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3章 村人は単なるNPCに過ぎないのか?
22話 ジビナガシープとバグ
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その日、宵になって合流したマルケン巡査部長とキャラバン隊は、俺の村に滞在することになった。
同じプレイヤーであるマルケン巡査部長の第一声は忘れようがない。まだいた、よかった――安堵の表情と共に、彼は俺の手を握ったのである。同時に彼はこんなことも言っていた。
いいスキル持ちを捕まえましたね。
キャラバン隊自慢の、俺達に比べたらあまりにも豪勢な食事に舌鼓を打ち、多くの住民が満足感と共に寝静まった頃、俺は炎を見つめていた。
入植初日以降、夜になっては灯される《焚き火》。この村ではアランに続く古株である。パチパチと弾ける火の中に、小さな羽虫が飛び込んだ。
「冷えますよ、そんな所にいては」
背後から声が聞こえて来る。マルケン巡査部。彼は手に二つのコップを持ち、ゆっくりと草原を歩いている。
「はい、これ」
「あっ、ありがとうございます」
受け取った木製の器には、白い液体が入っていた。そこから漂うのは、甘く落ち着く香り――ホットミルクのようだ。
まさかゲームの中でもホットミルクを拝めるとは。半ば感心しながら俺は、美しく研磨された器に唇を付ける。だが既の所でそれを外した。
「俺達、飲めないんじゃ……」
「ん? 別にこのくらいなら」
そう言って、マルケン巡査部長は液体を喉に流し込む。少し減った器と、口端に付着した白い膜を見せて、「ほら」と笑った。
何が何だか分からなかった。
ナビ子は、プレイヤーである俺は食事が出来ないと言い、そういうシステムだから諭した。だから俺はこれまで、ゲームのアイテムに極力触れないようにしてきた。接触すら許されないと、改めて突き付けられるのが恐ろしかった。
過干渉と判断される基準は未だ不明である。だがマルケン巡査部長が飲めるのならば。俺は意を決して、それを口に含んだ。
口腔から鼻腔にかけて芳香が広がる。温もりが食道を通り、胃に落ちて行く。身体が冷えていたのか、涙が出る程に温かかった。
「美味しい……これ、どうしたんですか?」
「さっき絞って来たんですよ。ほらあそこ――」
そう示すのは、数頭の動物だった。鼻先が長く、耳は垂れ下がっている。体側面を流れる毛は綺麗に切り揃え、汚れ一つ見当たらない。キャラバンにおいて、騎乗や運搬に用いられる家畜だ。
「あれは《ジビナガシープ》と言って、毛もミルクも取れるし、肉も美味しい。さらに荷物や人の運搬にも使える、万能な家畜なんです」
「凄い……便利ですね」
「もし見かけたら、手懐けておくことをオススメしますよ。本当にアレがいるかどうかで難易度が変わってきますから」
「手懐ける為には、何か役職が必要なんですかね?」
「そうですね。『罠師』の上級職に『酪農家』と『獣使い』というのがあって、二つとも手懐けは出来る筈ですよ。あ、『罠師』も出来るんだっけ、手懐けの難易度は高くなるけど。すみません、ここは攻略Wikiを見てください」
『罠師』といえば、つい先日ルシンダに与えた選択肢の一つである。
あの時は毛皮や獣の肉が欲しいあまりに判断を間違えてしまったが、『石工師』がこの村に誕生した以上、『罠師』の採用も視野に入れていきたいところだ。
《ジビナガシープ》の「手懐け」機会を逃さないよう、早めに『罠師』とその上級職を目指す方がよいだろう。
「……さっきの」
ふとマルケン巡査部長が口を開く。
「さっきの『飲めない』ってどういうことですか? 何かバグでも?」
「ああ、いえ。そういう設定だから飲めないって、うちのナビ子に言われたんですけど……マルケン巡査部長さんは特に関係ないみたいですかね?」
「マルケンでいいですよ。そうですね、そういう話は聞きませんでした。それどころか、村人同様に食事をする必要があるって言われましたね」
瞠目する。せざるを得なかった。
俺とナビ子とマルケン巡査部長のナビ子。彼女等の言う事が全く正反対なのだ。そう設定されているのではなかったのか、没入と過干渉は許されないのではなかったのか。
腹の中が掻き回されているようだった。
「も、もしかして、アイテムに触れないとか、そういうのもない……?」
「ないですね」
はっきりと彼は言う。
「随分前の話ですけど、そういう報告が掲示板を賑わせたことがありましてね。勝手に設定が変更されてるって。デフォルトではオンの設定がオフになっていたり、その逆だったり。そういうバグがあったんですよ。その後のアプデで改善された筈ですけど、まだ残ってたんですね」
マルケンの言うようにバグならば、運営に報告すべきだろう。しかし一つだけ気掛かりがあった。ナビ子のことである。
彼女はさも当然のように、村長は食事が出来ないと宣うた。仮にバグであるならば、彼女が朗々と「間違った情報」を伝えるとは考え難い。そもそも、それを把握しているかすら怪しい。
「この……何と言うんですか。俺が食事できないとかアイテムに触れないとか、そういうのって設定で変えられるものなんですか?」
「ええ。確か難易度によっても変わるんじゃなかったかな。シングルプレイだと確かそうだったような……。ただ、それがマルチサーバーにも反映できるかどうかまでは不明ですけど」
本当にバグなのだろうか。懐疑ばかりが俺の中に積もっていった。
同じプレイヤーであるマルケン巡査部長の第一声は忘れようがない。まだいた、よかった――安堵の表情と共に、彼は俺の手を握ったのである。同時に彼はこんなことも言っていた。
いいスキル持ちを捕まえましたね。
キャラバン隊自慢の、俺達に比べたらあまりにも豪勢な食事に舌鼓を打ち、多くの住民が満足感と共に寝静まった頃、俺は炎を見つめていた。
入植初日以降、夜になっては灯される《焚き火》。この村ではアランに続く古株である。パチパチと弾ける火の中に、小さな羽虫が飛び込んだ。
「冷えますよ、そんな所にいては」
背後から声が聞こえて来る。マルケン巡査部。彼は手に二つのコップを持ち、ゆっくりと草原を歩いている。
「はい、これ」
「あっ、ありがとうございます」
受け取った木製の器には、白い液体が入っていた。そこから漂うのは、甘く落ち着く香り――ホットミルクのようだ。
まさかゲームの中でもホットミルクを拝めるとは。半ば感心しながら俺は、美しく研磨された器に唇を付ける。だが既の所でそれを外した。
「俺達、飲めないんじゃ……」
「ん? 別にこのくらいなら」
そう言って、マルケン巡査部長は液体を喉に流し込む。少し減った器と、口端に付着した白い膜を見せて、「ほら」と笑った。
何が何だか分からなかった。
ナビ子は、プレイヤーである俺は食事が出来ないと言い、そういうシステムだから諭した。だから俺はこれまで、ゲームのアイテムに極力触れないようにしてきた。接触すら許されないと、改めて突き付けられるのが恐ろしかった。
過干渉と判断される基準は未だ不明である。だがマルケン巡査部長が飲めるのならば。俺は意を決して、それを口に含んだ。
口腔から鼻腔にかけて芳香が広がる。温もりが食道を通り、胃に落ちて行く。身体が冷えていたのか、涙が出る程に温かかった。
「美味しい……これ、どうしたんですか?」
「さっき絞って来たんですよ。ほらあそこ――」
そう示すのは、数頭の動物だった。鼻先が長く、耳は垂れ下がっている。体側面を流れる毛は綺麗に切り揃え、汚れ一つ見当たらない。キャラバンにおいて、騎乗や運搬に用いられる家畜だ。
「あれは《ジビナガシープ》と言って、毛もミルクも取れるし、肉も美味しい。さらに荷物や人の運搬にも使える、万能な家畜なんです」
「凄い……便利ですね」
「もし見かけたら、手懐けておくことをオススメしますよ。本当にアレがいるかどうかで難易度が変わってきますから」
「手懐ける為には、何か役職が必要なんですかね?」
「そうですね。『罠師』の上級職に『酪農家』と『獣使い』というのがあって、二つとも手懐けは出来る筈ですよ。あ、『罠師』も出来るんだっけ、手懐けの難易度は高くなるけど。すみません、ここは攻略Wikiを見てください」
『罠師』といえば、つい先日ルシンダに与えた選択肢の一つである。
あの時は毛皮や獣の肉が欲しいあまりに判断を間違えてしまったが、『石工師』がこの村に誕生した以上、『罠師』の採用も視野に入れていきたいところだ。
《ジビナガシープ》の「手懐け」機会を逃さないよう、早めに『罠師』とその上級職を目指す方がよいだろう。
「……さっきの」
ふとマルケン巡査部長が口を開く。
「さっきの『飲めない』ってどういうことですか? 何かバグでも?」
「ああ、いえ。そういう設定だから飲めないって、うちのナビ子に言われたんですけど……マルケン巡査部長さんは特に関係ないみたいですかね?」
「マルケンでいいですよ。そうですね、そういう話は聞きませんでした。それどころか、村人同様に食事をする必要があるって言われましたね」
瞠目する。せざるを得なかった。
俺とナビ子とマルケン巡査部長のナビ子。彼女等の言う事が全く正反対なのだ。そう設定されているのではなかったのか、没入と過干渉は許されないのではなかったのか。
腹の中が掻き回されているようだった。
「も、もしかして、アイテムに触れないとか、そういうのもない……?」
「ないですね」
はっきりと彼は言う。
「随分前の話ですけど、そういう報告が掲示板を賑わせたことがありましてね。勝手に設定が変更されてるって。デフォルトではオンの設定がオフになっていたり、その逆だったり。そういうバグがあったんですよ。その後のアプデで改善された筈ですけど、まだ残ってたんですね」
マルケンの言うようにバグならば、運営に報告すべきだろう。しかし一つだけ気掛かりがあった。ナビ子のことである。
彼女はさも当然のように、村長は食事が出来ないと宣うた。仮にバグであるならば、彼女が朗々と「間違った情報」を伝えるとは考え難い。そもそも、それを把握しているかすら怪しい。
「この……何と言うんですか。俺が食事できないとかアイテムに触れないとか、そういうのって設定で変えられるものなんですか?」
「ええ。確か難易度によっても変わるんじゃなかったかな。シングルプレイだと確かそうだったような……。ただ、それがマルチサーバーにも反映できるかどうかまでは不明ですけど」
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