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最近の私は、幾分体の調子が思わしくなく、不本意ながらベッドやソファーで横になっている事が多くなった。
……いや、正直に言おう、本当は幾分どころの話ではなく、すこぶる体調が悪い。それは日に日に酷くなり、子供達の前で体裁を繕えない程にまで悪くなり、私はそんな姿を彼らに晒したくなくて、日中は子供達を乳母に預けていた。
彼らには乳母を第2のお母さんとして『ママ』と呼ばせている。
今朝も、子供達を笑顔で乳母の元へ送り出した後、そのまま玄関で倒れ、風斗さんによって寝室のベッドに運ばれた。
「すみません、最近貧血が酷くて」
私は、風斗さんに心配をかけたくなくていつもそのように嘘をついていた。
「……無理はしちゃ駄目だよ」
風斗さんはそんな私から離れようとせず仕事が山のように滞っているようで、私はその事に対して負い目を感じていた。
「私は1人でも大丈夫ですから仕事に行って下さい。風斗さんはこの国の王なんですから、私情で政治や経済を疎かにしていけませんよ。それに、私の面倒は鳥取さんが見てくれますから、何も心配はいりません」
「でも俺も人間だ、私情くらいある。1分1秒でも翡翠のそばにいたいんだ」
風斗さんは悲壮感のある笑顔で私の手を握り締め、そこにキスをする。
画になる。この人はいつだって私の王子様だ。
「貧血如きで大袈裟ですね。私のせいで国の経済が止まっては、私の悪名が後世に残ってしまいます」
『さあ』と私が顎をしゃくると、風斗さんは思いの外あっさりとそれを受け入れてくれた。
いつもはかなり粘るのに、仕事が本当に詰んでいるのかも。
「今日は遅くなるから、ゆっくり休んで」
そう言って風斗さんは私のおでこにキスを落とし、部屋を出て行った。
それと同時に、私は張り詰めていた糸が切れるが如く、堪えていた胸の苦しみにのたうち回って悶え苦しむ。
「ハァッ、ハァッ、ヴゥ、ウェッ……」
しってんばっとう、出産の痛みに匹敵するくらいの辛さに、私は必死に壁を叩いて鳥取さんを呼んだ。
モルヒネを打ってもらう為だ。
鳥取さんにモルヒネを打ってもらい、胸の痛みや苦しみはみるみる麻痺していったが、それに反比例して罪悪感や自分への不甲斐なさに酷い自己嫌悪に襲われた。
「末期だ……」
布団から手足を投げ出し、虚ろな目で床を眺めていると、双子が共有している小さな靴下が落ちている事に気付く。それは子供に人気のキャラクター物で、自分の手の半分くらいしか無い大きさだ。
「小さい足だな……」
そう、何気なく口にすると『あぁ、私は子供達の成長を見届ける事が出来ないんだな』と頭に浮かび、目頭が熱くなった。
「駄目だ、泣くな。泣くのは諦めを認めた事になる。私は王妃で母親なんだから、最期まで毅然としていなきゃ」
自分の母親がそうであったように、自分も強くありたい。あの人は銃殺されるその時まで、私、兄、父を庇い、一番最初に死んでいった勇敢な人だ。
「私にはまだまだやらなければならない事が沢山ある。私の為に自ら犠牲を払ったユーリに恥じぬよう、今度は私が体を張って世界を変えなければ」
たとえこの身が尽きようとも、誰かの幸せに繋がるのなら、私は最期まで戦う。絶対に無駄死になんかしてやらない。
私は起き上がり、サイドテーブルに置いていたパソコンを膝に乗せた。
意識が朦朧とするなか、暫くパソコンで仕事をこなしていると、珍しく寝室のドアがノックされた。
「え、鳥取さんはノックをするデリカシーもないのに……」
かと言って家族の誰にもそんな習慣はない。
「まさか、誰か来客?」
と言っても、部屋の鍵を持っている鳥取さんならまだしも、いきなり寝室を訪ねて来る人物に心当たりはない。普通はコンシェルジュの鳥取さんが来客を取り次ぎ、リビングへ招き入れるものだが、孤高の王である風斗さんには自宅を訪ねて来てくれる友人もいないし、その王妃である私もまた然りだ。
「ど、泥棒ですかっ⁉」
私が思わず間抜けな質問をすると、ドアの向こうからクスクスと笑い声がする。
そしてドアが開けられると、そこに2人の男性が立っていた。
「翠っ⁉鷹雄さんっ⁉」
少し風貌は変わっていたが、見まごう筈もない。翠と鷹雄さんだった。
「こんにちは、翡翠」
──と翠。歳はとったが、彼は当時と変わらぬ爽やかさで白い歯を見せて微笑んでいる。
「やあ、翡翠、すばらぐ~」
──と鷹雄さん、相変わらずのチャラさで……って、なんで訛ってんの⁉
いや、そんな事より……
「なんで、どうして⁉鷹雄さんはともかく、翠は全国指名手配中でしょっ⁉」
旅に出た鷹雄さんは別として、翠は木葉とかけおちをして行方をくらませていた筈だ。それが何故、わざわざ危険をおかしてまで城へ逆戻りしているのか?
「世界を巡っていた鷹雄に一報が入ってさ、そこから俺に連絡が来て、2人で城に忍び込んだって訳」
「一報って、誰が?何の?」
私はパソコンを押しのけ、前のめりに尋ねた。
誰が、何の為に一報を?
それにどうして2人は厳戒態勢のペントハウスに容易く入れたんだ?
聞きたい事は山程ある。
「鳥取だよ。探偵を使って俺の居場所を突き止めたんだ。最初は翠をはめる為の罠かと思ってたけど、王妃様が体調を崩しているからどうしても会ってくれないかって頭を下げてきて……翡翠、だいぶしんどいんだろ?」
そう言って鷹雄さんが私の背中に手を回してきた。
鳥取さんが?
あの嫌味な鳥取さんがそんな事をしてくれていたなんて、これはホントに、ジンとくる。
「今は薬を打ってもらったので全然楽ですよ」
「モルヒネだろ?」
かつての私の主治医であった鷹雄さんに嘘は通じない。私は二の句が告げられなかった。
「モルヒネは末期患者の痛みを和らげる為の薬だ。本当は辛いのは分かってるよ。翡翠が低体温症でうちに来た時から、お前には、10代までの命だろうと話してあっただろう?俺には素直に辛いって言っていいんだよ」
それは、私と鷹雄さんだけの秘密だった。
私には生まれ持っての欠陥があり、それを見抜いていた鷹雄さんから長生きは難しいと言われていた。
「……はい」
その病が、今になって猛威を振るっているという訳だ。
自分でも解る。私はもう長くない。
「20歳まで生きられないと思ってたのに、お前は子供を3人も産んで、そのうえユリのお菓子をブランド化してユリ基金なんてのも発足してさ、マジでスゲーよ。オマケにユリみたいな可哀想な子供が二度と出ないように尽力してくれて、ありがとうな。きっとユリもあの世で喜んでるよ」
鷹雄さんからニギニギとイヤらしい手付きで肩を揉まれ、私は肩を怒らせてゾッとする。
あぁ、これこれ、この、鳥肌が立つ鷹雄さんとのスキンシップ、懐かしいな。話の内容が全然頭に入ってこなかった。
──それはさておき、私のしてきた事で本当にユリが喜んでいてくれたら、私の努力はお釣りがくるくらい報われたと思う。
「それにしても忍び込んだって……」
「それも鳥取が手引きしてくれて、あいつの後ろに付いて行ったら従業員通路から難なく入れたよ、タッハー」
タッハーて、鷹雄さん、んなのんきな。この人は大人なのに事の重大さが解っていないのだろうか?
でも、こういう緊張感のないところが鷹雄さんのいいところで、いかに暗い空気でも、この人はなんてこと無く払拭してしまう。だから私は彼のそういうところが好きだった。
「でも翠、翠は見つかったらその場で射殺されるのに……」
「大丈夫だよ。たとえ射殺されても、俺はもう孫の顔まで拝めているから思い残す事はない」
「え、孫?」
子供を通り越していきなり孫?
どういう事かさっぱりだ。
「そう、孫。木葉の子供」
木葉の子供って事は、当然2人の子か。翠ったら、木葉の事は(女性として)愛していないって言っていたのに、隅におけないな。
「翠の子供?」
それにしたってなんで『孫』呼びなんだ?
私が首を傾げると、翠は笑いながら首を横に振った。
「違うよ。木葉は商人の青年と結婚して家族3人でひっそりと幸せに暮らしてる。今は、2人目を妊娠中でね、翡翠に凄く会いたがってたんだけど、危ないし、大事な時期だから連れて来なかったんだ。これは木葉からの差し入れだよ」
と言って翠から袋いっぱいのポンカンを渡された。ポンカンにはマジックで様々な顔が描かれており、それらは全て笑顔だった。
「ふふ、木葉らしい」
まるで私を励ましているかのよう。
親になっても、子供っぽいところは変わらないんだなあ。木葉の子供も、木葉みたいに純粋で素直な良い子に育つに違いない。
「だろ?」
「でも意外だった。なんだかんだ言いながら、翠は木葉に押し切られて結婚するんだとばかり思ってた。木葉って、何でも一直線だから、一度言い出したらきかないし」
当時から木葉の目には翠しか映っていなかったのに、私の知らない間に一体どんなドラマがあったのだろう?
「それは、ね、最初は俺と一緒になるってきかなかったんだけど、俺はこれまでも、これからも紅玉しか愛せないから、木葉にぴったりな人を探して2人をくっつけたんだ」
翠は、木葉と指南で挿入以外の体の関係を結んできたというのに、よくそんなにあっさりと他の男を当てがえたもんだ……どっかで聞いたような話だな。
「よくそれで纏まりましたね」
そもそも木葉は翠一筋だったのに、そうやすやすと心変わりするだろうか?
「なかなか一筋縄ではいかなかったけど、この商人の子がとても良い子でね、結果的に木葉の方から彼にプロポーズして今に至ったって訳。木葉には、自由に恋愛して本当に好きな相手と結婚してほしかったから、今は別々に暮らしてるけど、俺はそれだけで幸せなんだ」
「そうですね。木葉が幸せなら、それでいいのかもしれません。でも別々に暮らしてるって、翠は寂しくないんですか?」
「今は、田舎の教会で牧師をしているからね、身寄りの無い子供達を引き取って賑やかに暮らしてるよ」
翠にはかねがね聖人ぽいところがあったから、これもまた彼らしい選択だと思った。
「因みに俺は仏門に入ったんだよー?」
頭上からにゅっと鷹雄さんが顔を出し、そちらの方でも私を驚かせた。
「え、仏門⁉」
それはまたギャップの激しい事で──
「そう。ユリが亡くなったとこの土を鉢に入れてさ、それを連れて世界中を旅したけど、最果ての地に到達した時、そこをユリの墓にしたんだ。そしてこれからの俺の人生、ユリに全て捧げようと思って出家したんだ。つまり墓守り、かな?」
「ユリのお墓がある場所って、どんな所なんですか?」
「平和な場所」
「いい所ですね」
ユリが安心して眠れるいい場所だ。
「だろ?時に翡翠、セキレイとはちゃんと話したのか?」
鷹雄さんが言いたいのは、俗に言う『最期の挨拶』の事だ。
「……いえ。だって育ての親に弱ってるとこなんか見せられないじゃないですか。わざわざ悲しませるような親不孝はしたくありません。だから、家族にも悟られぬよう隠してきました」
「いや、相当酷いのに、隠しきれるものでもないだろ?」
「そこらへんは気合いとモルヒネでなんとか……でも、モルヒネでおかしくなった姿は見せたくなくて、家族がいない時だけ鳥取さんに打ってもらってます」
「お前はよく自分を保ってるよ」
ポンポンと鷹雄さんから優しく頭を撫でられ、私は、昔こうしてセキレイさんにも頭を撫でてもらったな、なんて思い出を噛み締める。
「ありがとうございます、鷹雄さん」
「今、子供達はどこにいるの?ペントハウスにはいないよね?」
と言って翠はリビングの方を指差した。
「乳母に預けてます。私がいなくなった後は彼女があの子達の母親となりますから、今から親離れさせないと」
「1分1秒でも一緒にいた方が翡翠も、子供達の為にもなるんじゃないの?」
翠が言いたい事も解るし、私がまだ元気だった時は彼と同じ考えだったけれど、自分の思いだけでこの弱った体を子供達に晒すのは可哀想だと思ったのだ。母親が日に日に死に近付く姿なんか見たら、一生もののトラウマになるだろう。
「本心を言えば一時だってそばを離れたくはないんです。でも私には後がありませんから、こういうのは早い方がいいんです」
私は、辛そうな表情を2人に読み取られたくなくて視線を自分の手に移す。
生命力の無い、小枝みたいな手になってしまったな。婚約指輪がブカブカだ。
「翡翠……道理は解るけど、それじゃあお前が辛すぎるだろ?」
「翠、私は母親ですから、子供の為にならない事の方が辛いんですよ」
体の辛さより、そっちの方が何倍も辛い。
死を待つばかりの私はいい。でも優先すべきは、残された側の今後だ。
「お前はどうしてこんな時でも強いんだ?さすがだよ」
急に翠が私に背を向け、声を詰まらせた。
完全無欠のお兄さんが、珍しい事だ。
本当に、本当の兄みたいだ。
「ごめん」
──と言った翠の肩が小刻みに震えている。
しんみりとした空気が室内を覆ったかと思うと、これまた急に鷹雄さんが翠の脳天にチョップ(かなり強め)をかました。
「イタッ!!」
翠が衝撃で前かがみになり、鷹雄さんがその姿を見て高笑いする。
え、なんで?
「ヒャッハー!!通夜みてーだな、オイ」
「おい、不謹慎な冗談は止めろ。お前は昔からここぞという時にやってはいけない事ばかりして、大学でインターンをしてた時だって、実はノーパンで手術の様子を記録してたって噂が流れてて──ネチネチクドクド……これだからお前は──」
翠は鷹雄さんの襟首を掴み、間近でネチネチと説教を始めた。
「フフッ」
私は、あまりの見慣れた光景につい笑いがこみ上げる。
懐かしいな、こういうの。セキレイさんもよくこうして翠から説教されてたっけ。
セキレイさんがいたらなぁ……
「……なんて。ではまた、今度はポンカンのお礼に林檎を用意しますね」
私は翠から貰ったポンカンの袋を高らかに持ち上げた。
凄く重い……
ポンカンを持つ腕がプルプルと震え、私はそれが2人にバレぬよう即座に腕を下げる。
「うん、次こそは木葉や木葉の子供にも会わせるよ」
「楽しみにしてます。鷹雄さん、今度、ユリのお墓に連れてって下さいね。おっぱいのプリンをお供えするんだ」
「分かった。約束だ」
「じゃあね、2人共、またね」
私が笑顔で手を振ると、2人も笑ってそれに応えてくれた。
「じゃあ、またね、翡翠」
──と翠。
「またな」
──と鷹雄さん。
「また」
多分、いや、きっと『また』という機会は来ないけれど、私達の別れの挨拶はこれで良かった。
2人共元気そうで良かった。
……いや、正直に言おう、本当は幾分どころの話ではなく、すこぶる体調が悪い。それは日に日に酷くなり、子供達の前で体裁を繕えない程にまで悪くなり、私はそんな姿を彼らに晒したくなくて、日中は子供達を乳母に預けていた。
彼らには乳母を第2のお母さんとして『ママ』と呼ばせている。
今朝も、子供達を笑顔で乳母の元へ送り出した後、そのまま玄関で倒れ、風斗さんによって寝室のベッドに運ばれた。
「すみません、最近貧血が酷くて」
私は、風斗さんに心配をかけたくなくていつもそのように嘘をついていた。
「……無理はしちゃ駄目だよ」
風斗さんはそんな私から離れようとせず仕事が山のように滞っているようで、私はその事に対して負い目を感じていた。
「私は1人でも大丈夫ですから仕事に行って下さい。風斗さんはこの国の王なんですから、私情で政治や経済を疎かにしていけませんよ。それに、私の面倒は鳥取さんが見てくれますから、何も心配はいりません」
「でも俺も人間だ、私情くらいある。1分1秒でも翡翠のそばにいたいんだ」
風斗さんは悲壮感のある笑顔で私の手を握り締め、そこにキスをする。
画になる。この人はいつだって私の王子様だ。
「貧血如きで大袈裟ですね。私のせいで国の経済が止まっては、私の悪名が後世に残ってしまいます」
『さあ』と私が顎をしゃくると、風斗さんは思いの外あっさりとそれを受け入れてくれた。
いつもはかなり粘るのに、仕事が本当に詰んでいるのかも。
「今日は遅くなるから、ゆっくり休んで」
そう言って風斗さんは私のおでこにキスを落とし、部屋を出て行った。
それと同時に、私は張り詰めていた糸が切れるが如く、堪えていた胸の苦しみにのたうち回って悶え苦しむ。
「ハァッ、ハァッ、ヴゥ、ウェッ……」
しってんばっとう、出産の痛みに匹敵するくらいの辛さに、私は必死に壁を叩いて鳥取さんを呼んだ。
モルヒネを打ってもらう為だ。
鳥取さんにモルヒネを打ってもらい、胸の痛みや苦しみはみるみる麻痺していったが、それに反比例して罪悪感や自分への不甲斐なさに酷い自己嫌悪に襲われた。
「末期だ……」
布団から手足を投げ出し、虚ろな目で床を眺めていると、双子が共有している小さな靴下が落ちている事に気付く。それは子供に人気のキャラクター物で、自分の手の半分くらいしか無い大きさだ。
「小さい足だな……」
そう、何気なく口にすると『あぁ、私は子供達の成長を見届ける事が出来ないんだな』と頭に浮かび、目頭が熱くなった。
「駄目だ、泣くな。泣くのは諦めを認めた事になる。私は王妃で母親なんだから、最期まで毅然としていなきゃ」
自分の母親がそうであったように、自分も強くありたい。あの人は銃殺されるその時まで、私、兄、父を庇い、一番最初に死んでいった勇敢な人だ。
「私にはまだまだやらなければならない事が沢山ある。私の為に自ら犠牲を払ったユーリに恥じぬよう、今度は私が体を張って世界を変えなければ」
たとえこの身が尽きようとも、誰かの幸せに繋がるのなら、私は最期まで戦う。絶対に無駄死になんかしてやらない。
私は起き上がり、サイドテーブルに置いていたパソコンを膝に乗せた。
意識が朦朧とするなか、暫くパソコンで仕事をこなしていると、珍しく寝室のドアがノックされた。
「え、鳥取さんはノックをするデリカシーもないのに……」
かと言って家族の誰にもそんな習慣はない。
「まさか、誰か来客?」
と言っても、部屋の鍵を持っている鳥取さんならまだしも、いきなり寝室を訪ねて来る人物に心当たりはない。普通はコンシェルジュの鳥取さんが来客を取り次ぎ、リビングへ招き入れるものだが、孤高の王である風斗さんには自宅を訪ねて来てくれる友人もいないし、その王妃である私もまた然りだ。
「ど、泥棒ですかっ⁉」
私が思わず間抜けな質問をすると、ドアの向こうからクスクスと笑い声がする。
そしてドアが開けられると、そこに2人の男性が立っていた。
「翠っ⁉鷹雄さんっ⁉」
少し風貌は変わっていたが、見まごう筈もない。翠と鷹雄さんだった。
「こんにちは、翡翠」
──と翠。歳はとったが、彼は当時と変わらぬ爽やかさで白い歯を見せて微笑んでいる。
「やあ、翡翠、すばらぐ~」
──と鷹雄さん、相変わらずのチャラさで……って、なんで訛ってんの⁉
いや、そんな事より……
「なんで、どうして⁉鷹雄さんはともかく、翠は全国指名手配中でしょっ⁉」
旅に出た鷹雄さんは別として、翠は木葉とかけおちをして行方をくらませていた筈だ。それが何故、わざわざ危険をおかしてまで城へ逆戻りしているのか?
「世界を巡っていた鷹雄に一報が入ってさ、そこから俺に連絡が来て、2人で城に忍び込んだって訳」
「一報って、誰が?何の?」
私はパソコンを押しのけ、前のめりに尋ねた。
誰が、何の為に一報を?
それにどうして2人は厳戒態勢のペントハウスに容易く入れたんだ?
聞きたい事は山程ある。
「鳥取だよ。探偵を使って俺の居場所を突き止めたんだ。最初は翠をはめる為の罠かと思ってたけど、王妃様が体調を崩しているからどうしても会ってくれないかって頭を下げてきて……翡翠、だいぶしんどいんだろ?」
そう言って鷹雄さんが私の背中に手を回してきた。
鳥取さんが?
あの嫌味な鳥取さんがそんな事をしてくれていたなんて、これはホントに、ジンとくる。
「今は薬を打ってもらったので全然楽ですよ」
「モルヒネだろ?」
かつての私の主治医であった鷹雄さんに嘘は通じない。私は二の句が告げられなかった。
「モルヒネは末期患者の痛みを和らげる為の薬だ。本当は辛いのは分かってるよ。翡翠が低体温症でうちに来た時から、お前には、10代までの命だろうと話してあっただろう?俺には素直に辛いって言っていいんだよ」
それは、私と鷹雄さんだけの秘密だった。
私には生まれ持っての欠陥があり、それを見抜いていた鷹雄さんから長生きは難しいと言われていた。
「……はい」
その病が、今になって猛威を振るっているという訳だ。
自分でも解る。私はもう長くない。
「20歳まで生きられないと思ってたのに、お前は子供を3人も産んで、そのうえユリのお菓子をブランド化してユリ基金なんてのも発足してさ、マジでスゲーよ。オマケにユリみたいな可哀想な子供が二度と出ないように尽力してくれて、ありがとうな。きっとユリもあの世で喜んでるよ」
鷹雄さんからニギニギとイヤらしい手付きで肩を揉まれ、私は肩を怒らせてゾッとする。
あぁ、これこれ、この、鳥肌が立つ鷹雄さんとのスキンシップ、懐かしいな。話の内容が全然頭に入ってこなかった。
──それはさておき、私のしてきた事で本当にユリが喜んでいてくれたら、私の努力はお釣りがくるくらい報われたと思う。
「それにしても忍び込んだって……」
「それも鳥取が手引きしてくれて、あいつの後ろに付いて行ったら従業員通路から難なく入れたよ、タッハー」
タッハーて、鷹雄さん、んなのんきな。この人は大人なのに事の重大さが解っていないのだろうか?
でも、こういう緊張感のないところが鷹雄さんのいいところで、いかに暗い空気でも、この人はなんてこと無く払拭してしまう。だから私は彼のそういうところが好きだった。
「でも翠、翠は見つかったらその場で射殺されるのに……」
「大丈夫だよ。たとえ射殺されても、俺はもう孫の顔まで拝めているから思い残す事はない」
「え、孫?」
子供を通り越していきなり孫?
どういう事かさっぱりだ。
「そう、孫。木葉の子供」
木葉の子供って事は、当然2人の子か。翠ったら、木葉の事は(女性として)愛していないって言っていたのに、隅におけないな。
「翠の子供?」
それにしたってなんで『孫』呼びなんだ?
私が首を傾げると、翠は笑いながら首を横に振った。
「違うよ。木葉は商人の青年と結婚して家族3人でひっそりと幸せに暮らしてる。今は、2人目を妊娠中でね、翡翠に凄く会いたがってたんだけど、危ないし、大事な時期だから連れて来なかったんだ。これは木葉からの差し入れだよ」
と言って翠から袋いっぱいのポンカンを渡された。ポンカンにはマジックで様々な顔が描かれており、それらは全て笑顔だった。
「ふふ、木葉らしい」
まるで私を励ましているかのよう。
親になっても、子供っぽいところは変わらないんだなあ。木葉の子供も、木葉みたいに純粋で素直な良い子に育つに違いない。
「だろ?」
「でも意外だった。なんだかんだ言いながら、翠は木葉に押し切られて結婚するんだとばかり思ってた。木葉って、何でも一直線だから、一度言い出したらきかないし」
当時から木葉の目には翠しか映っていなかったのに、私の知らない間に一体どんなドラマがあったのだろう?
「それは、ね、最初は俺と一緒になるってきかなかったんだけど、俺はこれまでも、これからも紅玉しか愛せないから、木葉にぴったりな人を探して2人をくっつけたんだ」
翠は、木葉と指南で挿入以外の体の関係を結んできたというのに、よくそんなにあっさりと他の男を当てがえたもんだ……どっかで聞いたような話だな。
「よくそれで纏まりましたね」
そもそも木葉は翠一筋だったのに、そうやすやすと心変わりするだろうか?
「なかなか一筋縄ではいかなかったけど、この商人の子がとても良い子でね、結果的に木葉の方から彼にプロポーズして今に至ったって訳。木葉には、自由に恋愛して本当に好きな相手と結婚してほしかったから、今は別々に暮らしてるけど、俺はそれだけで幸せなんだ」
「そうですね。木葉が幸せなら、それでいいのかもしれません。でも別々に暮らしてるって、翠は寂しくないんですか?」
「今は、田舎の教会で牧師をしているからね、身寄りの無い子供達を引き取って賑やかに暮らしてるよ」
翠にはかねがね聖人ぽいところがあったから、これもまた彼らしい選択だと思った。
「因みに俺は仏門に入ったんだよー?」
頭上からにゅっと鷹雄さんが顔を出し、そちらの方でも私を驚かせた。
「え、仏門⁉」
それはまたギャップの激しい事で──
「そう。ユリが亡くなったとこの土を鉢に入れてさ、それを連れて世界中を旅したけど、最果ての地に到達した時、そこをユリの墓にしたんだ。そしてこれからの俺の人生、ユリに全て捧げようと思って出家したんだ。つまり墓守り、かな?」
「ユリのお墓がある場所って、どんな所なんですか?」
「平和な場所」
「いい所ですね」
ユリが安心して眠れるいい場所だ。
「だろ?時に翡翠、セキレイとはちゃんと話したのか?」
鷹雄さんが言いたいのは、俗に言う『最期の挨拶』の事だ。
「……いえ。だって育ての親に弱ってるとこなんか見せられないじゃないですか。わざわざ悲しませるような親不孝はしたくありません。だから、家族にも悟られぬよう隠してきました」
「いや、相当酷いのに、隠しきれるものでもないだろ?」
「そこらへんは気合いとモルヒネでなんとか……でも、モルヒネでおかしくなった姿は見せたくなくて、家族がいない時だけ鳥取さんに打ってもらってます」
「お前はよく自分を保ってるよ」
ポンポンと鷹雄さんから優しく頭を撫でられ、私は、昔こうしてセキレイさんにも頭を撫でてもらったな、なんて思い出を噛み締める。
「ありがとうございます、鷹雄さん」
「今、子供達はどこにいるの?ペントハウスにはいないよね?」
と言って翠はリビングの方を指差した。
「乳母に預けてます。私がいなくなった後は彼女があの子達の母親となりますから、今から親離れさせないと」
「1分1秒でも一緒にいた方が翡翠も、子供達の為にもなるんじゃないの?」
翠が言いたい事も解るし、私がまだ元気だった時は彼と同じ考えだったけれど、自分の思いだけでこの弱った体を子供達に晒すのは可哀想だと思ったのだ。母親が日に日に死に近付く姿なんか見たら、一生もののトラウマになるだろう。
「本心を言えば一時だってそばを離れたくはないんです。でも私には後がありませんから、こういうのは早い方がいいんです」
私は、辛そうな表情を2人に読み取られたくなくて視線を自分の手に移す。
生命力の無い、小枝みたいな手になってしまったな。婚約指輪がブカブカだ。
「翡翠……道理は解るけど、それじゃあお前が辛すぎるだろ?」
「翠、私は母親ですから、子供の為にならない事の方が辛いんですよ」
体の辛さより、そっちの方が何倍も辛い。
死を待つばかりの私はいい。でも優先すべきは、残された側の今後だ。
「お前はどうしてこんな時でも強いんだ?さすがだよ」
急に翠が私に背を向け、声を詰まらせた。
完全無欠のお兄さんが、珍しい事だ。
本当に、本当の兄みたいだ。
「ごめん」
──と言った翠の肩が小刻みに震えている。
しんみりとした空気が室内を覆ったかと思うと、これまた急に鷹雄さんが翠の脳天にチョップ(かなり強め)をかました。
「イタッ!!」
翠が衝撃で前かがみになり、鷹雄さんがその姿を見て高笑いする。
え、なんで?
「ヒャッハー!!通夜みてーだな、オイ」
「おい、不謹慎な冗談は止めろ。お前は昔からここぞという時にやってはいけない事ばかりして、大学でインターンをしてた時だって、実はノーパンで手術の様子を記録してたって噂が流れてて──ネチネチクドクド……これだからお前は──」
翠は鷹雄さんの襟首を掴み、間近でネチネチと説教を始めた。
「フフッ」
私は、あまりの見慣れた光景につい笑いがこみ上げる。
懐かしいな、こういうの。セキレイさんもよくこうして翠から説教されてたっけ。
セキレイさんがいたらなぁ……
「……なんて。ではまた、今度はポンカンのお礼に林檎を用意しますね」
私は翠から貰ったポンカンの袋を高らかに持ち上げた。
凄く重い……
ポンカンを持つ腕がプルプルと震え、私はそれが2人にバレぬよう即座に腕を下げる。
「うん、次こそは木葉や木葉の子供にも会わせるよ」
「楽しみにしてます。鷹雄さん、今度、ユリのお墓に連れてって下さいね。おっぱいのプリンをお供えするんだ」
「分かった。約束だ」
「じゃあね、2人共、またね」
私が笑顔で手を振ると、2人も笑ってそれに応えてくれた。
「じゃあ、またね、翡翠」
──と翠。
「またな」
──と鷹雄さん。
「また」
多分、いや、きっと『また』という機会は来ないけれど、私達の別れの挨拶はこれで良かった。
2人共元気そうで良かった。
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