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第3章「後退」
33話
しおりを挟む聖女とフーゴが中庭から去り、殿下と2人きりになった。
2人の間に気まずい空気が流れる。お互い顔を合わせず、あさっての方向を見ていた。先程まで殿下とは言い合いをしていたのだ。すぐにいつものように、とはいかない。
私は今まで喧嘩らしい喧嘩をした事がなかった。義弟とすら1回もしたことがない。だがら、こういう時どう対処すれば良いのかわからないのだ。
この気まずい状況の打開策は何かないかと考え込んでいると、突然殿下が奇声を上げた。
「だぁぁぁぁあ!!」
その声に驚き、ビクリと肩を震わす。
何事だと殿下を見上げれば、ガジガジと頭を掻きむしった後、バツが悪そうな顔で私を見下ろした。
「…さっきは怒鳴ったりして、悪かった。お前が聖女と居るのを見て、つい頭に血が上っちまったんだ。俺を許せ、エリザ。」
“俺を許せ。”だなんて…。
こんな上から目線の謝罪は、今まで聞いたことが無い。が、あの殿下から和解のきっかけを申し出たのだ。そんなこと、皇太子殿下である彼のプライドが許さないだろうに…。
…いや、彼は最初からそうだった。
傲慢な態度をとるくせに、自分に非があれば態度はどうであれ、直ぐに謝れる。良くも悪くも、彼は真っ直ぐなのだ。それが、眩しくて…羨ましい。
今まで、彼とモニカが繋がらなかったが、この真っ直ぐさはとても似ていた。彼女も殿下と同じようによく笑い、よく怒り、何かをやらかしたとしても、何処か憎めない。
ストンと、彼とモニカが私の中で繋がった。
「いえ、私こそ殿下に失礼な事を言ってしまいまして、すみませんでした。その……つい…」
「つい、じゃねーよ。…はぁ~。」
殿下は顔を引きつらせながら、深くため息をついた。
「お前さ、何で聖女何かを庇ったんだ?」
自分自身、何故あそこで偽善者のような行動をとったのか分からないのだ。
「…放っておけなかったから、でしょうか。」
そんな私の返答に、殿下は呆れた表情を浮かべた。
「お人好しめ。」
お人好し?いや、違う。
私は、初めて会った赤の他人を庇えるほど優しい人間ではない。いつだって、自分の事だけで精一杯なのだから。
なのに、私は聖女を助けようとした。助けたいと思ってしまった。
何故…?
「殿下は先程の聖女のことを知っていたのですか?」
「いや、知ったのはついさっき。フーゴからの話だと、元々、修道院に居た普通の娘だったが何ヶ月か前に神のお告げがあったかなんかで、あの姿になったんだとよ。」
確かに聖女は、最近聖女に目覚めたばかりと言っていた。
「んで、聖女は帝国で保護されて、聖女として必要な教養を学ぶために近々この学校に通い始める。今日はその手続きだったらしい。」
「そう…でしたか。」
聖女がこの学校に来る。その事が胸をざわつかせた。
それが顔に出てしまったのか、殿下は安心させるかのように私の頭をぽんぽんと軽く叩いてきた。
「心配すんな。学校には俺も居る。」
「そう、ですね。」
事情を知る味方がいるのは、とても心強い。
「だが俺は立場上、表立って聖女を批判することは出来ない。もし、アイツがマリーじゃなくても、聖女は危険だ。だから、聖女には絶対近づくな。」
殿下はとても真剣な眼差しで私を見る。彼らしからぬその表情に押されて、思わず頷く。すると、殿下は小さく安堵の息を漏らし、表情を緩めた。
先程から殿下は聖女に対して、過剰に反応している気がする。
正直、私は聖女の実態を詳しくは知らないのだ。聖女のことはどの文献にも殆ど載っておらず、迷信めいていた。
だが、聖女を危険だと断言する殿下に、私が知らない情報を持っているのだなと直感でそう思った。それは多分、前世のエリザベータ=コーエンが処刑された後の話。今の彼はきっと、前回と同様に話してくれないだろう。
だが、私は知りたい。例えそれがどんな結末であったとしても…それが私が前に進める、唯一の鍵なのだから。
「ぶえっくしょい!!!!」
目の前に居る殿下が口元を手で抑えることなく、盛大なくしゃみをしたことに私は顔を歪めた。くしゃみは生理現象だ。それは仕方がない。が、せめて口元を手で覆うぐらいはして欲しい。
…あら、何かデジャブ。
「人がくしゃみしてんのに、そんな嫌そうな顔すんなよ。心配しろ、俺を。」
「殿下、大丈夫ですか?」
「遅いわっ!」
「いたっ」
殿下は私の額にデコピンを喰らわす。軽い音の割に地味に痛いのだ、やめて欲しい。叩かれた額を手で押え、じっと睨むも殿下はニヤリと笑うばかり。効果は無かった。
―いつもの殿下だわ。
傲慢で下品で野蛮で、いつもニヤついた顔をしている男。
最初は最悪な印象でしか無かったのに、それが今では安心する。こんな男に安心するなんて…これは、末期だ。
ふと、義弟から言われた“殿下には気を許さないでください”という言葉が頭をよぎった。
義弟はいつも私を受け入れ、どんな私でも肯定してくれた。それがとても居心地が良かった。
だが、殿下は違う。殿下は自身が決めた理念からブレない。ブレないまま、真っ直ぐに私を導こうとしてくれている。まるで、光のような存在だ。
今の私を見た義弟は、なんと言うのだろう。
「エリザ。帰んぞ。」
鼻をやや赤くした殿下の言葉に、ふと我に返る。少し風も出てきたようだ。これでは風邪をひいてしまう。
私と殿下は歩き始めた。
「…私、まだ殿下のことを許していませんからね。」
「はぁ!?」
隣で素っ頓狂な声を上げる殿下に笑いそうになるも、堪える。
「おまっ、さっきいい感じに仲直りしただろ!?」
「私が許していないのは、殿下がアルベルト様の真似をして私をからかったことです。」
「あ、え、はァ?それも含めての仲直りじゃなかったのか?」
「それとこれとは違いますから。」
素っ気なく言うと殿下は分かりやすく顔を引き攣らせた。
「おいおい、嘘だろ。」
「嘘ではありません。私は物凄く傷付きました。」
「なぁなぁ、エリザちゃん。機嫌直してくれよ、御奉仕してやるからさァ。なっ!」
何を血迷ったのか、殿下は猫撫で声で私に許しを乞う。その声と、私の名をちゃん付けしたことにより、ぞわりと鳥肌が立った。
「御奉仕?」
「そっ!その馬鹿でかい胸のせいで凝り固まった肩を丹精込めて揉んでやるからよォ。」
「…っ。そういう所ですっ!」
私は歩くスピードを上げ、殿下を置いていく。だが、残念なことに彼の方が足が長いため直ぐに追いつかれてしまった。
「怒んなよ。俺はただ、お前と仲直りしたいだけなんだって。」
「それが仲直りしたい人の態度ですか!」
「俺にとっては最上級の。」
「自己流ではなく、一般的な世間論で言ってください。」
くつくつと愉しげに笑う殿下にため息をついた。本当に、こういう所はいただけない。
「世間論ねぇ?エリザちゃんは俺が何をしたら許してくれんの?」
「ご自分で考えてください。」
「冷めてーこと言うなよ。俺とお前の仲じゃん。」
「どんな仲ですか。」
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「メルシー&リリーのチョコレートブラウニー!!」
「は?」
「通常のものではないですよ。1日10個限定のすっごく人気のチョコレートブラウニーです。」
「それが、なんだって?」
突然何を言い出すのだと怪訝そうな顔をする殿下に構わず、言葉を紡いだ。
「それを買ってくれたら、許します。」
内心、どうせ無理だろうと思いながら。
何故なら1日10個限定のブラウニーは光の速さで完売するからだ。
殿下は一瞬ポカンとした表情を浮かべたが、直ぐにニヤリと笑った。
「仰せのままに、エリザベータお嬢様。」
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