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第9章「愚者の記憶」
160話
しおりを挟むアルベルトside
忌々しい、腹立たしい、穢らわしい。
聖女殺害未遂で、その場で取り押さえられたエリザベータは、薄汚い牢屋に押し込まれた。
「お待ち下さいませっ、私は聖女様を殺そうとしておりません!」
身ぐるみを剥がされ、襤褸を纏った彼女は、自分の罪を認めずに言い訳ばかり並べながら僕の足に縋り付く。
あぁ、なんて往生際が悪い…!
帝国の宝であり、僕の愛しい人であるマリーを手にかけようとするなど万死に値するというのに。いつだって君は僕を苛立たせる。その苛立ちをぶつけるように、僕は彼女の腹を蹴り上げた。
「がっ!?」
エリザベータの身体が簡単に僕の足から離れ、グシャリと音を立てながら薄汚れた床に倒れ込んだ。小さな呻き声を上げながら身体を丸める彼女が、醜い芋虫のように見えて少しだけ溜飲が下がる。だが、まだまだ足りない。
その場で片膝を着いた僕は、伏せる彼女の顎を掴み、強制的に顔を上に向かせた。
「プライドの高い貴女が、こんな仕打ちを受けるだなんて、さぞ屈辱だろうね。」
「な、」
苦痛に顔を歪めていた彼女は、口の端から血のまじる涎を垂らしながら、大きく目を見開く。
今まで人形のようにツンと澄ましていた彼女が、こんな無様な表情を晒すだなんて。
その初めて見る顔に、脊髄が愉悦に打ち震えた。
「今まで散々人間を見下して、その上僕の愛しの聖女を傷付けようとするだなんて…許せるわけがないよね?」
奇妙な愉悦に思わず口の端が吊り上がる。すると、彼女は面白いぐらいに顔を蒼くさせ、僕の手を払い除けた。まさかの反抗に、一瞬の思考停止。その一瞬で彼女は身体を起こし、僕に背を向け逃げようとしていた。
また君は僕に背を向けるのか…!
カッと頭が熱くなる。僕は咄嗟に彼女の細い足首を掴んだ。
「何処に行くの。」
「ぐっ、」
足首を掴まれた彼女は、再び床に倒れこむ。それでも前に進もうとする彼女に、怒りを通り過ぎて呆れてしまった。
「愚かだね。貴女は自分の立場をまるで理解していない。」
やれやれと言いながら目を伏せた僕の視界に、己の腰に下げてある剣が映り込む。
あぁ、そうだ。これで…
「…わからせてあげようか。」
男を喰らうことしか能のない醜く卑しい食虫植物である彼女に、あちらこちらに飛び回る足など必要ない。こんなものが付いていたから、君は…
僕は静かに腰に下げている剣を引き抜き、そしてそのまま彼女の両足首めがけて剣を振り落とした。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!?」
薄暗い牢屋に響く、喉を張り裂けんばかりの叫び声。聞くに耐えない獣じみた声ではあったが、あの気取っていた彼女から発せられたものだと思うと、とても心地よいものに聞こえた。
ずっと僕を戒めていた苛立ちが、波が引くように収まってゆく。その感覚に思わずくすりと笑った僕は、ゆっくりと立ち上がり、薄汚れた床の上で、羽をちぎられた蝶のようにのたうち回る彼女を見おろした。
まだ完全に切り離されていない足首からは、ドクドクと鮮血が吹き出している。そして、それは彼女が動く度に、あちらこちらに飛び散り、牢屋を赤く、赤く、染め上げていった。
「…あぁ。貴女が暴れたせいで、上手く切り落とせなかった。」
普段、僕は剣を使わない。剣術は一通り嗜んでいるが、魔法を使った方が早く対処できるからだ。だから、人の足を切り落とす為に、自分が思っていた以上の力がいることを、この時、初めて知った。
魔法を使った方が早くて簡単であるのに、剣を使う理由。それは―――
彼女の足首に狙いを定めた僕は、渾身の力を込めて剣を振り落とした。
「―っ、!!」
両手に感じる確かな手応えと飛び散る鮮血。そして、完全に彼女から切り離された両足。
血溜まりの中で静かに横たわる、その白い足を見て、何故か酷い安堵感を覚えた。
「これで、貴女はどこにも行けないよ。」
「…。」
「どこにも…ね。」
「……。」
絹を裂くような叫び声を最後に、彼女は呻き声ひとつ上げなくなった。
僕は大きく剣をふって纏わりついていた血を払い、再び鞘に収める。そして、彼女の傍らに片膝をつき、顔を覆っている真珠色の髪を耳にかけ、彼女の様子を確認した。
「……。」
死んだか?と思ったが、どうやら気を失っているらしい。
「終わりましたか?」
檻の外で大人しく控えていた叔父が久々に声を発する。僕は顔だけ振り返り、ニコリと微笑んだ。
「まだまだこれからだよ。」
「続けるのですか?」
「いや、今日はここまで。これ以上したら死んでしまうから。」
「……。」
「彼女には、まだまだ分からせてあげないといけないからね。」
ゆるりと立ち上がった僕は、切り離された彼女の両足に青い炎を放った。
辺りに肉が焼ける不快な匂いが漂い、後ろに控えていた叔父が軽く噎せる。そんな叔父のことなどお構い無しにどんどん火力を上げ、忌々しい両足を焼き尽くした。
完全に足が世界から消え失せた彼女を満足げ見下ろしていると、ふと、彼女の手に目が留まる。いつも白い手袋に覆われていた彼女の手。今はあの神経質な手袋は外され、白くたおやかな手が露わになっている。
ここに押し込まれる際に、そうとう抵抗したのだろう。その手は、侯爵令嬢とは思えぬほどに傷だらけでだった。
「…。」
脳裏に一瞬、チリッとした鈍い痛みが走る。
長旅の疲れが出てきたのだろうか。僕はかぶりを振り、牢屋から出た。
「皇宮医を呼んで、彼女の足を止血しておいて。」
ここで死なれたら困る。
僕はすれ違いざまに、叔父にそれだけを言い残す。
「御意のままに。」
叔父の返答を背中で聞きつつ、僕は監獄の出口へと足を進めた。
その途中、ふと、両手が熱く震えてくることに気付く。
魔法では得ることの出来ない、この手で彼女の足を切り落としたという実感。感触。満悦。
あぁ…
「最高だな。」
◈◈◈◈◈
「アルベルト!!」
「これは一体どういうことなの!?」
牢屋から出た僕を待ち構えていた2人に、僕はニコリと微笑む。
「お久しぶりです。父上、母上。」
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