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後日談⑤
しおりを挟む真新しい、い草の香りが鼻腔をくすぐる。
ここはどこだろうか。
意識はうっすらと靄がかかっており、頭はズキズキと痛む。
まるで、頭のまわりを鉄の輪でジワジワと締め付けられているようだ。
(……えっとぉ…、忍と勝負して…。……あぁ、あの後潰れたのね。)
この年になって潰れるまで飲むなんて思わなかった。
自己嫌悪に陥っていると、誰かが優しく私の頭を撫でた。
それだけで、痛みが和らいでいくような気がする。
「……貴女が僕のこと、愛してなくても僕は……。」
頭上から降ってきたものは、とても悲しそうな声だった。
(……陽?)
目を開け、傍に居るであろう陽を見る。
ボンヤリとした輪郭が、次第に形作られ、その表情を表した。
その顔に目を見張る。
何故なら、そこには辛そうに顔を歪める陽が居たからだ。
私は堪らなくなり、陽に手を伸ばす。
「姉さん、起き…」
「どうして、そんなに辛そうな顔をしているの?」
陽の白い頬を撫でれば、さらに辛そうな顔をしてしまった。
二日酔いに悲鳴を上げる体にムチをうち、起き上がった。そして、今にも泣いてしまいそうな陽を抱きしめた。
小さく震える体は幼い頃の陽を思い出す。
環境のせいなのか、陽は昔から誰かに頼ることを知らず、震えながらも1人で耐えてきたのだ。
そんな陽が、心配で、愛らしくて、大切で、守ってあげたいと思っていた。
今のこの気持ちは変わっていない。
「1人で抱え込まないで。私を頼って。」
私は陽を抱き締める力を強くした。
陽からは息を呑む気配がした。
「姉さんは…。」
「うん。」
「姉さんは、優しい人だから。僕を拒めなかったんでしょう?」
「え?」
拒めなかった?何のことだろうか。
「わかってる。でもね、最初はどんな形であれ、姉さんが僕のものになるなら何でもよかった。…なのに、今は前以上に辛い…。」
そう話す陽の声は、今にも消えてしまいそうな弱々しいもので、私の心をギュッと締め付けた。
「どうして?」
「手に入れば、どんどん欲しくなる。好きじゃなくてもいい、側に居てくれるだけで十分って思っていたのに。それだけじゃ、足りない。僕と同じように好きになって欲しいし、愛して欲しい。」
陽は縋るように、頭を私のお腹に埋め、腰に腕をまわしてきた。
「自分がこんなり欲張りで、浅ましい奴だなんて知らなかった…っ。」
陽の叫びは小さく、痛々しい。
「辛いよ……。姉さん、僕を愛してよ…。」
絞り出すかのような陽の悲痛の声は、初めて聞くものばかりだった。
「…浅ましいとは思わないけど、欲張りなのは当たり前じゃないかしら?」
「え?」
何てことだ。
私の気持ちは伝わっていなかったらしい。
そして、そのせいで陽がこんなにも苦しんでいたことに気付かなかった自分に腹が立つ。
(私はちゃんと言葉にして伝えた?)
姉としても、婚約者としても失格だ。
「好きな人に自分を好きになってもらいたいだなんて、普通よ。私だって陽と同じこと思っているわ。」
「姉さん…、それって…。」
私を見上げる陽の目は、薄く涙の膜がかかっている。
そんな陽の頭を優しく撫でた。
「不安にさせてごめんなさい。私は流されたんじゃなくて、ちゃんと陽のことが好きよ。昔から可愛くて仕方が無かったわ。」
「―っ。」
陽の白い顔はみるみる赤みを増してゆく。
そして、声にならない唸り声を上げ、再び私のお腹へと顔を埋めた。
そんな陽に口元が緩む。
「今日はいろんな陽が見られるわねぇ。」
「見ないで。」
私の顔はだらしなく、にやけているだろう。
陽の可愛いさのせいだ。
これはもう、仕方が無い。
「それは嫌よ。好きな人の顔はどんなものでも見たいわ。」
写真で収めさせてくれるなら、尚良し。
「……。」
陽はさらに顔をお腹に埋めてくる。
脂肪があるから、よく埋まるのだろう。
あまり、脂肪に顔を埋めて欲しくないが、今日だけは許そう。
そして、明日からダイエットをしよう。
可愛い婚約者の頭を撫でまくっていると、ふいに陽は顔を上げた。
「どうしたの?」
「…姉さんは本当に僕でいいの?」
「ん?」
その意味が分からず、首を傾げる。
「きっと僕は、姉さんを困らたり、悲しませたりする、と思う。それでもいいの?」
(…あんなに自信満々に迫って来た子が何を言っているのかしら?)
不安そうに私を見上げる陽に苦笑いするしかない。
「ここで、やっぱり止めておく…って言ったらどうするの?」
少し、意地悪な質問をしてしまったらしい。
陽は辛そうに顔を歪めた。
「やだ…。」
「でしょ?私だって、陽が婚約を破棄するって言ったら嫌よ。」
一瞬、嫌な結末が脳裏を過ぎり、心が重くなる。
「陽が間違ったことする前に、ちゃんと叱るわ。だから、陽も私が間違えそうな時には、ちゃんと叱ってね?」
「姉さん…。」
「夫婦になるんだもの。よろしくね、陽。」
「…っ。ありがとう、姉さん。愛してる。」
陽は泣きそうな顔で私を抱き締めた。
しかし、そこには辛さは感じられない。
そんな陽に愛しさは募り続ける。
「私もよ。愛しているわ。」
体全体に、可愛い婚約者の体温を感じ、目を閉じる。
体は大きくなってしまったが、体温だけは昔から変わらない。
私の天使の側で、ずっとこの温かさを感じていたい。
そう、思えるのであった。
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