私は貴方を許さない

白湯子

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第10章

200話

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エリザベータside

上の階段から降りてきた大勢の狂信者と騎士見習い達に押し寄せられ、私たちは散り散りになった。
ヤンと正気に戻ったばかりの男は壁側へ、ビアンカと団長は崩壊した下り階段付近に、そして私と殿下は一歩踏み間違えれば奈落に真っ逆さまである踊り場の縁に立たされていた。


「神様に捧げろ…」
「青い血を捧げろ…」
「俺たちは理想郷に旅立つんだ…」


ぶつぶつと不気味に呟きながら、白いローブを身に纏った狂信者たちは私と殿下を取り囲む。背後は奈落だ。もうどこにも逃げ場がない。


「そこをどきなさい!ジークフリート!!」


ビアンカがこちらに向かおうとしてくるが、団長がそれを許さない。2人は激しく剣を交えている。


「殿下!!お嬢様!!」


他の騎士見習いと合流したヤンは、こちらを目指して剣を振るうが、狂信者たちの壁はあまりにも厚すぎる。


「俺の後ろに隠れていろ。」
「…殿下…。」


殿下が私に心強い言葉を掛ける。だが、自分たちが助かる未来が全く想像ができない。
殿下は魔力をほとんど使い果たしており、利き腕を失っている。その上、私たちは彼らに対抗できるような武器さえ持っていない。
何か、何かこの最悪な状況を打破できるようなものはないだろうか。
せわしなく眼球を動かすが、案の定なにも見当たらない。
そうこうしている間に、私たちを囲んでいた狂信者たちが一斉に飛び掛かってきた。
一歩でも下がったら奈落の底だ。避けられない!


「わりぃな、お前ら。」


心苦しく殿下がそう呟いた瞬間、彼の身体から地獄の底から湧きあがったような暗黒の瘴気が渦を巻きながら立ち上がった。
その見覚えのある光景に私は目を瞠る。
300年前のあの人ーーーアルベルト様の身体からも上がった、あの瘴気。
僅かに残った魔力を燃やして力にする、追い込まれた魔力保持者がとる最終手段。
突然、虫が這い上がってきたかのように、背中がぞわりと粟立つ。本能的に察したのだ。それは駄目だと。


「いけません殿下!!」


私は殿下をとめようと声を張り上げたが、それと同時に暗黒の瘴気が溶岩流のように狂信者に襲い掛かった。


「うわぁぁぁぁぁぁぁああ!!!!!」


狂信者が悲鳴を上げる。瘴気に当てられた狂信者の顔が次々と焼きただれ始めたのだ。
阿鼻叫喚の地獄絵図。
眼前の光景に言葉を失っていると、私を守っていた広い背中がぐらりと傾き始めた。


「殿下!!」


耐えきれず地面に膝をついた殿下は、苦悶の表情を浮かべながら自身の耳を強く押さえつけている。その額には脂汗が滲んでいた。


「殿下!大丈夫ですか!?」


誰の目から見ても大丈夫ではないのは明らかだが、その言葉しか浮かばない。
おそらく殿下は”魔力欠乏症”だ。症状が300年前に魔力欠乏症で苦しんでいたアルベルト様と酷似している。
慌てて膝をついて殿下の背中をさする私に、彼は痛みに耐えながら無理やり笑みを浮かべた。


「心配すんな。魔力の残りカスみたいなもんだから、見た目ほど威力はねーよ。数日経ちゃぁ焼き跡もきれいさっぱりーーー」
「違う!!私は貴方のことを心配しているんです!!」

皇太子というものは、こんな時でさえ民を想うものなのだろうか。
寄生虫に犯され正気でないとはいえ、彼らは殿下を”ゴキブリ皇子”と呼び、あまつさえ彼の血を紛い物の神様に捧げようしている人たちなのだ。
そんな人たちの為に彼が傷ついていいはずがない。


「殿下ァァ!!!」


遠くからビアンカの怒声が聞こえる。
ヤンやほかの騎士見習い達も殿下を呼んでいる。
皆、殿下の元に行きたくて、助けたくて、目の前の敵と戦っている。
それなのに私は、一番近くにいるのに、殿下を助けることができない。

悔しくて、情けなくて、悲しくて。それしかできない自分に腹が立って、目の縁に涙が滲む。


「しっかりしろ、エリザ。」
「ーっ、」


いつもより弱弱しい殿下のデコピンを受けた私は、ハッと我に返った。


「で、殿下…」
「今のうちにヤン達の所に行け。まだ頼りねーが、お前のことだけは絶対に守ってくれる。」


一瞬、殿下が何を言っているのかが分からなかった。


「何を言って…」
「大した威力じゃないって言っただろ。アイツらはまた襲い掛かってくる。」


その言葉通り、痛みに悶えていた狂信者たちは少しづつ態勢を整えつつあった。痛みが引いてきているのだ。


「それならば一緒に行きましょう!」


私が支えれば何とかヤン達の元に行けるはずだ。
だが殿下は静かに首を振った。


「俺はここでアイツらの相手をしなくちゃいけねぇ。」
「そんな身体では無茶です!」
「心配すんな。もうじき魔力が回復する。」


嘘だ。魔力がそんなに早く回復するはずがない。
昔、殿下が言っていた。魔力は睡眠で回復すると。それに、魔力欠乏症になった記憶の中のアルベルト様は、声を荒げるぐらい苦しんでいた。今の殿下がどれだけやせ我慢しているのかが、痛いほどわかる。


「貴方を置いていくなんて出来ない。引きずってでも連れていきます!」


私は殿下の腕を担ごうとして、彼の左腕に手を伸ばす。


「判断を間違えるな。」


殿下の鋭い声が私の動きを制する。


「冷静に考えてみろよ。非力なお前が俺を担いで壁際まで行けるわけがないだろ。」
「ーっ、」


悔しいが全くその通りだ。
グッと唇を噛み締める私に、殿下は苦笑いを浮かべた。


「お前になにかあったらモニカにどやされる。」
「…、」
「頼むから行ってくれ。」


殿下は力なく私の肩を押す。
やはり、こんなにも弱っている彼を置いて行けるわけがない。
けれど私たちに残られた時間はあと僅かだ。
怒りの炎で炙られた濁った瞳の狂信者たちは落とした短剣や長剣などを拾い始めていた。

何か、何か策はないのだろうか。
私は必死に考えを巡らせる。


「ーうぐっ!」
「殿下!」


殿下が呻き声をあげた。今まで聞いたことのない。まるで痛みに耐える獣のような声。
頭痛と耳鳴りが酷いのか、頭を抱える殿下の腕やこめかみには青い血管が浮かび上がっている。その姿が魔力欠乏症に陥ったアルベルト様と重なった。

ーーーそういえば、あの時のアルベルト様はどうやって魔力欠乏症から回復した?


「早く行け…!!」


殿下が痛みに耐えながら私を逃がそうと必死に声を上げる。
その声に眼を滲ませながら、私は必死に記憶を記憶を掘り返す。
確か、確か。そう、そうだ!陰惨な記憶が脳内に蘇る。あの時のアルベルト様は、ラルフ様の血を呑み込んで枯渇状態から立ち直ったのだ。
だがこの場に魔力保持者の血液はない。狂信者の中には居るだろうが、血液だけを頂くことなんて不可能だ。
いや、待て。私の血は?私の中にはユリウスの血が流れている。殿下と同じ青の魔力だ。だが果たして、彼を救えるだけの魔力が私の中に残っているだろうか。アルベルト様の枯渇状態を完治させたラルフ様の血と私の血では魔力の質が、密度が、雲泥の差だ。そもそも魔力保持者と一般人とでは比べ物にならない。
やはり私の血では駄目だ。
殿下を助ける為には、ラルフ様と同じく皇族の青い魔力でなければーーー


その時。
私の脳裏にとある光景が過った。
天高く昇った月明かりに照らされた、何処までも続く白い花畑。
その白く咲いて楚々とした花は、穢れを知らずに柔らかな夜風に花びらを揺らす。

そんな可憐な花々の根が、見えない土の下で何を吸い上げているのか。


「ーーー!!」


ハッと我に返った私は自身のポケットに手を突っ込んだ。
手に伝わる柔らかな感触。それを掴んだ私は勢いよくポケットの中から引っ張りだした。途中、何処かに引っ掛けてしまったのか、私の手には千切れた3枚の花弁が。だが、たった3枚でも、私の血なんかより何倍も価値があるはずだ。

だってこれは、アルベルト様の血を吸って育ったカモミール。
魔力は血。
血は魔力。
300年前、世界を呑み込もうとした男の魔力そのものなのだから。


「殿下!口を開けてください!」
「は…はぁ?」


説明している暇などない。
私は殿下の”は”の形で開いている口に、カモミールの花弁を押し込んだ。


「てめ、エリザ…!何を入れやがった…もがっ、」
「いいから飲み込んでください!今すぐに!」


殿下がカモミールを吐き出さないよう、私は彼の口を両手で押さえる。
そんな私の剣幕に押されたのか、殿下は素直にカモミールを呑み込んだ。
ごくりと喉仏が動いたのを見届けてから私は手を離す。


「うぇっまっず…!」


えずきながら殿下は口元を押さえた。
その具合が悪そうな殿下の姿に、顔が強張るのを感じた。
おかしい。アルベルト様の時はラルフ様の血を飲んですぐに回復したというのに。
身体からサーと血の気が引き、背中には冷たい汗が流れる。

失敗…した?


「殿下!蛙ちゃん!!」


取り返しのつかない過ちに放心状態だった私は、ビアンカの声にハッした。
見上げれば、ちょうど狂信者が私と殿下に飛び掛かる瞬間であった。


























エーミールside




ーーーパキンッ!と、チェス盤に置かれていた黒い駒にひびが入った。


「…おや。」


玉座に座る陛下はその駒を顔の位置まで持ち上げ、目を眇める。


騎士ナイトか…」
「陛下…?」


全てが終わった真っ赤に染まる謁見室で、唯一綺麗な皇后の椅子に縮こまって座っている俺は恐る恐る陛下を伺う。


「待つのは慣れていたはずなんだがな。」


ポツリ呟いた殿下は、おもむろに立ち上がった。


「時にエーミール、腹は空いていないか?」
「は、はい??」
「そうか、そうか。空いているか。」
「え、ちが…」


陛下の唐突な質問に思わず上げた素っ頓狂な声を勝手に解釈された。
口に出すのも恐ろしい無残な光景を見た…いや、今もなお死体があちらこちらに転がっているので現在進行形で惨たらしい光景を目にしているというのに、食欲なんて湧くはずがない。


「では久々に林檎ケーキを作ろうかね。」
「林檎ケーキ…?」
「そう。儂の得意料理だ。」
「得意料理!?」
「料理はいいぞ。気が紛れる。」
「え?えぇ?」


失礼だとは思うが陛下に似合わない単語がポンポン飛び出して、酷く混乱する。
何なんだ、この人。
意味が分からない。


「ゆくぞ、エーミール。」


そう言って陛下は、真っ赤に染まった床をものともせず颯爽と出口へ向かっていった。


「まっ、まままま待ってくださーーーい!!!」


皇后の椅子から飛び降りた俺は、血だまりを避けながら、慌てて陛下の背中を追いかけた。
























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