、これを一つ」
そうカーンが言うと、女性は笑顔を弾けさせる。そして価値を口にした。三カラト――ヴェルトラオム島では銅貨七枚に相当する値段だ。
このオパール港、さらに言うなら、それが属するエルツ共和国では「カラト」という単位の硬貨が使用されている。
僕達がいた島とは違って、価値が異なる複数種類の硬貨が存在するわけではなく、どれも同等の価値を持っていた。携帯に苦労するが、使い分ける手間や、交換の為に頭を使う必要がないという点では便利なのかもしれない。
カーンが金を手渡す一方で、僕は品物を手に取る。美味しそうだ。僕たちは女性に礼を言うと、市場を離れた。
舗装された海沿いの道を行くにつれて、人通りが少なくなってきた。喧騒すら遠退いて、代わりに海の囁きと猫のような声が、僕の鼓膜に差し込まれる。
僕達は適当な位置に腰を降ろす。足を放り出して、僕は改めてその景色を目に映す。
黒く塗りかけた海。仄かに明るい地平線。寄せる波は寝息のように穏やかで、足元に広がる白い砂地には小さな足跡が点々と続いている。
よくよく見れば、そこら中に丘や溝が作られていた。木製のヘラや茶碗、さらには誰の物とも知れない靴まで放置されている。きっと昼間には、子供達の遊び場になっているのだろう。それに混ざってはしゃぐ僕の姿が脳裏を過って、少しばかり恥ずかしくなった。
「リオ様」
不意に名を呼ばれ、僕は視線を相棒の方に移す。ぱっくりと、ゼントヴィッチを迎えるべく開けた口のまま、想像するに容易い間抜け面で、彼の言葉を待つ。
「リオ様、毒味を」
それは久方振りに耳にする台詞だった。呆気にとられる僕を、相棒が見下ろす。妙な事を言っただろうかとばかりに、形のよい眉が歪んだ。
これまでは、毒味をする必要がなかったのだ。配膳される前に彼が「味を確かめて」いたから、あるいは一から十まで全て調理を請け負っていたから。
それに気付いたのは、胸の中を一筋の風が通りすぎた後だった。
「そんなこと言って、お腹空いてるだけなんじゃない?」
「……もしもの事があっては困りますので」
「心配し過ぎだよ」
「念のためです」
褐色の肌がゼントヴィッチを取り上げる。それを中身と共に器用に千切ると、形のよい鼻を動かしてから口に含んだ。
沈黙が降りる。ゆっくりと相棒は咀嚼する。毒が含まれていないか、害はないか、きちんと分析しているのだろう。僕はその様子をじっと見守った。
「美味しい?」
「……はい、美味しいです。ありがとうございました」
僕の手にそれが戻って来る。ほんの少しだけ小さくなったゼントヴィッチ。僕は少しの間それを眺めてから、およそ半分に割った。
「はい」
「い、いえ、私は――」
「お腹空いてない?」
「……いただきます」
苦い笑みを浮かべたカーン。それに欠片を渡した。
生存のために養分を必要とする。それは僕もカーンも変わらない。本日二度目の食事は、徐々に身体の中に溶けていった。しかし――。
「パン、ちょっと酸っぱい?」
「そうですね……味に癖があるように感じます」
不味い訳ではないが、かと言って称賛の対象にはし難い。何だろう、この味は。僕もカーンも首を捻っていた。
ミャアミャアと白い鳥が鳴く。僕たちの持っている食べ物に気付いたのか、一羽の鳥がカーンの傍に降り立った。黒いつぶらな瞳――忙しなく首を動かして辺りに視線を配っては、時折物欲しそうにカーンの手元を見る。それを相棒は、悩まし気に眺めていた。
「カモメ、でしょうか」
「こんな鳴き声だっけ?」
僕達はまた首を捻る。似た鳥、僕達の故郷でもよく見掛けた――ような気がする。しかしそれと同種であるかまでは判別し難い。遠い記憶は手繰り寄せようとしても、指の間をするりと抜けてしまう。
「んー、駄目だ、モヤモヤする。思い出せない」
「寒冷地なら何か思い出すかもしれません」
「同じ鳥がいるかも……って?」
落ちそうになる具を支えつつ、カーンを窺う。彼はこくりと頷いて、もぐもぐと動かしていた口元を隠した。
「人間界にも寒い地域あるの?」
「そのようですよ」
「へえ」
僕は手元のパンをちぎって、鳥の方へと投げてやる。すると黄色い嘴は地面を突き、黒い瞳をこちらに向けてから飛び去った。
「……人間界って、温かい所ばかりかと思ってた」
世界は広い。僕達は本当にちっぽけな、それこそ屋敷から庭を盗み見たような、狭く限りのある世界しか知らない。それもこれから、変わっていくのだろう。
知識や経験が増える。それは僕にとって喜ばしいことだ。魔術士とは貪欲であるもの――どこかの老婆の言葉が、頭の中に響いた。
海の果てに橙色が沈んでいく。もうしばらくすれば、夜が街を支配するだろう。
何度見たかも分からない日暮れの景色。しかし船から見下ろすよりもずっと深く、橙の瞳と視線が交わる。僕の視界にチリチリとした光を焼き付けて、こちらを睨みながら微睡みの中へと落ちていく。
世界も寝るんだ。意図せず、そんな言葉が零れ落ちた。
「申し……お二方」
いつの間に接近していたのか、背後から聞こえて来た声に、心臓が飛び跳ねる。危うく悲鳴となって僕の口から出そうになった。
誰だ、と問い掛けるよりも先に、僕の身体は動いていた。放り出していた足を持ち上げ、キッと声の主を睥睨する。
突きつけた視線は、それを認識するなり刃を落してしまった。
そこにいたのは女性だった。全身を黒の布で覆い、浅く被った頭巾の下から、透き通るような金髪を零す。白い素足で大地を踏みつけ、その人はじっと、まるで本棚から目的の物を探すように、僕を見下ろしていた。
「魔族の方とお見受けします。わたくしの話を聞いていただけませんか」
立ち並ぶ家々の外装は白く、屋根には青い塗料――海に負けない程鮮やかな青色が敷かれている。高いものから低いもの、広いものから狭いものと、ぱっと見ただけでも多くの形の家が存在するようだ。
うだるような熱もなく、ざらついた空気もない。代わりに夕日が針となって僕の目を刺した。
湧き上がる激情は留まることを知らず、むずむずと僕の身体を揺さぶる。ぴたりと止まった僕の後ろで、相棒が足踏みをする。迷惑そうな人々の視線など、もはやどうでもよかった。僕は天に向けて両手を突き上げた。
「着ーいーたー!」
有り余った感情は、放出されてもなお収まらない。未知の世界が、何十日も変わらない景色の中で恋い焦がれてきた世界が、手の届く場所に広がっているのだ。押し込められていた好奇心が、強くしなやかに躍動する。
ぐるりと辺りを見渡すと、広場のようなものが見えた。何本もの支柱が立てられ、それぞれに白い布が渡されている。その下では多くの人々が行き交い、船着き場と同等か、それ以上の賑わいを見せていた。僕はその一角を指差して飛び跳ねる。
「カーン、市場があるよ。行こ!」
「リオ様、その前に換金して、宿を探しましょう。それから、これから陸地の移動が続くので、荷馬車か何かの使用も検討しましょう」
「馬車かぁ。いいね、いいね。旅みたい!」
踊る心に釣られるまま、僕の足は歪な円を描く。
「そういえば、人間界の馬って四本足なんだっけ。長旅で疲れてしまわないかな」
僕たちの故郷における「馬」は六本足が主流で、稀に八本足が誕生する。四足の馬は殆ど生まれず、例え生まれたとしてもすぐに食料行きだ。庶民の乗り物や動力にすらならない。
だから僕達は、人間界では馬と言えば四本足の生き物であると聞いて、とても驚いた。同時に心配でもあった。少ない足で、しかも細足で、どのようにして荒野を駆け巡るというのだろうか、どこに荷物を取り付けるのだろうか、と。
そんな懸念を抱く僕の一方、カーンは平然としていた。これから探しに向かうのは、使い慣れた六本足の馬であると言わんばかりに、不安の欠片も見えなかった。
「人間族も移動や荷物の運搬に馬を使うそうなので、おそらくは問題ないかと」
「あ、そっか。確かにそうだね」
僕は頷く。四足の馬も、人間界の営みの中に組み込まれている。この地に住まう人々は、荷物や人の運搬を、細足の馬に任せているのだ。
逞しい限りだ。感心しつつ、僕達はしばらくの宿を探す。
長い海旅を経験した僕にとって、海を望む、地平線から登るまたは沈む太陽が見える、などといった条件は必要なかった。寧ろ、もうこりごりだ。
我儘がないお蔭で、今日の宿泊所はすぐに見つかった。船着き場や市場からは少し離れた、比較的内陸にある宿だ。海は見えず、喧騒からも遠い。久方ぶりに静かな夜を過ごせそうだ。
安堵した僕たちは荷物を置き、早速探索へと出掛けた。
日の落ちかけた市場。人の流れは絶えることなく、しかし時折、物惜し気に温かい光の中に滞留する。この時間帯ともなると、流石に魚は売っていなかった。代わりに酒やその肴、軽食が店先に賑わせている。
先日訪れた砂漠の港と比べると、民の生活と密接に関わった品揃えが目立っていた。貴金属や調度品は殆ど見られず、また特産と思しき物も置いていない。大陸と島とを繋ぐ重要な拠点でありながら、この街は訪問者に媚びていなかった。
その中で、僕はあるものを見つけた。細長いパンの間に様々な食材を挟んだ軽食。それを売り歩く女性を呼び止めては、多くの酒飲みが金を落としていく。そして幸せそうに頬張るのだ。そんな光景を見せられて、我慢できるはずがない。疲労が見え隠れするカーンを引き連れて、僕は問い掛けた。
「これ、何ですか?」
「ゼントヴィッチですよ」
「ぜんと、ゔぃっち……」
「パンの間に様々な物を挟んだ食べ物です。今日はレタスや魚の揚げ物、それから茹で卵を挟んであります。いかがですか?」
自然で鮮やかな笑みの女性。その目元には、微かな隈が浮かんでいた。彼女も苦労しているのだろうか。随分と繁盛しているように見えるのに。
僕は背後を見遣る。こちらを見下ろすカーン目掛けて、僕はねだった。
「ねえねえ、これ、食べたいなぁ」
「分かりました。では、これを一つ」
そうカーンが言うと、女性は笑顔を弾けさせる。そして価値を口にした。三カラト――ヴェルトラオム島では銅貨七枚に相当する値段だ。
このオパール港、さらに言うなら、それが属するエルツ共和国では「カラト」という単位の硬貨が使用されている。
僕達がいた島とは違って、価値が異なる複数種類の硬貨が存在するわけではなく、どれも同等の価値を持っていた。携帯に苦労するが、使い分ける手間や、交換の為に頭を使う必要がないという点では便利なのかもしれない。
カーンが金を手渡す一方で、僕は品物を手に取る。美味しそうだ。僕たちは女性に礼を言うと、市場を離れた。
舗装された海沿いの道を行くにつれて、人通りが少なくなってきた。喧騒すら遠退いて、代わりに海の囁きと猫のような声が、僕の鼓膜に差し込まれる。
僕達は適当な位置に腰を降ろす。足を放り出して、僕は改めてその景色を目に映す。
黒く塗りかけた海。仄かに明るい地平線。寄せる波は寝息のように穏やかで、足元に広がる白い砂地には小さな足跡が点々と続いている。
よくよく見れば、そこら中に丘や溝が作られていた。木製のヘラや茶碗、さらには誰の物とも知れない靴まで放置されている。きっと昼間には、子供達の遊び場になっているのだろう。それに混ざってはしゃぐ僕の姿が脳裏を過って、少しばかり恥ずかしくなった。
「リオ様」
不意に名を呼ばれ、僕は視線を相棒の方に移す。ぱっくりと、ゼントヴィッチを迎えるべく開けた口のまま、想像するに容易い間抜け面で、彼の言葉を待つ。
「リオ様、毒味を」
それは久方振りに耳にする台詞だった。呆気にとられる僕を、相棒が見下ろす。妙な事を言っただろうかとばかりに、形のよい眉が歪んだ。
これまでは、毒味をする必要がなかったのだ。配膳される前に彼が「味を確かめて」いたから、あるいは一から十まで全て調理を請け負っていたから。
それに気付いたのは、胸の中を一筋の風が通りすぎた後だった。
「そんなこと言って、お腹空いてるだけなんじゃない?」
「……もしもの事があっては困りますので」
「心配し過ぎだよ」
「念のためです」
褐色の肌がゼントヴィッチを取り上げる。それを中身と共に器用に千切ると、形のよい鼻を動かしてから口に含んだ。
沈黙が降りる。ゆっくりと相棒は咀嚼する。毒が含まれていないか、害はないか、きちんと分析しているのだろう。僕はその様子をじっと見守った。
「美味しい?」
「……はい、美味しいです。ありがとうございました」
僕の手にそれが戻って来る。ほんの少しだけ小さくなったゼントヴィッチ。僕は少しの間それを眺めてから、およそ半分に割った。
「はい」
「い、いえ、私は――」
「お腹空いてない?」
「……いただきます」
苦い笑みを浮かべたカーン。それに欠片を渡した。
生存のために養分を必要とする。それは僕もカーンも変わらない。本日二度目の食事は、徐々に身体の中に溶けていった。しかし――。
「パン、ちょっと酸っぱい?」
「そうですね……味に癖があるように感じます」
不味い訳ではないが、かと言って称賛の対象にはし難い。何だろう、この味は。僕もカーンも首を捻っていた。
ミャアミャアと白い鳥が鳴く。僕たちの持っている食べ物に気付いたのか、一羽の鳥がカーンの傍に降り立った。黒いつぶらな瞳――忙しなく首を動かして辺りに視線を配っては、時折物欲しそうにカーンの手元を見る。それを相棒は、悩まし気に眺めていた。
「カモメ、でしょうか」
「こんな鳴き声だっけ?」
僕達はまた首を捻る。似た鳥、僕達の故郷でもよく見掛けた――ような気がする。しかしそれと同種であるかまでは判別し難い。遠い記憶は手繰り寄せようとしても、指の間をするりと抜けてしまう。
「んー、駄目だ、モヤモヤする。思い出せない」
「寒冷地なら何か思い出すかもしれません」
「同じ鳥がいるかも……って?」
落ちそうになる具を支えつつ、カーンを窺う。彼はこくりと頷いて、もぐもぐと動かしていた口元を隠した。
「人間界にも寒い地域あるの?」
「そのようですよ」
「へえ」
僕は手元のパンをちぎって、鳥の方へと投げてやる。すると黄色い嘴は地面を突き、黒い瞳をこちらに向けてから飛び去った。
「……人間界って、温かい所ばかりかと思ってた」
世界は広い。僕達は本当にちっぽけな、それこそ屋敷から庭を盗み見たような、狭く限りのある世界しか知らない。それもこれから、変わっていくのだろう。
知識や経験が増える。それは僕にとって喜ばしいことだ。魔術士とは貪欲であるもの――どこかの老婆の言葉が、頭の中に響いた。
海の果てに橙色が沈んでいく。もうしばらくすれば、夜が街を支配するだろう。
何度見たかも分からない日暮れの景色。しかし船から見下ろすよりもずっと深く、橙の瞳と視線が交わる。僕の視界にチリチリとした光を焼き付けて、こちらを睨みながら微睡みの中へと落ちていく。
世界も寝るんだ。意図せず、そんな言葉が零れ落ちた。
「申し……お二方」
いつの間に接近していたのか、背後から聞こえて来た声に、心臓が飛び跳ねる。危うく悲鳴となって僕の口から出そうになった。
誰だ、と問い掛けるよりも先に、僕の身体は動いていた。放り出していた足を持ち上げ、キッと声の主を睥睨する。
突きつけた視線は、それを認識するなり刃を落してしまった。
そこにいたのは女性だった。全身を黒の布で覆い、浅く被った頭巾の下から、透き通るような金髪を零す。白い素足で大地を踏みつけ、その人はじっと、まるで本棚から目的の物を探すように、僕を見下ろしていた。
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=== こげ丸 ===
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