私は貴方を許さない

白湯子

文字の大きさ
上 下
157 / 212
第9章「愚者の記憶」

152話

しおりを挟む


アルベルトside


僕の元から離れた後も、エリザはその今宵の月のように浮世離れをした美しさと可憐なダンスで多くの人々を魅了した。
だが彼女の快進撃はこれだけでは終わらない。

歴史、宗教、芸術、政治…あらゆる分野に精通していた彼女の巧みな話術は、容姿だけでは靡かなかった気難しい貴族達さえも大いに喜ばせた。

更に、エリザは当代の女性では珍しくデューデン語が実に堪能であった。
各国間で行われている高度な外交や交渉事を、あたかも世間話のように微笑みながら意見を述べる典雅な姿に、誰もが舌を巻いた。

本来ならば、デビュタント・ボールに遅れてきた上に1人で参加してきたエリザを常識知らずの娘として、一生社交界に顔を出せないよう、この場で糾弾されていてもおかしくはない。

だが洗練された立ち振る舞いと、大人顔負けの高い教養を備えていた彼女は、そんな常識さえも可憐に捩じ伏せてみせたのだ。

もはや、他のデビュタント達を壁に追いやり、格の違いを見せつけたエリザベータ=コーエン嬢の存在を無視できる者は、この社交界の場に誰もいない。

たった一夜にして、彼女は自身に押されていた《出来損ないの娘》の烙印を払拭したのだ。

そんな劇的な変化を遂げた彼女は間違いなく、今宵の花であった。


◈◈◈◈◈


華やかなデビュタント・ボールが終わり、皇宮内は本来の静けさを取り戻していた。

そして、時計の針が深夜を超えて皆が寝静まった頃―――


「あれはどういう事だ、ラルフ。」


自室に叔父を呼びつけた僕は、叔父の胸ぐらを掴み、そのまま壁に押し付けていた。


「…あれ、とは。」
「惚けるな…!」


唸るように声を上げた僕は、叔父を掴む腕にグッと力を入れる。だが、相変わらず叔父の表情は涼しいまま。それが更に僕の神経を逆撫でする。


「エリザのことに決まっているだろ…!」
「…。」
「ラルフ、答えろ。彼女は一体誰だ?」
「エリザベータ=コーエン嬢です。」
「違う…!あれはエリザじゃないっ。僕の知っているエリザは、つい最近までヒールのある靴に苦戦していたはずだ…!」
「私もそのように記憶しています。」
「それだけじゃない!母国語でさえたどたどしかったあの子が、急にデューデン語なんて話せるわけがないだろ!?あの子は人見知りで、話すこと自体が苦手なんだ…!それなのに…それなのに…っ」


脳裏に先程のエリザの姿が過ぎり、叔父を掴む腕に力が入る。


「どうして、あんな楽しそうに笑っていたんだ…?」
「…。」
「大勢の男共に囲まれて…あんな…あんな、男を誘うような顔して…」


無意識に、声量が風船の空気が抜けるように萎んでゆく。


「あんな顔、僕は、知らない。」
「……。」
「あれじゃ、まるで…」
「…殿下。」
「まるで、毒虫のようじゃないかッ…!」


社交界デビューを果たしたエリザは、容姿、仕草、表情、口調、思考、雰囲気さえも。
かつて、薔薇園で出会ったエリザの母親である毒虫と、おぞましいほどにそっくりだった。


「…こう見えて、私も戸惑っているんですよ。」
「…。」


眼鏡の向こうから僕を見る、理性的なサファイアの瞳に、少しだけ僕の頭が冷える。
僕は叔父の胸ぐらから手を離し、目を伏せた。


「私がエリザベータ嬢から目を離していた期間は、1週間です。」


その数字は叔父が社交界の準備をしていた期間と重なる。


「ラルフは、そのたった1週間でエリザが変わったって言いたいの?」
「はい。」
「巫山戯るな。嘘をつくなら、もっとマシな嘘を言え。」
「嘘や誤魔化しではなく、事実です。私が目を離した1週間のうちに、エリザベータ嬢は変わりました。」
「―っ!」


奥歯をギリッと軋ませ、拳を握りしめる。
僕は認めない。
たかが1週間程度で、人が別人のように変わるなんて。そんなこと有り得ない。
それを認めてしまったら、僕は…………………


………………………僕は?


「…殿下?」


叔父の訝しげな声に、ハッと我に返る。気付けば、僕の手のひらには血が滲んでいた。


「…。」


手のひらを握り締めた僕は叔父に背を向ける。


「…今日はもう下がれ。」
「ですが、」
「下がれ。」
「…御意のままに。」


背後から叔父の気配が消え、室内は再び静寂に包まれた。


「…クソッ…」


暗闇が広がる寝室で1人、僕は片手で頭を掻き毟る。
とても気分が悪い。まるで、血管の中に異物が蠢いているような。
いつもは心地よい静寂さえも、今は酷く煩わしい。

僕はふらつく足取りで、扉に向かう。叔父が出ていった扉ではなく、もう1つ存在する扉の方へと。
手馴れた手つきで鍵を開け、ゆっくりと扉を開けた。


「…あぁ…」


思わず口から、感嘆の声が零れる。暗闇に包まれた小さな部屋。そこで僕を出迎えてくれたのは、部屋の中央に置かれた人ひとり入れそうな硝子ケースと、壁にずらりと飾られたエリザの肖像画。
額縁の中にいる彼女達は、変わらぬ笑顔を浮かべている。

この部屋は、エリザの成長過程を視覚で楽しむ為に作った空間だ。
壁には5歳から15歳までのエリザの肖像画が並んでおり、そして1番左端には16歳なるエリザの肖像画を飾る予定……だった。

グッと奥歯を噛み締めた僕は、部屋の中に足を踏み入れた。

目に映るもの全てが醜いこの世界で、僕がこれまで自害せずに生きてこられたのはエリザの存在があったからだ。会えない日々が続いていても、この部屋いる彼女達が僕を癒してくれていた。

部屋の中央に辿り着いた僕は、足元にある硝子ケースの傍で片膝をつく。
すると、雲に隠れていた月が姿を現した。カーテンの隙間から差し込む青い月明かりが、硝子ケースを淡く照らす。


「…君は、いつ見ても綺麗だね。」


この硝子ケースの中には、若草色のドレスを纏った一体のビスクドールが納められている。
癖のない真っ直ぐなプラチナブロンドの髪に、雪のように白い肌に映える桜桃色の唇。そして、瞼を閉じているため見ることは出来ないが、瞳には本物のエメラルドが嵌め込んである。
これは、庭園で初めて会った時のエリザを模して作った人形だ。

白薔薇が敷き詰められたケースの中で、手を組んで目を閉じている人形は、静かに眠っているようにしか見えない。

だが、この人形は何年経っても未完成のまま。

どれだけ最先端の技術を用いて精巧に作り上げたとしても、本来のエリザの美しさを再現することは出来なかった。
特に瞳。
高品質のエメラルドを嵌め込んでみても、彼女の瞳の美しさには到底及ばない。
けれど―――


「……。」


硝子越しに、僕は彼女の頬を撫でる。

未完成であるはずの人形は、今宵の彼女によく似ていた。
圧倒的に、絶望的に、残酷なまでに。

僕は硝子ケースにもたれ掛かるようにして、目を閉じる。

全ては月明かりが魅せた悪夢である事を信じて。






















しおりを挟む
感想 431

あなたにおすすめの小説

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

恋心を封印したら、なぜか幼馴染みがヤンデレになりました?

夕立悠理
恋愛
 ずっと、幼馴染みのマカリのことが好きだったヴィオラ。  けれど、マカリはちっとも振り向いてくれない。  このまま勝手に好きで居続けるのも迷惑だろうと、ヴィオラは育った町をでる。  なんとか、王都での仕事も見つけ、新しい生活は順風満帆──かと思いきや。  なんと、王都だけは死んでもいかないといっていたマカリが、ヴィオラを追ってきて……。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。

アトラス
恋愛
公爵令嬢のリリア・カーテノイドは婚約者である王太子殿下が側室を持ったことを知らされる。側室となったガーネット子爵令嬢は殿下の寵愛を盾にリリアに度重なる嫌がらせをしていた。 いやになったリリアは王城からの逃亡を決意する。 だがその途端に、王太子殿下の態度が豹変して・・・ 「いつわたしが婚約破棄すると言った?」 私に飽きたんじゃなかったんですか!? …………………………… たくさんの方々に読んで頂き、大変嬉しく思っています。お気に入り、しおりありがとうございます。とても励みになっています。今後ともどうぞよろしくお願いします!

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

処理中です...