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1章 ヴァーゲ交易港
8話 砂虫
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遠くから見ていた印象とは異なって、目の前に広がる景色は非常に晴れやかだった。
昨日までの暗雲がまるで嘘のように晴れ渡り、さんさんと輝く太陽はじりじりと赤茶色の地面を焦がしている。
そんな太陽の下を進む僕たちは、日差しと、時折巻き上がる砂塵から身を守るべく、頭の先から足元まで布で覆っていた。唯一出された目元だけがもろに熱波と砂を受けている。
とても暑い。籠る暑さだ。僕は外套を動かしたり服を揺らしたりしてみたが、体感の温度が変わることはなかった。
顔を顰める僕の一方で、先を行くベンノや、後ろから付いてくるカーンは、まるで堪えた様子を見せない。
この暑さを地元とするベンノならまだしも、カーンが平気な顔をしているのは、どうしても納得できなかった。僕と同じ、寒い地域を出身としているのに。
「リオ様、喉は渇いておられませんか」
「大丈夫」
「お疲れではありませんか?」
「だから、大丈夫だって」
僕は腹に力を入れて強く答えた――つもりだった。しかし僕の耳に届いたのは、疲れ切った弱々しい声だった。
情けない。自分に嫌気がさす。
「確か、近くにオアシスがあったはずだ。そこで休憩しよう」
先頭を歩くベンノは、肩越しにこちらを見る。随分と余裕そうな目元と声だった。
「オアシス?」
「ああ。休憩所みたいな場所かな。水があって、そこを中心に栄えているんだ」
「砂漠に水があるの?!」
驚愕する僕をベンノは笑う。
砂漠は一滴の水もない過酷な地だと聞いている。それを覚悟して、それこそ死地への旅に出る気分で街を発ったつもりだったのに、少しばかり拍子抜けだ。
「不思議だよなぁ。こんなに暑くて乾燥してて……でも、水はあるんだ。乾くことなく、どこかから湧き出ている。これが天使の恵みってやつなのかねぇ。――あ、見えてきた。あれだよ」
遠くの方、赤茶色の丘の奥に、場違いな緑色が見える。時折目にした、葉の先に棘を付けた置物のような植物とも異なる、鮮やかで生き生きとした緑だ。
この地域に来る以前には日常的に見ていた色なのに、今ではそれが新鮮に感じる。
青年の案内の通り少し行くと、確かに池があった。光をちらつかせる水面の周りには、背の低い植物が身を寄せ合うように生え、稀に妙に幹が伸びた木が日陰を作っている。
本当に水があった。僕は自然と歓声をあげていた。
「すごい、水だ! 池があるよ!」
「嘘じゃなかったろ?」
そしてその近くには人工物。木材や石を積み上げたと思しき壁が赤茶色の上に乗っていたが、どれもこれも、黒く焼け焦げ、至る所から煙があがっている。
「何だ、これ……」
呆然とベンノが呟く。やはりこれが常ではなかった。僕は口元を覆っていた布を引き下げて、焦げた空間に足を踏み入れた。
鼻をつく炭の匂い。腹の底がムズムズとする。戦火を思い起こさせるそれに、僕の気分は悪くなる一方だった。
「リオ様、風上はこちらです。少し休まれてはいかがでしょう」
「……いや、探索を続ける。三人で手分けをした方が、状況の把握も早く済むでしょう?」
心配そうな相棒を振りきって、僕は歩を進める。カーンもまた僕の後を付いて回る。
何が起こるか分からないから、万が一を考えてのことなのだろう。相変わらず心配性だ。少し鬱陶しくもあったが、彼らしい行動である。
それからしばらく焼けたオアシスを見回っていると、ふと僕を呼ぶ声が聞こえてきた。紛うことなく、相棒カーンのものだ。
「どうしたの?」
「リオ様、これを」
カーンは黒い木材の上を示す。そこには、建材とは異なる曲線がひっくり返っていた。背を丸め、手足を縮めた物体。建物の部品にしては悪趣味な形である。
それは虫のようだった。普通の虫よりも大きく、僕の頭くらいの寸法である。
「これは……まさか、魔物?」
思わず僕は尋ねる。渋い顔を作ったカーンは、小さく首を捻った。
「魔物、とは断定し難いと思われます。人間界は三界のうち、最も自然の魔力生成量が少ない地域です。魔物が生きていくためには、あまりにも厳しい環境かと」
「……ああ、そっか。確かに」
魔物は水や肉、植物を食らう他に、空気中に漂う魔力を吸収して、その生を紡いでいると言われている。
だが、彼らが必要とする魔力は、人間界においては埋蔵量も生産量も少ない。魔物がこれほど裕福で、緑と水にあふれた人間界に定着しなかったのは、これが原因であろう。
自然に存在する魔力が少ないから、必然的に生き物が得られる魔力は少なくなり、集めるにも時間がかかる。余程の工夫をしなければ、魔力に生命の一端を背負わせている者たちが生きてくことは不可能に近い。
僕とカーンがお互いに首を捻っていると、どこからかベンノがやって来た。彼は僕たちが見ていた虫を見るなり、険しい表情に微かな戸惑いを滲ませる。
「これは……砂虫だ」
「砂虫?」
「この辺りに住み着いていて、群れで行動する羽虫だ。でも、それが何でこんな所に。普段は人の近くまで来ないのに……どうして」
群れで行動する虫、砂虫。その名前も姿も、僕にとっては初めての存在だった。
こんなにも大きな虫が人間界に存在しているだなんて。しかも、水も餌も少ない砂漠に。それだけでも僕にとっては興味深い事柄だったが、今はその探究をする時ではない。
「……僕、向こうを見てくるね」
僕はそう声をかけて、方向を転換した。
虫人問わず死体が浮かぶ、澄んだ池。それを横目に僕は歩く。
珍しく相棒が僕を追うことはなかった。だが、彼は僕が移動するたびに位置を変え、忙しなく僕のことを覗き見ている。
離れているものの、視界には入れているようだ。カーンは絶えず僕を監視する。
流れていく視界の中に、僕は砂虫の姿を見かけた。
先程のそれと同じ群れのものだろうか。だが、それらは一様に事切れており、また身体に欠損のないものも少なかった。
ほとんどが真っ二つに、あるいは生えていたであろう羽を毟り取られ、丸い目を潰されている。傷口から見ても、鋭い刃で切り裂かれたことは明確だ。
争いがあったのだろう。虫と人間、あるいは武器を持つ生物との間に。
焼け落ちた建材と転がる遺体の数々。うんざりとするほどそれを眺めていた僕だったが、その中に僕は建物を見つけた。
火の手を逃れたらしい二階建ての建造物。多少の焦げ目は付いているものの、外壁の大半が石で作られていたためか、全焼は免れたようだ。
そんな建物から垂れる一枚の布。一階部分の穴を隠すその下に、何かが見えたような気がした。どこからか吹いてきた温い風が、再びそれを煽る。
今度ははっきりと見て取れた。足だ。膝丈の革靴と布に巻かれた足。僕は慌てて布を押し開ける。そして声をあげた。
人が横たわっていたのである。
幾重にも巻かれた布――僕たちが身に着けている物と同じ、砂塵や日射から肌を守る布は、大いに乱れていた。加えて腹部には滲む赤茶色。僕が現れても、声をあげても動かないそれは、見るからに絶命していた。
「……死んでる、よね」
誰に確認するわけでもなく、僕は呟く。そして自分の腰にぶら下げている剣を引き抜いた。
この旅に出るよりも以前から使っている、手に馴染んだ剣。それを以って、僕は遺体の服を開いた。ゆっくり、ゆっくりと、身体を傷つけてしまわないよう、丁寧に作業を進める。
相棒が見ていたら卒倒しそうだ。その姿を想像するだけで、僕の頬は緩んだ。
ようやく開いた布から現れたのは、赤々とした肉だった。
皮膚は裂け、筋肉も失せ、本来収まっていたであろう臓物すら、そこには収まっていなかった。ぽっかりと空いた胴体には赤黒い液体。肉の淵には白っぽい何かがこびりついている。
よく目を凝らしてみると、その塊は少しずつ移動していた。
もそもそと先端を動かし、時折身体を波立たせて、じりじりと肉を漁っている。虫のようだ。小指の爪ほどもない小さな身体だったが、その腹ははち切れんばかりに膨らんでいた。
「うへぇ、気持ち悪い」
僕は剣先で虫を掬い取るが、それが目の前に来たときには、すっかり短くなっていた。痙攣する片割れが、洞の中でもがいている。
身体がそんなことになっていながらも、被害者の表情――見覚えのある顔は穏やかだった。薄眼を開けたその顔は、苦痛一つ感じさせない。それどころか、口元には薄い笑みさえ読み取れる。
まるで夢路の最中に襲われたかのように。
知らぬ間に死に絶えたのであれば、幸せであろう。少なくとも苦痛に悶え、運命を呪ったまま永い眠りにつくよりは。
他に変わった所はないだろうか。
僕は死体を見回して、ある事に気が付いた。
男の手――力なく地面に投げ出された手には、砂が握られていたのである。地面を覆う砂とも違う、塊の残る粉。
砂の中に見える多くの塊は、もともと一つだったのだろう。だが、それがどのような形を成していたのかまでは推測できない。
僕がそれに触れようとすると、突然後ろから手を掴まれた。
びくりと跳ねる肩。しかし、僕の腕に絡みつくそれが、黒い爪と軽く焦げた肌――カーンのものであると知るや否や、僕の胸は安堵に覆われる。
彼はちらりと真っ赤な双眸を死体の方に向けると、整った眉を顰《ひそ》めた。
「ここにも、ですか」
「他にもあったの?」
そう見上げると、彼は頷く。
「ええ。コレと同じように、腹を裂かれた死体が向こうにも」
「内側から何かが出てきたような痕も同じ?」
「はい」
もう一度頷くカーン。僕は唸った。
「虫も同じ……だったりする?」
「その白い物ですか? それは見られませんでした。私が見たのは、臓腑を抉り取られた骸だけです」
ならばこの虫は、目前の死体のみに張り付くものだろうか。だとすれば、一連の事件には関わりがないのかもしれない。
僕は自分の顎に手を当てる。空いた手で、剥き出しの剣を弄びながら、思考を巡らせた。
その時、視界の端で相棒が動いた。彼はピンと背筋を伸ばして、今なお細い煙を吹き出す瓦礫を見遣る。
何かを感じ取ったのだろうか。僕は研ぎ澄まされた瞳を見上げた。
「どうしたの?」
「リオ様、戻りましょう」
「え――う、うん」
カーンに連れられるまま、僕は立ち上がった。そして再び、照り付ける太陽の下に赴いた。
昨日までの暗雲がまるで嘘のように晴れ渡り、さんさんと輝く太陽はじりじりと赤茶色の地面を焦がしている。
そんな太陽の下を進む僕たちは、日差しと、時折巻き上がる砂塵から身を守るべく、頭の先から足元まで布で覆っていた。唯一出された目元だけがもろに熱波と砂を受けている。
とても暑い。籠る暑さだ。僕は外套を動かしたり服を揺らしたりしてみたが、体感の温度が変わることはなかった。
顔を顰める僕の一方で、先を行くベンノや、後ろから付いてくるカーンは、まるで堪えた様子を見せない。
この暑さを地元とするベンノならまだしも、カーンが平気な顔をしているのは、どうしても納得できなかった。僕と同じ、寒い地域を出身としているのに。
「リオ様、喉は渇いておられませんか」
「大丈夫」
「お疲れではありませんか?」
「だから、大丈夫だって」
僕は腹に力を入れて強く答えた――つもりだった。しかし僕の耳に届いたのは、疲れ切った弱々しい声だった。
情けない。自分に嫌気がさす。
「確か、近くにオアシスがあったはずだ。そこで休憩しよう」
先頭を歩くベンノは、肩越しにこちらを見る。随分と余裕そうな目元と声だった。
「オアシス?」
「ああ。休憩所みたいな場所かな。水があって、そこを中心に栄えているんだ」
「砂漠に水があるの?!」
驚愕する僕をベンノは笑う。
砂漠は一滴の水もない過酷な地だと聞いている。それを覚悟して、それこそ死地への旅に出る気分で街を発ったつもりだったのに、少しばかり拍子抜けだ。
「不思議だよなぁ。こんなに暑くて乾燥してて……でも、水はあるんだ。乾くことなく、どこかから湧き出ている。これが天使の恵みってやつなのかねぇ。――あ、見えてきた。あれだよ」
遠くの方、赤茶色の丘の奥に、場違いな緑色が見える。時折目にした、葉の先に棘を付けた置物のような植物とも異なる、鮮やかで生き生きとした緑だ。
この地域に来る以前には日常的に見ていた色なのに、今ではそれが新鮮に感じる。
青年の案内の通り少し行くと、確かに池があった。光をちらつかせる水面の周りには、背の低い植物が身を寄せ合うように生え、稀に妙に幹が伸びた木が日陰を作っている。
本当に水があった。僕は自然と歓声をあげていた。
「すごい、水だ! 池があるよ!」
「嘘じゃなかったろ?」
そしてその近くには人工物。木材や石を積み上げたと思しき壁が赤茶色の上に乗っていたが、どれもこれも、黒く焼け焦げ、至る所から煙があがっている。
「何だ、これ……」
呆然とベンノが呟く。やはりこれが常ではなかった。僕は口元を覆っていた布を引き下げて、焦げた空間に足を踏み入れた。
鼻をつく炭の匂い。腹の底がムズムズとする。戦火を思い起こさせるそれに、僕の気分は悪くなる一方だった。
「リオ様、風上はこちらです。少し休まれてはいかがでしょう」
「……いや、探索を続ける。三人で手分けをした方が、状況の把握も早く済むでしょう?」
心配そうな相棒を振りきって、僕は歩を進める。カーンもまた僕の後を付いて回る。
何が起こるか分からないから、万が一を考えてのことなのだろう。相変わらず心配性だ。少し鬱陶しくもあったが、彼らしい行動である。
それからしばらく焼けたオアシスを見回っていると、ふと僕を呼ぶ声が聞こえてきた。紛うことなく、相棒カーンのものだ。
「どうしたの?」
「リオ様、これを」
カーンは黒い木材の上を示す。そこには、建材とは異なる曲線がひっくり返っていた。背を丸め、手足を縮めた物体。建物の部品にしては悪趣味な形である。
それは虫のようだった。普通の虫よりも大きく、僕の頭くらいの寸法である。
「これは……まさか、魔物?」
思わず僕は尋ねる。渋い顔を作ったカーンは、小さく首を捻った。
「魔物、とは断定し難いと思われます。人間界は三界のうち、最も自然の魔力生成量が少ない地域です。魔物が生きていくためには、あまりにも厳しい環境かと」
「……ああ、そっか。確かに」
魔物は水や肉、植物を食らう他に、空気中に漂う魔力を吸収して、その生を紡いでいると言われている。
だが、彼らが必要とする魔力は、人間界においては埋蔵量も生産量も少ない。魔物がこれほど裕福で、緑と水にあふれた人間界に定着しなかったのは、これが原因であろう。
自然に存在する魔力が少ないから、必然的に生き物が得られる魔力は少なくなり、集めるにも時間がかかる。余程の工夫をしなければ、魔力に生命の一端を背負わせている者たちが生きてくことは不可能に近い。
僕とカーンがお互いに首を捻っていると、どこからかベンノがやって来た。彼は僕たちが見ていた虫を見るなり、険しい表情に微かな戸惑いを滲ませる。
「これは……砂虫だ」
「砂虫?」
「この辺りに住み着いていて、群れで行動する羽虫だ。でも、それが何でこんな所に。普段は人の近くまで来ないのに……どうして」
群れで行動する虫、砂虫。その名前も姿も、僕にとっては初めての存在だった。
こんなにも大きな虫が人間界に存在しているだなんて。しかも、水も餌も少ない砂漠に。それだけでも僕にとっては興味深い事柄だったが、今はその探究をする時ではない。
「……僕、向こうを見てくるね」
僕はそう声をかけて、方向を転換した。
虫人問わず死体が浮かぶ、澄んだ池。それを横目に僕は歩く。
珍しく相棒が僕を追うことはなかった。だが、彼は僕が移動するたびに位置を変え、忙しなく僕のことを覗き見ている。
離れているものの、視界には入れているようだ。カーンは絶えず僕を監視する。
流れていく視界の中に、僕は砂虫の姿を見かけた。
先程のそれと同じ群れのものだろうか。だが、それらは一様に事切れており、また身体に欠損のないものも少なかった。
ほとんどが真っ二つに、あるいは生えていたであろう羽を毟り取られ、丸い目を潰されている。傷口から見ても、鋭い刃で切り裂かれたことは明確だ。
争いがあったのだろう。虫と人間、あるいは武器を持つ生物との間に。
焼け落ちた建材と転がる遺体の数々。うんざりとするほどそれを眺めていた僕だったが、その中に僕は建物を見つけた。
火の手を逃れたらしい二階建ての建造物。多少の焦げ目は付いているものの、外壁の大半が石で作られていたためか、全焼は免れたようだ。
そんな建物から垂れる一枚の布。一階部分の穴を隠すその下に、何かが見えたような気がした。どこからか吹いてきた温い風が、再びそれを煽る。
今度ははっきりと見て取れた。足だ。膝丈の革靴と布に巻かれた足。僕は慌てて布を押し開ける。そして声をあげた。
人が横たわっていたのである。
幾重にも巻かれた布――僕たちが身に着けている物と同じ、砂塵や日射から肌を守る布は、大いに乱れていた。加えて腹部には滲む赤茶色。僕が現れても、声をあげても動かないそれは、見るからに絶命していた。
「……死んでる、よね」
誰に確認するわけでもなく、僕は呟く。そして自分の腰にぶら下げている剣を引き抜いた。
この旅に出るよりも以前から使っている、手に馴染んだ剣。それを以って、僕は遺体の服を開いた。ゆっくり、ゆっくりと、身体を傷つけてしまわないよう、丁寧に作業を進める。
相棒が見ていたら卒倒しそうだ。その姿を想像するだけで、僕の頬は緩んだ。
ようやく開いた布から現れたのは、赤々とした肉だった。
皮膚は裂け、筋肉も失せ、本来収まっていたであろう臓物すら、そこには収まっていなかった。ぽっかりと空いた胴体には赤黒い液体。肉の淵には白っぽい何かがこびりついている。
よく目を凝らしてみると、その塊は少しずつ移動していた。
もそもそと先端を動かし、時折身体を波立たせて、じりじりと肉を漁っている。虫のようだ。小指の爪ほどもない小さな身体だったが、その腹ははち切れんばかりに膨らんでいた。
「うへぇ、気持ち悪い」
僕は剣先で虫を掬い取るが、それが目の前に来たときには、すっかり短くなっていた。痙攣する片割れが、洞の中でもがいている。
身体がそんなことになっていながらも、被害者の表情――見覚えのある顔は穏やかだった。薄眼を開けたその顔は、苦痛一つ感じさせない。それどころか、口元には薄い笑みさえ読み取れる。
まるで夢路の最中に襲われたかのように。
知らぬ間に死に絶えたのであれば、幸せであろう。少なくとも苦痛に悶え、運命を呪ったまま永い眠りにつくよりは。
他に変わった所はないだろうか。
僕は死体を見回して、ある事に気が付いた。
男の手――力なく地面に投げ出された手には、砂が握られていたのである。地面を覆う砂とも違う、塊の残る粉。
砂の中に見える多くの塊は、もともと一つだったのだろう。だが、それがどのような形を成していたのかまでは推測できない。
僕がそれに触れようとすると、突然後ろから手を掴まれた。
びくりと跳ねる肩。しかし、僕の腕に絡みつくそれが、黒い爪と軽く焦げた肌――カーンのものであると知るや否や、僕の胸は安堵に覆われる。
彼はちらりと真っ赤な双眸を死体の方に向けると、整った眉を顰《ひそ》めた。
「ここにも、ですか」
「他にもあったの?」
そう見上げると、彼は頷く。
「ええ。コレと同じように、腹を裂かれた死体が向こうにも」
「内側から何かが出てきたような痕も同じ?」
「はい」
もう一度頷くカーン。僕は唸った。
「虫も同じ……だったりする?」
「その白い物ですか? それは見られませんでした。私が見たのは、臓腑を抉り取られた骸だけです」
ならばこの虫は、目前の死体のみに張り付くものだろうか。だとすれば、一連の事件には関わりがないのかもしれない。
僕は自分の顎に手を当てる。空いた手で、剥き出しの剣を弄びながら、思考を巡らせた。
その時、視界の端で相棒が動いた。彼はピンと背筋を伸ばして、今なお細い煙を吹き出す瓦礫を見遣る。
何かを感じ取ったのだろうか。僕は研ぎ澄まされた瞳を見上げた。
「どうしたの?」
「リオ様、戻りましょう」
「え――う、うん」
カーンに連れられるまま、僕は立ち上がった。そして再び、照り付ける太陽の下に赴いた。
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