100 / 212
第6章「不完全な羽化」
96話
しおりを挟むカールside
今から10年前。
花の蕾はまだ固く、暁の風は真冬の冷たさを持っていた早春のある日。皇帝陛下からパパに、ある命令が下ったんだ。『怪しい動きをしている輩が居るから、見張って欲しい。』ってね。最初は、面倒から断ろうとしていたんだけど、その輩の名前を聞いて気が変わったんだよ。
―――フェルシュング伯爵。
まぁ、その爵位は返還されてしまって今は存在しない家なんだけどね。…おや、その顔は…知っていたようだね?…ん?昔、侍女が話していたと…。はは、まったく…随分とお喋りな侍女が居たものだ。いや、怒っていないよ。流石に時効だ。それにお喋りな女性は嫌いではない。寧ろタイプだ。…はは、睨まないでくれよ。心配しなくてもパパはママ一筋だよ。え?そういうことじゃない?…ふむ?
…よく分からないが……まぁいい、話を戻そうか。
…うん、そう。エリィの言う通り、そのフェルシュング家でユーリは生まれたんだ。
フェルシュング伯爵は、パパの領地の方までちょっかいを出していてね。色んな所から苦情が上がってて頭を悩ませてきた種のひとつだったんだよ。そういう理由もあって、パパは陛下の命令を不本意ながらも受けたんだ。え?言葉に棘があるだって?…うーん、陛下は面倒臭いから、あんまり関わりたくないんだよねぇ…。
まぁ、その話は、また今度。今はユリウスの話だ。
その様子だと伯爵とその夫人が、どんな悪行を働いていたのか知っているみたいだし、割愛させて頂こうか。あまり口にしたくない内容だしね。
陛下から命を受けて、直ぐに伯爵は動き出した。…うん、そう。
派手にお金を使い込んだ伯爵は、とうとう首が回らなり、妻と娘を連れてデューデン国へと夜逃げを図ろうとした。けれど、それは無計画に近かったんだろうね。もだもだと国境付近を彷徨っていた伯爵たちは簡単に捕らえることが出来たよ。
でも、そこからは簡単じゃなかったんだよね。
パパは部下から、伯爵の子供は娘と息子の2人だと聞いていたんだ。けれど、そこに息子の姿はなかった。パパは伯爵に聞いたよ。『息子は何処だ。』ってね。そうしたら伯爵は悪びれる様子もなく、吐き捨てるようにこう言ったんだ。『森に捨ててきた。そもそもあれは私の子供じゃない。それに、あの餓鬼はいつ死んでもおかしくない程に衰弱しきっている。連れてこようが、捨ててこようが、結果は変わらない。』
その言葉に言葉を失ったよ。
その上、伯爵は妻と娘を押し退けて、自分だけ助かろうとしていたんだ。逆に、そこまでいくとその清々しいよね。だからパパは遠慮なく、その蛆虫野郎に鉄拳制裁をお見舞しちゃった。まぁ、その後の始末書地獄が待ってたんだけどね…。あぁ、今でも陛下のゲス顔が忘れられない…。
…おっと、教育上に宜しくない言葉が出て来てしまった。パパの悪い癖だ。感情が高まると、つい昔の自分が出てきてしまう。エリィ、忘れなさい。…よし、いい子だ。
ごほん。
すっかり伸びてしまった伯爵と、腰を抜かした夫人と娘を部下に任せて、パパは息子を探すことにしたんだ。
…ん?ユーリを助けに行った…。…いや、違うよ。ほら、最初に言っただろう?
―――パパはユーリを殺しに行ったんだ。
…どうしてっていう顔をしているね。
情けない話し、あの頃のパパはまだ若くてさ。その子供が苦しんでいるなら、いっその事殺してあげた方が、楽になれるんじゃないかって…。生まれてからずっと虐待されてきた子供だ。生きる方が辛いんじゃないかって。きっと、それが少年の救いになるんだって…さ…。
…うん、そうだね。私だって同じ年の子を持つ父親だったのなのに…情けないパパでごめんね。本当、何様だったんだろう。そんなものは独りよがりの偽善でしかない。当時のパパは、それが分からなくて本気で、殺すことが正義だと思っていたんだ。
あの子を見つけるまでは。
パパは伯爵が言っていた森を宛もなく探したよ。まぁ、伯爵が嘘を言っている可能性もあったけど、時間はなかったからね。暦上では春でも、弱っている子供の命なんて簡単に奪えてしまうほど夜中は真冬のように寒い。例え亡骸になってたとしても、見つけ出したかった。
どれぐらい探し回ってたかな。
低い位置にあった月が、いつの間にか頭上に登っていたことに驚いた、その時―――
微かに甘い香りがしたんだ。
もう疲れていたんだろうね。
パパはフラフラとまるで甘い香りに誘われる虫みたいに、その香りがする方へ足を進めた。…危ないとは思わなかったのかだって?…うーん。そうだねぇ。危ないとは思わなかったかも。なんか、こう、ふぁ~とした気分だったことだけは覚えているよ。…え?それは大丈夫じゃない…?…ふふ、そうだね。確かに怪しい薬みたいだ。エリィは甘い香りがしても近づいちゃ駄目だよ。パパとのお約束だ。
悪い例として、誘惑に負けたパパはフラ~と森の奥に入っていった。しばらく歩いて、突然現れた光景に思わず目を奪われたよ。
そこには、一面に白い花畑が広がっていたんだ。驚いたよ。季節は春でもノルデンの春は冬のように寒い。花が咲くだなんて有り得ない。それでも、目の前に広がっていた花畑は、全盛期のように咲き誇っていたんだよ。
月明かりに照らされた白い花は淡く青色に輝いていてさ、とても幻想的だった。今でも、あの光景は目に焼き付いている。この世に、こんなにも美しい光景があるんだなって…人間は圧巻されると語彙力が著しく低下することを知ったよ。
そんな花畑の中央に、小さな人影を見つけたんだ。こんな真夜中に居るんだ。直ぐに、伯爵の子供だとわかったよ。
パパは早く楽にしてあげようと、少年の方に向かった。そして、少年の前まで来て情けないことに、目を見開いたまま硬直してしまったんだ。
…なぜだと思う?…ハズレ。死んでいなかったよ。その逆だ。ちゃんと生きてた。…いや、生きようとしていた。
ユーリはね、花を貪るように食べていたんだ。今にも折れてしまいそうなほど細い指で花を毟り、震えながら口に運ぶ。それを淡々と続けていたよ。パパが目の前にいるのに、ずっとね。
けど食べること自体、難しかったんだろうね。時折、噎せるんだ。それでも食べることをやめることはなかった。ユーリは必死に生きようとしていたんだよ。
そんなユーリの姿を見たパパは、自分はなんてことをしようとしていたんだって…自責の念に苛まれた。こんなにも必死に生きようとしている命を摘み取ろうだなんて、神にでもなったつもりなのかって。ただの人間であるパパには、そんな資格は無いってことを思い知ったよ。危うく、履き違えた正義感で、尊い命を摘み取ってしまうところだった。
そんなパパに、顔を伏せたままのユーリの方から話しかけてきたんだ。その声に、また驚いたよ。まるで世の中の酸いも甘いも知り尽くした老人のようにしわがれた声だったから。
『シューンベルグ家の者が、こんな所で何をやっている?』
『…驚いた。どうして、私がシューンベルグの者だと分かるんだい?』
『その胸についている、丘陵を模した紋章はシューンベルグ公爵家のものだと昔から決まっている。』
あの頃のユーリはパパを驚かせてばかりだったよ。教養を受けていないはずの少年が、紋章を知っているだなんて、驚き以外の何物でもない。
ユーリが口を開く度に、腰を抜かしそうだった。あの時のパパが100歳のおじーちゃんだったら、ぽっくり逝ってたね。あはは。
まぁ、その少年に驚きながら、戦きながら…パパの中でひとつの想いが生まれたんだ。
『何故、私がここに居るのかと聞いたね。それは君を探していたからだよ。』
『悪行を働いた一族の者として殺すためか?』
『つい先程までは、殺そうとしていた。今は違うよ。』
少年はゆっくりと顔を上げる。
月明かりに照らされたのは、青白くこけた頬に、生々しい傷跡の残るあどけない少年の顔。一瞬、少年の瞳が青く光っていたように見えたのは、パパの目の錯覚だね。
あの時のユーリは、刃物のような黄金の瞳でパパを見つめてきた。
『私は君が欲しい。』
『…売り飛ばす気か。』
『おっと、言い方が悪かったね。私の家族にならないか?』
『…何故?』
『ちょうど、君みたいな生に貪欲な息子が欲しかったんだ。』
『子供が居ないのか?』
『1人、娘が居るよ。けれど、娘に爵位を継がせるのは忍びない。そこで君だ。君なら立派に勤め上げてくれると思うんだ。』
『おかしな人。僕がその娘を食い殺すとかは考えないの?』
『その前に、私が君の首を落としてあげるから安心して。』
『ふぅん。』
パパはその場にしゃがみこみ、少年に手を差し伸べた。
少年は一度、何かを考え込むように顔を伏せてから再び顔を上げた。
『それなら安心だね。』
そう言って、子供とは思えない蠱惑的な微笑みを浮かべた少年はパパの手を掴んだ。
この瞬間、少年はパパ達と家族になった。
『少年。君に名前はあるかい?』
部下から少年の名前は上がってこなかった。きっと、名前すらつけて貰えなかったんだろうね。それでも念の為聞いてみたんだ。
するとね、意外なことに少年には名前があったんだよ。
『…ゥリウス。僕の名前はユリウス。』
もしかして、自分で決めたのだろうか。もし、そうだとしたら…。
果たして、知ってて言っているのか、それともただの偶然なのか。まぁ、パパにはどっちでも良かったんだけどね。
パパは笑ったよ。
そして、この子を選んで本当によかったと思ったんだ。
何故かって?ふふ、それはね…。
その名は、ノルデン帝国の初代皇帝陛下の名前だったからさ。
22
お気に入りに追加
1,923
あなたにおすすめの小説

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

恋心を封印したら、なぜか幼馴染みがヤンデレになりました?
夕立悠理
恋愛
ずっと、幼馴染みのマカリのことが好きだったヴィオラ。
けれど、マカリはちっとも振り向いてくれない。
このまま勝手に好きで居続けるのも迷惑だろうと、ヴィオラは育った町をでる。
なんとか、王都での仕事も見つけ、新しい生活は順風満帆──かと思いきや。
なんと、王都だけは死んでもいかないといっていたマカリが、ヴィオラを追ってきて……。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。
アトラス
恋愛
公爵令嬢のリリア・カーテノイドは婚約者である王太子殿下が側室を持ったことを知らされる。側室となったガーネット子爵令嬢は殿下の寵愛を盾にリリアに度重なる嫌がらせをしていた。
いやになったリリアは王城からの逃亡を決意する。
だがその途端に、王太子殿下の態度が豹変して・・・
「いつわたしが婚約破棄すると言った?」
私に飽きたんじゃなかったんですか!?
……………………………
たくさんの方々に読んで頂き、大変嬉しく思っています。お気に入り、しおりありがとうございます。とても励みになっています。今後ともどうぞよろしくお願いします!

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい
棗
恋愛
婚約者には初恋の人がいる。
王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。
待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。
婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。
従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。
※なろうさんにも公開しています。
※短編→長編に変更しました(2023.7.19)
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる