私は貴方を許さない

白湯子

文字の大きさ
上 下
63 / 212
第4章「好奇心は猫をも殺す」

61話

しおりを挟む


湯汲みを終えた私はベッドの中に横たわり、自身の右手の甲を見つめた。


―…どうやって殿下を呼び出すのかしら?


湯汲みの際にふと気が付いたのだが、肝心な殿下を呼び出す方法を教えられていなかったのだ。

だが、私には義弟が居る。
殿下をわざわざ呼び出すことはないだろうと、私は眠りについた。



◈◈◈◈◈


夢をみる。

ひどく、懐かしい。

昔の夢。




お母様に叱られた私は、皇宮の庭で泣いていた。

そんな私に少年は、1輪の花を差し出す。


「これ、君にあげるから泣かないで。」


その1輪の花を受け取ると、甘い香りふんわりと漂った。
プレゼントなんて、生まれて初めてだ。
驚いた私は、思わず涙をとめる。


「甘くていい匂いがする…。私、お花なんてはじめてもらったよ。ありがとう、凄くうれしい。」
「お花、好きなの?」
「うん、好き。」
「じゃあ、もっと素敵なものを見せてあげる。おいで。」


サファイアの瞳を持った少年は私に手を差し伸べる。その手を取ろうとして、やめた。自分の醜い手が視界に入ったからだ。
不器用な私の手には傷が絶えない。


「どうしたの?」
「私の手、汚いの。」


こんな手では、彼に触れられない。


「…そんなことないよ。」


少年はそう言うと、私の両手を自身の手で優しく包み込んだ。
少年の手の温かさに驚き、目を見張る。


「この手は君が頑張った証だよ。」
「あかし?」
「そう。例えば…ほら、ここ。長い時間ペンを握っているんだね、ペンダコが出来ている。」


彼の言う通り、右手の人差し指には長時間ペンを握っていたことによって、角質層が厚くなっていた。


「刺繍も勉強してるの?ここに針の傷があるよ。あぁ、手首も腫れている。沢山ピアノの練習をしたんだね。今日のピアノの発表会、手が痛くて辛かったんじゃない?」


少年は次々と、私の手にある傷の原因を解き明かしていく。
私は信じられないものを見るように、彼の顔を凝視した。


「君は凄いね。頑張り屋さんだ。」


私の手をギュッ握りしめた少年は優しく微笑んだ。


「―っ、」


少年の言葉を理解した途端、私の瞳からは止まったはずの涙がボロボロと零れ落ちた。


「な、泣かないで。ごめん、嫌だった?」


少年は戸惑った様子で、オロオロとしている。私は泣きながら首を横に振った。
嫌じゃない。その逆だ。私は嬉しいのだ。少年が、初めて私の努力を認めてくれた。
母から醜いと言われていた手も、少年は頑張った証と言ってくれた。
これ以上、嬉しいことがあるのだろうか。


「おいで、リトルレディ。」


少年は私の手を引き、歩き始めた。
手を引かれる私は泣きながら少年の背中を見上げる。

優しくて、かっこよくて…
まるで、絵本に出てくる王子様みたい。


―――この時から、私の小さい世界は彼でいっぱいになった。


◈◈◈◈◈


「エリザベータ、なんてみっともない顔をしているの!?淑女たるもの、表情を崩すなんて有り得ないわ。早く泣き止みなさい!」
「ご、ごめんなさい、お母様。」


「エリザベータ、人に弱みを見せたら駄目よ。周りの人間は、全員敵だと思いなさい。決して人を信じないで。」
「…はい、お母様。」


「エリザベータ!なんで、こんな簡単なことも出来ないの…!?駄目よ、こんなんじゃ、駄目よ!あの人を見返すために、お前は必要なの。あの女じゃなくて、私を選んでいたら、もっと優秀な子供が産まれたという証拠を…!!エリザベータ!聞いているの…!?しっかりしてよ!!!」
「申し訳ございません、お母様。」


「エリザベータ、お前は顔だけは私に似て極上よ。中身はどうにもならなかったけれど、その顔があれば、周りを騙せるわ。周りを騙して、皇太子妃になりなさい。そうすれば、きっと、あの人も自分の過ちに気づくはず…。うふふ、あははっ。」
「かしこまりました、お母様。」


出来損ないの私はもっと頑張らなければならない。もっと、もっと…

頑張れば、きっとあの人は私を褒めてくれる。またあの時のように「頑張ったね、凄いね。」と。

だから、どんなに辛くて挫けそうになっても、心が折れることはなかった。




―――なのに…




「父に気に入られようとして、政治に口を出したらしいね。しかも、僕が考えた政策に。」


アルベルト様が冷たい瞳で私を見据える。

少し前に、謁見の席で陛下に「新しい政策についてどう思う?」と問われたので、「その政策は、現実的に考えて失敗する確率が高いと思います。」と、思ったことを言っただけだ。
そもそも、彼が考えた政策だなんて知らなかった。だが、彼の機嫌を損ねてしまったことは、事実。
私は軽くスカートを摘み上げ、深々と頭を下げた。


わたくしの軽率な発言のより、殿下のお気を悪くさせてしまったことを、深くお詫び申し上げます。」
「っ、」


突然、私の右頬に衝撃が走った。思わず頬を手で抑える。
頬が、熱い。
遅れて、彼に叩かれたのだと気付いた。
恐る恐る顔を上げれば、氷のように冷たいサファイアの瞳と目が合った。


「僕を馬鹿にするのもいい加減にしろ。人を見下すのは、そんなにも楽しいのかい?」


彼を下に見るだなんて、そんな恐れ多いこと一度たりとも考えたことなんてない。
私は彼を誰よりも尊敬し、誰よりも愛しているのだ。
そう言いたかったが、彼の前で感情を露わにするだなんて、みっともない。きっと、今以上に幻滅されてしまう。そう思った私は口を噤んだ。


「叩かれても顔色ひとつ変えないだなんて、やはり貴女は人形のようだ。」


彼は吐き捨てるようにそう言うと、私に背を向け去って行った。
彼を引き留めようとして伸ばした手を下に下ろす。今話しかけても、また冷たくされるだけだ。

涙が溢れそうになったが、唇を噛み締め、ぐっと堪える。
ここで泣いては駄目。泣いてしまったら、きっと心が折れてしまう。
心を守るため、私は自分自身に暗示をかけた。


―まだ、努力が足りないのよ。もっと、頑張ればきっと昔みたいに…。まだ大丈夫よ。大丈夫…


けれど、私が頑張れば頑張るほど、貴方は冷たくなっていった。



◈◈◈◈◈


無常にも、この世界は私の存在を無視してどんどん先に進んでいく。


「愛しの聖女マリー、どうか僕の花嫁になって欲しい。」
「喜んでっ!」


国境視察から帰ってきたアルベルト様は、民衆の前で聖女にプロポーズをした。

2人は幸せそうに抱き合い、それを見た民衆は歓喜の声を上げる。至る所から、2人を祝福する声が飛び交っていた。

その民衆の中で、1人、取り残されている女がいる。
…私だ。

彼は、私の婚約者なのだ。なのに何故、聖女が彼の隣にいるの?

婚約者が居る身で他の女性の手をとるだなんて、いくら皇太子だからといっても許されることではないはずだ。
なのに、何故誰も彼を咎めないのか。


周りから聞こえてくるのは、2人を祝福する声と、私を嘲笑う声。私はそれを目を閉じ、じっと耐える。

どうして、私はこんなにも惨めなの?

どうして、貴方は聖女を選んだの?

私は貴方の隣に立ちたくて、今まで頑張ってきたというのに。今までしてきた努力は全部、無駄だったのか。
存在意義を全て否定された私は、絶望の海へと堕ちていく。


―あんな女より、私の方が妃に相応しいのに…!


そこまで思って、はっと気づく。


―――今の私は、まるで、お母様のようじゃないか。



「ねぇ!貴女の名前は?」


 突然、聖女に話しかけられた私は弾かれたかのように顔を上げる。


「…エリザベータ=コーエンでございます。」
「うっわぁ、古典的な貴族の令嬢だ。えっと…エリザベータ様、貴女はどうして私を祝福しないの?」


聖女の言葉に首を傾げる。どういう意味だろうか。


「あれ?おっかしいなぁ。皆、私のことを祝福するって神様が言ってたのに。うーん?…あぁ、そっか!」


ピンクダイアモンドの瞳を持つ聖女は、誰もが見惚れるほど可愛らしい笑顔を私に見せた。


「貴女は、不良品なんだね!」
「…え、」
「私の新しい世界に不良品はいらないよ。」


無邪気な子供のようにそう話す聖女は思いっきり息を吸い込み、そして…


「エリザベータ様が私を殺そうとしたのっ!」


◈◈◈◈◈


気付けば私は冷たい牢屋の中に押し込まれていた。


「お待ちくださいませっ、私は聖女様を殺そうとしておりません!私を信じてください!」


私はアルベルト様の足に縋り付く。
彼は私を一瞥してから、その足で私のお腹を蹴り上げた。


「がっ!?」


私は冷たい床に倒れ込む。今まで経験したことのない痛みに、息ができない。何とかその痛みに耐えようと、身体を丸める。

アルベルト様は、痛みに悶えている私の顎を掴み、無理やり上に向かせた。
彼の冷たいサファイア瞳と目が合い、身体が震え上がる。


「プライドの高い貴女が、こんな仕打ちを受けるだなんて、さぞ屈辱だろうね。」
「な、」
「今まで散々人間を見下して、その上僕の愛しの聖女を傷付けようとするだなんて…許せるわけがないよね?」


加虐的な笑みを浮かべる彼に、言い知れぬ恐怖を感じた私は、彼の手を払い除け、逃げよう身体を起こした。

が、


「何処に行くの。」
「ぐっ、」


足を掴まれた私は無様にその場に倒れ込む。


「愚かだね。貴女は自分の立場をまるで理解していない。…わからせてあげようか。」


彼は静かに腰に下げている剣を引き抜き、そのまま私の両足首にその剣を振り落とした。


「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!?」


暗い牢屋に私の叫び声が響き渡る。

痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!!!!

先程アルベルト様に蹴られた時とは比べ物にならない程の強い痛みが私を襲う。あまりの痛さに私は悲鳴を上げながら、冷たい床をのたうち回った。


「…あぁ。貴女が暴れたせいで、上手く切り落とせなかった。」


アルベルト様は躊躇なく、私の足首を目掛けて再び剣を振り落とす。


「―っ、!!」


遠くの方で、何かが切り落とされると音がした。

きっとそれは私の…


「これで、貴女はどこにも行けないよ。どこにも…ね。」


薄れゆく意識の中で私が最後に見たものは、濁った瞳で私を見下ろす、アルベルト様の安心しきった顔だった。








しおりを挟む
感想 431

あなたにおすすめの小説

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

恋心を封印したら、なぜか幼馴染みがヤンデレになりました?

夕立悠理
恋愛
 ずっと、幼馴染みのマカリのことが好きだったヴィオラ。  けれど、マカリはちっとも振り向いてくれない。  このまま勝手に好きで居続けるのも迷惑だろうと、ヴィオラは育った町をでる。  なんとか、王都での仕事も見つけ、新しい生活は順風満帆──かと思いきや。  なんと、王都だけは死んでもいかないといっていたマカリが、ヴィオラを追ってきて……。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。

アトラス
恋愛
公爵令嬢のリリア・カーテノイドは婚約者である王太子殿下が側室を持ったことを知らされる。側室となったガーネット子爵令嬢は殿下の寵愛を盾にリリアに度重なる嫌がらせをしていた。 いやになったリリアは王城からの逃亡を決意する。 だがその途端に、王太子殿下の態度が豹変して・・・ 「いつわたしが婚約破棄すると言った?」 私に飽きたんじゃなかったんですか!? …………………………… たくさんの方々に読んで頂き、大変嬉しく思っています。お気に入り、しおりありがとうございます。とても励みになっています。今後ともどうぞよろしくお願いします!

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

処理中です...