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1章 ヴァーゲ交易港
12話 再出発
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結論から言うと、行方不明者は見つかった。見つかったけれど、死んでいた。崩れた砂の塊を持っていた男――僕が発見したそれが、件の男だったのだ。
腹を開いた無残な死体は、遺族の元へ持ち帰ることができなかった。
というのも、それがこの地、ヴァーゲ交易港を初めとした砂漠地帯の習わしであり、文明を持った今でも、それを覆すことはできなかった。
砂海に命を委ねた全ての者は、己が肉体の運命を自然に託す。
誰として構うことなく干からびようが、動物や虫に食い散らかされようが、僕たちが手を出すことはできない。全て、自然の理が成す帰結だった。
時代を経て、温情から遺品の持ち帰りは許可されたが、それでも遺族は複雑であろう。死に目に会えないどころか、亡骸にすら別れを言うことができないのだから。
持ち帰った形見は様々だ。衣服や装飾品、頭髪。あるいは、砂漠を公式に出歩く際に与えられる身分証。砂から掬い上げたそれらは、後日、遺族へと送り届けられる。それは行方不明者の母親も例外ではなかった。そしてディアナも。
自宅へ戻っていた行方不明者の母親の元には隊商の一員が向かい、ディアナには僕たちが品物を届けた。
件の男が首から下げていた、色の付いた石――男が送りたかったであろう物とは異なるが、それでも、ディアナに気持ちを伝えることは成功した。
これが死後でなかったら。膝から崩れ落ちた女性は嘆く。
悲しみは計り知れない。だから僕たちには、席を外すことしかできなかった。
オアシスにおける惨事が発覚してもなお、港はいつも通りの喧騒に包まれていた。それはもう、不自然な程に。それに僕は疑念を抱く。不信にも似た、暗くもの悲しい感情を。
「どうしてこんなに、いつも通りでいられるんだろうね」
僕の口から言葉が零れた。それは、船着き場へと伸びる緩い坂を下ってた時のことだった。
流れゆく日常が、ただただ不思議で仕方ない。その呟きを拾ったカーンは、騒音の中でもよく通る声を紡ぐ。
「……興味がない、のだと思われます」
「オアシスが襲われたんだよ? 人もたくさん死んでるんだよ? それなのに……関心を持たずにいられるのかな」
「文字通りの他人事、なのだと思います。知らない場所で知らない人がどれだけ死のうが、彼らには関係ないのですよ」
「……そんなもの、なのかなぁ」
僕の視界に映る人々は、カーンの言う通り、少なくとも砂虫の襲撃は己の身には降り掛からないという慢心を持っている。
生き物を襲わないとされる虫が、生者を襲ったのだ。それにもう少し危機感を抱いた方がよいのではないか。僕は妙な胸騒ぎを覚えていた。
だが、いつまでもそれに構っている暇はなかった。僕たちは先を急ぐ。旅へ出た本来の目的を、僕は探さなければならない。そうして訪れた船着き場。その片隅に置かれた客船の案内板を見て、僕は間抜け面を晒すことになる。
「え……嘘。船、出ちゃったの?」
次の目的地である大陸――ヴァーゲ交易港のある島から、東へ進んだ先にある大陸。僕にとっては未知の地域へ向けた船が、張り紙によれば、つい昨日発ってしまったというのである。
次に出る船は明後日。低所得者向けの、貨物船の一角を借りた、およそ客船とは言い難い貧相なものだ。
僕たちはもともと、魔界の本の翻訳を進めたいという理由もあって、個室が確保された船に乗る予定だった。しかしなぜか出航日を確認していなかった。なぜか、記憶になかった。それが僕たちの敗因だ。
「どうなさいますか、リオ様」
「ううん、部屋がある船は二週間後か。そこまでプランダたちの世話になるのも悪いからなぁ。……明後日、出ようか」
「本当によろしいのですか? 作業ができなくなってしまいますが」
「そ、それは箱か何かを借りてやりくりするつもり―――あ、そうだ。ここで机の代わりになるような物を買って行けばいいんじゃないかな。そうすれば、野宿をした時にも使えるかも!」
「確かにそうですね。では、探しに参りましょう」
僕は大きく頷いてカーンの手を取る。
栄える一方で、治安に問題を残すヴァーゲ交易港。
相棒とはぐれて、気が付いたら変な所で競売にかけられている、なんてことになったら目も当てられない。それを思っての行動だったが、やはりカーンは軽い困惑を見せていた。だがすぐに僕の手を握り返す。
こうして意図せずして得た猶予を使って、再び街を歩き回っていた僕たちだったが、その所為で、僕たちは必要以上の買い物を強いられることになった。
店員の口車に乗せられて僕がねだった物や、まだ初夏だというのに購入した厚手の防寒具。さらにはプランダ一家へのお土産など、帰路につく頃には僕たちの両手はすっかり塞がっていた。
正午を過ぎ、太陽が傾きかけた頃になって、僕たちはようやく重い腰を持ちあた。プランダたちの待つ家へ戻ろう。重く沈んだ空気の元に。
決意の一方、歩みには明らかな躊躇いが見られた。一人は悲しみに暮れ、老婆がそれに付き添う。長男は今なお毒の後遺症に頭を悩ませている。
そんな家に、居候の身が揚々と帰ることができるものか。
もう少し時間を潰そうか。そんな話題も出始めた頃、道端に見覚えのある姿を見つけた。赤い髪に背丈ほどもある布の包み。鎧こそ着込んでいないものの、それが誰なのか、すぐに分かった。
「オルティラ?」
昨日の砂漠にて行われた行方不明者の捜索時、手を貸してくれた勇ましい女性。彼女は髪をうねらせてこちらを向くと、ぱっと表情を明るくする。
「おおっ、よかった、会えた――って、何だその荷物」
「ちょっと買い過ぎちゃって」
僕が笑うと、オルティラは口元を歪めた。身に覚えがある。そう言わんばかりだ。
「ここ、いろいろな物が揃ってるからねぇ。私もやったよ」
「でしょ? ほらほら、オルティラもこう言ってるし、僕たちだけじゃないんだよ!」
そうカーンを仰ぎ見ると、彼は困惑とも嫌がっているとも取れる表情を浮かべた。
雑談を交わしていた僕たちだったが、やがて今日判明した失敗の話になると、目の前の女性は豪快に笑声をあげた。
「確認してなかったのかい? まさか、そこまで世間知らずだとは思わなかったよ」
「それは分かったってば。よーく分かった。次からは気を付けるから、もう叩くのやめて!」
僕の肩を叩くオルティラは、やはり手加減というものを知らなかった。鋭い音が僕の身体を揺らす。
「それにしても、案外おっちょこちょいな二人組だね。確認を怠るなんでさ。あ、もしかして、旅行は初めて?」
「そうだよ、初めて。だから分からないことだらけで」
「そうかそうか、だと思ったよ!」
オルティラは、また僕を叩く。顔を顰める僕など、全く目に入っていないようだ。
確かに僕たちは旅に慣れていない。僕はそもそも、自分で計画を立てて、自分の足で行く旅自体が初めてだし、カーンも似た調子だろう。
オルティラと比べても、旅の経験が圧倒的に不足している。今回の船を逃した件も不慣れゆえ、そして慎重さの欠如ゆえの失態だ。僕はそれをしっかりと胸に刻んだ。
「それで――オルティラ。キミはどうしてここに来たの。砂虫関係?」
「ああ、話が早いね。実はついさっき、とある依頼を受けてね」
「依頼?」
そうそう、と彼女は服の中から紙を取り出す。それは胸の間に挟まっていたようにも見えたが、多分気の所為だろう。そんな曰く付きの紙を、彼女は僕の前で振る。
「砂虫の巣の破壊。この前、オアシスが襲われただろう? その報復と利益のために、“お金持ち”が動き出したのさ。流石に私一人だと寂しいから、誰か道連れにしようと思って伺ったんだけど、どう? 興味あるでしょう」
その動機はいかがなものか。
だけど、僕は不思議だった。砂虫の巣の破壊は、少なくとも一つの群れの解体を意味する。確かに人間は死んでいる。多くの人々が犠牲になっている。しかし、そこまで徹底する必要はあるだろうか。彼らは生存競争に負けたにすぎないのに。
この街に住まう人々と砂虫。どちらの位置に立っても、納得できない箇所がある。両方を立てることは不可能なのだろうか。
微かな蟠《わだかま》りが僕の胸に湧き上がる。しかし僕はそれを押し沈めて、
「必要なら手伝うよ」
「おお、果敢だね。また沢山の虫と対峙することになるけど、大丈夫かい、ボク?」
「平気だよ。虫は怖くないもん」
「そうか、そうか!」
口角を持ち上げたその人は、二度僕の頭を叩く。
どうして人は、こうも僕を子供扱いしたがるのだろう。僕は不満だった。そして見るまでもなく、僕の相棒も不本意そうだ。顔には殆ど出していないものの、真っ赤な双眸は、無言のうちにそれを訴えている。
僕がオルティラの“お願い”を快諾したことが気に入らないのだろう。それとも、カーンに相談しなかったことだろうか。僕は恐る恐る彼の方を窺う。
「カーン、駄目?」
「……反対、ではありますが」
「が?」
「行かれるのでしょう、いくら言っても。諦めます」
「よかった……ありがとう」
僕はほっと胸を撫で下ろす。
彼が不服であると腰を据えたら、僕にはどうしようもなかった。彼を言い包めることは、付き合いが長い僕ですら困難を極める。彼は忠実そうに見えて、実は頑固な男なのだ。
「よーし」
威勢のよい声と共に、オルティラは長い髪を揺らす。僕の目には眩しい、鮮やかな赤色の髪――彼女は笑みを深めて、
「日暮れ前、交易案内所前に集合しよう。砂漠側ね。分かる?」
「砂漠に出入りする所だよね? 水を吐いている魚の像が置いてある所。それなら分かるよ。昨日通った! でもそれだと、夜の間に移動することになっちゃうんじゃ……」
「夜は寝たい?」
うん――と頷きかけた頭を押さえて、僕は否定する。
「そうじゃなくて! 夜は視界が悪いし、寒くなるよ。大丈夫なの?」
ヴァーゲ交易港の夜は寒い。それはここ連日、嫌というほど思い知った。
それが時期の問題なのか地理の差なのか、あるいは建物に原因があるのかは定かではないが、人に囲まれ屋根に覆われた場所においても、腹の奥から冷え込むような寒さだったのだ。あの荒涼とした大地で迎える夜は未知数である。
どのような準備をすればよいのか、いかにして持ち運べるだけの荷物に収めるか。それが僕にとって気掛かりだった。
特に心配性の節があるカーンが、最低限の荷物で許してくれるとも思えなかった。夏もまだ迎えていないのに、冬用の服を買いたがる彼だ。きっと必要以上の毛布や上着を持ちたがるに違いない。
早くも不安を覚え始める僕のことなど、知ったことではないのだろう。オルティラは空を見上げて目蔭を作る。
少し強張っていながら、憂いを帯びたその表情には、どこか儚ささえも見て取れた。これまでの溌剌とした彼女からは、まるで想像もつかない表情だ。それにどきりとしないはずがない。
だが、そんな彼女から出てきたのは、あまりにも拍子抜けな言葉だった。
「鎧、めっちゃ暑いから、昼は動きたくないんだよねー」
脱げばいいのに。
腹を開いた無残な死体は、遺族の元へ持ち帰ることができなかった。
というのも、それがこの地、ヴァーゲ交易港を初めとした砂漠地帯の習わしであり、文明を持った今でも、それを覆すことはできなかった。
砂海に命を委ねた全ての者は、己が肉体の運命を自然に託す。
誰として構うことなく干からびようが、動物や虫に食い散らかされようが、僕たちが手を出すことはできない。全て、自然の理が成す帰結だった。
時代を経て、温情から遺品の持ち帰りは許可されたが、それでも遺族は複雑であろう。死に目に会えないどころか、亡骸にすら別れを言うことができないのだから。
持ち帰った形見は様々だ。衣服や装飾品、頭髪。あるいは、砂漠を公式に出歩く際に与えられる身分証。砂から掬い上げたそれらは、後日、遺族へと送り届けられる。それは行方不明者の母親も例外ではなかった。そしてディアナも。
自宅へ戻っていた行方不明者の母親の元には隊商の一員が向かい、ディアナには僕たちが品物を届けた。
件の男が首から下げていた、色の付いた石――男が送りたかったであろう物とは異なるが、それでも、ディアナに気持ちを伝えることは成功した。
これが死後でなかったら。膝から崩れ落ちた女性は嘆く。
悲しみは計り知れない。だから僕たちには、席を外すことしかできなかった。
オアシスにおける惨事が発覚してもなお、港はいつも通りの喧騒に包まれていた。それはもう、不自然な程に。それに僕は疑念を抱く。不信にも似た、暗くもの悲しい感情を。
「どうしてこんなに、いつも通りでいられるんだろうね」
僕の口から言葉が零れた。それは、船着き場へと伸びる緩い坂を下ってた時のことだった。
流れゆく日常が、ただただ不思議で仕方ない。その呟きを拾ったカーンは、騒音の中でもよく通る声を紡ぐ。
「……興味がない、のだと思われます」
「オアシスが襲われたんだよ? 人もたくさん死んでるんだよ? それなのに……関心を持たずにいられるのかな」
「文字通りの他人事、なのだと思います。知らない場所で知らない人がどれだけ死のうが、彼らには関係ないのですよ」
「……そんなもの、なのかなぁ」
僕の視界に映る人々は、カーンの言う通り、少なくとも砂虫の襲撃は己の身には降り掛からないという慢心を持っている。
生き物を襲わないとされる虫が、生者を襲ったのだ。それにもう少し危機感を抱いた方がよいのではないか。僕は妙な胸騒ぎを覚えていた。
だが、いつまでもそれに構っている暇はなかった。僕たちは先を急ぐ。旅へ出た本来の目的を、僕は探さなければならない。そうして訪れた船着き場。その片隅に置かれた客船の案内板を見て、僕は間抜け面を晒すことになる。
「え……嘘。船、出ちゃったの?」
次の目的地である大陸――ヴァーゲ交易港のある島から、東へ進んだ先にある大陸。僕にとっては未知の地域へ向けた船が、張り紙によれば、つい昨日発ってしまったというのである。
次に出る船は明後日。低所得者向けの、貨物船の一角を借りた、およそ客船とは言い難い貧相なものだ。
僕たちはもともと、魔界の本の翻訳を進めたいという理由もあって、個室が確保された船に乗る予定だった。しかしなぜか出航日を確認していなかった。なぜか、記憶になかった。それが僕たちの敗因だ。
「どうなさいますか、リオ様」
「ううん、部屋がある船は二週間後か。そこまでプランダたちの世話になるのも悪いからなぁ。……明後日、出ようか」
「本当によろしいのですか? 作業ができなくなってしまいますが」
「そ、それは箱か何かを借りてやりくりするつもり―――あ、そうだ。ここで机の代わりになるような物を買って行けばいいんじゃないかな。そうすれば、野宿をした時にも使えるかも!」
「確かにそうですね。では、探しに参りましょう」
僕は大きく頷いてカーンの手を取る。
栄える一方で、治安に問題を残すヴァーゲ交易港。
相棒とはぐれて、気が付いたら変な所で競売にかけられている、なんてことになったら目も当てられない。それを思っての行動だったが、やはりカーンは軽い困惑を見せていた。だがすぐに僕の手を握り返す。
こうして意図せずして得た猶予を使って、再び街を歩き回っていた僕たちだったが、その所為で、僕たちは必要以上の買い物を強いられることになった。
店員の口車に乗せられて僕がねだった物や、まだ初夏だというのに購入した厚手の防寒具。さらにはプランダ一家へのお土産など、帰路につく頃には僕たちの両手はすっかり塞がっていた。
正午を過ぎ、太陽が傾きかけた頃になって、僕たちはようやく重い腰を持ちあた。プランダたちの待つ家へ戻ろう。重く沈んだ空気の元に。
決意の一方、歩みには明らかな躊躇いが見られた。一人は悲しみに暮れ、老婆がそれに付き添う。長男は今なお毒の後遺症に頭を悩ませている。
そんな家に、居候の身が揚々と帰ることができるものか。
もう少し時間を潰そうか。そんな話題も出始めた頃、道端に見覚えのある姿を見つけた。赤い髪に背丈ほどもある布の包み。鎧こそ着込んでいないものの、それが誰なのか、すぐに分かった。
「オルティラ?」
昨日の砂漠にて行われた行方不明者の捜索時、手を貸してくれた勇ましい女性。彼女は髪をうねらせてこちらを向くと、ぱっと表情を明るくする。
「おおっ、よかった、会えた――って、何だその荷物」
「ちょっと買い過ぎちゃって」
僕が笑うと、オルティラは口元を歪めた。身に覚えがある。そう言わんばかりだ。
「ここ、いろいろな物が揃ってるからねぇ。私もやったよ」
「でしょ? ほらほら、オルティラもこう言ってるし、僕たちだけじゃないんだよ!」
そうカーンを仰ぎ見ると、彼は困惑とも嫌がっているとも取れる表情を浮かべた。
雑談を交わしていた僕たちだったが、やがて今日判明した失敗の話になると、目の前の女性は豪快に笑声をあげた。
「確認してなかったのかい? まさか、そこまで世間知らずだとは思わなかったよ」
「それは分かったってば。よーく分かった。次からは気を付けるから、もう叩くのやめて!」
僕の肩を叩くオルティラは、やはり手加減というものを知らなかった。鋭い音が僕の身体を揺らす。
「それにしても、案外おっちょこちょいな二人組だね。確認を怠るなんでさ。あ、もしかして、旅行は初めて?」
「そうだよ、初めて。だから分からないことだらけで」
「そうかそうか、だと思ったよ!」
オルティラは、また僕を叩く。顔を顰める僕など、全く目に入っていないようだ。
確かに僕たちは旅に慣れていない。僕はそもそも、自分で計画を立てて、自分の足で行く旅自体が初めてだし、カーンも似た調子だろう。
オルティラと比べても、旅の経験が圧倒的に不足している。今回の船を逃した件も不慣れゆえ、そして慎重さの欠如ゆえの失態だ。僕はそれをしっかりと胸に刻んだ。
「それで――オルティラ。キミはどうしてここに来たの。砂虫関係?」
「ああ、話が早いね。実はついさっき、とある依頼を受けてね」
「依頼?」
そうそう、と彼女は服の中から紙を取り出す。それは胸の間に挟まっていたようにも見えたが、多分気の所為だろう。そんな曰く付きの紙を、彼女は僕の前で振る。
「砂虫の巣の破壊。この前、オアシスが襲われただろう? その報復と利益のために、“お金持ち”が動き出したのさ。流石に私一人だと寂しいから、誰か道連れにしようと思って伺ったんだけど、どう? 興味あるでしょう」
その動機はいかがなものか。
だけど、僕は不思議だった。砂虫の巣の破壊は、少なくとも一つの群れの解体を意味する。確かに人間は死んでいる。多くの人々が犠牲になっている。しかし、そこまで徹底する必要はあるだろうか。彼らは生存競争に負けたにすぎないのに。
この街に住まう人々と砂虫。どちらの位置に立っても、納得できない箇所がある。両方を立てることは不可能なのだろうか。
微かな蟠《わだかま》りが僕の胸に湧き上がる。しかし僕はそれを押し沈めて、
「必要なら手伝うよ」
「おお、果敢だね。また沢山の虫と対峙することになるけど、大丈夫かい、ボク?」
「平気だよ。虫は怖くないもん」
「そうか、そうか!」
口角を持ち上げたその人は、二度僕の頭を叩く。
どうして人は、こうも僕を子供扱いしたがるのだろう。僕は不満だった。そして見るまでもなく、僕の相棒も不本意そうだ。顔には殆ど出していないものの、真っ赤な双眸は、無言のうちにそれを訴えている。
僕がオルティラの“お願い”を快諾したことが気に入らないのだろう。それとも、カーンに相談しなかったことだろうか。僕は恐る恐る彼の方を窺う。
「カーン、駄目?」
「……反対、ではありますが」
「が?」
「行かれるのでしょう、いくら言っても。諦めます」
「よかった……ありがとう」
僕はほっと胸を撫で下ろす。
彼が不服であると腰を据えたら、僕にはどうしようもなかった。彼を言い包めることは、付き合いが長い僕ですら困難を極める。彼は忠実そうに見えて、実は頑固な男なのだ。
「よーし」
威勢のよい声と共に、オルティラは長い髪を揺らす。僕の目には眩しい、鮮やかな赤色の髪――彼女は笑みを深めて、
「日暮れ前、交易案内所前に集合しよう。砂漠側ね。分かる?」
「砂漠に出入りする所だよね? 水を吐いている魚の像が置いてある所。それなら分かるよ。昨日通った! でもそれだと、夜の間に移動することになっちゃうんじゃ……」
「夜は寝たい?」
うん――と頷きかけた頭を押さえて、僕は否定する。
「そうじゃなくて! 夜は視界が悪いし、寒くなるよ。大丈夫なの?」
ヴァーゲ交易港の夜は寒い。それはここ連日、嫌というほど思い知った。
それが時期の問題なのか地理の差なのか、あるいは建物に原因があるのかは定かではないが、人に囲まれ屋根に覆われた場所においても、腹の奥から冷え込むような寒さだったのだ。あの荒涼とした大地で迎える夜は未知数である。
どのような準備をすればよいのか、いかにして持ち運べるだけの荷物に収めるか。それが僕にとって気掛かりだった。
特に心配性の節があるカーンが、最低限の荷物で許してくれるとも思えなかった。夏もまだ迎えていないのに、冬用の服を買いたがる彼だ。きっと必要以上の毛布や上着を持ちたがるに違いない。
早くも不安を覚え始める僕のことなど、知ったことではないのだろう。オルティラは空を見上げて目蔭を作る。
少し強張っていながら、憂いを帯びたその表情には、どこか儚ささえも見て取れた。これまでの溌剌とした彼女からは、まるで想像もつかない表情だ。それにどきりとしないはずがない。
だが、そんな彼女から出てきたのは、あまりにも拍子抜けな言葉だった。
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