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小さな幸せ
しおりを挟む「私の可愛い可愛いチェルシー、そろそろ機嫌を治してくれないか?」
「…。」
「あぁ、その心底嫌そうな表情も魅力的だね。」
「…兄さんって心臓に毛が生えてそうね。」
「ん?何か言ったかい?」
「調子のいい耳ね。」
現在、私はサーカスの一件のあと、屋敷に拉致られ兄と向かい合わせを座り押し問答を続けている。
「昔からそうだけど、兄さんは勝手すぎるのよ。少しぐらい私の意見も尊重して欲しいわ。」
「可愛い妹のお願いであれば何でも叶えてあげたいさ。しかしね、チェルシーの身に関わる危険は兄として見過ごす訳には行かないんだよ。…わかってくれるかい?」
「それが勝手だと言っているのよ。」
苛立ちを隠しきれない私とは裏腹に兄はこんな時でさえ穏やかだ。そんな兄の態度は更に苛立ちを増量させた。
「チェルシー、取り敢えず今日は休んでおこう。身体に障る。言いたいことがあるなら明日ちゃんと聞くから。」
明日では意味がないのだ。明日になってしまえば彼はまた旅立ってしまう。また1年待つなんてそんなの…。
「兄さん、今聞いて。」
私は椅子から立ち上がり、兄を怒りを込めて睨みつける。ここで引くわけにはいかないのだ。
しばし見つめあっていたが、兄はひとつため息をついた。
「チェルシーは昔から変なところで頑固だね。…小さい頃チェルシーと森で迷子になったときもそうだった。私が左と言っているのにお前は右と言って聞かなかった。結局私が折れて右に行ったらもっと迷ったよね。」
「ちょっと待って。あたかも自分が道を知っていた、みたいに言わないでちょうだい。あの時の兄さんは泣きじゃくって使いものにならなかったでしょ。」
そうなのだ。まだ両親が健在だった頃、父の趣味であった狩猟に兄と私2人で付いて行った時の話だ。
別荘の庭でお茶していたら、庭に兎が入り込んできた。あまりにも愛くるしい兎だったので2人で追いかけていったら、いつの間にか立派な迷子に…。唯一の頼りであった兄は泣いて使いものにならず、仕方が無いので私が兄の手を引いて宛もなく森をさ迷い歩いたのだ。その後、私達の姿が見えないことに使用人が気付き、全員で森を捜索してくれたおかげで無事に屋敷に変えれたのだ…。
「おや、覚えていたのかい?」
自分の黒歴史であるエピソードであるはずなのに相変わらず兄は穏やかな笑みを浮かべている。その笑みはどことなく嬉しそうだ。解せぬ。
私は顔をしかめた。
「…懐かしい…。あの時からかな、兄として自覚が出てきたのは。」
兄は懐かしそうに目を細め、私を見た。その眼差しは私を通して幼い頃の面影を映し出しているような、そんな温かい眼差しだった。
「今でもはっきり覚えているよ。生い茂る森の中、小さくて温かい手に引かれ一歩一歩草を踏む感触、お前の小さな背中…。…情けないことに私は自分よりも小さな妹に頼っていたんだ。」
----------
『にいさん、こっちにいってみましょ。』
『…っ、う、ひっく…んっ。』
『だいじょうぶよ、みちはつづいているわ。こんどはあっちにいってみましょう。』
『…うっ…うん…。』
----------
…私だって覚えている。
歩いても歩いても森から出られず、不安や焦りでどうにかなりそうだった。それでも、私が最後まで歩き続けていたのは…
「私はいつ襲ってくるかわからない猛獣に怯えていたよ。私よりもお前の方が怖かったのにね。」
形の良い眉を下げ、頼りなく笑う兄に目を見張る。
兄はまさに唯我独尊。周囲がドン引きするぐらいの自信家だ。そんな兄がこんなにも意気消沈しているなんて…。私は戸惑いを隠しきれなかった。
「………た、しかに怖かったわ。方向もわからないし、森を歩く知識もあの頃は無かったし、兄さんは泣いて頼りなかったし。」
私の言葉に兄は目に見えて落ち込んでいくのがわかる。それでも私は言葉を慎重に選び兄に伝える。ちゃんと伝えなければならない気がするのだ。
「それでも私が歩き続けていけたのは兄さんが居たからなのよ。」
「…え?」
キョトンとする兄に私は苦笑いしながらも続ける。
「もし、迷子になった時私一人だったら怖くて一歩も動けずずっと泣いていたと思うわ。でもね、兄さんが泣いて頼りなくても兄さんが傍に居るだけで何故か安心したの。」
少し冷たいくて私よりも大きい手。その手を私は引っ張った。まだ大丈夫、まだ頑張れる。
「兄さんは私を頼ったというけれど、結局のところ私も兄さんの存在に頼っていたのよ。」
両親が他界し、私の心を支えたのもやはりこの兄なのだ。
お互い目を逸らさず見つめ合う。その時間は長く感じられたが、実際のところはほんの人握りの時間だ。
兄はふいに私から視線を逸らし俯く。そのため兄の表情を見ることは出来ない。
「それでも…。」
ボソリと小さな声で呟く兄。私は兄の言葉に耳を傾ける。
「本来、私がお前の手を引くべきだったんだ。」
押し殺すような低い声。
その言葉に私は何を返せば良いのだろう。悔しいことに何も浮かばなかった。
「だからこそ、今度は、間違えない。」
兄は俯いたまま右手を挙げ、パチンと指を鳴らした。すると、何処からともなく執事であるダンテが目の前に現れた。いきなりの登場に思わず後ずさる。
彼は神出鬼没。物心ついた時から急に現れるが未だに慣れない。今後も慣れることはないだろう。
「お嬢様、お身体に障ります。そろそろお部屋でお休みになりましょう。」
初老のダンテは物腰穏やかだ。彼の言葉に頷きそうになる自分を抑え、視線を兄に向ければ、先程と変わらず俯いたままだ。今の兄に話しかけてもいい反応はないだろう。
私は小さな溜息をついた。
「兄さん、おやすみなさい。」
「…。」
兄からの返事はない。こんなことは初めてだ。
戸惑いながらも私はダンテに付き添われながら兄がいた部屋をあとにした。
(…時間をおいたら、また来てみましょう。)
***
―コンコン
戸をノックする音がする。きっとダンテだろう。
「入れ。」
「失礼します。」
顔を上げれば、やはりそこには黒い燕尾服を身に纏った初老の執事、ダンテがいた。
「お嬢様を無事部屋まで送り届けました。」
「そうか。」
…はじめて妹の言葉に返事をしなかった。一瞬、あの子が寂しそうな顔をしたのを私は見逃さなかったが、思っていた以上に精神状態に負担がでかい。いや、これ幸せのため、暫しの我慢だ。
重い溜息をつき、背もたれに寄りかかる。
「ダンテ、屋敷の警備はどうだ?」
「今夜は全員総出で警備に当っております。」
「それでいい。ネズミ一匹通らせるな。」
「畏まりました。」
そう言ってダンテは腰を折り、音も出さず姿を消した。
存在感がないのか、手品なのか今の所わからない。物心つい頃からの付き合いだが謎が多い男だ。
ゴーン、ゴーン
時計の音が屋敷中に響きわたる。
(そろそろだろうか。)
窓に目を向ければ、丁度雲から月が顔を出した。…何故、今日に限って満月なのだろう。苦々しい顔付きでカーテンを閉める。満月は苦手だ。両親が他界した夜も満月、あの子が二階から落ちた夜も満月、今宵も満月…。嫌な予感しかしない。
「…ごめんね、チェルシー。」
私は傲慢なのだ。だからこそ自分の幸せのために行動する。それがあの子の幸せに繋がらなくても…。
あの子が私の行動を「大袈裟ね」と言って無表情を少し緩む、そんな小さな幸せを守るため私は部屋を出た。
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