私は貴方を許さない

白湯子

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第3章「後退」

36話

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女生徒の甲高い悲鳴が響く中、私は重力に従うままに下へ下へと風を切りながら落下していく。どんどん近づいてくる地面に私は咄嗟に目を瞑った。


―さよなら、世界。


ドンッと身体に強い衝撃が走る。

…だが、不思議と痛みは感じない。即死だと痛みを感じないのだろうか。


「大丈夫ですか?」


優しく柔らかな声が鼓膜をくすぐる。
恐る恐る目を開けると、そこには美しい天使がいた。

私を天国へ連れていくために、わざわざ迎えに来てくれたのだろうか。

蜂蜜のように甘く蕩けるようなシトリンの瞳に、ややクセのある柔らかなミルクティーブラウンの髪を持つ天使は、慈愛に満ちた表情で私を見下ろしていた。
その神々しさに、しばし見とれる。


「姉上?」


天使は不思議そうに首を傾けた。


「…ユーリ?」


私を“姉上”と呼ぶのは義弟のユリウスしか居ない。大きく目を見開き天使を食い入るよう見つめていると、天使は嬉しそうに破顔した。


「はい、ユリウスです。ただいま帰りました。姉上、お変わりありませんか?」


視界から入り込む情報を脳が処理しきれない。私は呆けた表情でその天使…義弟を見つめた。

彼は本当に義弟なのだろうか。記憶にある義弟の顔よりも少し大人びて見える。
私は思わず目の前にある彼の顔に両手を伸ばし、ペタペタと触った。
キメ細やかな肌、スッキリとした顔のライン、高い鼻梁に形の良い唇、左目の下にある泣きぼくろ…


「ふふふ。姉上、擽ったいですよ。」


そう言って彼は少し首を竦めて笑う。擽ったそうに…でも何処か嬉しそうに目を細める姿は私の知っている義弟だ。


「ユーリ、貴方…どうしてここに?」


彼が私の元に舞い降りた天使ではなく、義弟のユリウスであると認識は出来たが、本来ここに居るはずのない義弟が目の前に居ることに私は混乱していた。
義弟は現在進行形で南にあるデューデン国に留学中のはずだ。


「デューデン国で学びたいものは全て習得出来たので、早めに留学を切り上げてきたんです。姉上に早く会いたかったので、邸には寄らずに直接学校に来ちゃいました。」


しれっと答える義弟に唖然とする。留学とはそんなにも簡単に帰ってこられるものなのだろうか。てっきり帰ってくるのは春頃だろうと思っていたのだが、まさかこんなにも早いとは…。

帰ってくるならそれはそれで良いのだが、何故知らせてくれなかったのだろう。


「姉上こそ、どうして2階から落ちてきたのですか?一体何が…」
「…私にも分からないわ。」


確か、私は聖女に頼まれて絵のモデルをしていたはずだ。そのお手伝い中に突然眩暈に襲われて身体を支えようとバルコニーの柵を掴んだら、ぐらりと身体が傾き…

落ちたのだ。

さっきまで居た2階のバルコニーを見上げれば、柵が無くなっていた。どうやら柵に体重をかけたことによって、柵が外れてしまったらしい。バルコニー下の地面には外れた柵が無惨に散らばっていた。

義弟が居なかったら今頃私は…。

遅れてやってきた恐怖感にぶるりと身体が震える。それに気付いた義弟は私を安心させるように身体を寄せ「安心してください。姉上は無事です。ちゃんと生きてますよ。」と優しく微笑んだ。

ふと、今自分が義弟に抱き抱えられていることに気が付いた。その体勢は俗に言うお姫様だっこだ。落下してきた私を義弟が受け止めてくれたのだろう。状況を把握した私はサッと顔を青くした。


「ユーリ!私より貴方は大丈夫なの!?腕とか…、あぁ、私の事なんていいから、早く降ろして!腕が…!」


2階から落ちた私を受け止めてくれた義弟の身体へ負担は、けっして軽くはないだろう。その上、義弟は身体が弱いのだ。私のせいで昔のようにベッド生活へ逆戻りさせてしまったら、私は耐えられない。

狼狽する私に義弟は微笑む。


「姉上、落ち着いてください。僕だって姉上を抱き抱えられるくらいの力はありますよ。それに、貴女は羽が生えているみたいに軽いので大丈夫です。」
「そんな嘘はいらないから早く降ろして!」


義弟の腕の中から自力で降りようともがくが、義弟の身体はびくともしない。それに戸惑っていると、こちらに必死に駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。


「エリザベータ様っ!!!」


悲痛な声を上げて、こちらに駆け寄ってくるのは聖女ベティだ。聖女はそのまま崩れ落ちるかのように、義弟に抱き抱えられたままの私に縋り付いた。


「あぁ、良かった、本当に良かった。貴女が無事で本当に良かった。貴女が目の前で落ちた時はどうしようかと…あぁ、エリザベータ様…。」


聖女は、そのピンクダイヤモンドの瞳からはらはらと涙を流した。
そのいたいけな少女の姿に胸が締め付けられる。


やっぱり、私にはこの聖女が嘘を言っているようには思えなかった。









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