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待ってくれている人
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今日は一日南部国へ視察に来ていたが、何も手につかなかった。
いや、ここ最近ずっとそうか。
色々と冷静に物事を考えたいのに、照りつける日差しと頬を打つ熱砂のせいで頭の中はオーバーヒートしている。
俺は側近数名とセキレイと共にお忍びで南部国の奴隷市を視察していたが、奴の横顔を見てはため息ばかりついていた。
妬ましい。
翡翠には幸せになってもらいたいが、セキレイへの嫉妬心は抑えられない。
セキレイと翡翠がイチャこいてるシーンなんか想像したら、気が狂ってしまいそうだ。
羨ましい。
俺はこれまで欲しい物はなんでも手に入れてきたけれど、その全てをなげうってでも翡翠がほしいと思っている。
──ただ、無理に翡翠を手に入れたところで、心がそこに無ければ何の意味もないのだ。
結局、親から引き離したカルガモの雛は親の元へと戻って行ってしまう、そういう事だ。
……そういう事か?
「……」
今夜、セキレイに翡翠を奪われる(?)のかと思うと、ちょっと気まずい。
セキレイが客で賑わう奴隷市の内情を探るなか、俺は一歩距離をおいてその様子をチラチラと窺う。
「酷いありさまだな」
セキレイは一軒の奴隷店の前で足を止める。
「ここはまるで変わってない」
彼が嘆いた先にあったのは、奴隷入りのケージが山積みにされたボロボロのテント。この手のテントが、道の両脇をズラッとかためている。
「お、に、い、さ、ん、調教師だろ?」
手前のケージに入っていた、少年とも少女ともつない子供が目深に布を被り、格子の間から手を伸ばしてこまねく。
モヤシみたいになまっちょろい腕だ。
「なんでわかった?」
セキレイは砂地に片膝を着き、子供と同じ目線で尋ねる。
「ここに来るのは調教師か、ロリショタの変態だけだよ。ちょうど、そっちのお兄さんみたいに」
俺が『そっちのお兄さん』と子供に指を指され、無意識に後ろを振り返ると、セキレイから『お前の事に決まってんだろ』と悪態をつかれた。
言っておくが、俺は北部国を統治する首領だぞ?
国を代表する変態である事は否めないが。
「いい眼をしてるな。俺は元調教師で、あっちのお兄さんは、アッチのお兄さんなんだ」
いや、どっちだよ。
「なんだ、元調教師か。元調教師がここに何のご用事で?」
子供は少しガッカリした様子で手を引っ込めた。
「昔ここで献上品候補を買い付けたんだけど、今はどうなってるのかなって、見に来たんだ」
「へぇ、どうだった?」
セキレイは辺りを見回し『ハァ』と軽くため息をつく。
「何も変わってなくて驚いてる」
「あぁそう、今も昔も最悪か」
「みたいだな」
「お兄さんは、もう調教師はやらないの?」
子供は再びセキレイに向けて手を伸ばし、彼の太腿をサラッと裏手で撫でた。
まるで子供の手付きじゃない。滑稽な中に、悲壮感が漂う。
ここは闇が深い所だ。長年民主主義でやってきた南部国だが、それにあぐらをかいた人身売買組織どもがゴキブリみたいにはびこっている。先王の没後は我が国で統制をはかってきたが、事実上、北部国政府が人身売買に関わっている為、闇市と言っても、野放し状態だ。
「やらない。2度、献上品を育てたが、可哀想なもんだった。お前は献上品になりたいのか?」
「なりたい、けど、なりたくない。でもならないと、もっともっと最悪な人生が待ってるからね」
最悪な人生か……献上品やこういった奴隷の子供達は皆、生きる為にイヤイヤ献上品をやるのか。
確か、翡翠もこの奴隷市で売られていたという。
翡翠も、同じような事を思ったりしていたんだろうな。
俺は後ろめたい気持ちでいっぱいだった。
誰が始めたか知らない献上品制度だが、そのせいで苦しむ子供達が大勢いる事は、まるで自分の罪のように罪深い。
何も言えない。
「献上品になれなかった奴隷はさ、セレブに買い取られるか、色んな形で色を売るか、肉体労働させられるか、戦地の前線に連れて行かれるか、使えない者はバラバラにされて──」
「おい、商人、この子供をくれ」
セキレイは子供の話を遮り、急に立ち上がってガマガエルみたいな中年の男性店員を呼んだ。
「え、セキレイ、今日は視察に来ただけだろ?なんで奴隷を?」
もう一度調教師でもやろうって言うんじゃないだろうな?
「俺はこれからこの国の国王──責任者になるんだ、今はまだこの子供1人しか救えないかもしれないが、今に奴隷制度自体を無くして、ここにいる全員を救う。だから、これがその第一歩だ。この子供は南部国の従業員見習いとして勉強させる」
こんな事をさらりと言ってのける我が兄は、悔しいけどかっこいい。
俺よりもずっと国王らしい。
「それに、ここにいる子供達を見ていると……胸が痛むんだ」
翡翠を見ているようで?
俺だってそう思ったさ。思ったけれど、俺は政府の傀儡だから、その場で誰かを救うなんて事は出来なかった。
憎らしい。セキレイは俺とは真逆の後先考えない直情型だが、そんな風に感情的に行動するなんて、俺には出来ない。
なんでこの男はそんなに行動がスマートなのか……俺が翡翠でも、この男に惚れてた。
「それで風斗様、お金貸して下さい」
セキレイはこちらを振り返り、当たり前のように手を差し出す。
前言撤回だ。
クレカを信用していないセキレイは、現金を持ち合わせていなかったらしい。
それでも、俺の意識は劇的に変わっていって、俺も、兄みたいにかっこいい国王になりたいと思った。
そしてそんな兄に、翡翠を任せられると改めて確信した。
その後、午後にはセキレイと別れ、俺は独り、南部国の地下歓楽街へと来ていた。
ここは硬い地盤を利用した洞窟の様な所で、通りの両サイドにはパブやバー等の夜の店が蟻の巣状に広がっている。その殆どが、無許可の闇営業なのだろう。看板が無い店ばかりだ。一歩細い路地へ入って行くと治安の悪い無法地帯に出くわすと聞くが、なるほど、そんな不穏な空気感がある。窓が無くて薄暗いせいか?
俺はあてもなくブラブラとその辺を視察すると、一軒の寂れたバーへと入り、そこで強い酒を頼んだ。
久々のロックは喉にくる。
「消毒液のフレーバーだ」
俺はあまり好んで酒を飲むことはないが、今日は浴びる程飲みたい気持ちだった。
誰もいない部屋に戻るのが憂鬱だ。かと言って鳥取に出迎えられるのも何か嫌だ。
「もう、こんな時間か」
歪んで見える腕時計から察するに、既に夜も更けているようで──
何杯飲んだだろう?
目の前がうるうるして霞む。椅子から立ち上がると足元がおぼつかないし、どこかフワフワしている。
「遅く……なった、な」
セキレイは戻ってから翡翠と合流し、とっくに2人で北部国を出て行っただろう。
「……帰らないと」
そう思うのに、足は鉛の様に重い。
これは何も泥酔して前後不覚になっているからという事だけではない。気持ちの問題が主たる原因だ。
睡魔も相まって、このままここで寝落ちしてしまいたい。
「……帰ろう」
国王がこんな所で泥酔している訳にはいかない。
冷え切った我が家に帰ろうじゃないか。
俺が千鳥足で店を出ると、帰らせた筈の側近2人に捕まり、そのまま車に乗せられ自国の城へと連行された。
贅沢な話、俺を待っていてくれるのは、事務的な側近達だけだ。
城に戻り、今度こそ側近達を帰らせ、俺は独りでエレベーターへと乗り込み、人肌を求めて側室フロアのボタンを押そうとして、やめた。
自分を慰める為に女の胸を借りるなんて相手に失礼だし、そんな風に寂しさを紛らわせたところで気が晴れるとも思えなかった。
冷え切った我が家に帰ろうじゃないか(2回目)
俺は覚悟を決めて自室フロアのボタンを押した。
俺はなんとか部屋の前までやって来て、大きく深呼吸した後、ドアを開けた。
「ただいま」
つい、人がいるていで言ってしまったが、部屋の明かりがついている事に気付き、鳥取でも来ていたのだろうと思った。
帰りが遅くなったから、心配して部屋で待っていたのか?
……気持ち悪いな、嫁か!
それにしても、酔いどれの鼻腔に何やら独特な魚臭さを感じる。
なんだ?
この、芳ばしいようで生焼けな感じの魚臭さは?
俺が困惑して靴を脱ぎ散らかすと、リビングからそこにいるはずのない人間がひょっこりと顔を出した。
「おかえりなさい」
「えっ⁉」
俺はあまりの驚きによろめき、壁に寄りかかる。
「翡翠、なんで!?」
そこにいたのはエプロン姿の翡翠で、彼女の目の下にはクマが出来ていた。
「あ、大丈夫ですか?」
翡翠がこちらに駆け寄り、俺の体を支えてリビングへと引っ張る。
どうでもいいが、華奢な割に力が強いな……
「だから何でここにいるんだ?」
そうだ、翡翠はセキレイとここを出る算段だった筈だ。それがなぜ、エプロン姿で俺の帰りを待っていたんだ?
「とりあえずソファーに座って下さい」
俺はソファーに座らされ、小走りにキッチンへ行った翡翠からミネラルウォーターのボトルを渡される。
「だいぶ深酒したようですね。新婚なんですから、ほどほどにして下さい」
ニコニコと翡翠に咎められ、俺は少し落ち着く。
「なんでセキレイと行かなかった?」
「行ってほしかったんですか?」
翡翠は俺の前に座り込み、俺の靴下を脱がせた。
「行ってほしくないに決まってるだろ。でも、翡翠が本当に好きなのはセキレイだって知ってるから、絶対セキレイについて行くと思ってた」
「浅見ですね。私を見くびってはいけません。私は風斗さんの妻で、貴方を愛し、支えると決めたんですから、絶対に風斗さんを裏切ったりしません。私は誰の言う事も聞きませんが、自分の決めた事だけは絶対に守ります」
それはただの我儘なんじゃあ……
「けど、俺は翡翠に酷い事ばかりしてきただろ?」
認めよう。俺は、嫁に逃げられて当然の男だ。
「でも風斗さんは、私が過去に乱暴を受けた事を受け止めたうえで、私を抱かなかったじゃないですか。風斗さんと言えば、あの鷹雄さんを凌ぐド変態で、とんでもない鬼畜だったのに、です」
「翡翠、言葉には気をつけて」
ストレート、直球はさすがの鬼畜でも傷付く。
「すみません。でも、相手を傷付けたくないと思うのが本当の愛ですから、私は風斗さんについて行こうと決めたんです」
「本当の愛?」
これが……
青天の霹靂だった。
俺はこれまで、心から翡翠を愛しているとばかり思っていたが、それはただの思い込みで、これが本当の愛だったのかと気付かされた。
『翡翠を守りたい』これが本当の……
「いいのか?」
「私がそうしたいんです」
翡翠は俺の膝を割り、首を伸ばして俺にキスをした。
「酒臭いですね」
「悪い」
口だけの謝罪をして、今度は俺から翡翠にキスをする。
良かった。
翡翠が俺のそばにいてくれる。
これからも、ずっと──
俺は心底安堵し、ジンと胸が熱くなった。
「いいですか、風斗さん、私は貴方のそばを離れないと決めましたから、風斗さんが戦地に行く時には私も付いて行くし、仕事が忙しくてすれ違うというのなら、私も仕事を手伝います」
そうして翡翠は王である俺の鼻先に人差し指を突き立てた。
「翡翠、愛してるよ……でも駄目だ」
俺は翡翠を自分の膝上に抱き上げる。
「女には戦地は危険過ぎる。それに翡翠は王妃なんだから、何もしなくていい」
「私は国の穀を潰すのが王妃の仕事とは思えません。国王を支えるのが王妃の役目ですから、私は言う事を聞きません」
凄い!断言した……
「国王の命令に逆らうなんて、やれやれだな」
もう、苦笑いするしかない。
「でも、翡翠が危ない事をするのは本当に嫌だ。翡翠が王である俺の命令を聞かないのなら、これはお前の夫からのお願いだ」
俺が翡翠の両肩をぎっちりと掴み、その曇りない蒼い瞳を真っ直ぐ見据えると、翡翠もまた、俺の方を真っ直ぐ見つめていた。
ああ、これは、止められないやつだ、と俺は確信してしまう。
「だったら、2人で戦争を止めさせるしかないですね」
そうきたか。
戦争を止めさせるなんて、新米国王には簡単な事ではないが、不思議な事に、翡翠のこの燃える様な蒼い瞳を見ていると、何でも実現出来そうな、そんな気にさせられた。
大した女だよ、まったく。
「本当に、翡翠には敵わないな」
もはや俺は諦めムードだ。
俺は、エヘヘと遠慮がちに笑う翡翠の笑顔に弱いのだから仕方がない。
「我儘言ってすみません。でも……」
そこで翡翠が悲哀に満ちた顔をして、俺はギュッと心臓を掴まれたような堪らない気持ちになる。
「どうした?」
何をそんなに悲しい顔をするんだ?
俺はこれまで、翡翠の怯えた表情に興奮を覚えてきたが、今は、彼女の笑顔しか見たくないと思っていた。
「偉そうな事を言いましたが、実のところ、友人のユリ……ユーリが亡くなった所に手を合わせたいと思ったんです」
『公私混同ですよね』なんて翡翠はすまなそうにしていたが、それを言われると、俺は何が何でも彼女をその場所に連れて行ってあげたいと思った。
「分かった。連れて行ってやる」
だからそんな悲しい顔をするな、翡翠。
「ありがとうございます。私は、ユーリにどうしても謝りたい事があって、それで……」
翡翠の表情がみるみる強張り、彼女はそこで不自然に言葉を切った。
聞かない方がいいよな?
「分かった」
俺は小刻みに震える翡翠の背中をさする。
「戦争を止めさせたいのも家族を殺された事や、ユーリの影響なんです。公私混同甚だしいですよね。でも、これ以上第2のユーリを増やしたくないんです。これだけは譲れません」
「うん。分かった」
翡翠は誰にも止められない。国王の俺ですらそうだ。けれど、止められない上で、彼女を守ってやろう。こんな俺のそばにいると決めてくれた彼女を命にかえても守る。
──そう、俺は固く心に誓った。
「……それで翡翠、さっきからずっと気になってたんだけど」
「はい?」
「この何とも言えない魚臭さは──」
「はい、約束のニシンを焼いたんです」
そう言われてダイニングテーブルに目をやると、ラップが掛けられた和食の数々の中に、堂々たる風合いの肥った焼きニシンがゴロッと大皿に横たわっていた。
それを見ると、俺は翡翠の肩にしなだれ掛かり、彼女を抱く腕に力を込めた。
「翡翠……」
ああ、やっぱり──
「はい」
「…………凄い好き」
翡翠が好き過ぎる。
「奇遇ですね、私もですよ」
「……」
俺は、やっぱり翡翠をめちゃくちゃに抱きたいと悶々としました、とさ。
いや、ここ最近ずっとそうか。
色々と冷静に物事を考えたいのに、照りつける日差しと頬を打つ熱砂のせいで頭の中はオーバーヒートしている。
俺は側近数名とセキレイと共にお忍びで南部国の奴隷市を視察していたが、奴の横顔を見てはため息ばかりついていた。
妬ましい。
翡翠には幸せになってもらいたいが、セキレイへの嫉妬心は抑えられない。
セキレイと翡翠がイチャこいてるシーンなんか想像したら、気が狂ってしまいそうだ。
羨ましい。
俺はこれまで欲しい物はなんでも手に入れてきたけれど、その全てをなげうってでも翡翠がほしいと思っている。
──ただ、無理に翡翠を手に入れたところで、心がそこに無ければ何の意味もないのだ。
結局、親から引き離したカルガモの雛は親の元へと戻って行ってしまう、そういう事だ。
……そういう事か?
「……」
今夜、セキレイに翡翠を奪われる(?)のかと思うと、ちょっと気まずい。
セキレイが客で賑わう奴隷市の内情を探るなか、俺は一歩距離をおいてその様子をチラチラと窺う。
「酷いありさまだな」
セキレイは一軒の奴隷店の前で足を止める。
「ここはまるで変わってない」
彼が嘆いた先にあったのは、奴隷入りのケージが山積みにされたボロボロのテント。この手のテントが、道の両脇をズラッとかためている。
「お、に、い、さ、ん、調教師だろ?」
手前のケージに入っていた、少年とも少女ともつない子供が目深に布を被り、格子の間から手を伸ばしてこまねく。
モヤシみたいになまっちょろい腕だ。
「なんでわかった?」
セキレイは砂地に片膝を着き、子供と同じ目線で尋ねる。
「ここに来るのは調教師か、ロリショタの変態だけだよ。ちょうど、そっちのお兄さんみたいに」
俺が『そっちのお兄さん』と子供に指を指され、無意識に後ろを振り返ると、セキレイから『お前の事に決まってんだろ』と悪態をつかれた。
言っておくが、俺は北部国を統治する首領だぞ?
国を代表する変態である事は否めないが。
「いい眼をしてるな。俺は元調教師で、あっちのお兄さんは、アッチのお兄さんなんだ」
いや、どっちだよ。
「なんだ、元調教師か。元調教師がここに何のご用事で?」
子供は少しガッカリした様子で手を引っ込めた。
「昔ここで献上品候補を買い付けたんだけど、今はどうなってるのかなって、見に来たんだ」
「へぇ、どうだった?」
セキレイは辺りを見回し『ハァ』と軽くため息をつく。
「何も変わってなくて驚いてる」
「あぁそう、今も昔も最悪か」
「みたいだな」
「お兄さんは、もう調教師はやらないの?」
子供は再びセキレイに向けて手を伸ばし、彼の太腿をサラッと裏手で撫でた。
まるで子供の手付きじゃない。滑稽な中に、悲壮感が漂う。
ここは闇が深い所だ。長年民主主義でやってきた南部国だが、それにあぐらをかいた人身売買組織どもがゴキブリみたいにはびこっている。先王の没後は我が国で統制をはかってきたが、事実上、北部国政府が人身売買に関わっている為、闇市と言っても、野放し状態だ。
「やらない。2度、献上品を育てたが、可哀想なもんだった。お前は献上品になりたいのか?」
「なりたい、けど、なりたくない。でもならないと、もっともっと最悪な人生が待ってるからね」
最悪な人生か……献上品やこういった奴隷の子供達は皆、生きる為にイヤイヤ献上品をやるのか。
確か、翡翠もこの奴隷市で売られていたという。
翡翠も、同じような事を思ったりしていたんだろうな。
俺は後ろめたい気持ちでいっぱいだった。
誰が始めたか知らない献上品制度だが、そのせいで苦しむ子供達が大勢いる事は、まるで自分の罪のように罪深い。
何も言えない。
「献上品になれなかった奴隷はさ、セレブに買い取られるか、色んな形で色を売るか、肉体労働させられるか、戦地の前線に連れて行かれるか、使えない者はバラバラにされて──」
「おい、商人、この子供をくれ」
セキレイは子供の話を遮り、急に立ち上がってガマガエルみたいな中年の男性店員を呼んだ。
「え、セキレイ、今日は視察に来ただけだろ?なんで奴隷を?」
もう一度調教師でもやろうって言うんじゃないだろうな?
「俺はこれからこの国の国王──責任者になるんだ、今はまだこの子供1人しか救えないかもしれないが、今に奴隷制度自体を無くして、ここにいる全員を救う。だから、これがその第一歩だ。この子供は南部国の従業員見習いとして勉強させる」
こんな事をさらりと言ってのける我が兄は、悔しいけどかっこいい。
俺よりもずっと国王らしい。
「それに、ここにいる子供達を見ていると……胸が痛むんだ」
翡翠を見ているようで?
俺だってそう思ったさ。思ったけれど、俺は政府の傀儡だから、その場で誰かを救うなんて事は出来なかった。
憎らしい。セキレイは俺とは真逆の後先考えない直情型だが、そんな風に感情的に行動するなんて、俺には出来ない。
なんでこの男はそんなに行動がスマートなのか……俺が翡翠でも、この男に惚れてた。
「それで風斗様、お金貸して下さい」
セキレイはこちらを振り返り、当たり前のように手を差し出す。
前言撤回だ。
クレカを信用していないセキレイは、現金を持ち合わせていなかったらしい。
それでも、俺の意識は劇的に変わっていって、俺も、兄みたいにかっこいい国王になりたいと思った。
そしてそんな兄に、翡翠を任せられると改めて確信した。
その後、午後にはセキレイと別れ、俺は独り、南部国の地下歓楽街へと来ていた。
ここは硬い地盤を利用した洞窟の様な所で、通りの両サイドにはパブやバー等の夜の店が蟻の巣状に広がっている。その殆どが、無許可の闇営業なのだろう。看板が無い店ばかりだ。一歩細い路地へ入って行くと治安の悪い無法地帯に出くわすと聞くが、なるほど、そんな不穏な空気感がある。窓が無くて薄暗いせいか?
俺はあてもなくブラブラとその辺を視察すると、一軒の寂れたバーへと入り、そこで強い酒を頼んだ。
久々のロックは喉にくる。
「消毒液のフレーバーだ」
俺はあまり好んで酒を飲むことはないが、今日は浴びる程飲みたい気持ちだった。
誰もいない部屋に戻るのが憂鬱だ。かと言って鳥取に出迎えられるのも何か嫌だ。
「もう、こんな時間か」
歪んで見える腕時計から察するに、既に夜も更けているようで──
何杯飲んだだろう?
目の前がうるうるして霞む。椅子から立ち上がると足元がおぼつかないし、どこかフワフワしている。
「遅く……なった、な」
セキレイは戻ってから翡翠と合流し、とっくに2人で北部国を出て行っただろう。
「……帰らないと」
そう思うのに、足は鉛の様に重い。
これは何も泥酔して前後不覚になっているからという事だけではない。気持ちの問題が主たる原因だ。
睡魔も相まって、このままここで寝落ちしてしまいたい。
「……帰ろう」
国王がこんな所で泥酔している訳にはいかない。
冷え切った我が家に帰ろうじゃないか。
俺が千鳥足で店を出ると、帰らせた筈の側近2人に捕まり、そのまま車に乗せられ自国の城へと連行された。
贅沢な話、俺を待っていてくれるのは、事務的な側近達だけだ。
城に戻り、今度こそ側近達を帰らせ、俺は独りでエレベーターへと乗り込み、人肌を求めて側室フロアのボタンを押そうとして、やめた。
自分を慰める為に女の胸を借りるなんて相手に失礼だし、そんな風に寂しさを紛らわせたところで気が晴れるとも思えなかった。
冷え切った我が家に帰ろうじゃないか(2回目)
俺は覚悟を決めて自室フロアのボタンを押した。
俺はなんとか部屋の前までやって来て、大きく深呼吸した後、ドアを開けた。
「ただいま」
つい、人がいるていで言ってしまったが、部屋の明かりがついている事に気付き、鳥取でも来ていたのだろうと思った。
帰りが遅くなったから、心配して部屋で待っていたのか?
……気持ち悪いな、嫁か!
それにしても、酔いどれの鼻腔に何やら独特な魚臭さを感じる。
なんだ?
この、芳ばしいようで生焼けな感じの魚臭さは?
俺が困惑して靴を脱ぎ散らかすと、リビングからそこにいるはずのない人間がひょっこりと顔を出した。
「おかえりなさい」
「えっ⁉」
俺はあまりの驚きによろめき、壁に寄りかかる。
「翡翠、なんで!?」
そこにいたのはエプロン姿の翡翠で、彼女の目の下にはクマが出来ていた。
「あ、大丈夫ですか?」
翡翠がこちらに駆け寄り、俺の体を支えてリビングへと引っ張る。
どうでもいいが、華奢な割に力が強いな……
「だから何でここにいるんだ?」
そうだ、翡翠はセキレイとここを出る算段だった筈だ。それがなぜ、エプロン姿で俺の帰りを待っていたんだ?
「とりあえずソファーに座って下さい」
俺はソファーに座らされ、小走りにキッチンへ行った翡翠からミネラルウォーターのボトルを渡される。
「だいぶ深酒したようですね。新婚なんですから、ほどほどにして下さい」
ニコニコと翡翠に咎められ、俺は少し落ち着く。
「なんでセキレイと行かなかった?」
「行ってほしかったんですか?」
翡翠は俺の前に座り込み、俺の靴下を脱がせた。
「行ってほしくないに決まってるだろ。でも、翡翠が本当に好きなのはセキレイだって知ってるから、絶対セキレイについて行くと思ってた」
「浅見ですね。私を見くびってはいけません。私は風斗さんの妻で、貴方を愛し、支えると決めたんですから、絶対に風斗さんを裏切ったりしません。私は誰の言う事も聞きませんが、自分の決めた事だけは絶対に守ります」
それはただの我儘なんじゃあ……
「けど、俺は翡翠に酷い事ばかりしてきただろ?」
認めよう。俺は、嫁に逃げられて当然の男だ。
「でも風斗さんは、私が過去に乱暴を受けた事を受け止めたうえで、私を抱かなかったじゃないですか。風斗さんと言えば、あの鷹雄さんを凌ぐド変態で、とんでもない鬼畜だったのに、です」
「翡翠、言葉には気をつけて」
ストレート、直球はさすがの鬼畜でも傷付く。
「すみません。でも、相手を傷付けたくないと思うのが本当の愛ですから、私は風斗さんについて行こうと決めたんです」
「本当の愛?」
これが……
青天の霹靂だった。
俺はこれまで、心から翡翠を愛しているとばかり思っていたが、それはただの思い込みで、これが本当の愛だったのかと気付かされた。
『翡翠を守りたい』これが本当の……
「いいのか?」
「私がそうしたいんです」
翡翠は俺の膝を割り、首を伸ばして俺にキスをした。
「酒臭いですね」
「悪い」
口だけの謝罪をして、今度は俺から翡翠にキスをする。
良かった。
翡翠が俺のそばにいてくれる。
これからも、ずっと──
俺は心底安堵し、ジンと胸が熱くなった。
「いいですか、風斗さん、私は貴方のそばを離れないと決めましたから、風斗さんが戦地に行く時には私も付いて行くし、仕事が忙しくてすれ違うというのなら、私も仕事を手伝います」
そうして翡翠は王である俺の鼻先に人差し指を突き立てた。
「翡翠、愛してるよ……でも駄目だ」
俺は翡翠を自分の膝上に抱き上げる。
「女には戦地は危険過ぎる。それに翡翠は王妃なんだから、何もしなくていい」
「私は国の穀を潰すのが王妃の仕事とは思えません。国王を支えるのが王妃の役目ですから、私は言う事を聞きません」
凄い!断言した……
「国王の命令に逆らうなんて、やれやれだな」
もう、苦笑いするしかない。
「でも、翡翠が危ない事をするのは本当に嫌だ。翡翠が王である俺の命令を聞かないのなら、これはお前の夫からのお願いだ」
俺が翡翠の両肩をぎっちりと掴み、その曇りない蒼い瞳を真っ直ぐ見据えると、翡翠もまた、俺の方を真っ直ぐ見つめていた。
ああ、これは、止められないやつだ、と俺は確信してしまう。
「だったら、2人で戦争を止めさせるしかないですね」
そうきたか。
戦争を止めさせるなんて、新米国王には簡単な事ではないが、不思議な事に、翡翠のこの燃える様な蒼い瞳を見ていると、何でも実現出来そうな、そんな気にさせられた。
大した女だよ、まったく。
「本当に、翡翠には敵わないな」
もはや俺は諦めムードだ。
俺は、エヘヘと遠慮がちに笑う翡翠の笑顔に弱いのだから仕方がない。
「我儘言ってすみません。でも……」
そこで翡翠が悲哀に満ちた顔をして、俺はギュッと心臓を掴まれたような堪らない気持ちになる。
「どうした?」
何をそんなに悲しい顔をするんだ?
俺はこれまで、翡翠の怯えた表情に興奮を覚えてきたが、今は、彼女の笑顔しか見たくないと思っていた。
「偉そうな事を言いましたが、実のところ、友人のユリ……ユーリが亡くなった所に手を合わせたいと思ったんです」
『公私混同ですよね』なんて翡翠はすまなそうにしていたが、それを言われると、俺は何が何でも彼女をその場所に連れて行ってあげたいと思った。
「分かった。連れて行ってやる」
だからそんな悲しい顔をするな、翡翠。
「ありがとうございます。私は、ユーリにどうしても謝りたい事があって、それで……」
翡翠の表情がみるみる強張り、彼女はそこで不自然に言葉を切った。
聞かない方がいいよな?
「分かった」
俺は小刻みに震える翡翠の背中をさする。
「戦争を止めさせたいのも家族を殺された事や、ユーリの影響なんです。公私混同甚だしいですよね。でも、これ以上第2のユーリを増やしたくないんです。これだけは譲れません」
「うん。分かった」
翡翠は誰にも止められない。国王の俺ですらそうだ。けれど、止められない上で、彼女を守ってやろう。こんな俺のそばにいると決めてくれた彼女を命にかえても守る。
──そう、俺は固く心に誓った。
「……それで翡翠、さっきからずっと気になってたんだけど」
「はい?」
「この何とも言えない魚臭さは──」
「はい、約束のニシンを焼いたんです」
そう言われてダイニングテーブルに目をやると、ラップが掛けられた和食の数々の中に、堂々たる風合いの肥った焼きニシンがゴロッと大皿に横たわっていた。
それを見ると、俺は翡翠の肩にしなだれ掛かり、彼女を抱く腕に力を込めた。
「翡翠……」
ああ、やっぱり──
「はい」
「…………凄い好き」
翡翠が好き過ぎる。
「奇遇ですね、私もですよ」
「……」
俺は、やっぱり翡翠をめちゃくちゃに抱きたいと悶々としました、とさ。
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