2 王への元献上品と、その元調教師

華山富士鷹

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翡翠からの贈り物

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「風斗さん、何を言っているんですか、私はずっと貴方のそばにいます。プロポーズを受けた時に心に決めたんです」
──と翡翠は言うけれど、本心ではセキレイと駆け落ちしたいに決まっている。
「考えておいて。それが、お前の最後のチャンスだから」
俺は翡翠を立たせ、元の席に戻すと、そのまま踵を返して部屋を出ようとした。
「待って下さい!逃げないで、目を逸らさない下さい。お願いですから、一緒にいて下さい」
翡翠から必死に縋り付かれ、ふと俺は、同じような状況を思い出す。
この光景は確か、観測小屋で翡翠がセキレイに縋り付いたあれと酷似している。俺が羨ましいと感じたあのシーンが、今、自分で再現されるなんて、喜んでいいんだか、なんなんだか、複雑だ。
俺はあの時の翡翠を思い出し、彼女がちょっと不憫になって部屋を出るのをやめた。
「俺は選択を迫っただけなのに、どうしてそんな捨てられた子犬みたいな顔をするんだか、可哀想になるだろ?」
それはもう、自分が言った言葉を後悔しそうなくらいに。
手放したくない。
俺は翡翠を胸に抱き、彼女の頭に顔を埋めた。
「チャンスをやるって言うのに、手放したくなくなるだろ」
俺がボソリと呟くと、聞こえたんだか聞こえていないんだか翡翠は、体を捻って俺の胸に顔を押し付ける。
「……風斗さん、今夜はお誕生日ですよ?独りになるだなんて言わないで下さい。お料理も沢山頑張りましたし、ほら、これも」
そう言って翡翠は俺から離れ、くるくるにしてあったエプロンのポケットから手乗りサイズの小さな紙袋を取り出す。
「これは?」
「開けて下さい」
上を見上げた翡翠の瞳から涙が落ちそうになり、俺は胸が苦しくなった。
なんで、翡翠はセキレイと駆け落ちしたい筈なのに、なんでそんなに悲しそな顔をするんだ?
たじろぐ俺を見て、翡翠は俺の胸で泣き出しそうな顔を隠す。
「開けて下さい」
「え、あぁ……」
再度促され、俺が紙袋を漁ると、全て天然素材で出来たなんともいびつなドリームキャッチャーが出てきた。
……ヘッタクソだな。
とてもじゃないけど市販の物ではなさそうだ。
「作ったの?」
「……」
翡翠が無言で頷く。
「味があるね」
ヘッタクソだな。
けど、俺の為に作ってくれたのか。
胸がじんと熱くなった。
「ヘタクソだって言ってくれていいんですよ」
「ヘッタクソ」
「……」
俺の腕を掴んだ翡翠の手に力が込められたのを感じた。
冗談なのに。
「怒ったの?」
こんな時なのに、翡翠がかわいいと思った。
翡翠は素直で、純粋で、何でも一生懸命で、かわいい。だけど所詮翡翠も、俺を捨ててここを出て行く。結末なんかいつも同じなんだ。
「ヘッタクソなのは認めます。でも、私が作るドリームキャッチャーはセキレイさんの願いも叶えました。実績があるんです。だから、風斗さんの願いも必ず叶えるので、願っていて下さい」
「セキレイの願い?」
「はい。セキレイさんの、一国一城の主になるという夢です」
「それは──」
本当にそれが、セキレイの真の願いだったのか?
俺には違うように思えた。
俺の願いだって、きっと叶わない。
「お願いして下さい。絶対に叶いますから」
「……分かったよ」
翡翠から駄々を捏ねるように肩を揺すられ、俺はフッと苦笑いして瞼を閉じた。
『翡翠と幸せな家庭を築けたら……』
──なんて、馬鹿馬鹿しい事をお願いしたもんだ。
なんにせよ、明後日全てが明らかになる。
「風斗さん、後でコイン入りのガトーショコラを食べましょうね。あれは大好きなユリが教えてくれた、皆が幸せになれるケーキなんです。だから、風斗さんもきっと幸せになれます」
俺はその言葉を全く信じていなかったが、翡翠の真剣な物言いに『分かったよ』と折れるしかなかった。
後に、ケーキに入ったコインが俺の歯を少しばかり欠けさせたのは言うまでもない。

その夜、俺は久々に翡翠を抱いて寝た。
特に何をするでもなく、ただ後ろから彼女を抱き、その感触を確かめた。
こうして翡翠を抱いて寝られるのも今日と明日だけかと思うと、眠るのが惜しいとさえ思えた。

朝になり、気が付くと隣に翡翠の姿は無く、俺が無意識にその姿を捜し、フラフラとリビングへと出て行くと、ボヤけた嗅覚にまろやかな味噌の香りがして、紅玉との結婚生活を思い出す。
「風斗さん、軽く朝食を食べてからお仕事に行って下さい」
エプロンをした翡翠がキッチンから顔を出し、せかせかとダイニングテーブルに鯵の開きやワカメの味噌汁、白米、昆布とキノコが入ったドゥルドゥルの何か等を並べていく。
「翡翠、お前は別に何もしなくても──」
「風斗さん、私はもう、貴方の言う事を聞かない事にしたんです。元々私は人のお話の聞けない子でしたし、これからは自分の意思で、自分で考えて行動します」
そう言って翡翠は俺の手を引いてダイニングテーブルに座らせ、自分はその向かい側に席をとる。
むちゃくちゃだな……
「王様の言う事を聞かない人間なんて初めてだよ」
俺はもう笑うしかなかった。
「愛の巣は治外法権なんです」
名言だな。
「お前には本当に敵わないな。いただきます」
俺は手を合わせてからワカメの味噌汁に箸を付けた。
朝一番で飲む熱々の味噌汁は寝不足の体にとてもしみる。いっきに目が覚めて、今日一日頑張ろうという気持ちになった。
「いただきます」
翡翠も手を合わせ、同じように味噌汁をすする。
「いい塩加減だね」
「鳥取さんから、風斗さんは夜になると血圧が上がるからと聞いていたので減塩味噌を使ったんです」
夜になると血圧が上がるというのは、鳥取の、俺への遠回しな陰口だろ……
「このドゥルドゥルした何かは?」
箸で掻き混ぜ、持ち上げると、そのドゥルドゥルした何かはトロトロと糸を引きながら落ちていく。
「キノコと昆布を使った東部国の郷土料理なんですけど、鳥取さんが、風斗さんはこういうトロトロと糸を引く物が好きなのだと教えてくれたんです」
「……そうだね」
俺はニッコリと微笑んでそのドゥルドゥルを口にしたが、内心は『下ネタかよ』と毒づいていた。
「美味しいですか?」
「ローションみたいだな」
又は愛液。
「は?」
「いや、凄く美味しいよ」
眩しいくらいの翡翠の笑顔に、俺は本心をオブラートに包んだ。
穏やかな朝だな。
朝はいつも追われるように仕事に行っていたのに、今だけ時間が止まっているようだ。
そうだった。誰かと朝食をとるってこんな感じだった。幸せな家庭とは、こんな一日から始まる家庭の事を言うんだった。
「風斗さん、風斗さんから何かリクエストはありませんか?」
「リクエスト?」
『ええっと……』と俺は顎に手を当てて斜め上を見上げながら自分の食べたい物を考えてみる。
筑前煮は昨日食べたしな……
「ニシンかな」
ふと、セキレイから聞いていた翡翠の好物が頭に浮かんだ。
「ニシンですか?」
「うん」
最後に、俺の食べたい物より、翡翠が好きな物を2人で食べたいと思った。
「ニシンですかー仕方ないですね、そんなに言うんなら、コロコロ太ったニシンの塩焼きをおみまいしますよ」
翡翠は本当にニシンが好きなのか、ニヤニヤが止まらない様子だった。
「楽しみにしてるよ」
俺は、ニシンが俺ら2人の最後の晩餐(?)になるのかと思うと感慨深くなり、ちょっとしんみりしてしまった。
こうして何事もなく幸せな朝の情景を過ごしているけれど、明日の晩から俺独りになるかもしれないと思ったら箸を持つ手が震えた。
例え翡翠がいなくなっても、俺には正室や側室にになりたい献上品がごまんといる。けれど俺は、それらをどうこうしようなんて気にはほとほとなれなかった。

「じゃあ、行ってくるよ」
朝食を終え、俺はスーツを着て玄関に立つと、見送りに出ていた翡翠についついその場の流れで行ってきますのキスをしそうになり、おかしな空気が流れた。
翡翠を逃してやるって言った手前、新婚夫婦みたいにキスするのはおかしいか。
因みに俺は、昨夜、彼女を抱き締めて寝た事はすっかり忘れている。
「あ、のう……今日も早く帰ってきて下さいね」
翡翠はモジモジと顔を赤くして胸の前で手を揉んでいて、ギクシャクと気まずそうだ。
付き合い始めの学生カップルか。とても、陵辱プレイをした夫婦とは思えない。それに翡翠のこの反応はどう捉えたらいいんだ?
こ慣れ感は無いが、昨日からちょっとだけ俺に甘えてきてないか?
気のせいか?
「うん、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
あぁ、最後に行ってきますのキスしとけば良かったかな。俺は鬼畜だから、こういう事で遠慮した事はなかったのに。
俺は後ろ髪引かれる思いで玄関を出た。


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