私は貴方を許さない

白湯子

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第8章「優しい拷問」

132話

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ひゅぅぅぅぅうぅ!!と高い音を立てながら冷気が吹き込んできた。その冷気から逃れようと、私は身を竦ませ顔を背ける。

雪国育ちである私は多少なりとも寒さに耐性がある。だが、1週間以上あまり温室のような暖かさに慣れてしまったこの身体は、その針のような鋭い冷たさに悲鳴を上げていた。

突風が落ち着いたのを見計らい、恐る恐る目を開ける。そして、その目に飛び込んできた光景に息を呑んだ。

扉の向こう、大樹のような柱の中は筒状の空洞になっていた。
全面が闇よりも濃い黒で覆われているが、天井にぽっかりと空いた丸い穴から淡い月の光が差し込み、空間の中央だけを舞台のスポットライトのように照らしている。その中央には、雪を被った冬枯れの木が1本、静かに佇んでいた。

不思議な光景に心を奪われていると、ユリウスは臆することなく中央に向かって歩みを進めた。
そして、冬枯れの木の下で立ち止まった彼はこちらを振り向き「おいで。」と言っているかのように小さく手招きをしてきた。私は一瞬躊躇したが結局は好奇心が勝り、恐る恐る謎の空間に足を踏み入れた。その瞬間、冷気が頬を掠め身震いする。だがこの冷たさが、懐かしい。息を吸い込めば、冷たい空気が身体の中を巡り、今まで何処か夢心地だった足取りが、ちゃんと地面に足を着けて歩いているような、そんな感覚を覚えた。

しっかりとした足取りでユリウスの元に辿り着くと、何故か彼は安堵したかのように小さく微笑んだ。


「姉上、その鉢植えを木の根元に置いて下さい。」
「…どうして?」
「その花は温室に置いておくよりも、ここに置いていた方が調子が良いみたいなんです。」


先程も同じようなことを言っていたが……それは本当なのだろうか。疑念を抱きながら視線を落とした私は「あら?」と目を丸くした。先程まで俯き加減で震えていた青薔薇が、心做しか上を向きはじめていたのだ。


「……。」


その場にしゃがみ込んだ私は、木の根元に鉢植えを置き、青薔薇をじっと見つめた。
…確かに温室に居た時よりは、調子が良さそうに見える気がする。だが、あくまで「気がする。」だ。
天井に穴が空いているこの空間は、ほとんど外の気温と変わらないだろう。
果たして、今にも散ってしまいそうな青薔薇に雪国の寒さを耐え凌ぐだけの力があるのだろうか。

しゃがみ込んだまま、眉間に皺を寄せている私の傍らに、ユリウスもしゃがみ込んだ。


「大丈夫ですよ。薔薇は耐寒性のある花ですから。」


まるで私の心の中を読んだかのような言葉に驚いて隣を見れば、ユリウスはニコリと綺麗な笑みを浮かべた。
私は一言「…そう。」とだけ言い、彼から視線を逸らして再び青薔薇を見つめた。


「…。」


彼の言う通り、耐寒性のある青薔薇は冬の寒さに震えている様子はない。青薔薇は月の光を浴びようと健気に顔を上に向けている。私も青薔薇と同様に上を見上げれば、雪を被った冬枯れの木が視界に映り込んだ。高さは…2~3メートル程だろうか。主枝は途中で切られているが、その代わりに複数の主枝が存在しており、それぞれ斜めに枝を伸ばしている。全体的に横に広い木だ。


「……この木は?」


私は立ち上がりながら彼に訊ねた。


「林檎の木です。」
「林檎?どうしてこんな所に林檎の木があるの?」
「…さぁ。」
「さぁ…って…」


素っ気ない返答をしたユリウスは、ゆるりと立ち上がった。


「だいぶ昔の事なので、もう忘れてしまいました。」
「………。」


先程と同様に綺麗な笑みを浮かべたユリウスを見て私は悟った。彼はこれ以上話すつもりはないということを。
先程までのユリウスは、私の質問に難なく答えていた。それなのに何故、林檎の木がここにある理由だけは言えないのだろう。私から見る限り、目の前にある木におかしい所は見られない。まぁ、こんな所に生えている時点で十分おかしいが…。


―…ん?


林檎の木を訝しげに観察していると、枝の先に林檎ではない何かが実っているのに気が付いた。私はそれに近づいて、まじまじと見つめる。これは…


「…林檎?」


いや、正確に言えば林檎ではない。そこには硝子細工で作ったかのような、透明な林檎が実っていたのだ。


「…珍しいですね。」


私の隣に来たユリウスは、謎の球体を興味深そうに見つめた。


「知っているの?」
「えぇ。巷では〝おばけ林檎〟と言われています。」
「おばけ林檎?」


まるで子供がふざけてつけたような名前だ。ユリウスは「僕も実物は初めて見ましたが…」と言って、珍しく熱の入った説明をはじめた。

彼いわく、大寒波によって起きた冷たい雨が林檎の表面を覆い氷の殻を形成した、とのこと。そして、その氷の殻から腐って液状になった林檎がすり落ちることによって、林檎の形をした氷の殻だけが残る、という仕組みらしい。
途中、彼は林檎に含まれる糖分の温度と外気温の関連性について説明していたが、正直そこら辺はよく分からなかった。だが概ね〝おばけ林檎〟の正体を理解することは出来た。


「自然が生み出したアートね。」


ユリウスの説明を聞き終えた私は、おばけ林檎を見て改めて感嘆した。そんな私にユリウスは「…気に入りましたか?」と先程のイキイキとした様子から打って変わって、何故か控えめに聞いてきた。それを不思議に思いながらも、私は正直に答えようとした。


「そうね。とても神秘的で綺麗…って、また貴方は何をしようとしているのよ。」


おばけ林檎に手を伸ばそうとしているユリウスを、私は鋭い声で制した。彼はつい先程、青薔薇を燃やそうとした前科がある。だからこそ、また何かよからぬ事をしようとしているのではないかと思ったのだ。
そんな私の心境を知ってか知らずか、ユリウスは不思議そうに首を傾げた。


「何って…保存魔法をかけようかと…」
「保存魔法?どうして?」


彼の突発的な行動に、今度は私が首を傾げた。


「おばけ林檎は氷で出来ていますので、明日太陽が登れば溶けて消えてしまいます。ですが、保存魔法をかけておけば長期保存が可能ですし、部屋のインテリアとして飾っておくこともできますよ。」
「……。」


長期保存。まるで加工食品のようだ。思わず苦笑いをした私は首を横にふった。


「そんなことしなくていいわよ。」
「どうしてですか?気に入ったのでしょう?」
「気に入ったけど…その保存魔法をかけてしまったら、このおばけ林檎の存在は当たり前のものになってしまうでしょう?」
「…?」
「今、この瞬間しか見られない奇跡だからこそ、私はより一層感動したの。」
「……。」
「…貴方は、どう思う?」


そう問いかければ、ユリウスは睫毛を伏せた。


「僕には…よく分かりません。」
「……。」


―…あぁ、やっぱりね。

彼と私は一生分かり合えないのだ。
無意識に期待をしていた私は、少しだけ胸の痛みを覚え俯いた。勝手に期待して、勝手に傷付いて…本当に私はどうしようもない。


「…ですが、」


その言葉に顔を上げれば、彼と目が合った。


「貴女がそう言うなら、そうなんだと…思います。」
「……。」


その言葉は、嘘か誠か。
彼の静かなシトリンの瞳からは本心を読み取ることができない。だが、今日の彼は素直というか…どうもしおらしい気がする。

ユリウスは私から視線を逸らし、上を見上げた。


「……だいぶ夜が更けてきましたね。」


私も彼につられて上を見上げれば、天井にぽっかりと空いた穴から白い月が顔を覗かせていた。温室に足を踏み入れた時には、低い位置にあった月が、いつの間にか頭上高く昇っていたのだ。


「そろそろ部屋に戻りましょう。」


そう言ってユリウスは私の眼前に、白くしなやかな手を差し伸べた。


「……。」


彼の手を取ることに躊躇していると、不意に天井から冷たい風がひゅぅーと吹き込み、ぶるりと身震いした。それに誘発されたのか、私は「くしゅんっ。」と小さなくしゃみをした。


「大丈夫ですか?」
「…大丈夫よ。」


空気の読まない生理的な現象に気恥ずかしさを覚えた私は、俯いたままぶっきらぼうに一言だけ答えた。心の中で自分の間の悪さを呪っていると、突然肩が温かいものに覆われた。はっと顔を上げれば、彼はワイシャツ姿になっていた。


「…すみません。配慮が足りませんでした。」


ユリウスが自身の上着を脱ぎ、私の肩に掛けたのだ。薄着になったユリウスはより華奢に見えた。その上、月の光のせいでより一層白い肌が青白く……


「―っ、」


突然、得体の知れない感情に掻き立てられた私はすぐさまその上着を肩から剥がし、彼の肩に掛け戻した。


「…姉上?」
「わ、私より貴方の方が風邪を引きそうだわ。」
「僕は大丈夫ですよ。」
「最近熱を出して寝込んだ貴方が言っても説得力はないわよ。」
「…。」
「とにかく、こういうのはやめて。」


これで彼が風邪でも引いたら、私のせいになってしまう。彼の偽りの優しさに惑わされたら最後、身を滅ぼすだけだ。


「それに、すぐ温室に戻れるでしょ。」


私はぐっと彼の手を引き、柱から出た。
扉を閉じようとして、一瞬だけ動きが止まる。扉の隙間から、雪を被った林檎の木とその根元にある青薔薇が見えた。
月の光がスポットライトのように降り注ぐ不思議な箱庭。
幻想的でとても綺麗なのに、何故か胸を締め付けられる。

私はその光景を瞳に焼き付け、静かに扉を閉めた。






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