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4章 人民よ、健やかに
32話 臼と杵
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入植八日目。
早朝、俺は設計図の最終確認を行っていた。仮倉庫は、小屋よりも簡素な構造であるとはいえ、途中で計画を変更すると作業従事者の混乱を招きかねない。
この村において最初に建てられた現女子部屋がよい例だ。
そうした事態にならないよう、入念に準備をしていたのだが、それははしゃぐ男達の声によって遮られた。
「村長、見ろ! 育ったぞ!」
窓ガラスの代わりに埋め込んだ柵の向こうから、男が覗いている。アランだった。顔を満たすのは、あまりにも晴れやかな笑み――ここまで嬉しそうなのは、《ニンジン》の収穫以来である。
「ねーねー、一番健やかに育ってるおっさんが煩いから、早く相手してくれない?」
イアンのうんざりとした声に、思わず噴き出した。
「今行きます」
一歩外に出てみると、初夏のような光景が広がっていた。入植初日に耕した小さな畑。それが黄金に包まれていたのである。八日目にして、ようやく《小麦》が収穫に至ったのだ。
「すごいだろ! これでようやく飯らしい飯が食える……」
「でもなんかこれ、《小麦》っぽくないね? おれが知ってるのは、もっと白くて粉みたいだったよ?」
「それは加工した奴だ。小麦粉の方だろ」
「ふーん?」
イアンはピンと来ていないようだった。それも当然であろう。イアンの目の前にあるのは、穂を膨らませた、ただの植物だ。ここから純白の粉が作られるなど想像し難い。
実際に見せてやりたいものだ。俺は改めて、アランの気持ちが分かったような気がした。
「《小麦》が収穫できたようですね」
耳に届いたのは、聞き慣れた声だった。ナビ子――すっかり元の装いを取り戻した彼女は、平生と同じキビキビとした様子で歩み寄ってくる。
「な、ナビ子さん!? 動いて大丈夫なんですか」
俺が慌てて駆け寄ると、彼女は花のように微笑んで、
「はい。御心配をお掛けしました。もう大丈夫です!」
だが彼女がガッツポーズに用いるのは右手だけだった。患部である左肩には、まだ痛みが残るのだろう。強がってはいるが、無理は禁物だ。
「それで――村長さん、《小麦》が収穫できたんですよね!」
「おう、この通り」
余程嬉しいのだろう、アランの顔から笑みが消えることはなかった。
「よい出来ですね! ですが《小麦》はこのままでは食べられません。茎から実を落とす、殻を外すなど、複数回の加工段階を経る必要があります」
「結構現実寄りなんですね。唐箕とか使うんですか?」
唐箕とは、籾殻と穀物を風力によって分別する装置である。脱穀の後に主に使用されるようだ。
ナビ子は丸い目をさらに丸くする。
「よくご存知ですね、唐箕だなんて。もうすっかり機械に置き換わったと思っていたんですけど……」
「祖父母の家にあったんです。ハンドル部分が壊れていたから、実際に使ったことはないんですけどね。――で、ここでは《小麦》をどう加工するんですか?」
「村長さんは弥生時代、米の脱穀をどのように行っていたか、ご存知ですか?」
俺はかつて学習した内容を引っ張り出す。もう何年も前の記憶だ。忘却の彼方にあるかと思いきや、一つ引き出しを開けると、ポツポツと知識が零れ出る。
「ええと、確か穂を摘んで、それを臼と杵で潰して……あれ、櫛みたいな歯が付いた、大きい道具ってどこで出て来るんでしたっけ」
「千歯扱きのことでしょうか? それなら、もっと時代が下った頃ですね」
ナビ子は器用にファイルを開く。提示されたのは櫛状に連なる幾本もの歯と、その土台と思しき骨組みである。千歯扱き――図の下には、確かにそのように書かれていた。
「小麦の加工には、まず、大きく分けて二つの工程が必要です。脱穀と脱稃《だっぷ》です。後者は籾摺《もみす》りとした方が分かり易いかもしれませんね。二つ合わせて『脱穀』と呼ぶこともありますが、今回は分けて説明を行います」
説明に飽きたのか、視界の端ではイアンが撤退を始めていた。ナビ子の説明は少々事務的である。退屈に思うのも頷ける。
俺も出来れば逃げ出したい。
「脱穀とは、アランさんが持っている茎から実を外すことを指します。この際に使われていたのが、先程村長さんが仰っていた千歯扱きです。次に脱稃――籾摺りとは、脱穀した実から殻や皮を外す作業です。弥生時代においてその役割を担っていたのが、木臼と木杵ですね」
「えーっと、てことは……今必要なのは《千歯扱き》って奴か?」
アランが首を捻る。ナビ子はにこりと微笑んで、
「そうですね。脱穀に必要な《千歯扱き》と、籾摺りに用いる《木臼》と《木杵》。《小麦》を加工する為には、まずそれらを揃えた方がよいと思われます。ただし籾摺りに関しては、踏んだり手で擦ったりすることによっても可能なので、早急に必要である、という訳ではありません」
なるほど、と俺は頷いた。とにかく今は最低限《千歯扱き》を用意すればよいらしい。
茎から実を外し、実から殻を外し、最後に製粉する。パン一つを作るだけでも随分と手間が掛かるが、それもこのゲームの醍醐味である。
仮倉庫建設の傍ら、アランには脱穀等の作業も進めておいてもらうことにした。
「そういえばナビ子さん。前、《ワラ》は《小麦》から手に入るとか言ってませんでしたっけ?」
「《ワラ》は脱穀済みの茎を乾燥することで入手できます。《乾燥台》が必要ですね」
「《乾燥台》って……確か《干し肉》を作る時にも使う奴ですよね。クローイさんにもう一個作るようお願いしないと……」
早朝、俺は設計図の最終確認を行っていた。仮倉庫は、小屋よりも簡素な構造であるとはいえ、途中で計画を変更すると作業従事者の混乱を招きかねない。
この村において最初に建てられた現女子部屋がよい例だ。
そうした事態にならないよう、入念に準備をしていたのだが、それははしゃぐ男達の声によって遮られた。
「村長、見ろ! 育ったぞ!」
窓ガラスの代わりに埋め込んだ柵の向こうから、男が覗いている。アランだった。顔を満たすのは、あまりにも晴れやかな笑み――ここまで嬉しそうなのは、《ニンジン》の収穫以来である。
「ねーねー、一番健やかに育ってるおっさんが煩いから、早く相手してくれない?」
イアンのうんざりとした声に、思わず噴き出した。
「今行きます」
一歩外に出てみると、初夏のような光景が広がっていた。入植初日に耕した小さな畑。それが黄金に包まれていたのである。八日目にして、ようやく《小麦》が収穫に至ったのだ。
「すごいだろ! これでようやく飯らしい飯が食える……」
「でもなんかこれ、《小麦》っぽくないね? おれが知ってるのは、もっと白くて粉みたいだったよ?」
「それは加工した奴だ。小麦粉の方だろ」
「ふーん?」
イアンはピンと来ていないようだった。それも当然であろう。イアンの目の前にあるのは、穂を膨らませた、ただの植物だ。ここから純白の粉が作られるなど想像し難い。
実際に見せてやりたいものだ。俺は改めて、アランの気持ちが分かったような気がした。
「《小麦》が収穫できたようですね」
耳に届いたのは、聞き慣れた声だった。ナビ子――すっかり元の装いを取り戻した彼女は、平生と同じキビキビとした様子で歩み寄ってくる。
「な、ナビ子さん!? 動いて大丈夫なんですか」
俺が慌てて駆け寄ると、彼女は花のように微笑んで、
「はい。御心配をお掛けしました。もう大丈夫です!」
だが彼女がガッツポーズに用いるのは右手だけだった。患部である左肩には、まだ痛みが残るのだろう。強がってはいるが、無理は禁物だ。
「それで――村長さん、《小麦》が収穫できたんですよね!」
「おう、この通り」
余程嬉しいのだろう、アランの顔から笑みが消えることはなかった。
「よい出来ですね! ですが《小麦》はこのままでは食べられません。茎から実を落とす、殻を外すなど、複数回の加工段階を経る必要があります」
「結構現実寄りなんですね。唐箕とか使うんですか?」
唐箕とは、籾殻と穀物を風力によって分別する装置である。脱穀の後に主に使用されるようだ。
ナビ子は丸い目をさらに丸くする。
「よくご存知ですね、唐箕だなんて。もうすっかり機械に置き換わったと思っていたんですけど……」
「祖父母の家にあったんです。ハンドル部分が壊れていたから、実際に使ったことはないんですけどね。――で、ここでは《小麦》をどう加工するんですか?」
「村長さんは弥生時代、米の脱穀をどのように行っていたか、ご存知ですか?」
俺はかつて学習した内容を引っ張り出す。もう何年も前の記憶だ。忘却の彼方にあるかと思いきや、一つ引き出しを開けると、ポツポツと知識が零れ出る。
「ええと、確か穂を摘んで、それを臼と杵で潰して……あれ、櫛みたいな歯が付いた、大きい道具ってどこで出て来るんでしたっけ」
「千歯扱きのことでしょうか? それなら、もっと時代が下った頃ですね」
ナビ子は器用にファイルを開く。提示されたのは櫛状に連なる幾本もの歯と、その土台と思しき骨組みである。千歯扱き――図の下には、確かにそのように書かれていた。
「小麦の加工には、まず、大きく分けて二つの工程が必要です。脱穀と脱稃《だっぷ》です。後者は籾摺《もみす》りとした方が分かり易いかもしれませんね。二つ合わせて『脱穀』と呼ぶこともありますが、今回は分けて説明を行います」
説明に飽きたのか、視界の端ではイアンが撤退を始めていた。ナビ子の説明は少々事務的である。退屈に思うのも頷ける。
俺も出来れば逃げ出したい。
「脱穀とは、アランさんが持っている茎から実を外すことを指します。この際に使われていたのが、先程村長さんが仰っていた千歯扱きです。次に脱稃――籾摺りとは、脱穀した実から殻や皮を外す作業です。弥生時代においてその役割を担っていたのが、木臼と木杵ですね」
「えーっと、てことは……今必要なのは《千歯扱き》って奴か?」
アランが首を捻る。ナビ子はにこりと微笑んで、
「そうですね。脱穀に必要な《千歯扱き》と、籾摺りに用いる《木臼》と《木杵》。《小麦》を加工する為には、まずそれらを揃えた方がよいと思われます。ただし籾摺りに関しては、踏んだり手で擦ったりすることによっても可能なので、早急に必要である、という訳ではありません」
なるほど、と俺は頷いた。とにかく今は最低限《千歯扱き》を用意すればよいらしい。
茎から実を外し、実から殻を外し、最後に製粉する。パン一つを作るだけでも随分と手間が掛かるが、それもこのゲームの醍醐味である。
仮倉庫建設の傍ら、アランには脱穀等の作業も進めておいてもらうことにした。
「そういえばナビ子さん。前、《ワラ》は《小麦》から手に入るとか言ってませんでしたっけ?」
「《ワラ》は脱穀済みの茎を乾燥することで入手できます。《乾燥台》が必要ですね」
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