上 下
2 / 37

2.助けて

しおりを挟む
身体が痛い……そして、重い。
このままじゃ溺れ死ぬかと思ったけれど、自分がいるのは湖のふちのあたり。
ちゃぷちゃぷと波がかかる場所で泥に半分埋もれていたようだ。

ああでも、動かないと泥に埋まって、死ぬのには変わりないかも。
なんとか泥の中から這い出て、草の上まで来ると力尽きて目を閉じた。

もう夕方近く。あたりは薄暗くなっていた。

ドリアーヌの火球で死ぬことはなかったけれど、
体中が痛くて仕方ない。もしかして全身を火傷しているのかも。
結局、ここで死ぬのなら助かっても意味がなかったんじゃ。

こんなに痛い時間が続くのなら、
痛みも感じないうちに死んだ方がましだったのに。

もう目を開けていられない。
気が遠くなりそうと思っていたら、遠くから人の声がした。

「ジルベール様!こんな場所に何があるっていうんですか?」

「お前は気がつかないのか?」

「何がです?」

「……気がつかないのなら、いい。ついてこなくていいぞ」

誰だろう。男性の声。二人組?
伯爵家の屋敷の使用人が探しに来てくれたのではなさそう。
そもそも、私がいなくなったことに気がついていない気がするし。

「ジルベール様についていきます!助手の仕事ですから!」

「助手、ねぇ。では、邪魔をするな」

足音が近づいてくる。
助けを求めたら、助けてくれるかも?

「みぃ……」

え?すぐ近くで猫の声がする。
いや、そんなこと考えている場合じゃない。
声を出して、助けを呼ばないと。

「み……みぃ……みみぃ……」

おかしい……声がでない。
助けてくださいと言っているはずなのに。

「そこか?」

猫の声に男性が気がついたのか、こちらに向かってくる。
この男性は猫を探していた?ついでに私にも気がついてくれないかな。
明かりを持っていたのか、周辺が明るくなった。

「猫……?」

「ジルベール様!ほっときましょうよ。
 そんな汚い猫!しかも、黒じゃないですか!」

「エクトル、お前は黒を嫌っているのか?」

「当たり前じゃないですか。
 黒なんて不気味で、関わりたくないですよ。
 さぁ、もう帰りましょう」

猫には気がついたけれど、私には気がついてくれなかった。
もしかして、泥だらけだからわからないのかも。
もう、声を出す気力もない。

猫も黒なんだ。私と同じ……嫌われているのね。
その猫が見たくて目を開けたら、男性二人が見えた。
金髪の美しい男性と薄茶髪の大きな男性。

黒が不気味だと言った薄茶髪の男性を、
金髪の男性は無表情なまま見ている。
深い森のような緑色の目。すごく綺麗な男性……貴族よね。

冷たそうな顔。人の心なんてないような、
まるで本に描かれていた挿絵の神様みたい。

社交界なんて行ったことないから誰なのかもわからないけれど、
死ぬ前に神様みたいな人を見れて良かったかも。

「黒が魔女の使いだなんて、
 一昔前のおとぎ話を信じている愚か者か」

「は?」

この人……信じてないんだ。
黒は不吉で近づいたら呪われるって言われているのに。
私のことを言われたわけじゃないけど、うれしい。
こんな人に拾われたなら、黒猫でも幸せになれるわね。うらやましいなぁ……。

「俺の邪魔をするなら、もう帰れ。必要ない」

「そんな!」

「エクトル、命令だ。先に戻って自室で待機していろ」

「……わかりましたよ」

舌打ちでもしそうな感じで薄茶髪の男性は遠ざかっていった。

金髪の男性はこちらに向かって……え?すごく大きい?
薄茶髪の男性も大きかったけれど、金髪の男性もすごく大きい。

いや、何かおかしい。
見上げるような大きさの金髪の男性はひざまずくと、
私をおそるおそる抱き上げた。

その両手の上に乗せるように。

「みぃ……?」

「猫……じゃないな。この魔力は人間か?」

猫じゃなくて、人間?
金髪の男性が見ているのは、間違いなく私の目で……
嘘でしょう……?

私の手を見たら、黒い毛でおおわれている。
しかも小さくて尖った爪がある。
本当に、猫の手?

金髪の男性がすごく大きいんじゃなく、私が小さくなっている?
しかも、黒猫って……

あぁもう、わけがわからない。
身体中が痛くて、これ以上なにも考えたくない。

「怪我をしているな。これは、やけどか……すぐに治す。
 痛くてもじっとしていろ」

口は悪いけれど、優しい人みたい。
……暖かい。陽だまりの中にいるような暖かさ。

身体がぽかぽかして、痛みが薄れていく。

「怪我は治した。だが、まだ動くなよ。
 体力は回復していないはずだ」

「……みぃ」

ありがとうと言ったつもりだった。
でも、鳴き声にしかならない。

金髪の男性はそれでもわかってくれたようで、
気にするなと言った。
表情は冷たいままだけど、少しだけ目が和らいだ気がする。
美しいから冷たそうに見えるだけなのかもしれない。

手の中に包まれたと思ったら、ゆらゆら動いている。
どうやら、金髪の男性に抱き上げられたまま移動している。
どこに連れていかれるんだろう。

着いた先は貴族の別荘のようだ。
指の間から見える別荘は、伯爵家であるうちの別荘よりも大きい。
ドリアーヌなら、どこの貴族なのかわかるだろうけど、
社交をしていない私にはわからない。

この別荘地に来るのも初めてだし、
どこの貴族が別荘を持っているのかも知らない。

玄関から入ると、侍女服を着た女性が一人出迎える。
若くても、しっかりしていそうな侍女。
こんなに大きな別荘なのに、出迎える使用人が一人だけ?

「ジルベール様、おかえりなさいませ」

「ああ」

「その手の中にいるのは……猫ではないようですね」

「マリーナでもわかるのにな」

「はい?」

「エクトルはくびにしておいてくれ。
 役に立たないだけならまだしも、俺の行動を制限しようとする。
 これがただの猫にしか見えなかったようだし、
 黒を嫌っているような頭にカビが生えた奴は必要ない」

「あぁ、それで先に戻されたのですね。
 かしこまりました。そう致します」

「頼んだ」

この方はジルベール様という名前なのか。
さきほどの大きな男性はくびにされてしまったらしい。
黒を嫌っている人は頭にカビって……。
本当にこの人は黒を嫌っていないんだ。

「その方のお世話はどうされるのですか?」

「あとで呼ぶ」

「かしこまりました」

侍女に任されるのかと思いきや、そのままジルベール様の手の中。
ゆらゆら揺れて連れていかれた先はジルベール様の部屋。
についている、浴室だった……え?

「暴れるなよ。お前、泥だらけなんだ」

「み?(え?)」

「いいから、じっとしていろ」

「みぃぃ!?(嘘でしょう!?)」

「ほら、あきらめておとなしくしろ」

「み゛み゛ぃぃぃ!(いやぁぁ!)」


……身体中、あちこちなでまわされて洗われてしまった……。
猫の身体だけど、でも、感覚はあるのに!

ぐったりしていたら、ジルベール様がくつくつ笑っている。
この人、もしかしてわかっていて洗ったの!?

「悪かった。怪我がちゃんと治ったか見るためにも、
 手で洗わないとわからなかったんだ。
 さわったのは猫の身体だし、そう怒るな」

「みみぃ……(そういうことなら……)」

仕方ない。洗われたことは忘れよう。
怪我を治してもらったし、あのままなら死んでたと思うし。

「じゃあ、解呪するぞ」

「み?(え?)」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛を求めることはやめましたので、ご安心いただけますと幸いです!

風見ゆうみ
恋愛
わたしの婚約者はレンジロード・ブロフコス侯爵令息。彼に愛されたくて、自分なりに努力してきたつもりだった。でも、彼には昔から好きな人がいた。 結婚式当日、レンジロード様から「君も知っていると思うが、私には愛する女性がいる。君と結婚しても、彼女のことを忘れたくないから忘れない。そして、私と君の結婚式を彼女に見られたくない」と言われ、結婚式を中止にするためにと階段から突き落とされてしまう。 レンジロード様に突き落とされたと訴えても、信じてくれる人は少数だけ。レンジロード様はわたしが階段を踏み外したと言う上に、わたしには話を合わせろと言う。 こんな人のどこが良かったのかしら??? 家族に相談し、離婚に向けて動き出すわたしだったが、わたしの変化に気がついたレンジロード様が、なぜかわたしにかまうようになり――

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

【完結】都合のいい女ではありませんので

風見ゆうみ
恋愛
アルミラ・レイドック侯爵令嬢には伯爵家の次男のオズック・エルモードという婚約者がいた。 わたしと彼は、現在、遠距離恋愛中だった。 サプライズでオズック様に会いに出かけたわたしは彼がわたしの親友と寄り添っているところを見てしまう。 「アルミラはオレにとっては都合のいい女でしかない」 レイドック侯爵家にはわたししか子供がいない。 オズック様は侯爵という爵位が目的で婿養子になり、彼がレイドック侯爵になれば、わたしを捨てるつもりなのだという。 親友と恋人の会話を聞いたわたしは彼らに制裁を加えることにした。 ※独特の異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。

ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。 毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

お久しぶりです、元旦那様

mios
恋愛
「お久しぶりです。元旦那様。」

処理中です...