私は貴方を許さない

白湯子

文字の大きさ
上 下
189 / 212
第10章

182話

しおりを挟む

「殿下!!」


聖女を突き飛ばし、椅子から転げ落ちた私は、祭壇の上に横たわる殿下の元に這いよった。


「殿下!殿下っ!!」


祭壇の上に身を乗り上げ、呼び声を上げながら殿下の身体を抱き起した瞬間、思わず息を吞む。冷たい。まるで一晩中雪の中にでも埋まっていたかのように、殿下の身体は冷え切っていた。
まさか…いや、そんなはずはない。
私は殿下の名を呼びながら、ぐったりとした身体を揺さぶった。だが彼は起きない。ピクリとも動かない。
今は寝ている場合じゃないのに、どうして起きてくれないのだろうか。
これではまるでしーーーー


「死んでいますよ。」


あっさりと肯定され、私の身体と口はぴたりと停止した。
殿下を胸に抱いたまま視線を上げれば、いつのまにか祭壇の前に来ていた聖女に、にこりと微笑みかけられた。それにつられて、私の口元には歪な笑みが浮かぶ。


「嘘でしょ…?」


情けない声で拒絶を放つ。聖女に「冗談ですよ。驚かせてごめんなさい。」と言ってほしくて。けれど聖女は残酷だった。


「嘘じゃありませんよ。私がエリザベータ様に嘘をつくなんて、天地がひっくり返ってもあり得ません。」


満面の笑みで無邪気に告げられた言葉に、目の前が真っ暗になった。
そんな、馬鹿な。あり得ない。そう思うのに、五感で感じるもの全てが急激に遠ざかってゆく。

そう、これは悪い夢だ。私はまだ悪夢の中にいるんだ。でなければおかしい。だって殿下は言っていた「またな!」って。笑顔で。そんな彼が死ぬはずがない。あんな優しい人が死んでいいはずがない。だからこれは誰かのつまらない冗談だ出鱈目だ作り話だ妄想だ虚言だそんな趣味の悪い話なんてもう聞きたくない聞きたくない聞きたくないから誰か早く嘘だと言って冗談だよって笑って早くほら早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早くそうじゃないと私はーーーー


「さ、エリザベータ様。はやくソレを手放して下さい。」


…ソレ?


「血は乾いているようですが、そんなモノに触っていたら汚れてしまいますよ。」


モノ…?

じっと動かないままの私に痺れを切らしたのか、聖女は殿下の髪を鷲掴み、私から引き剝がそうとした。
まるで殿下を人としてではなくモノとして扱う聖女に、頭の中がかっと熱くなって―――次の瞬間には聖女の白い頬に思いっ切り平手打ちを放っていた。

パァンッ、と派手な音が聖堂の中に響き渡り、聖女の華奢な身体が大きくよろめく。その姿にフードを被った大勢の人々が息を吞み殺気立つが、今の私に気にしている余裕なんてなかった。


「エリザベータ様…?」


叩かれた頬に手を添え、呆然と見下ろしてくる聖女を鋭く睨み付ける。


「どうしてこんなことをしたのよ!!」


聖女として、いや。人としての道理を大きく外れた聖女に対しての敬語を殴り捨てた私は感情の赴くまま、怒声を上げた。聖女はびくりと肩を震わす。たいへん庇護欲を掻き立てられる仕草ではあるが、もう惑わされない。


「ど、どうしてって、私はエリザベータ様を為に…」


その言葉にカッと頭に血が上る。どいつもこいつも…


「私はこんなこと望んでいないわっ!!」


勝手に他人の気持ちを考えて、分かった気になって。そして自己陶酔な正義感を私に押し付ける。
私はの自己満足を満たす為の人形ではないのだ。


「どうしてそんなことを言うんですか…!」


酷く戸惑った様子の聖女は、信じられない面持ちで悲痛の声を上げた。


「だって、ソイツは300年前、エリザベータ様を散々苦しめて処刑した男ですよ!!どうして今更そんな奴を庇うんですか!!」
「違うわ!殿下は…ーー」


そこまで言って、はたと気づく。

―――なぜ、聖女の口から”300年前”という単語が出てきたのだろうか。

怒りで煮えくり返っていた身体から、すぅーと熱が引いていく。
300年前のことを知っているのは、私とユリウス、そしてどういうわけだがモニカの記憶を持っている殿下の3人だけだ。
ならば彼女は...?


「…貴女、いったい誰なの…?」


恐る恐る尋ねると、聖女は頬に手を添えたまま、へらりと笑った。


「私が誰だっていいじゃないですか。」
「よくないわよ!」


自分の知らない所で、自分の秘密が知られている。それが落ち着かなくて、恐ろしくて、聖女に対する恐怖心が、膨れ上がっていくのを感じた。


「マリーといい貴女といい…聖女達の目的は一体なんなーー」
「あんな阿婆擦れと一緒にしないで下さい。」


食い気味に遮った聖女の纏う雰囲気がガラリと変わり、思わず息を吞む。口調も口元の笑みも変わっていないが、目が一切笑っていない。宝石のように煌めいていた瞳から完全に光が失われ、まるで底知れぬ深淵のようだった。
聖女から発せられる異様な威圧感に、肌がひりつくような緊張感を覚える。
私は聖女の琴線に触れてしまったのだ。


「アイツは聖女の役目を放棄し、自分の欲だけを満たそうとした身勝手で幼稚な女です。」


聖女に見下ろされ、蛇に睨まれた蛙のように身体がすくんで動けない。
そんな私の様子にハッと気が付いた聖女は、慌てた様子で笑みを張り付けた。


「ご、ごめんなさい。怖がらせるつもりはなかったんです。本当です!」


再びへりくだった口調に戻ったが、先程の話が尾を引いている聖女の唇は僅かに歪んでいる。どう取り繕ったところで、聖女に対する恐怖心は変わらない。
隠しきれない恐れを顔に張り付けたままの私に、聖女は困ったように眉を下げた。


「えっと…そ、そうです!私の話を聞けば、きっと全て納得できると思います。」


何やら意気込んだ様子の聖女は、ごほんとひとつ咳払いをした。そしてーーー


「お教えします。この世界の真実を。」


まるで絵本の読み聞かせをするような口調で、聖女はゆっくりと語り始めた。



*****



「これは、ずっと昔のお話です。

この世界に、果てしなく続く広大な海と、人々が暮らす小さな島しかなかった頃。
島には”神蟲”と呼ばれていた虫がいました。
まるで深い海のような美しい姿から、人々からは神の使いだと言われ、大切に崇められていました。

そんなある日。
神蟲の一匹が、大罪を犯してしまいました。
なんと、神蟲は恐れ多くも丘の上で休息していた神様から”神の力”を盗んでしまったのです。

どうして神の使いである神蟲が、神様に対してそんな酷いことをしたのでしょうか。

いえいえ。
そもそも神蟲は神の使いでも何でもありません。

神蟲の正体は、何の力も持たない、醜くて卑しいただのでだったのです。

そんな身の程知らずの虫けらは、長年人々から崇められていたことによりのぼせ上がって、ついに暴挙に出てしまったのです。

そして、悲劇はこれだけでは終わりませんでした。

運悪く、その一部始終を見ていた人間が居たのです。
その人間はこう思いました。「神蟲を食べれば神の力が手に入るかもしれない。」と。
欲深き人間は躊躇うことなく、神蟲を食らいました。
神蟲の正体はただのひ弱なゴキブリです。
神の力を使いこなせず、図に乗っていただけの神蟲は呆気なく人間に食われました。

こうして神の力を手に入れた人間は、さっそく世界を自分のものにしようと魔法を使いました。
しかし、神の力は強大で、ただの人間が扱えるものではありません。
当然のように神の力を制御できずに暴走させてしまった人間は、あろうことか島で1番大きい山を噴火させて、世界を滅ぼしてしまったのです。

青々としていた世界は、作物が育たない、草も生えない、ゴツゴツとした岩場に成り果てました。
過酷な環境下で人々は飢え、争いが争いを呼び、そしてとうとう殺し合いまでに発展してしまいました。

そんな混沌とする世界を見ていた神様は、たいへん嘆き悲しみました。
愛しいわが子たちが、争う姿はもう見たくない。
そう思った神様は僅かに残っていた力を振り絞り、大地に緑を与え、人々が安心して暮らしていけるよう4つの国をつくり、争いを終結させたのです。
こうして、世界をお救いした神様は、全ての力を使い果たしてしまい、永い永い眠りにつくことになりました。

ですが、話はここで終わりではありません。

平和になった世界で、一人の人間が声を上げました。
「この世界を救ったのは、神の力を授かった私だ。」と。
それは、神の力を横取りにしたあの欲深い人間でした。
争いの中、ずっと隠れていた人間は、世界が平和になった途端のこのこと顔を出したのです。
自分で世界を滅ぼしたくせに、なんて調子がいいのでしょう。
ですが人々の中に真実を知る者はいません。
欲深き人間の話を信じ切った人々は、その人間を救世主様と崇め、そして国の長として持ち上げ始めました。

その人間の名前は、ユリウス=ブランシュネージュ=ノルデン。

このノルデン帝国の初代皇帝。」



*****


そこまで語って、聖女は小さく息を吐いた。


「今まで皆が敬ってきた、皇族の青い血の中には、醜くて卑しいゴキブリの血が流れているんです。端的に言ってしまえば、皇族はゴキブリです。」


酷く冷ややかな声が、私の耳に突き刺さり、熱を奪う。


「エリザベータ様。」


先程と打って変わって、甘やかな声が私の耳に絡み付き、誘惑する。


「この世界は、全て嘘で塗り固められた虚像なんですよ。」








しおりを挟む
感想 431

あなたにおすすめの小説

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

恋心を封印したら、なぜか幼馴染みがヤンデレになりました?

夕立悠理
恋愛
 ずっと、幼馴染みのマカリのことが好きだったヴィオラ。  けれど、マカリはちっとも振り向いてくれない。  このまま勝手に好きで居続けるのも迷惑だろうと、ヴィオラは育った町をでる。  なんとか、王都での仕事も見つけ、新しい生活は順風満帆──かと思いきや。  なんと、王都だけは死んでもいかないといっていたマカリが、ヴィオラを追ってきて……。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。

アトラス
恋愛
公爵令嬢のリリア・カーテノイドは婚約者である王太子殿下が側室を持ったことを知らされる。側室となったガーネット子爵令嬢は殿下の寵愛を盾にリリアに度重なる嫌がらせをしていた。 いやになったリリアは王城からの逃亡を決意する。 だがその途端に、王太子殿下の態度が豹変して・・・ 「いつわたしが婚約破棄すると言った?」 私に飽きたんじゃなかったんですか!? …………………………… たくさんの方々に読んで頂き、大変嬉しく思っています。お気に入り、しおりありがとうございます。とても励みになっています。今後ともどうぞよろしくお願いします!

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

処理中です...