51 / 212
第3章「後退」
50話
しおりを挟むモニカside
アルベルトが倒れた原因は毒ではなく、私が入れたカモミールティーの味のせいだと…!?そんな馬鹿な。だって、お嬢様はいつも綺麗に飲み干してくれていたのだ。だから倒れるほど、酷くはない…はず。
あ、そうか。アルベルトは毎日上等な紅茶ばかり飲んでいたから、舌が肥えすぎてしまったんだ。うん、きっとそうだ。うん、死ね。
いや、重要なのはそこではない。
皇宮医の話から推測するに、アルベルトは私がカモミールティーに毒を入れていないと、遅れて気付いたはずだ。にも関わらず、彼は無実の私を牢屋に入れたまま放置した。
自分の婚約者を断頭台で処刑した上に、最愛の妻でさえ火刑台で自ら火やぶりにした男だ。
しがない侍女一人が飲まず食わずの牢屋の中で、どうなろうとも構わないのだろう。
「…死ね。」
皇宮医に聞こえないように、静かにとそう呟いた。
「さ、今日は早めに休みなさい。私もそろそろ失礼するよ。」
皇宮医は扉へと向かっていく。
その時、明るかった白い天井や壁が、いつの間にか茜色に染っていたことに気付いた。どうやら、随分と時間が経っていたようだ。
ドアノブに手をかけた皇宮医はこちらを振り返った。
「いいかい、モニカ。しばらく君はベッド上で絶対安静だ。」
「何度同じことを言うんですか。分かってますよ。」
「何度だって言うさ。君は危なっかしい患者だからね。」
―んだと、こら。
ムッとするも、何とかそれを表に出さずに、にっこりと笑った。
「大丈夫ですよ。大人しく寝てます。」
皇宮医は私の笑顔に何か言いたげな様子を見せたが、軽く溜息をつきながら「…その言葉を信じるよ。」と言って、部屋から出ていった。
皇宮医の足音がどんどん小さくなる。
そして、その足音が完全に聞こえなくなったのを確認した私は、そっとベッドから降り立った。
―誰がハゲの言うことなんか聞くかよ。
軽く腕や首の関節を鳴らし、自身の身体の可動域を確認した。
少しふらつくが、ちゃんと思い通りに動いてくれる。これぐらいなら、きっと大丈夫。先程思うように動かなかったのは、多分、冷静さが欠けていたから。気持ちが先走りし過ぎていたのだ。
次に、スカートの中に隠しているナイフを布越から触れる。うん、ちゃんとここにある。幸いにも、皇宮医には見つかることはなかったようだ。きっと運が私に味方しているんだろう。
私にはもう時間が無い。
皇宮医の言う通り、私の頭から徐々に聖女の記憶が失われつつある。絶世の美少女と謳われていた、憎き聖女の顔すら思い出せないほどに、アルベルトの魔法の侵食が進んでいるのだ。
この復讐心が消えてしまう前に、早くアルベルトを殺さなければ。
チャンスはきっと今日で最後。このチャンスを逃せば、全てが無かったことになってしまう。
焦る気持ちを抑えつつ、そっと医務室の扉を開け、長い廊下に出た。窓から差し込む西日によって赤色に染まった廊下は、しんと静まり返っている。その静けさが妙に心臓をざわつかせた。
私は静かに深呼吸をしてから、廊下を歩き始めた。
※※※※※※
―…おかしい。
私は誰に会うことも無く、アルベルトの部屋の前まで来てしまった。
素直に誰にも会わなくてラッキーとは思えない。本来なら見張りの奴らがアルベルトの部屋を囲っているからだ。それなのに、なぜ今日は誰も居ない?
不思議なことに、見張りの奴らだけでなく、ここ一帯に人間の気配が一切しないのだ。まるで広い皇宮に自分一人だけ取り残されたような気分に陥った。
…まさか、私がアルベルトを殺そうとしているのがバレたのだろうか。
有り得なくは無い話だ。
私はスカートの中にナイフを隠し持っている。もし、それに先程の皇宮医が気付いていたら?きっと怪しく思うだろう。それを指摘しなかったのは、私を泳がせるため。もしかしたら、アルベルトの部屋で見張りの奴らは網を張って、私を待ち構えているのかもしれない。
いやいや、落ち着け。それは少し考えすぎではないだろうか。だが、無いとは言いきれない。じゃあ、どうする?保険をかけて引き返すか?
「…ハハ、。」
思わず自虐的な笑いがこぼれた。なんだ、モニカ、とうとう怖気ついたのか?ここまで来たのに?
よく考えろ。引き返して戻った道には、何も無いのだ。言葉通り、全てを忘れてしまった空っぽの世界しか。
だったら、答えなんて初めから1つしかないじゃないか。
私はアルベルトの部屋のドアノブに手をかける。
お嬢様、貴女の存在が消えてしまった世界なんて、なんの意味も無い。
だから、私は必ずこの手でアルベルトを殺す。
貴女が必死に生きてきたことを無意味なものにしない為に。
私はのドアノブを回した。
――その時、
「おい!見つかったか!?」
「―っ!?」
突然の男の声に、私は声にならない悲鳴をあげた。
見つかってしまった!?
絶望に顔を黒くするが、廊下に人の姿は見られない。
「いや、見つからん。こんなにも探しているんだ。皇宮には居ないかもしれない。」
声が廊下からではなく、外から聞こえてくるのに気が付いた。
私はそろりそろりと窓に近づき、聞き耳を立てながら様子を伺う。男たちは何やら焦った様子で当たりをキョロキョロ見回していた。
「では、範囲を広げよう。」
「もうやっている!さっき町の班からは連絡が入ったが、あちらも駄目だったそうだ。」
「そうか…。あとは、国境付近だったり…近くの森か?いや、さすがに森には居らっしゃらないか…」
「分かった。南の国境付近には俺の班が向かおう。」
彼らは必死に何を探しているのだろうか。ただの人探しにしては、範囲が大規模すぎる。彼らの妙に血走った眼に神経質な話しかた、どうもただ事じゃないことだけは感じ取れた。
「では、私は北に。お前は?」
「俺は町外れにある森を探してみるよ。」
「分かった。いいか、お前ら。アルベルト様が居なくなってしまったら、この帝国は終わりだ。死ぬ気で探せっ!!!」
―アルベルト!?
聞き間違えではない。あの忌々しい名を、私が聞き間違えるはずがない。
呼吸が止まる。世界が止まる。
フツフツと湧き上がる怒りで気が狂いそうだ。あぁ、アイツはどこまで人を馬鹿にすれば気が済むのだろう。
アルベルトは姿を消した。
24
お気に入りに追加
1,923
あなたにおすすめの小説

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

恋心を封印したら、なぜか幼馴染みがヤンデレになりました?
夕立悠理
恋愛
ずっと、幼馴染みのマカリのことが好きだったヴィオラ。
けれど、マカリはちっとも振り向いてくれない。
このまま勝手に好きで居続けるのも迷惑だろうと、ヴィオラは育った町をでる。
なんとか、王都での仕事も見つけ、新しい生活は順風満帆──かと思いきや。
なんと、王都だけは死んでもいかないといっていたマカリが、ヴィオラを追ってきて……。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です

婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。
アトラス
恋愛
公爵令嬢のリリア・カーテノイドは婚約者である王太子殿下が側室を持ったことを知らされる。側室となったガーネット子爵令嬢は殿下の寵愛を盾にリリアに度重なる嫌がらせをしていた。
いやになったリリアは王城からの逃亡を決意する。
だがその途端に、王太子殿下の態度が豹変して・・・
「いつわたしが婚約破棄すると言った?」
私に飽きたんじゃなかったんですか!?
……………………………
たくさんの方々に読んで頂き、大変嬉しく思っています。お気に入り、しおりありがとうございます。とても励みになっています。今後ともどうぞよろしくお願いします!


愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい
棗
恋愛
婚約者には初恋の人がいる。
王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。
待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。
婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。
従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。
※なろうさんにも公開しています。
※短編→長編に変更しました(2023.7.19)
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる