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第9章「愚者の記憶」
171話
しおりを挟むラルフside
「今から33年前。
厳しい冬が終わり、帝国を覆い隠していた雪が徐々に溶け始めた春先のこと。
当時、皇宮の門の見張りをしていた門番の前に、ボロ雑巾のようなフードで顔を隠した女が現れました。
その皇宮に酷く不釣り合いな、身なりの怪しい女は、腕に抱えていた小さな麻袋を門番に押し付け、こう言い放ったそうです。
『これは、この国の王の餓鬼よ…!』
それだけを言い残すと女は姿を狼に変え、固まったままの門番を尻目に、西の方角へ颯爽と走り去ってゆきました。
その場に取り残された門番の腕の中には、女に押し付けられた麻袋がひとつ。
そして、その麻袋の中には金色の髪と、皇族の証であるサファイアの瞳をもった赤子が………えぇ。
お察しの通り、その赤子が私です。
簡単に言ってしまえば、私は妾腹の子だった、ということですよ。兄達とは違って。
おや。
「知らなかった」と言いたげな目ですね。別に隠していた訳ではありませんよ。貴方が私のことを知りたいと言えば、私は何でも答える気でいました。
ですが、貴方は今日の今日まで何も聞いては来なかった。貴方は私に関心がなかった。
えぇ、そうでしょうね。貴方の興味関心はいつだって……
…いえ、何でもありません。話を戻しましょう。
私の父であり貴方の祖父でもあった当時の皇帝は、狼女が一体誰なのか、直ぐに思い当たりました。
女の正体は各国を回る旅芸人一座の踊り子。
狼の耳と尻尾を生やしたヴェステン人であった踊り子と父は、祭りの日に1度だけ関係を持ったそうです。
…え?どうして私がそれを知っているのか、ですって?
わざわざ私に教えて下さる親切な人が居たからですよ。人は、圧倒的に不幸な生き物を見て安堵する、哀れな生き物ですからね。
さて、貴方もご存知の通り、神に与えられたと言われている青の魔力を保持する皇族達は、昔から厳格で高潔。穢れを最も嫌う一族です。
そのような一族の長が人間の大罪、肉欲に溺れ、不貞を働いたと世間に知られれば、今まで皇族に畏敬の念を抱いていた民に示しがつきません。
ですので、一族は私を。
神聖な血と獣の血が交じってできた穢れた存在である私を、すぐさま抹消しようとしました。
泥にぬかるんだ地面であっても、雪で覆ってしまえば、民の目からは美しい銀世界が広がっているだけですからね。
ですが、それが出来なかった。
何故だかわかりますか?
……えぇ、その通りです。
私の身に宿っていた〝青の魔力〟が、兄よりも姉よりも誰よりも秀でていたから。だから始末するのは惜しい、と思われたんですよ。
それから、近い将来、皇位へ即位する兄の手となり足となる従順な犬になれるよう狼の子と名付けられた私は、勉学、武術、魔法学……ありとあらゆる分野を貪欲に学び、そして吸収していきました。
腹妾の子である私が生かされた理由は、能力の価値。その価値を下げないよう毎日必死に努力しましたよ。
私が今こうして立っていられるのは、あの頃の努力のおかげなのです。
努力だけは決して私を裏切らない。何も持っていなかった私の唯一の財産。
今まで努力をした事の無い貴方には、一生分からない感覚かもしれませんね。
ですが、私が物心がついた頃。
そんな日々に次第に疑問を感じるようになりました。
どれだけ努力して力をつけようとも、結果を出したとしても私に与えられるものは「引き続き殿下の為に励め」という言葉ばかり。私に与えられるはずの賛辞の言葉はいつだって兄と姉のモノだった。
理不尽だとは思いませんか?
視力を失いながら勉学に励んでも、血反吐を吐きながら鍛錬に明け暮れても、結局私は妾腹の子、穢れた存在のまま。
押された烙印は死ぬまで消えることはない。
絶望しましたよ。
努力をし続ければ、いつか人の子として認めてもらえる、かもしれない。そんな淡い希望さえも、この世界は見せてはくれませんでした。
…アルベルト。
どうして何も罪を犯していない私が、父が犯した罪の十字架を背負わなければならなかったのでしょうか。
どうして不貞を嫌う神は、私を救おうとはしなかったのでしょうか。
幼い頃の私は神の答えを待ちました。もしかしたらこれこそが神が私に与えた試練なのかもしれない。そう思い、一年、二年、三年、と待ちました。そして四年目、わたしは悟りました。
この世界は神に見放されている。
だから慈悲も赦しも希望も、この世界には存在しない。
あるのは理不尽さだけ。
そんな救いようのない世界に私は心底失望しました。
何も希望を見出せず、生きる屍のように淡々と日々を過ごすようになっていた頃、父が死去し、若くして兄が皇位を継承しました。
誰が上に立とうとも、私の世界は変わりはしない。
はずでした。
貴方も知っているとは思いますが、兄が気付いてしまったんですよ。世代を超える度に〝青の魔力〟の力が衰えていることに。
兄は態度と口先の言葉はご立派でしたが、魔力は兄弟の中で一番下でした。だからこそ、誰よりも力の衰退に敏感だったのかもしれませんね。
……兄は…可哀想な人でした。
最初こそは、会う度に悪態をついてくる兄のことを殺したいほど憎いと思っていましたが、その態度も裏を返せば皇太子殿下として私に見くびられないための虚勢。
兄も兄なりに私や姉に劣等感を抱きながら、自分の使命を果たそうと努力をしていたんですよ。嫌いでしたけど、殺したいほどではありませんでした。
即位した兄はギリギリの所で立っていました。元々、酷く臆病な人でしたからね。魔力消失に怯え、まわりからの圧力には耐えきれず、精神的に追い詰められた兄はまわりの皇族に言われるままにコーエン家との婚約を破棄し、姉と婚姻を結びました。
コーエン家は、かつて建国にも携わり、初代皇帝とも交流があった由緒正しき一族です。
コーエン家との婚姻は先代の意思。
ですが、コーエン家には魔力が一切ない一族でした。
『このままコーエン家と婚姻を結んでしまえば、皇族の血が薄まってしまうかもしれない。』
『ならば、皇族同士で血を合わせればいいんじゃないか。』
『あぁ、それがいい。』
『そうしよう、そうしよう。』
…目の前で繰り広げられた皇族会議は、とてもおぞましいものでした。
皇族達の、どんな禁忌を犯そうとも神の力に依存し縋りつこうとする姿は。
吐き気を堪えるのに必死でしたよ。
そして、私が赤子だった時も、同じような話し合いが繰り広げられていたのかと思うと、今すぐあの場にいた全員を皆殺しにしてしまいたいという衝動に駆られました。
そんな異質な空間で、最も異質だったのが姉の存在です。
あの時の姉には他国へ嫁ぐ話が上がっていました。ですが姉はそれを酷く嫌がっていました。嫁ぐことが嫌だった訳ではありません。姉は、ノルデンから離れるのが嫌だったんです。
何故だと思いますか?
………えぇ、貴方にはわからないでしょうね。私も幼い頃、姉から聞かされた時は、理解できない感情でした。
姉は、ペルラ嬢に友情以上の感情を抱いていたんですよ。彼女と離れるのが嫌だったから、だから姉は実の兄との婚姻を快諾しました。
会議の場で、姉だけが嬉しそうに微笑んでいましたよ。
正直、傍を離れたくないという幼稚な理由だけで身を投げた姉が全く理解出来ず、私の目にはあの時が姉が堪らなく恐ろしく見えました。今でも思い返すとゾッとします。
……そして思いました。
神がこの世界を見放した理由は、おぞましい人間の欲に触れたからじゃないのかと。
もしかしたら私は神と同じような視点から世界を見ているのかもしれない。
そう思った途端、私は脅迫めいた使命感に駆られました。
今もなお私に罪なき十字架を背負わせ、慈悲深き神さえも見放した彼らに、裁きの鉄槌を下せるのは私しかいない。
全てが狂い出したあの日。私は自分自身に誓いました。
この手で欲望渦巻く皇政を滅ぼしてやる、と。
そう思いながら日々を暮らしていました。
貴方が生まれてくる前までは。」
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