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椿の花は春を呼ぶ(上)
しおりを挟む物心をつく前から僕は妙な夢を見る。
その夢は怖くて、悲しくて、苦しくて、何故か優しい、そんな夢だ。
夢はいつも同じところから始まる。
僕は車に轢かれるため自ら道路に出るのだ。あぁ、やっと終わると思った瞬間僕は何かに押される。気づいた時には、僕ではなく女性が倒れているのだ。
僕はその女性に必死に歩み寄る。そして、その赤く染まる女性を目にし、息を呑む。
なんて、綺麗なのだろう。
しばらく、その美しさに見蕩れるが、徐々に悲しい気持になる。僕のせいで尊い命が消えるのだと……。
涙がこみ上げる。その涙を止めるすべはなく、ただただ女性の頬に落ち続ける。
泣きじゃくる僕を女性はボンヤリと見る。その表情は苦しむわけでもなく、悲しむわけでもなく、ただ穏やかな表情だ。
まだ、生きている。助けて欲しいのに、周りの人間はただただ僕を囲むことしか出来ない。見ていないで助けて欲しいと憤りを感じるが、自分だって何もできていないじゃないかと思い、悲しくなった。
女性の体温が徐々に消えていくのを感じる。
僕は必死にその手を温める。この行動に意味が無いのはわかっている。しかし、止まらないのだ。
そんな僕を見ている女性は、ゆっくりと口を開いた。何かを僕に伝えている。しかし、その言葉は声になっていない。僕はその言葉、声を知りたくて、聞きたくて耳を近づけるが動いていないことに気付く。
あぁ、何で。
女性は息絶えた。
それでも僕は彼女の手を離さない。
少しでも女性の体温を守るために。
そして僕はいつも思う。
「おいていかないで。」
その消えていく体温と一緒に僕を連れてって。
*****
そんな夢を見続けている僕は、両親から気味悪がれてしまった。女性のことを知って欲しくて話してしまったのだ。徐々に両親からの関心が無くなっていくのを感じる。
気付けば独りぼっちになっていた。
しかし、どんなに報われない夢でも、女性に会えるので寂しくはなかった。
ある日、僕は本当に独りぼっちになる。
両親が僕を置いて蒸発したのだ。
僕の家は今にも消えそうな弱小な組で、上からの援助のおかげでなんとか形になっていたらしい。
暴力的一面は日常的であったし、それが普通と思い込んでいた。しかし、それが異常であったことに彼女と会って気付く。
僕の目の前に一人の男が現れた。
温厚そうな顔立ちで、髪は後ろに撫で付けられている。しかし、温厚そうな顔立ちとは裏腹に、何故か恐ろしく感じてしまった。
そんな男は僕に優しく声をかける。
「陽くん、はじめまして。今日から君の新しいお父さんだよ。よろしくね?」
そう言い、僕を抱き上げる。
人に触れたのはいつぶりだろうか。今感じる人の体温に戸惑いを感じた。
その男、もとい父に連れてこられたのは、立派なお屋敷だった。父はここが僕の新しい家だという。
門を通れば、部下らしき人達に頭を下げられていた。
この人は、きっと偉い人なのだろう。
弱冠5歳で、感じることが出来た。同時に、なんて相応しくない所に来てしまったのだろうと思い、自分の惨めさを痛感した。
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「陽はある意味、ちぃの誕生日プレゼントだね。」
父は茶目っ気たっぷりに笑う。
僕なんかがプレゼント?
両親には気味悪がられていた。そんな僕がプレゼントじゃ姉が可哀想だ。怒るだろうか、泣くだろうか、はたまた両方か。
僕は申し訳ない気持ちで父に呼ばれるまで別室で待つのであった。
しかし、姉は僕の想像を大きく覆した。
初めて合う姉に驚愕する。夢の女性に似ているからだ。だが、夢の女性はもっと年老いていた。きっと他人の空似だろうと自己解決する。
目の前に居る姉は僕を目を丸くして見ている。
……この人に見られたくない。
僕は急に怖くなる。
きっと僕を見れば姉も両親のように気味が悪いと思うはずだ。不安になっている僕をよそに姉は満面の笑みを浮かべている。
「陽くん、はじめまして。私は椿。今日で10歳なの。よろしくね?」
優しい声だった。そして、こんな僕を受け入れようとしている姉に驚く。何か、言わなければ。僕は勇気を振り絞って、人生で最初の自己紹介をした。一番丁寧は呼び方とは何だろうと、一瞬悩んだが、様を付ければそれっぽいと安直な考えで姉様と呼んだ。間違っていないだろうか。少し不安になる。
そして、差し出された手を見てまた悩む。
……触っていいのかな………?
しかし、差し出された手を握らないのはかえって失礼な気がする。
ぼくは恐る恐る手を握った。
温かい……。
その温かさは夢の女性と似ているような気がした。
姉の体温を感じていると、姉は僕の手を両手で握り返した。手を握り返されるのは初めてであり、かなり驚く。
「あぁ!なんて可愛い子なの!?」
……可愛い?
姉の顔をまじまじと見るが、嘘をついているように見えない。
不思議な人だ。
僕は姉の言葉に心の底から温かい気持になるのを感じた。初めての感覚で戸惑うが、僕は喜んでいるのだろう。
姉は嬉しそうに微笑んでいる。
初めて異性を可愛いと感じた瞬間であった。
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