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第8章「優しい拷問」
135話
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下の方にイラストとコメントがあるので、苦手な方は注意して下さい。
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髪を乾かし肌を整え、ユリウスが持ってきてくれた夜着に着替えた私は、鏡に映る自身の姿をじっと見つめた。
「………。」
彼が用意した夜着はふくらはぎまで隠れるロング丈のネグリジェと、その上に羽織るガウンだった。
色はどちらも白で、レースがたっぷりとあしらわれてた上品なデザインの夜着である。色んな角度で見ても、どこも変わったことろは見つからなかった。
―…よしっ。
戦場に赴く兵士よろしく、ガウンに付いているリボンをギュッと胸の下で縛った私は、なるべく音を立てないようドアを開けた。そして、その隙間からそっと部屋の中を覗けば、ダイニングテーブルの前で静かに佇むユリウスの横顔が見えた。
いつも着ている紺色の夜着に、灰色のブランケットを肩に羽織っている彼は、窓から差し込む月明かりに照らされて、キラキラと煌めいている。
月色に染る柔らかな髪、艶やかな頬、長い睫毛、そしてしなやかな指。その指先の先には、数本の白薔薇が陶器の花瓶にいけられていた。
彼はテーブルに置かれたその白薔薇を、静かに見下ろしている。
「……。」
白薔薇を見つめる眼差しは憂いを帯び、彼自身が今にも光の粒となって消え入りそうな危うさがあった。
呼吸するのも忘れて見入っていると、私の存在に気が付いたユリウスが流し目でこちらを見て、ゆるりと微笑んだ。
「あぁ、姉上。上がったんですね。」
美しい人の流し目は、本人にその気がなくとも凶悪だ。その上、泣きぼくろが相乗効果をもたらし威力を格段に上げる。冗談ではなく、一瞬心臓が止まりかけた。
だがそのおかげで我に返ることができた私は同時にある事に気付く。今の私はまるで、ユリウスをコソコソと覗き見をしていたみたいじゃないか。……いや、〝みたい〟ではなく実際その通りか…。
私は誤魔化すようにゴホンと咳払いをし、姿勢を正した。
「…えぇ、まぁ…。…貴方も入っていたのね。」
「はい。僕は1階のシャワールームを使っていました。」
1階のシャワールーム…。すぐに初日に連れてこられた場所だということがわかった。正直、シャワールームでの出来事は思い出したくはない。あれは私にとって一生モノのトラウマだ。
私は話を変えようと「何をしていたの?」と、ユリウスに問いかけた。
「…部屋に薔薇を飾っていました。」
「薔薇を?」
部屋を見渡せば、ありとあらゆる場所に白薔薇が飾られていた。
「少しは気分転換になるかと思いまして。」
「…でも…飾りすぎじゃないかしら。」
「そうですか?」
「そうよ。」
「でも、好きでしょう?」
「好きだけど…」
ものには限度というものがある。たくさん飾ればいいというものではない。
ただでさえ、この部屋は白一色なのだ。薔薇に罪はないが、これ以上、白色はいらない。
最初こそは、白を基調とした部屋は清潔感と上品さがあって気に入っていたが、日が経つにつれて落ち着かなくなり、何かしらのアクセントを求めるようになった。きっと、人間は何かしらの刺激を求める生き物なのだろう。
だがしかし……
「………。」
沈黙の時間が長くなればなるほど、それに比例してユリウスの瞳に不安げな色が濃くなっていく。……いつも思うが、彼の瞳は本当に厄介だ。
何も言えなくなってしまった私は軽くため息を吐き出し、ぶっきらぼうに呟いた。
「…何でもないわ。…………………薔薇、ありがとう。」
「…。」
チラリとユリウスの様子を見れば、彼は長いまつ毛を伏せ口元を小さく緩ませていた。その可愛らしい表情に、思わず目が半目になる。紛らわしい演技をするなと叱りつけたかったが、それをぐっと堪えた。私がしたいのは喧嘩ではなく、話し合いなのだ。
脱衣所の扉の前で突っ立ったまま、この胸に抱いている話題をどのようにして切り出そうかと顎に手を当て思案していると、ユリウスが「姉上。」と声を掛けてきた。呼ばれて視線を上げれば、いつの間にかダイニングテーブルからベッドの脇に移動していたユリウスが、こちらに向かって手招きしていた。
彼に近づかなければ、話し合いはできない。
恐怖に竦みそうになる心を奮い立たせ、ユリウスに近づいた。そして、話を切り出すタイミングは今しかないと思った私は顔を上げ、閉じたくなる口を無理やり開いた。
「…あ、あの…っ」
「そこに座ってください。」
「えっ」
何故?と聞き返す暇もなく、ユリウスは私をぽすんとベッド端に座らせた。その意味を掴みきれずに戸惑っている私の前で、ユリウスは床に片膝をつき、その白い指を私の足に伸ばし……
「な、何をするつもりなのっ。」
悲鳴に近い上ずった声を上げた私は反射的に両足を引っ込め、ベッドの上で膝を抱える体勢をとった。するとユリウスは不思議そうにコテンと首を傾げた。
「何って…足首の具合を見ようかと…。」
「な…んで…」
「ずっと鎖で繋いでいたでしょう?痣が出来ていないか、確認をしたいのです。」
「だからといって、何も言わずに淑女の足に触ろうとするだなんて、紳士のする事じゃないわ。」
キッと鋭い眼光でユリウスを見下ろせば、彼は一瞬だけムッとした表情を見せたのち、しおらしく長い睫毛を伏せた。
「…姉上の言う通り、どんな理由があったとしても、男が無断で女性の足に触れることは許されません。」
「その通りよ。」
「ですが、僕は弟です。」
「……は、」
「姉弟なら別に問題はないでしょう?」
上目遣いでこちらを見つめてくるユリウスに、思わず口の端が引くつく。この人は姉弟と言っておれば、何でも許されると思っているのでは?たが私自身、普通の姉弟がどのように過ごしているのかが分からない。本来の姉弟ならば、これぐらいは普通なのだろうか…。
…いや、待て。
「…そんなこと言って、また足枷を嵌めようとしているんじゃないの?」
可愛い顔して見上げてくるこの男は、悪逆非道のアルベルト様なのだ。グラグラとぐらつく心を建て直す。
だが、ユリウスは小さく首を振った。
「もうしませんよ。」
「…本当に?」
「えぇ。…まぁ…姉上の気が変わって、また嵌めたいと言うのなら喜んで嵌めますが。」
「例え世界が滅んだとしても、そんなことはぜっったいに言わないわよ。」
「ふふ、残念です。」
くすくすと笑うユリウスを見て、一気に脱力した。すっかりユリウスのペースだ。何だか、彼に対してムキになっている自分が馬鹿らしく思えてきたので、私は抱えていた足を恐る恐る下に下ろした。すると、ユリウスは控えめに口元を綻ばせ「ありがとうございます。」と言った。
そんな彼を見下ろし、憎らしいほど綺麗で長い睫毛だなぁと思っていると、ユリウスはフリルがたっぷりと付いたネグリジェの裾の中に片手を差し込んできた。
内心「えっ、」と驚いた時には遅く、ネグリジェの中で彼の手がふくらはぎを捕え、そこからツーと肌を撫でるようにして膝裏に辿り着いてしまった手は、そのまま右足をすくい上げた。
それには堪らず、ひっと喉を鳴らした私は迷うことなくユリウス目掛けて踵を跳ね上げようとした。しかし、彼の手によって固定されてしまった右足は動いてはくれなかった。
「動かないで。」
静かな声で私の動きを制したユリウスは、もう片方の手もネグリジェの中に差し込み、下からふくらはぎを支えるようにして掴んだ。そしてあろうことか彼は淑女のふくらはぎを許可もなく揉んできたのだ。
「!?」
「少し浮腫んでいますね。久々に歩いたからでしょうか?」
「ちょっ!何して…っ」
「今度から温室には自由に出入り出来るようにしておきますので、適度に運動をしてください。あとは、お風呂の中でマッサージをして、血行の流れを…」
「あ…ぅ…」
正直、彼の話が頭に入ってこないが、まるで壊れ物を扱うような優しい手つきに、今まで感じたことのないこそばゆさが這い上がってくる。どう対処してよいのか分からず、私は目を白黒させながら叫んだ。
「そこは関係ないでしょっ!!」
「あ、すみません。気になってしまって…。今度はちゃんと見ますね。」
そう言ってユリウスは私の踵を両手で包み、自身の立てた膝の上に乗せた。自分の足が、異性の膝の上に乗っているという事実に、くらりと目眩がした。
「…痣は…なさそうですね。」
ふいに彼の親指が、ぐっと私の足首を押し、ビクリと肩が跳ねた。
「―っ」
「あ、すみません。痛かったですか?」
凶悪に可愛らしい上目遣いを食らったが、ぐっと悲鳴を飲み込む。そして平然を装い、つんと顎を逸らした。
「い…たくはないわ。少し驚いただけよ。」
「それなら良かったです。……異常はなさそうですね。」
そう言ってユリウスは、私の足をそっと下ろした。
無事に解放された右足を見て、ホッと安堵の息をつく。
「さて、湯冷めでもして風邪を引いてしまったら大変です。そろそろ寝ましょうか。」
立ち上がったユリウスは、肩に羽織っていた灰色のブランケットを綺麗にたたみ、サイドチェストの上に置いた。そんな彼を、やや放心状態で見ていた私だったが、はっと当初の目的を思い出した。
「待って、話があるの。」
意を決してユリウスに声をかけたが、彼はこちらをチラリと一瞥しただけで、私が腰かけているベッドの反対側に回ってしまった。
「ちょっと無視しないで。」
「……その話って、今じゃないと駄目なんですか?」
そう言いながらユリウスは、そそくさとベッドの中に身体を滑り込んで、こちらに背を向けてしまった。
そのまま寝てしまいそうな勢いに焦った私は慌ててベッドの上に上り、彼からベリッと掛け布団を剥がした。すると、ユリウスは驚いように目を丸くしながらこちらを振り返った。
「今じゃないと駄目なの。」
「……。」
目で訴えかけると、ユリウスは居心地が悪そうに視線を逸らした。
「……退いて下さい。」
「え?」
言われて、はたと気づく。今の自分がユリウスに覆い被さるような体勢をとっていたことに。
傍から見れば、まるで私がいたいけな美少年に襲いかかろうとしているように見える。
「……あら、ごめんなさい。」
私はバッと両手を上げ、そのまま後ずさり、ベッドの上で正座をした。これは淑女にあるまじき、失態だ。
早く話をしなければ、と気持ちばかりが先走ってしまった。心の中で反省会をしていると、ユリウスがむくりと起き上がった。
「……何を話したいかは分かりませんが、それは明日にしましょう。僕も姉上も今日は疲れているはずです。夜更かしは身体に毒ですよ。」
ため息混じりで話すユリウスの顔には僅かな苛立ちが見えた。
「でも、どうしても今話したいの。」
「どうして?」
「このまま呑気に寝てしまったら、貴方に何かされるかもしれないでしょ?」
「………………何かって?」
何故かたっぷりと間をとって、ユリウスはこちらをじろりと睨んできた。入眠を邪魔されたからなのだろうか。先程と比べて、どうも彼の機嫌が悪い。
しどろもどろになりながらも、私は懸命に頭を動かした。
「えっと…首を絞められたり、ナイフで心臓を刺されたり…?」
「……あぁ、そっちですか。」
「そっちって?」
「いえ、こちらの話しです。……安心して下さい。そんな猟奇的なことしませんから。」
呆れたように肩を竦めてみせたユリウスは「もう寝ましょうね。」と、まるでなかなか寝付かない子供をあやすかのように、私の枕をポンポンと軽く叩いた。
流石の子供扱いにムッとした私は、鋭い声で言い返した。
「そんな口先だけの言葉じゃ信じられないわよ。それに、まだ聞きたいことが…」
「では契約魔法を交わしましょう。」
「えっ?」
話を遮ったユリウスは、私の前に自身の白い小指を差し出してきた。
「姉上も小指を出してください。」
意味が分からず、彼の顔と小指を交互に見つめている。その様子に痺れを切らしたユリウスは、強引に小指を絡めてきた。
「ちょっ…!」
小指同士が繋がり、ユリウスは顔の位置まで手を上げる。そして、驚き戸惑う私をよそに、ユリウスは聞いたことの無い童謡らしきものを口ずさんだ。その声は小さくてよく聞き取れなかったが、〝指切り〟と〝針千本〟という物騒な単語だけは耳に入ってきた。
「…何をしたの?」
「契約魔法〝指切り〟を結びました。この魔法陣がある限り、僕は姉上との約束を果たさなければなりません。」
「魔法陣?」
どこを見ても、魔法陣らしいものが見当たらない。
小指を解いたユリウスは「ここです。」と言い、ベッと赤い舌を出した。突然現れたユリウスの舌にギョッとした私は「はしたないっ!」と叱りつけようとしたが、その舌に何やら複雑な模様が描かれているのに気が付いた。
「……青薔薇の紋章?」
ユリウスの赤い舌には、皇族の紋章が黒く描かれていたのだ。これが先程彼が言っていた魔法陣なのだろう。
ユリウスは舌を口の中に引っ込め、契約魔法について説明を再開した。
「もし僕が約束を破れば罰として、この紋章から溢れ出る千本の針を飲み込まなければなりません。」
「はっ?」
「でも安心してください。姉上には影響のない安全な魔法ですから。」
安全?針を飲むのに?この人は何を言っているの?
「さて契約内容ですが…1つ、僕は姉上を殺さない。」
ユリウスは人差し指を立て、続いて中指も立てた。
「そして2つ、明日必ず姉上と話をする、です。さぁ、これで心置き無く眠りにつくことが出来ますね。」
「………。」
へらりと軽薄な笑みを浮かべたユリウス。何故そんな、他人事のように話せるのだろう。
私はとんでもない契約を結んでしまったのではないだろうか。針を千本も飲み込むだなんて…流石の彼でも死ぬに決まっている。
みるみる顔色が悪くなる私を、ユリウスは不思議そうに下から覗き込んできた。
「…どうかしましたか?」
「…もうかしましたかじゃ、ないわよ。」
「…姉上?」
「どうして貴方はいつも自分勝手なの?」
「……。」
「もっと安全な方法だって、あったでしょう?」
じろりと睨みつければ、ユリウスは気まずそうに視線を逸らした。
「…ですが、今の僕にはこれぐらいの方法しか思いつきません…。」
「もっとよく考えて。」
「え、えぇっと……口約束だけでは信じてくれない…ですよね?」
「もちろん。」
「そうなるとあとは、手錠とかで僕と姉上を繋ぐぐらいしか…」
「そっちがいい。」
「……え。」
「そっち方がずっといいわ。」
互いの手首を繋いでおけば、彼は私から逃げられないし、寝首をかくことも困難を極める……はず。多分。
「だから危ない契約は解いて、今すぐに。」
もし、この場に殿下が居たのなら「偽善者がっ!」と叱ってくるだろう。それでも私は彼を殺したいわけではない。曖昧な目的ではあるが、それを見失ってはいけないのだ。
「…わかりました。」
睫毛を伏せたユリウスの瞳が、淡く光りサファイア色に染る。そして彼の手の平の上に、無骨な手錠が現れた。銀色の手錠は月明かりを浴びて、冷たく光る。
ユリウスは己の左手首に手錠を嵌めた。カチンという金属音がしんとする部屋に響く。
彼の前に迷うことなく自身の右手を差し出せばユリウスは本当に良いのかと目で訴えてきたので、私は頷いて見せた。
「……失礼します。」
ユリウスは優しくもう片方の輪っかを私の右手首に嵌めた。
今まで一方的に繋がれてきたが、こうして彼と繋がるのは初めてだ。じゃらりと繋がれた鎖を見て、何だか不思議な気持ちになる。ユリウスも同じ気持ちなのか、繋がれた鎖を静かに見下ろしていた。……その顔色は先程よりも悪くなっている。自分のことしか考えていなかった私は、彼の体調が悪化していることに気付けなかった。
「じゃあ寝ましょうか。」
シーツの中に潜り込みながら、今度は私がユリウスを眠りに誘う。ユリウスは無言のまま身体をシーツに沈めた。その顔は腑に落ちないと言っているように、何だか不満げだった。
「……。」
「……。」
横になった私たちは無言で天井を見上げる。
ユリウスとは小さい頃からよく一緒に寝ていたが、彼がアルベルト様だと分かった今では妙に緊張する。なるべく動かず、呼吸も静かにしようと努めていると、ふいにユリウスが声をかけてきた。
「温かいですね。」
「え…」
「ベッドの中、一人で寝るよりも温かいです。」
「…あ、あぁ。」
言われてみれば確かに。
「姉上は温かいですね。」
「別に私が特別温かいって訳じゃないと思うわ。」
「そうなんですか?」
「えぇ。だって私もいつもより温かいって思うもの。」
「何故でしょうか。」
「何故って…」
そんな難しいことを私に聞かないで欲しい。この手の話は私よりユリウス本人の方が詳しいはずだ。だが一応、無い頭を働かせてみる。
「…私と貴方が、どっちも生きている人間だから…じゃないかしら?」
結局出てきたものは実に抽象的で、陳腐なものだった。きっと、彼が期待していた答えではないだろう。そもそも、私に期待なんてしていないだろうけど。
「……そっか。」
ユリウスは一言だけ呟いて口を閉じる。隣を見れば、ユリウスはまるで気を失ったかのように眠りについていた。
「……。」
こうして一緒に眠る時、先に寝てしまうのはいつも私で、先に起きるのはユリウスだった。だから彼の寝顔をあまり見たことがない。彼が寝ていることをいいことに、私は寝顔をしげしげと見つめた。
その寝顔には濃い疲れが滲み出ているが、美しい顔には変わりない。だが、頬が少し…痩せただろうか。目の下にある濃いクマが彼の苦労を雄弁に物語っている。
彼はこんな状態で、一体何がしたいのだろう。
薔薇が嫌いだと言うくせに、部屋に薔薇を飾り付けた彼。
自分で繋いでおいて、痣が出来ていないか心配してきた彼。
彼の行動はいつもおかしいが、今日は特におかしく矛盾だらけだった。
だが、その答えはきっと明日……
「……ん?」
ふと、ユリウスの右手が気になった。丁度お腹の位置に置かれているユリウスの右手。その人差し指に赤く小さな点が見えた。まじまじとその点を見てみれば、まるで針で刺したような傷であることが分かった。
―…針…何処かで刺してしまったのかしら。でも、針なんてこの屋敷には…
ザザっと脳裏に、温室で青薔薇の棘を自身の人差し指に刺してしまった時の映像が流れた。丁度、彼の人差し指の傷は私が刺してしまった場所と重なる。
―まさか…と思っだが、いやいやと首を振る。彼がそんな事をするはずがない。なぜなら彼が自分を犠牲にしても、何のメリットもないからだ。きっと、この白薔薇を部屋に飾る際に誤って棘を刺してしまったのだろう。
…いや、違う。結局私はそう思いたいだけなのだ。私には関係ないと思えば、楽になれるから。すぐ楽な方に逃げようとするのは、私の悪い癖だ。人間の癖はそう簡単には変わらない。勿論、生まれ変わってもだ。300年前から何も変わっていない私自身が、何よりの証拠だ。ならば、私はこの先ずっと出来損ないのまま?
「……ん…」
「―っ!」
突然横から聞こえてきたユリウスの声に、ビシリと固まる。息を殺してユリウスの様子を伺えば、彼は1度もぞりと身じろぎしただけで再び深い眠りに落ちていった。
私は肺に溜まった空気を長く吐き出す。
急に驚かせないで頂きたい。まぁ、無意識下のことなので、どうすることもできないが…。
私は彼が身じろいだ際に捲れしまった掛け布団を掛け直し、再びお綺麗な寝顔を見つめた。
………そもそも〝青の魔力〟を持っている彼に、傷が残っていること自体おかしいのだ。彼らが持つ魔力がどれだけ凄いのかは、この目でしっかりと見ている。
以前、ユリウスが殿下に刺された時の刺傷は、あっという間に治癒してしまったのだ。なのに何故、この指の傷は治っていないのだろう。
―…考えていても仕方がないわね。
私は答えを持っていない。
だから明日、ユリウスに聞こう。
流石の彼も針を千本飲んでまで、私との約束を破ろうとはしないだろう。
「…おやすみなさい。」
そっと囁くが返事は帰ってこない。それもそのはず。彼は深い眠りについているのだから。
何だか彼の寝顔を見ていたら、瞼が重くなってきた。自分が思っていたよりも、身体は疲れているようだ。
段々と意識が遠のき、夢と現実の堺さえも分からなくなってきた頃、サイドチェストの上に飾られた白薔薇が視界に映った。
凛と咲いた汚れなき白薔薇。その優雅な佇まいは、その場に居るだけで誰をも魅了する。まるで、気品溢れる美しい淑女。
私は白薔薇のようになりたかった。
私は赤薔薇のようになりたかった。
私は青薔薇のようになりたかった。
だが、それは世間の理想に合わせただけで、本当の理想ではなかった。私が本当になりたかったのは…
―………薔薇なんて、いらない。
華美なドレスも、高価な宝石も、有名なパティシエのお菓子も、全部いらない。
私は、ただ…
部屋中に飾られた白薔薇の甘い香りに誘われ、私の意識は深い深い夢の世界へと旅立った。
〈コメント〉
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
そして、本編と全然関係ないコメントを突然入れてしまって、すみません…。
遅くなってしまいましたが、大賞に投票してくださった方、ありがとうございました!
1ヶ月あれば完結するかなぁ…と思っていたら、全然完結出来なかったです…。
未完結にもかかわらず、票を入れてくださった方には本当に感謝の言葉しか出てきません。
本当にありがとうございました!
感謝の意を込めて、イラストを描いてみたので、良かったら見て下さると嬉しいです☺️
物語はあと2割ほど続く予定ですので、相変わらずの亀さん更新ですが、最後まで付き合ってくださると嬉しいです!(100話以上になってしまって、本当に申し訳ないですが…。)
これからもよろしくお願いいたします😊
イラスト注意
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