【R18】ユートピア

名乃坂

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本編(前編)

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「西園寺さん、お待たせしました!」

待ち合わせ場所のレストランに彼女がやってくる。

美しい内装の店内は恋人達ばかりで、きっと僕達も周りからは恋人同士に見えているのだろうと思うと、何だか照れ臭い気持ちになる。

「西園寺さん、今回はこんな絵を描きましたよ!」

彼女は嬉々として持ってきた絵を見せてくれる。
今日僕達がこうして会っているのも、彼女の絵を買い取ることが目的だ。
僕としては、それだけが理由ではないけれど……。

「どうですか!?こことか良くないですか!?」

今日も彼女はテンションが高い。
笑顔で作品を自慢する彼女はとても可愛いと思う。

「すごく良いと思うよ。この雲もメルヘン……?というか……今で言うゆめかわいいって感じだね」
「ふふっ。西園寺さんからそんな原宿のJKみたいな言葉が出るなんて、違和感すごいです~」
「えぇ~、僕なりに君の世代に合わせたつもりだったんだけどなぁ……」
「私のことは気にせず、西園寺さんの言葉で話してください!私馬鹿なんで、知らない単語とかあったら、聞き返しちゃうかもしれませんけど、私も難しい言葉覚えたいですし!」

彼女は楽しそうに笑っている。
僕もそんな彼女を見ていると、心が満たされていく。

それから他愛もない会話が続く。
僕と彼女は、パトロンと画家という関係でありながらも、それなりに打ち解けた仲だと思う。




最初に出会った頃は、こんな他愛もない会話ができるような関係になるとは思ってもいなかった。
僕は彼女が想像以上に若い女性で驚いたし、彼女も僕に対してひどく緊張しているようだった。
普段聞きなれないような金額に恐縮して、かちんこちんに固まっている彼女を見て、僕は彼女を何とか笑わせようとした。
あの時の僕の行動は、今から思うとひどく突飛なものだったと思う。
「お金のことは全く気にしないで。僕、こう見えて結構お金持ちだからさ」と、薄暗い室内で、日本史の教科書に載っている成金よろしく、彼女の目の前で札束を燃やしたのだ。
「どうだ、明るくなったろう?」と聞くと、彼女は「日本史の教科書のやつじゃないですか!西園寺さんって面白いんですね!」と今までの緊張が嘘だったかのように笑ってくれた。
その時、僕の心もまるで火が灯ったように温かくなったのをよく覚えている。

「西園寺さん、何かすごく楽しそうですけど、どうされましたか?」

昔のことを懐かしんでいたからか、自然と微笑んでいたらしい。
彼女は不思議そうに僕を見つめる。

「ごめん、ちょっと昔を思い出してた」
「何思い出してたんですか~?」
「君と出会った時のことだよ」
「ちょっと!あれ黒歴史なんで忘れてくださいよ!私、本当に緊張してて……」

彼女は顔を真っ赤にする。
彼女の一挙一動が忙しないところが僕は好きだ。
素直な子なんだと思う。
すごく分かりやすい。
僕の周りは、僕の財産や地位を狙って媚び諂ってくる人達か、反対に僕の境遇を妬んで何かにつけて僕の言動にバツを付けたがる人達ばかりだった。
だから、彼女のこういう裏表のないところには、すごく救われている。

「ところで西園寺さん、あそこの席のカップル、プロポーズしてません?」

彼女は話を逸らしたいのか、少し離れた席のカップルを見つめる。
これだけ雰囲気のあるレストランなら、そういうことがあっても不思議ではない。

「婚約指輪、ダイヤめっちゃ大きいですね」
「そうだね。でもあんまり人のプライベートを覗くのは良くないよ?」
「へへ……すみません……」

僕が嗜めると、彼女はカップルを凝視するのはやめたみたいだけど、気になって仕方ないのか、僕の隙を窺ってチラチラと見ている。
彼女は年頃の女性だし、やっぱり結婚とか気になるのかな?

「ああいうの憧れる?」
「うーん。正直あそこまで高そうな指輪を貰ったら引きますね!そういうのよりも、花婿手作りの指輪とかが良いです」
「あはは。さすが芸術家さんだ。でもあの指輪買える人よりも、自分で指輪作れる人の方が少なそうじゃない?」
「全然不恰好な物でも嬉しいんですが、たしかにそうですねぇ……。もう指輪じゃなくても、本人の手作りなら何でも嬉しいです」
「ふふっ。素敵な考えだね。君の配偶者になる人は幸せ者だ」

お金という分かりやすい尺度で物の価値を判断しない彼女は素敵だ。
それでも少し、胸がチクリとする。

手作りの指輪って、相手も芸術家である想定の言葉なのかな?
彼女は芸術家だから、やっぱり芸術家同士で結婚したいの?
僕は彼女に大金を渡すこともあるけど、そういうのって引かれてるのかな?
でも彼女は僕が渡すお金、受け取ってくれてるよね。
僕は恋愛対象とかじゃなくてパトロンだからいいのかな?

彼女がイメージする理想の恋人像に自分は含まれていないのかと、分かってはいるけど落ち込んでしまう。

「そういえば君って誰か良い人はいないの?」
「西園寺さん、意外と週刊誌の記者みたいな俗っぽいところありますよね」
「あはは。僕は結構な俗物だよ?気になるから教えてよ」
「あ……あはは……気になるって言われても……特にいませんよ……?」
「そうなの?君ならすぐに恋人ができそうなのに」

僕がそう聞くと、彼女は誇らしげな顔をする。

「芸術が恋人なので!」
「ストイックだね。かっこいいよ」
「それ褒めてます?」
「褒めてる褒めてる」

彼女は恋人がいないのか。良かった。
なかなかパトロンと画家の関係性じゃ、恋人の有無を聞くのはセクハラっぽいかなって思って躊躇ってたけど、この機に乗じて聞いてみて良かった。
プロポーズしてたカップルには感謝だ。



彼女との食事を終え、彼女の絵を買い取ると、彼女との楽しい時間は終わってしまう。

別れ際、彼女と手が触れそうになったけど、彼女はすぐに手を引っ込めた。
そうした彼女の言動1つ1つに胸が痛んでしまう。

本当はもっと彼女と一緒にいたいし、彼女に触れたい。
でも、ただのパトロンの僕にはそんなことを願う権利はないだろう。
僕と彼女の関係性は、双方の友情やら愛情やらで始まったものではないのだから。

ああ……胸が苦しいな……。
こんなに苦しいなら彼女に恋なんてしたくなかった……。

そう後悔しても、もう遅い。
僕の彼女に対する気持ちは日に日に強くなっていくばかりだ。
初めは本当に、ただ彼女の描く絵が好きだっただけなのに……。


きっかけは明確には思い出せない。
まず、僕の理想郷のあの世界を描く彼女に興味を持った。
そこからどんどん彼女を知りたくなった。

僕は以前、彼女の「ユートピア」というタイトルがつく一連の作品は、一体何をイメージして描いているのかと尋ねたことがある。
その時、彼女は寂しそうに微笑んだ。

「私の絵はですね、亡くなった両親がいる世界をイメージして描いているんです。私、幼い頃に両親を亡くして、養護施設で育ったんですよ。私にとってのユートピアは、要するに天国みたいなものなんです。そこでは私の両親が、私の全てを受け入れてくれるんです。施設の人からは、私は両親に愛されていたんだって聞いています。私には両親の記憶はありませんが、そんな両親なら、私のことを離れていた時間の分まで、天国でいっぱい愛してくれるんじゃないかなって」


その時僕は、彼女に形容しがたいほどの愛おしさを感じた。

いつも笑顔で溌剌とした彼女の見せた闇。
それは僕の庇護欲を掻き立てた。
同時に、児童養護施設で育ったくらいだから、僕と違って金銭的、環境的に恵まれてこなかっただろうに、絵を描くという大好きなことを見つけて、ここまでやってきた彼女に尊敬の念を抱いた。
恵まれた環境にいて、あらゆる物に触れてきたのに、何の人生の目標も見つけられず、ただ親に敷かれたレールの上を歩いてきただけの僕と違って、彼女はちゃんと自分の道を歩んできたんだなって。

それから彼女とは、画家とパトロンという立場を越えて、1人の人間として親しくなりたいと思った。

彼女と親しくなればなるほど、彼女の真摯に芸術に向き合う姿に憧れを抱いたし、話し始めると、年相応、いや、年齢よりも少し幼い言動が目立つ彼女を愛らしいと思った。
そして、彼女は精神的に幼いところがあるのに、彼女の僕を見つめる目は、どこか艶かしかった。

僕は完全に彼女に恋をしてしまった。

そこからどんどん彼女に惹かれていって、彼女のことがもっと知りたくなって、彼女のSNSを追跡するなんて、ちょっとストーカー紛いなこともしてきた。
それに、僕は家では、こっそり録音した彼女の声を聴くのが日課となっている。
こんなこと、彼女に知られたら気持ち悪がられるだろう。心底軽蔑されるに違いない。
それでも僕は、この日課をやめられない。
定期的に口実を作って彼女と会ってはいるけれど、それだけでは物足りないから。

彼女と恋人同士になることを夢想する日もある。
でも、その願いは関係性上、そう簡単に叶うようなものではないし、叶えなくても良いのだとも思う。
清らかな彼女を、僕の欲望で汚したくはない。
彼女の絵が美しいのは、心身共に清らかな彼女が描いているからだろう。
彼女が僕と付き合って男を知ったら、今みたいな絵は描けなくなるかもしれない。

きっとそうだ。だから僕は彼女と付き合うべきではない。

そうやって、自分に言い聞かせてみるけど、本当は分かっている。
こんな風に思うのはただの自己防衛なんだって。

彼女は僕を異性としては見ていない。

その事実があまりにも耐え難くて、僕はこうして自分で自分を納得させることしかできないんだ。
彼女が僕を受け入れてくれることを望まないように、そうした欲望を増幅させて、いつか彼女に押しつけてしまわないように。
自分が相手を愛しているからといって、相手も自分を愛してくれるように強要するのは間違っている。
大嫌いな僕の父親はまさにそんな人間だった。

僕の父親は、大企業の社長として、社員や周囲の人間からは人格者として慕われていたけど、その実態は酷いものだった。

父は母を暴力と洗脳によって繋ぎ止めていた。

僕は幼い頃に、何度か父が母に暴力を振るっているところを見た。
家政婦さんは、父の指示なのか僕がそうした光景を目撃するのを必死に防いでいるみたいだったけど、僕は父の蛮行を忘れてはいない。

ある夜、ふと目が覚めて、何だか寂しくなって両親を探してみると、地下室がほんの少し開いているのに気付いた。
気になって、地下室を覗いた。
すると、そこには、逃げようとする母を力ずくで押さえつけて母に覆いかぶさっている父がいた。
あの時はよく意味が分からないまま、怖くなって逃げ出したけど、今なら父が何をしていたのか分かる。
父は母をレイプしていた。

僕は幼いなりに母の置かれている状況が最悪なことは理解していたから、何度も父の目を盗んで、母に父から逃げるように伝えた。
けれど、母は恐怖で頭が回らなくなっていたのか、ついぞ逃げることはなかった。
そして僕が二次性徴を迎えてからは、父に顔が似た僕を恐れて避けるようになった。
それからは母と会話した記憶は数えるほどしかない。


そんな父と母は、数年前に事故で死んだ。
つくづく交通事故に縁がある家族だ。
でも僕にとって、2人の死は全く悲しいものではなかった。
父は放任主義で、僕に一切の愛情を与えなかったし、何しろ母にあんなひどいことをしていたのだ。
むしろバチが当たったのだと、晴れやかな気持ちにもなった。

そして、母に対しては死ねて良かったと思った。
父から離れることが出来たのだから。
結婚までしているのだから、昔はこんな関係ではなかったのだろう。
家庭という箱庭に入ってから、父の態度が豹変でもしたのだろうか?
もしそうなら、母は変わりゆく父を見て何を思ったのだろうか?
母も僕を愛してくれなかったけど、そんな母のことを思うと、ただただ、可哀想に。救いたかったのに。という気持ちになる。


父母の死後は、父の代わりに社長の座に就き、父の遺した会社を経営している。
幸い自分には商才があったらしく、経営は上手くいってはいるけど、大嫌いな父の遺した会社を守るために自分が存在しているようで複雑な気持ちにもなる。
僕と会社を繋ぎ止めているのは、多くの社員の人生を背負っているという責任感、ただそれだけだ。

なんて虚しい人生なんだろう……?

自分の人生について考えると、僕はいつも途方もない虚無感に襲われる。
学生時代から僕の周りには沢山の人が集まってきたし、今も若社長としてもてはやされてはいるけど、僕に近付いてくる人達は、僕を利用しようとする輩ばかりだ。

彼女も……実際のところどうなんだろう?

形式上は単なるパトロンと画家という関係に過ぎない。
僕は彼女の創作活動を支援しているからこそ、彼女のそばに居られる。

じゃあもし、僕がパトロンをやめたら、その時も彼女は僕のそばに居てくれるのだろうか?

答えはおそらくNoだ。

それでも、彼女が僕に向けてくれる飾り気のない笑顔はきっと本物なのだと信じたい。
彼女が紡ぐ言葉は、いつだってありのままの本心なんだと。

僕は彼女が作品について語る時の心の底から楽しそうな表情が好きだ。
辛い境遇にも関わらず、一生懸命に生きている彼女の姿は眩しい。
彼女を見ていると、死んだように生きている自分も救われたような気持ちになるのだ。

こんなに大好きな彼女と一緒になれたらどんなに幸せだろうか?

僕はよく夢想する。
彼女と結婚して、子供を作って、仕事から家に帰ると、絵を描いている彼女と、それを楽しそうに見ている子供が笑顔で迎えてくれる。

想像しただけで、なんて幸せなんだろう?

僕は幾度も彼女に告白しようと思った。
けれど、無垢な彼女を見る度にその気持ちは引っ込んでしまう。

彼女はきっと、僕がこんな恋心を抱いているなんて知らないだろう。
彼女にとって、僕は単なるパトロンであり、彼女の絵を愛するファンだ。
僕は彼女の絵も愛しているのは事実だけれど、僕が彼女に恋をしていることを知ったら、それ目的でパトロンを続けていると疑われないだろうか?
もしそんな風に疑われてしまったら、彼女は自分の絵が認められているわけではないのだと勘違いして傷付くかもしれない。
彼女が傷付くことは絶対に避けたい。
だって僕は、自分の欲のためなら愛する人を平気で傷つけられる父とは違うのだから。



僕はそれからも、何度も彼女と会った。
日を重ねるごとに、彼女はどんどん美しくなっていって、彼女が描く世界もどんどん鮮やかなものとなっていく。
そんな彼女があまりにも愛しい。
僕の彼女に対する想いは膨らんでいく。

同じ世界を理想郷として思い描いているのだから、僕と彼女が出会ったのは運命なんじゃないかな?

そんな夢見がちな考えが浮かぶこともよくある。



今日も彼女と食事をして、彼女を駅まで送り届ける。
彼女は笑顔で僕に手を振り、そして改札に向かって歩いていく。
僕はそんな彼女を背中が見えなくなるまで見守って、帰路へと向かう。

いつもはそうしていた。
けれど、今日はなんだか彼女への愛おしさが抑えられない。

気が付くと、僕は彼女の後をつけていた。
一秒でも長く彼女を見ていたい、その一心だった。
少し離れた位置から座席に座っている彼女を見守る。

彼女は電車の中では寝るのか……。

彼女の寝顔は天使のように愛らしい。
乗り過ごさないか、不審者に狙われないか、心配だ。

彼女は最寄りの駅に着くと、僕が買い与えたマンションに向かう。

その時、気付いた。

どうやらマンションの前に、人がいるようだ。

僕はなんとなく、その人影を見つめる。

その人影は……彼女を抱きしめる。




僕は思わず、呆然とその場に立ち尽くしてしまった。

彼女には恋人がいるの?

あんな神聖な彼女に釣り合う男などいるはずがない。
でも、あの手の回し方はどう見ても恋人のそれだ。

何で……?

彼女はそのまま、そいつとマンションの中へ入っていった。
僕はわけが分からなくなって、強い目眩と吐き気に襲われる。

何でこんなヘラヘラした奴が彼女と?
僕が買い与えたマンションで、そいつと愛し合うの?
大体、僕が居ないと大好きな絵で食べていくこともできないくせに。
僕は彼女に、たくさんの物を与えてあげていたのに。
そいつは君に何をしてくれるの?
そいつと付き合えるなら、僕と付き合ってよ。

昏い感情が次々に湧いてきて、頭が割れそうになる。



「良い人なんて居ないって……芸術が恋人だって言ってたのに……」
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