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第7章「温室栽培」
119話
しおりを挟む具合が悪いのなら黙っていれば良いものの、ユリウスは小姑のように、やれタオルが冷たいだやれ拭き方が雑だなどといった小言を言ってくる。だがそれが事実である為、何も言い返せない。だから私は黙ってユリウスの要望を聞きつつ、せっせと手を動かした。
ある程度、文句を言い終えたユリウスは、私の顔を見て「酷い顔ですね。」と普通の悪口を言ってきた。それは流石に聞き捨てならない。私が全身血塗れなのは、ユリウスが原因なのだ。
既に彼にかけられた血液は乾いているが、身体の色んな所にこびりついている。髪の毛なんてゴワゴワで酷い有様だ。
だから、病人に相手に大人気ないと思いながらも、つい言い返してしまった。そこから売り言葉に買い言葉で、次元の低い言い争いが始まった。だが、そのおかげでユリウスの肌を見ても変に意識することなく、テキパキと身体を拭くことだけに専念することが出来た。
しばらく口喧嘩をしていたが、途中でユリウスの言い返す気力が底を尽きてしまったようで、最後の方はぐったりと悔しそうにされるがままなっていた。時折「屈辱だ…」という呟きが聞こえてきたが、全て無視をした。
なんとかユリウスの身体を拭き終えた私は、持ってきていた夜着を彼に着せよとした。だが、バスローブを広げたその瞬間、ユリウスは分かりやすく嫌そうな顔をした。
「まさか、それを僕に着せるつもりですか?」
「そうよ。」
「そうよって…。どこからどう見ても女性物じゃないですか。」
「女性物だけど、ゆったりとしている作りだし、貴方なら着られると思うの。」
「……嫌味ですか。」
別に嫌味を言ったつもりはない。
ユリウスは中身はどうであれ、容姿は天使のように可愛らしい。彼ならドレスでさえ可憐に着こなすことが出来るだろう。そう説明すると、ユリウスはますます顔を顰めてしまった。
「……そこの引き出しに僕の夜着があります。」
そう言って彼が指差した先にあったのは、謎の瓶が大量に収納されている棚だった。よく見れば、棚の下の部分が引き出しになっている。
私は彼の言葉に従い引き出しをあけた。すると彼の言う通り、清潔な夜着が何着か綺麗に収納されていた。
「……。」
そう、清潔だ。
ベッドも最近ベッドメイキングをしたかのように綺麗だったし、暖炉もここ最近使用した形跡があった。
ユリウスは、頻繁にここで過ごしている…?
それに、この大量の瓶。
一体彼はここで何をしていたのだろうか。
疑問は尽きない。だが、今はユリウスの看病に専念しなければ。
私は引き出しから取り出した夜着を彼の腕に通し、前のボタンを止めた。これでやっとひと任務を終えることが出来た。
だが、これで彼の熱が下がった訳では無い。
「ちょっと失礼。」
彼の額に手を当てると、倒れた時よりも明らかに熱かった。
「…姉上の手、冷たいです。」
「貴方が熱すぎるのよ。……解熱剤とか持っていないの?」
ユリウスは幼い頃から頻繁に熱を出していた。なので邸には主治医が処方した解熱剤が常備してある。だからここにも置いてあるかもしれないと思ったのだ。
すると、ユリウスは力なくナイトテーブルを指さした。ウォールナット製の引き出しを開けると、そこには錠剤が入っている遮光瓶と眼鏡が入れられていた。
―…眼鏡?
ユリウスが眼鏡をしている姿なんて1度も見たことがない。ならば、何故こんなところに眼鏡があるのか…と、彼に聞きたくなったが今はそれどころではない。
「何錠?」
「2錠…です。」
私は彼の言う通りに手の平に解熱剤を2錠乗せ、水差しから水を注いだグラスとともにユリウスの前に差し出した。すると、ユリウスは解熱剤ではなく何故か私の手首を握り、己の唇を私の手の平に落としてきた。手の平から伝わる柔らかで熱い唇の感触に、私はピシリと凍りつく。突然のことに私はただただ、伏せられた彼の長い睫毛を見つめることしか出来なかった。
「…水。」
私の手の平から顔を上げたユリウスは、ぶっきらぼうにそう呟いた。その一言にはっと我に返った私は、もう片方の手に持っていたグラスを彼に差し出した。
グラスを受け取ったユリウスは、喉を鳴らして水とともに解熱剤を飲み込んだ。喉が乾いていたのか、ユリウスはグラスに注いだ水を全て飲み干した。
「…もっと普通に飲むことは出来なかったの。」
手にはまだユリウスの唇の感触が残っていたが、動揺を悟られまいと平然を装う。
「これが1番合理的だと思ったので…。無駄に動くのが億劫なのです。」
そう言うユリウスは話すのも億劫そうだ。
私は「そう。」と一言だけ言って、彼を横に寝かした。今の彼に抵抗する力は残っていないのだろう。嫌がるかと思っていたが素直に横になってくれた。顔は不服そうだったが。
「…馬鹿な人。」
まだ悪態をつく彼に怒りを通り越して呆れてしまう。
「せっかく安全な場所に居たのに、自ら渦中に飛び込んでくるなんて……飛んで火に入る夏の何とやら…あぁ、今は冬でしたね。」
「私は虫じゃないわよ。」
むっとした私は思わず言い返してしまった。だが、言ってから後悔する。また次元の低い言い合いが始まってしまうと思ったが、彼は私の予想に反して微笑んだ。
「…えぇ、そうですね。貴女は人間です。」
だが、その微笑みは夕闇のように仄暗く、ゾッとするほど虚無的に歪んだ微笑みだった。
「アルベルトさ…」
「ユーリです。」
「…。」
「貴女が僕につけた愛称なのですから、責任持って最後まで呼んでください。」
そう……だったろうか。言われてみればそうだった気がする。だが、私がつけた愛称だったということよりも、それを覚えていたユリウスに驚いた。
「…ユーリ。」
「…。」
改めて愛称で呼ぶが、返事はない。そして代わりに返ってきたのは穏やかな寝息だった。薬が効いて、眠りについたのだろう。
私は掛け布団をユリウスの肩口まで引き上げ、彼の額に新しい濡れタオルを置いた。
「……。」
私は彼の寝顔をじっと見つめた。その無防備な寝顔には幼い頃の面影が残っている。
柔らかなミルクティー色の髪に、薄く開いたくた唇、女の子のように長い睫毛と左目の斜め下にある泣きぼくろ…。ずっと見てきたのに、目の前で眠る青年は知らない人のように感じる。
この10年間、誰よりも長い時間を一緒に過ごしてきたユリウス。どんな時も傍に居てくれて、だから私は彼のことを誰よりも知っていると思っていた。
だが、彼がアルベルト様だと分かってからは、何も分からない。
彼は一体何を考えているのだろうか。
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