66 / 212
第4章「好奇心は猫をも殺す」
63話
しおりを挟む「―うえ、姉上。起きて下さい。」
誰かが私の耳元で囁きながら、身体を優しく揺さぶる。
目覚めたくない。まだもう少し、柔らかな羽毛布団に包まれて、微睡んでいたい。
「姉上、朝ですよ。」
…朝?
その言葉に小さく身動ぎして、睫毛を震わせた。
「……う……ん……?」
重い瞼を開くと、朝日に照らされてキラキラと輝いている天使が私を穏やかな表情で見下ろしていた。
「…ユーリ?」
「はい。姉上、おはようございます。」
頭を撫でられて、その心地の良さにもう一度微睡みの中に旅立ちそうになったが、何とか堪える。
「…あなた、どうして私の部屋にいるの?」
ぼんやりと義弟を見上げると、義弟は可笑しそうにクスクスと笑った。
「ここは僕の部屋ですよ。昨日のこと忘れてしまいましたか?」
昨日?昨日…。
半分夢の中いる頭で昨日のことを考える。
―…えっと、確か…。怖い夢をみたから…怖くて…、ユーリの所に来たんだっけ…。
…あら?
「…姉上?大丈夫ですか?」
考え込む私を義弟が不思議そうに見下ろす。私はむくりと上体を起こし、頭を支える。
「ユーリ、私はどんな夢を見ていたのかしら?思い出せないの…。」
怖い夢を見たということは覚えている。だがその夢の内容が思い出せない。
「僕もそういうこと、ありますよ。夢って不思議ですよね。夢を見ていたということは覚えているのに、その内容は覚えていない。きっと、微睡みの世界に置いてきてしまっているのでしょうね。」
義弟の言葉に妙に納得した私は「なるほど…。」と呟いた。
「さ、姉上。身支度を整えましょう。遅刻してしまいますよ。」
そう言う義弟は、すでに学校の制服である燕尾服をきっちり着込んでいた。
義弟に着替えを手伝ってもらうことに、すっかり慣れてしまった私は、特に違和感を感じることなく義弟に身を任せた。
「姉上、今日はサイドを編み込んでみませんか?」
「任せるわ。」
「ふふ、わかりました。」
鏡に映る義弟は、楽しそうに慣れた手つきで私の髪を編み込んでいく。
私はそれをぼんやりと眺めていた。
※※※※※
「あ、エリザベータ様!!」
穏やかな午後の昼下がり、植物園でいつものように義弟との食後のティータイムを過ごしていると、遠くから聖女ベティが駆け寄ってきた。その姿がまるで飼い主を見つけた子犬のようで、私の心臓がキュンとないた。
「…ごきげんよう、聖女様。」
「はい!こんにちは、エリザベータ様。久々にお会いできて嬉しいです!」
ニコニコと嬉しそうに話す聖女は嘘をついているように見えない。私に対する純粋な好意が伝わってきた。
聖女は年末の式典の準備に追われ、忙しい日々を送っているらしい。いつものように明るい彼女の顔からは、微かな疲れが滲み出ていた。
「聖女様、最近お忙しそうですが大丈夫ですか?」
彼女は警戒すべき相手であるが、何故か放っておけない。
どうして私は、彼女のことをこんなにも心配しているのだろう。脳裏に「またお前は…!」と憤慨している殿下の顔が浮かび上がった。私はそれを手で払い除ける。
「大丈夫ですよ!心配して下さって、ありがとうございます。やっと式典の準備が落ち着いてきたので、こうして学校にも来ることが出来ました。」
「それなら、良かったです。」
元気そうな聖女に、私は安堵の息を漏らした。
彼女にもしものことがあったら、私は…
「ベティ嬢、お疲れ様です。もしよろしかったら、ご一緒にいかかですか?」
にこやかに義弟は聖女をお茶に誘う。他の人を誘うだなんて、義弟にしては珍しい。
「え、良いんですか?」
義弟のお誘いに聖女は窺うように、私と義弟を交互に見た。
「えぇ、構わないですよ。」
これで聖女の疲れが少しでも取れればと、私は頷いてみせた。それを見た聖女はまるで花が咲いたように可愛らしい笑みを浮かべ「ありがとうございます!」と言いながら、私の隣に座る。
「エリザベータ様と一緒にお茶が出来るだなんて、すごく嬉しいです!」
「ぐっ…。」
手を組み、こちらを上目遣いで見つめる聖女の可愛らしさに心臓を撃ち抜かれた私は思わず胸を押さえる。
「ユリウス様も、ありがとうございます。なんだか、いつも気を使ってくださって…」
「気にしないで下さい。今、ベティ嬢のお茶をいれますね。」
「はい、お願いします。」
義弟と聖女の穏やかなやり取りから、言葉では言い表せないような親密さが窺えた。ただの顔見知りでは無さそうだ。
「お2人には交流がおありで?」
「えぇ、僕たちはクラスが一緒なんです。」
「あら、そうだったの。」
それは初耳だ。
「私、突然聖女に目覚めたせいで、全く魔法の知識が無かったのですが…ユリウス様が色々と教えてくださっているので、何とかやっていけているんです。」
「僕は何も…。全てベティ嬢の努力の賜物です。」
「そんなことないですよ。ユリウス様には本当に助けられていて…」
「ふふ、聖女様のお力になれているのであれば、光栄ですね。…お待たせしました、カモミールティーです。」
「わー!ありがとうございます!」
「熱いので気を付けてくださいね。」
「はい!」
2人の穏やかな雰囲気の中に、私は入ることが出来なかった。2人の邪魔をしてはいけないと、理性が訴えている。
義弟がクラスメイトと親交を深めていることは、姉としてとても喜ばしいことだ。
「…。」
心に何か嫌なものが渦巻いている。
どろどろどしたものがお腹に蓄積し、聖女に向いているその真摯な視線を私に戻したくて堪らなくなった。
何故、こんなにも胸がザワつくのだろう。
―この感覚は…、あの時と一緒だわ。
「…うっ!?ゴホッ、」
カモミールティーを飲んだ聖女が突然、噎せはじめた。
「だ、大丈夫ですか?」
気管にでも入ったのだろうか。私は慌てて聖女の背中を摩る。たが、聖女の顔はみるみる青くなり、呼吸が浅くなっていった。
焦った頭で医者を呼ぼうと立ち上がろうとしたが、先に聖女が立ち上がった。
「ご、ごめんなさい!私、ハーブティーが苦手だったみたいで…!その、えっと、失礼します…!」
涙目になっている聖女は口を押さえながら、植物園を走り去った。
思わず唖然と見送ってしまったが、あの様子は尋常ではない。
「ユーリ。私、聖女様を追いかけてくるわ!」
彼女をあのままにしておけない。
私は芝生から立ち上がり、彼女を追いかけようとしたが、義弟に手を掴まれてしまった。
「ちょっと、手を離して。早く追いかけないと…」
「僕が追いかけますよ。」
「…え?」
その思いがけない言葉に思わずキョトンと義弟を見つめる。
「僕が入れたカモミールティーですしね。ベティ嬢のことは、僕に任せてください。」
私を安心させるかのように微笑んでから義弟は、聖女を追いかけていった。
私は芝生にペタンと座り込む。
無意識に伸ばしていた手を引っ込めて、俯いた。
あぁ、まただ。黒い靄のようなものが心中を蠢いている。義弟が私よりも聖女を優先したから?これでは、まるで……
次の授業が始まるまでギリギリ待ったが、義弟は植物園に戻ってくることは無かった。
22
お気に入りに追加
1,923
あなたにおすすめの小説

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

恋心を封印したら、なぜか幼馴染みがヤンデレになりました?
夕立悠理
恋愛
ずっと、幼馴染みのマカリのことが好きだったヴィオラ。
けれど、マカリはちっとも振り向いてくれない。
このまま勝手に好きで居続けるのも迷惑だろうと、ヴィオラは育った町をでる。
なんとか、王都での仕事も見つけ、新しい生活は順風満帆──かと思いきや。
なんと、王都だけは死んでもいかないといっていたマカリが、ヴィオラを追ってきて……。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です

婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。
アトラス
恋愛
公爵令嬢のリリア・カーテノイドは婚約者である王太子殿下が側室を持ったことを知らされる。側室となったガーネット子爵令嬢は殿下の寵愛を盾にリリアに度重なる嫌がらせをしていた。
いやになったリリアは王城からの逃亡を決意する。
だがその途端に、王太子殿下の態度が豹変して・・・
「いつわたしが婚約破棄すると言った?」
私に飽きたんじゃなかったんですか!?
……………………………
たくさんの方々に読んで頂き、大変嬉しく思っています。お気に入り、しおりありがとうございます。とても励みになっています。今後ともどうぞよろしくお願いします!


愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい
棗
恋愛
婚約者には初恋の人がいる。
王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。
待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。
婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。
従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。
※なろうさんにも公開しています。
※短編→長編に変更しました(2023.7.19)
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる