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籠の中のハト
しおりを挟むずんずん進んでいくと、男はある建物の中へと入っていった。
「……テント?」
そう、そこはサーカスが催されるテントであった。
カラフルな色合いでまとめられたテントは、ここで一番目立つ場所だ。
男はずんずんと進み、とある部屋に入り込んだ。
薔薇の香りが鼻腔を掠めた。
見れば、こじんまりとした部屋にはありとあらゆる場所に薔薇が飾られており、ここは男の部屋なのだと瞬時に理解することができた。
男は私をまるで壊れ物かのように扱い、ゆっくりとベッドへ下ろした。
そして、男も私の隣へと腰をおろす。
「…ここは、貴方の部屋なのね?」
コクりと頷く。
やはり、ここは男部屋だった。
あらためて男の部屋を見渡せば、彼らしい部屋だなと思った。
小さな窓と机とベッド。
そして、わたし達を見守るかのように大人しく見つめる籠の中のハト。
余計なものが何もない殺風景な室内だからこそ、薔薇の華やかさを引き出し、まるでプレゼントのフラワーボックスのようでる。
珍しそうにキョロキョロしていると、男は何やら紙に文字を書き出した。
そして、おずおずとそれを私に見せてくる。
「……あまり見ないで?」
男を見つめれば、気恥ずかしそうに小さく頷いた。
その姿は何だか可愛らしい。
「ごめんなさい。珍しかったからつい。……いや、そうじゃなくて、なんで私をここへ連れてきたの?」
それが一番聞きたかったのだ。
いつもなら少し話して、さようなら。
こんなことは初めてだ。
男は再び文字を書き、私に見せた。
『本当にお兄さんと結婚するの?』
私の問は完全無視らしい。
「嘘ついてどうするの。」
『じゃあ、本当に?』
「だから、さっきからそう言っているでしょ。」
男の手は止まった。
男がアクションを起こさなければ、私は彼の意図が分からない。
話さない、表情も見えない。
私はただ待つことしか出来ないのだ。
すると、男は再びペンを持った。
『チェルシーはお兄さんと結婚したい?』
一瞬、ドキリとする。
この男、私の名前を覚えていたのか。
「……はっきりと言ってしまえば、結婚はしたくないわ。でもね、私はもう二十歳なの。結婚してないといけないのよ。」
結婚しなければ、私だけではなく家名さえ穢すことにも繋がる。
結婚とは、貴族にとってとても重要な使命なのだ。
『結婚したくないなら此処にいればいいよ。』
「……は?」
ここって何処、サーカス?
何を言っているのだ、この男は。
怪訝な目つきで男を睨む。
すると男は立ち上がり、芸を交えながらスラスラと文字を書き私に1枚1枚渡してくる。
『ここは夢と自由を魅せるサーカス団。』
『結婚なんてしなくたって本当の幸せが手に入るサーカス団。』
『きっとここでなら、チェルシーの幸せが見つかるよ。』
『僕が約束する。』
どれもこれも、私の決心を崩すものばかり。
誘うような音楽と人を魅了する芸、彼のショーは素晴らしく怖い。
甘い誘惑に堕ちてしまわぬように、ピエロを睨む。
道化、はったり、嘘、嘘つき
男はそんなもので出来ている。
最後に籠の中のハトを放てば、部屋の中は夢から醒めたように静かになった。
呆然とする私の手に1枚の紙が舞い降りる。
きっとこれは私を惑わすチケットなのだろう。
それでも、手にとって見てしまう私は愚かで滑稽な娘だ。
まんまとこの男の手のひらで踊らされているのだから。
書かれている文字に目を見張る。
『僕が檻から出してあげる。』
さっき籠から羽ばたいていったハトと自分が重なり、身体が震えた。
この震えは、歓喜の震えなのか?
それとも……
私の手を優しく包み込む男。
その顔は微笑んでいるかのように見えた。
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