私は貴方を許さない

白湯子

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第10章

203話

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エリザベータside


「はぁ…はぁ…」


床に両膝をついて荒い呼吸を繰り返す私は、虫下しの薬を飲ませる最後の一人を見下ろしていた。
何の因果か。最後に残ったのは、あのカトリナ=クライネルトだった。
彼女と学校でひと悶着あった頃が何だが遠い昔のよう。

…今更だが、彼女とはもっと話し合うべきだった。

息を深く吐く。
何回、何十回やっても到底慣れるものではない。

乱れる呼吸を無理やり整えた私は意を決して、手にした虫下しの薬をカトリナの喉奥に押し込んだ。



*****


「エリザ、そっちは終わったか?」


四つん這いになって嘔吐するカトリナ背中を擦っていると、遠くから殿下が駆け寄ってきた。


「私の方は彼女で最後でした。殿下は?」
「俺の方もさっき終わった。ほら。」


そう言って殿下は後ろに視線をおくった。その視線を追いかけて辺りを見回すと、正常に戻った人々が負傷者への手当や汚れた床の洗浄にあたっている姿がみえた。その中には治療を受けるビアンカと団長の姿もあり、私と目が合うとビアンカはにこりと笑って軽く手を振った。その元気そうな姿にホッと安堵の息をこぼす。


「…そいつはカトリナ=クライネルトだな?」


頭上から降ってきた声に顔を上げると、そこにはカトリナを冷たく見下ろす殿下がいた。


「そう、ですが…」


殿下から漂うピリついた空気に思わずどもる。
何故カトリナのそんな目で見下ろすのか。

殿下は小さく溜息をついてから、後ろを振り返った。


「身柄を拘束できそうな紐とか持っている奴はいるか?」
「殿下なにを…」
「アタシが持っていますわ。」


治療を受けていたビアンカが立ち上がり、トラウザーの中からずるりと荒縄を取り出した。
何故そんな際どいところに…


「ちょうどいい。ビアンカ、カトリナ=クライネルトの身柄を拘束してくれ。」
「御意!何縛りがご所望ですか。」
「いや、普通でいい。」
「ちょっと待って下さい!」


どんどん話を進める二人に、私は堪らず声を張り上げた。


「どうしてカトリナを拘束するんですか?そんな必要なんて…」
「必要あんだよ。」
「え?」
「コイツ…いや、コイツの一族が帝国を裏切って、ヴェステン国に寝返りやがった。」
「なっ…んですって…?」


驚愕に眼を見開く。
カトリナは西の国境付近をの領土を治めていたヴェーレグ辺境伯の孫娘だ。かつては帝国一の軍事力を誇っていた一族であったのだが…。
まさかこんな形で彼らが裏切るなんて。

帝都に限りなく近い土地を治めている父が、戦場の前線に立っていた理由はこれだったのか。


「あのクソ聖女はその繋がりを利用してヴェステン国に戦争を持ちかけた。なんて言ってそそのかしたのはまだ分かんねぇけどな。」
「なんてことを…」
「そういうことだから、後でたーっぷりと話を聞かないとねっ。」


ビアンカは語尾を弾ませながら持っていた荒縄を左右に引っ張って、パシンッと痛そうな音を鳴らした。ちょうどその時、背後で青い炎が激しく吹き上がった。

ハッとして後ろを振り返った私は、その猛々しい炎に思わず息を吞む。怒り狂った龍のような炎は、月さえも貫こうと高く高く吹き上がる。まるで地獄の業火の化身、そのものだ。

こんな規格外なものを出せるのは彼しかいない。

私は熱風に煽られながら踊り場の端まで這って歩き、奈落を見下ろした。
熱い。あまりの熱さに顔面が爛れてしまいそうだ。だがまだ耐えられる。
腕で顔面を覆いながら目を凝らすと、渦を巻く炎の中心に2人の人影が見えた。

ユリウスとベティだ。


「ーーあっ!」


思わず悲鳴のような声を上げた。
ベティが仰向けに倒れているユリウスに馬乗りになって彼の首を絞めている姿がはっきりと見えたからだ。

ベティの驚異的な怪力によってユリウスの首の骨が折れるのが先か、それとも焼け果ててしまう方が先か。
どちらが先でも、このままではユリウスが死んでしまう。

時折私の中で騒いでいた悪い予感が、ここに来てよりいっそう激しく警報を鳴らす。
あぁ、そうか。ようやくわかった。何故ユリウスを見ていると嫌な予感が付き纏うのか。
それは彼が生きようとしていないからだ。
それを裏付けるかのように、ユリウスは抵抗することなくベティにされるがまま。無抵抗な両手は力なく外に投げ出されている。

そのことに気付いた瞬間、私の中で何かが熱く込み上げた。
怒りや焦燥、恐れや悲しみ。それらの感情が一気に沸き上がって、収拾できずにのたうち回っている。
その激しい感情に突き動かされたかのように、私の足は奈落に向かって踏み出した。


「行かせないわ。」


突然、耳元で囁かれた憎悪をたっぷりと含んだ声に、ゾッと総毛立つ。
カトリナだ。炎に気を取られていて彼女が起き上がったことに誰も気づくことができなかった。

カトリナは素早い動きで硬直する私の髪を鷲掴んで背後に回った。


「ーいっ、」


ブチブチと髪を引っ張られ、頭皮に激痛が走る。


「エリザ!!」
「皆、その場から動かないで頂戴!」


カトリナの声に殿下やビアンカ達の動きがピタリと止まる。


「もし少しでも動いたら、この女の首を切り裂くわよ。」


私の首に当てられたぎらつく短剣。
ようやく自分が置かれた状況に気付き、私の顔面から血の気が引いた。


「アンタさえ居なければ今ごろ理想郷に旅立っていたはずなのに…。アンタが来たせいで何もかもが滅茶苦茶よ!!」


至近距離で浴びるカトリナの怒声に、耳の奥がキーンと響く。
私をここに連れてきたのはトミー₌キッシンジャーだ。文句があるなら私ではなく彼に言ってほしい。


「…お前、虫下しの薬飲まなかったのか?」


険しい表情を浮かべる殿下の問いに、カトリナは半笑いで答えた。


「あんな得体の知れないもの、飲むわけないじゃない。馬鹿なの?」
「馬鹿…だと?」


殿下の額に青筋が立つ。あのカトリナが殿下に対してこんな横柄な態度をとるなんて。聖女の力…いや、虫に寄生された症状なのだろう。


「この女がちんたらしていたおかげで、直前で目が覚めたのよ。だから気絶していたのも吐いたのも、ぜーんぶ演技。」


演技をしていたなんて、まったく気がつかなかった。
私は悔しさに唇を噛む。薬を飲ませる度に躊躇していたせいだ。そのせいで時間がかかり、カトリナに薬を飲ますことができなかった。


「カトリナ=クライネルト。そいつを人質にしても状況は何も変わらないぞ。」
「むしろ、アンタの罪が重くなるだけだわ。」


殿下とビアンカの説得をカトリナは鼻で笑う。


「エリザベータ。アンタはいいわね。何もしなくてもまわりがこうやって助けてくれるんだから。」
「カトリナ、何を言って…」
「うるさい!!!」


カトリナから鋭い眼光を向けられ、気圧された私は口を閉じる。


「この際だから言うけど、昔っからアンタのことは気に喰わなかったのよ。たまたま公爵家に生まれてきただけなのに、まわりからチヤホヤされて。何もしなくても全てを与えられて!全部持っているくせに、私の立場やユリウス様、さらには私の友達まで奪って!!ほんっと強欲な女!!」


彼女から向けられた憎悪がひしひしと肌に染み込む。
カトリナの言う通り、今世の私はとても恵まれていた。優しい父親と使用人。
何不自由なく生きてこられたのは周りのおかげ。
私の力ではない。そんなことはカトリナに言われなくてもわかっている。


「こんなの不公平よ!私は何も持っていないのに!家だって田舎で遊ぶところなんて何もないし!アクセサリーもドレスも好きなだけ買えないし!!友達もどんどん減ってくし!!」


私から見ればカトリナは持っている人間だ。
深紅の薔薇のように美しい容姿に社交界の中心になれそうなカリスマ性も持っていたはず。
私に変な対抗心を抱かなければ、きっと今頃の彼女は社交界の中心に居るような存在になっていただろう。
ーーーいや。私が突き放すような対応をしなければよかったのだ。
彼女を孤立させたのは私だ。


「でもね。聖女様だけは私を見てくれた。受け入れてくれた。愛してくれた。理想郷に誘ってくれた。もう一度やりなおせると思った。なのになのになのに…!!!この女のせいで全部台無しよ!!!」
「ーっ、」
「エリザ!」


カトリナのナイフが私の首に少し沈み、鮮血がつーと首筋を流れる。
痛くて熱くて、恐怖に手が震える。


「でもまだ遅くないわ!!この場でこの女と儀式を済ませれば今からでも理想郷に旅立てるはず!!」
「カトリナ=クライネルト。よく考えろ。そんなことしたって理想郷とやらに行ける確証はーー」
「うるさい!!」


カトリナは殿下の説得を一蹴した。


「私には、もうこれしかないのよ…」


表情を苦痛に歪め、カトリナは喉奥から絞り出すかのように声をもらす。
それが、他人には操られていないカトリナ自身の心の声のような気がした。

元を辿ればカトリナも被害者だ。
そしてその種を蒔いたのは私。

だが今、優先すべきなのはカトリナではない。

私は近くに何かないものかと辺りに眼を向けた。
固唾の飲んで私たちを見守る人々、腰の鞘に手をかけたまま動けないビアンカ。そして額に汗をかきながら険しい表情を浮かべる殿下。彼らとは距離があり、彼らから何かしらの武器を貰うのは難しそうだ。
…いや、待て。武器ならあるじゃないか。

私はカトリナに気付かれないよう、そっと自身のポケットに手を入れた。


「なっ、なにしてるのよ!!」


さっそくカトリナに気が付かれた。
まずい!
私はすぐさまソレをポケットから引き抜いた。


「動かないで。」


私の言葉に今度はカトリナの動きがピタリと止まる。
私がポケットから引き抜いたのは、殿下に護身用に持っておけと言われた短剣だった。
銀色に鈍く光る矛先がカトリナの胸部に狙いを定める。


「よくやったエリザ!!そのままグサッと刺しちまえ!!安心しろ!お前の非力な力じゃ殺せないって!!いけるいける!!」
「蛙ちゃん!!そのままいっちゃって!!刺しどころ間違えても治療できる魔力保持者が居るから大丈夫よ!!!」


殿下とビアンカが先ほど打って変わって元気に騒ぎ立てる。倫理観に欠けた彼らの発言に内心引きながらも、味方がいることは大いに心強かった。


「…エリザベータ。アンタは私を刺せるの?」


不意をつかれて戸惑った表情を浮かべていたカトリナだったが、すぐさま余裕を取り戻し、挑発的な笑みを見せた。


「…。」


カトリナの問いに対する私の答えは”いいえ”だ。
私に人は刺せない。矛先を向けているだけで、こんなにも手が震えている。
その様子に気付いたカトリナはニンマリと笑った。


「刺せるわけないわよね~?アンタはそういう女よ。自分の手は決して汚せない詰まんない女。私とアンタじゃ、そもそもの覚悟が違うのよ!」
「……。」
「あははは!図星を突かれて反論もできないのね?でも感謝してほしいわ。私は嘘ではなく、ただ真実を教えてあげただけなんだから。」
「……そうね。貴女の言う通りよ、カタリナ。私に人を刺す覚悟なんてないわ。」
「ーー!」


背後でカトリナが歓喜に息を吞む気配がした。


「馬鹿野郎エリザ!いつまでそんなつまんねえ奇麗事を言ってんだ!!生きるか死ぬかの瀬戸際なんだぞ!?」


怒声を上げた殿下は刺し貫くほど鋭く睨んできた。
”奇麗事を言うな”
これは幾度となく殿下に言われてきた言葉。

何度言われようとも、これだけは譲れない。

私は持っていたナイフを握り直し、矛先の角度を変えた。
そして、力いっぱいナイフを振り上げた。

ザシュッ!という音と共に頭部が解放される。


「え?」


背後からカトリナの思いがけず漏らした気の抜けた声が妙にはっきりと耳に届いた。
振り返ると目を大きく見開きながら後方に体勢を崩すカトリナと目が合う。その彼女の手にはナイフと、栗色の髪の束がしっかりと握られていた。

一か八か。
私はカトリナに掴まれていた自身の髪をナイフで切り離したのだ。

何本もの栗色の髪の毛が熱気に煽られ舞い上がる中。私は尻餅をついたカトリナの上に馬乗りになった。
今度こそは失敗しない。
すぐさまポケットから虫下しの薬を取り出し、再びカトリナの口の中に押し込んだ。


「むぐっ…!!」


反射的に吐き出そうとするカトリナの口を両手で塞ぐ。だがカトリナもやられっぱなしではない。彼女も私の手を剥がそうと必死だ。
私とカトリナの純粋な力比べが始まった。


「さっき私に、貴女と私とでは覚悟が違うって言っていたわよね?」
「んんっ!!」
「私はね、カトリナ。人を刺す覚悟なんて、そんな覚悟なら死んでもいらないわ。」
「んーーーっっ!!」


正気ではない今のカトリナに何を言っても響かないかもしれない。
けれど言わずにはいられなかった。


「私は、ただ自分が自分のままでいられるように正しくありたいだけ。」
「んーーーっっ!!」
「ここで貴女を刺してしまったら、私が私でいられなくなる。」
「んんっ!!」
「私に言いたいことがあるなら全てが終わってから全部聞くから。だから。」
「ん゛っ!!」


思わず手に力が入り、カトリナの頬に私の爪が食い込む。


「とっとと薬を飲み込みなさい。」
「ーーッ!」
「今の私は、こんなことをしている場合じゃないの。」


早く早く、彼らの元に行かなければ。
こうしている間にも、彼らの命は刻々と削られている。
焦るあまり、私の口からは思っていた以上に低い声が発せられた。


「ーー……、」


私の剣幕に押されたのか、それとも息が続かなかったのか。大きく目を見開いて目尻に涙を溜めたカトリナの喉が「ゴクリ」と音を鳴らした。
すると、みるみるうちにカトリナの顔が青ざめる。藻掻き苦しみだして、馬乗りになっていた私を力強く突き飛ばした。


「ーいっ、」


私は地面に尻餅をついた。臀部の鈍い痛みをこらえながら顔を上げると、四つん這いになったカトリナが激しく嘔吐している姿が視界に飛び込んだ。
流石にこれは演技ではないだろう。

私は意識をカトリナから未だに猛々しく燃え盛っている炎へと向けた。
早く行かなければ。
すぐさま立ち上がり、私は熱風に耐えながら奈落に向かって足を踏み出した。

だがしかし。


「何してんだ!」


あと一歩というところで、後ろから腕を強く掴まれた。
後ろを振り返れば、そこには険しい表情を浮かべる殿下が居た。


「離してください!早くあの2人の元に行かないとーーー」
「馬鹿野郎!あの炎が見えていねぇのか!」


殿下は目尻を釣り上げ激昂した。その雷のような激しい怒声に打たれ、肩がビクリと跳ね上がる。


「お前みたいな非力な人間がこの高さから火の中に飛び込むなんて自殺行為だ。」
「ですが…!」
「ですがじゃねぇ!お前がやろうとしていることは無謀に他ならない。少し考えれば分かんだろ。」


殿下が言いたいことは分かる。私の身を案じてくれていることも。
けれど、ここで折れるわけにはいかない。


「私は大丈夫ですから。だから…」
「お前の大丈夫は世界一信用できねぇんだよ!」


殿下の言葉がぐさりと私の心に突き刺さる。
彼の言う通り、私は信用してもらえるほどの力を持っていない。
でも。


「お前が何やろうかは知らねえが、失敗して死んだらどうすんだ!死体に魔法を使っても生き返らないんだぞ!」
「分かってます!」
「分かってねぇよ!!」


殿下の噛みつくような怒鳴り声に、開いた口がぴったり閉じる。
私と殿下の間に沈黙が訪れたが、それはほんの一瞬だった。


「頼むから行かないでくれ。」
「…、」
「お前にもしものことがあれば、俺はあの世でモニカに顔を合わせらせない。」


殿下は「頼む」ともう一度言った。
その瞳には先程の憤怒の色は見られず、静かに、そして縋るように私を見つめていた。

一瞬、気持ちが揺らいだ。
彼の言葉に頷けば、私はこのまま安全な場所に保護されるだろう。そして、何事もなかったかのように公爵令嬢として笑顔を張り付け続けるのだ。

私は静かに首を横に振る。

ーーーそんな未来に意味なんてない。
価値なんて、ない。


「ここで行かなかったら、私は一生後悔します。」
「…。」
「殿下、私を信じてください。」


殿下を真っ直ぐ見つめると、彼の深い海のような瞳が僅かに揺らいだ。


「殿下。女ってものは、一度決めたら梃子でも動かない生き物ですわよ。」


そう言いながら殿下の肩に手を置いたのはビアンカだ。


「ビアンカ…」


彼女の名前の名を零すと、彼女は私に向かってウィンクを返してきた。


「…あー…、」


殿下が頭を掻きながら、息を吐く。そして。


「モニカもそうだったな。」


そう、ポツリと呟いた。
炎に掻き消されてしまいそうなほどか細いその小さな呟きは辛うじて私の耳まで届いた。


「わかったよ。」


殿下が私の腕から手を離した。
そして「仕方がねぇな」と言いたげな表情で、溜息をひとつ零した。


「俺も一緒に行く。」
「殿下…」
「お待ちください、殿下!」


そう言って前に出てきたのは、私に精神系の魔法をかけてきたコニー先生だった。あの時と違って、今の彼の瞳には知性の光が宿っている。


「青の魔力を持っている殿下であっても、これ以上あの炎に近づくのは危険です。」


コニー先生は激しい熱風に耐えながら声を張り上げた。
相当熱いのか、コニー先生の表情は苦痛に歪み、そのノルデン人特有の白い肌がまだらに赤くなっている。


「お前、顔が…」
「軽い火傷ですのでお気になさらず。治療を受ければすぐに治りましょう。…だが、エリザベータ君。一番炎の近くに居たはずの君の皮膚には、何一つ異常が見当たらない。」
「え、」
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!熱い熱い!!」


突然、カトリナが悲鳴を上げた。
驚いてカトリナを見れば、もがき苦しむ彼女の白頬が赤く爛れ、所々に水ぶくれができていた。
その様子にすぐさま周りに居た人々がカトリナを炎から遠ざける。
その一部始終を唖然としながら見送っていると、コニー先生が再び口を開いた。


「エリザベータ君。どうやら君は魔力が干渉しにくい体質のようです。理由は分かりませんが、ここからユリウス君とベティ君の所に辿り着く確率が一番高いのは君です。」


そう言ってコニー先生は燃え上がる炎に両手をかざした。
すると、大勢の魔力保持者たちもコニー先生と同様に両手を掲げ始める。


「我々が炎の威力を弱め、道を作ります。」


彼らの瞳が淡い光を帯び始めると、分厚い炎の壁に徐々に丸い穴が開いてゆく。その穴の先に二人の姿が見えた。


「エリザベータ君。私は君に精神魔法を魔法をかけてしまいました。誤って済む問題ではないことは分かっていますが、本当にすみません。こんな私が君に頼み事なんておこがましいですが、君しかいません。どうか二人を助けてください。」


正気ではなかったとはいえ、コニー先生が私にしたことは簡単に水に流せるものではない。
だがユリウスとベティを助けたいという気持ちは同じだ。
私はコニー先生に向かって深く頷いた。


「君ならきっと大丈夫です。その体質はおそらく神のご加護。君は神に愛されている。」


その言葉には頷くことができなかった。
だって、おそらく。この世界に神様は存在しないから。

脳裏にチリッと微かな痛みを覚え、知らない光景を炙りだす。

何処までも続く星空の下で、木に腰かけて林檎を頬張る男。
その男に向かって誰かが何かを叫んでいる。
何処かで聞いてことのある声。
貴方はーーー


「エリザ。」


突然、頭にポンッと重さを感じた。
先程まで頭に浮かんでいた光景が粉砕して何処かへ流れ去る。
もう思い出せない。

見上げると私の頭に片手を置いた殿下と目があった。


「ボーっとしてんじゃねぇよ。」


殿下の瞳が淡い光を帯び始めると、それに伝染するかのように私の身体が淡い青い光を纏い始めた。


「お前はあのクソ姉弟の所に行くことだけ考えてろ。細かいコントロールは俺がやってやる。」


私の頭に置かれた殿下の手が、短くなった栗色の髪を梳かしながら離れた。
腰まであった私の髪の毛は肩の上まで短くなってしまった。


「戻ってきたら可愛く整えてあげるわ。」


ビアンカが茶目っ気たっぷりにウィンクした。私はそれに口角を上げて頷いた。


「今以上にイイ女にして頂戴ね。」
「あははっ、もちろんよ。腕には自信があるんだから。」


私は踊り場の端に立ち、炎の壁に空いた穴を見下ろした。
思っていた以上に高くて足がすくむ。
熱風に肌を舐められて汗が噴き出す。
熱くて熱くて堪らないのに手の震えが止まらない。


「エリザ。」


殿下が私の隣に立った。
熱風に煽られ、彼の額が露わになる。
じりじりと彼の肌が火傷に犯される。
だが殿下は火傷の痛みなんて感じていないかのように、カラッと笑って見せた。


「行ってこい。」


たった一言。
そのたった一言で、身体の震えが止まった。
自然と口元に笑みが生まれる。


「行ってきます。」


そう言って私は勢いよく穴に向かって飛び込んだ。




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