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久しぶりに

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激しかった雷鳴も、いつの間にかゴロゴロと猫が喉を鳴らすような心地良い音に変わり、夜も明けようとしていた時分、ドタドタと誰かが寝室に飛び込んで来た。
「怖っ!!」
私は、強盗にでも入られたのかと思い、飛び起きる。
「翡翠!ごめんね」
侵入者は、暗闇にも関わらず、迷わずベッドに上がりこみ、私を抱き締めた。
「やめてっ!!」
その瞬間、私は暴行を受けた夜の事を思い出し、侵入者の影を思い切り突き飛ばす。
ドスンッ、と侵入者が尻もちを着いた音がして、私はそのすきに慌ててベッドサイドの間接照明を点けた。
「いたた……酷いね」
薄明かりの下、腰をさすりながら立ち上がる風斗さんがいて、私の頭からサーッと血の気が引く。
「すいませんっ!すいませんっ!どうかお許しください」
私はベッドから飛び降りて土下座し、真っ青になった顔を何度も床に擦り着けた。
とんでもない事をしてしまった。王に尻もちを着かせるなんて、また酷い拷問をされる。
「翡翠が雷に怯えているかと思って慌てて来たのに、酷い仕打ちだな」
やれやれと風斗さんは片膝を着き、私の顎を上にさらって視線を合わせた。
「す、すいません、なんとお詫びしてよいか……お怪我はありませんか?」
室内は暖房が効いてぬくぬくしている筈なのに、私の背筋はすっかり凍りついている。
「大丈夫だよ」
風斗さんがため息混じりに柔らかく笑ったが、笑顔の裏にあるものを知る私としては素直に安堵出来ない。
「浮かない顔だね。そんなに雷が怖かった?」
風斗さんから手を差し伸べられたが、私は一瞬迷ってからその手を取った。
「翡翠さ」
「え、はい……?」
何を言い出すのか、私はハラハラしながら風斗さんの顔色を窺う。
「雷よりも俺の方が怖いんじゃないの?」
「あの、それは……」
心が読めるのか?
風斗さんに手を引かれ、私は彼の腕の中に抱きとめられた。
ち、近いな!
「気付いてる?翡翠は俺に触れられると震えてるだろ?」
「えっ?」
わからない、無意識なのかも。確かに、やけに膝が笑うなとは思っていた。
「献上品には王からの求婚を断る権利なんて無いのに、俺が無理にここへ連れて来てしまったからね。すまないと思ってる」
「そんな、謝らないで下さい。謝られると、なんだか……」
私が風斗さんに後悔させているみたいじゃないか。
そんなのって、なんだか、悲しい。
そりゃ確かにセキレイさんや翠、鷹雄さん以外の男の人に触れられるのは慣れない、というか、ある時期を境いに怖い。でも、風斗さんとは仲良くしたいと思っている。
「翡翠、結婚式はまだ少し先だから、嫌だったら──」
「どうしてそんな事を言うんですか!?」
私は、飼い主に捨てられそうな犬の気持ちになった。
毎日毎日風斗さんの帰りだけを待って退屈な時間を過ごしてきたのに、彼はどうしてそんな事を言うのだろう?
私を試している?
それとも、私はこの短期間でもう飽きられたのだろうか?
風斗さんが解らない。もしかして、他の献上品や愛人に心移りして婚約を反故にしたくなったとか?
私は底知れぬ不安に襲われ、風斗さんの腕に縋り付いた。
私にはこの人しかいないのに……
「翡翠、俺はお前を愛している一方で、めちゃくちゃにしたいとも思っている。けど、それで翡翠が紅玉のように──」
「紅玉さん?」
風斗さんが『しまった』という顔をして視線をそらすものだから、私は逆にそれが引っかかる。
「紅玉さんがどうかしたんですか?」
「…………」
なんで黙っているんだろう?
風斗さんは紅玉さんに何かしたの?
「翡翠、一つ聞いてもいいかな?」
私は黙って頷く。
「翡翠は、毎日部屋の窓から何を見ているの?」
「何って──」
いけないとは思いつつ、なんだかんだ言いながら、私はセキレイさんが出掛けそうな時間帯になると毎日窓からその影を探して気を揉んでいた。そんな私の姿を、風斗さんもどこからか見ていたのだろう。
迂闊だった。
「紅玉もそうだったよ。何を見ていたかはだいたい想像がつくけど」
それはつまり、紅玉さんも私と同じように調教師である翠の事をこの部屋から見ていたんだ。
この人は、私がセキレイさんを見ていた事も把握しているのだろうか?
緊張で私の喉がゴクリと鳴った。
またお仕置きされる。
「翡翠、どうしたの?さっきより震えてる」
風斗さんの声が驚く程冷たくて、怖かった。けれど私は自分から風斗さんの懐に潜り込み、丸くなった。
捨てられるのが怖かったからだ。
「怯える小動物は俺の好物だってお前も知ってるだろ?守りたいのに壊したくなるんだ」
「壊してもいいです。でも、捨てないで下さい。私には風斗さんが全てなんです」
毎日部屋に独りでいると、必然的に自分の世界は狭まり、夫の風斗の存在が大きくなった。これを愛と言うにはあまりにも浅はかだが、確実に言えるのは『依存』だ。私は孤独からいつの間にか夫婦の関係性を依り代にしていたのだと思う。
「翡翠は本当にかわいいね。でもどうかな?セキレイの結婚が決まったよ」

「えっ?」

胸を槍で一突きにされた気分だった。
今、なんて?
私は思わず風斗さんの顔を見上げ、そこで彼と目が合う。
「ショックって顔だね」
ニコッと風斗さんが微笑んだ。
まるで心を見透かされているみたいだ。
「び、びっくりしました」
遅かれ早かれこうなる事は解っていたはずなのに、いざ現実をつきつけられると、手放しでは喜べない。
でも、受け入れなきゃ。私には私の人生があるように、セキレイさんにはセキレイさんの人生があるんだ、幸せになってほしい。
「相手は鷹雄のとこのダリアだってね」

「ダリ……ア?」

なんで、どうして?
別にダリアが嫌いな訳ではない。自分の勝手な意向だが、好きな相手がよく知る人物とくっつくのは傷を抉られるような衝撃がある。だって、2人の結婚生活がより鮮明に想像出来てしまうから……
「……」
言葉が出ない。
ここで動揺したら、私がセキレイさんに想いを寄せていたという事実に拍車がかかってしまうのに、私はただただ呆然とした。
「式には俺達夫婦も出席する」
「い……」
行きたくない。
見たくない。
2人の幸せを願わない訳じゃない。ただ、実際にその幸せな光景を見たら、自分がどんな気持ちになるのか怖かった。私に眠る、人間の醜い感情が頭を擡げるのではないか、そんな予感がしてならないのだ。
『見るのが辛い?』と風斗さんに顔を覗き込まれ、私は図星の顔を俯かせる。
「辛くなんか……」
風斗さんは私を揺動させて楽しんでいるのだろうか?
もしそうだとしたら、趣味が悪い。
「なんでそんな事を聞くんですか?」
「なんでか解らない?」
風斗さんの挑戦的な笑顔が腹立たしい。
「解りません」
風斗さんは意地悪だ。
私は怒りを我慢するように唇を噛み締めた。
「お前には俺の愛も、俺の気持ちも、きっと何も解らないんだろうね。いや、解かろうともしていないのかも」
自分はよそで女遊びをしながら、人を部屋に閉じ込めたり、いたぶったり、心を揺さぶったりするのが愛だと言うのなら、そんなもの、間違っている──なんて言えたら苦労はしない。
「私は……」
私は不満を飲み込み、口だけをパクパクと鯉の如く動かした。
私はこれからも、一生、ずっとこのまま言いたい事も言えず、既婚者なのにこの部屋で独り寂しく孤独死するんだろうな。そう思ったら、酷く物悲しさを感じた。
「どうしたら、お前はセキレイではなく、俺を見てくれるんだろうな?」
「それは──」
やっぱり、風斗さんは私がセキレイさんを見ていた事を知っていたんだ。

風斗さんはどこまで気付いただろうか?
私の気持ちには気付いただろうか?
「どうしてセキレイさんが出てくるんですか?セキレイさんは関係ありません」
「そう、もうセキレイは関係無い、他人だ。だからセキレイの事を見るのも、考えるのもやめろ」
「わ……解ってます」
ただ、時間が長すぎてつい考えてしまうのだ。
それにしても風斗さん、夜伽以外は物腰の柔らかな好青年の筈なのに、なんか、こう、いつもと雰囲気が違う。夜伽は夜伽で変態だけど、今は、彼の人間らしい一面を見せられているような気がする。
でも、久しぶりに会ったのにピリピリしていてはつまらない。
「風斗さん、今日はこれからまたご公務ですか?」
ちょっと疲れた顔をしているような?
「少し仮眠したらね」
ちゃんと休養をとり、栄養のある物を食べているのだろうか?
私は急に心配になる。
「では、朝食は私が──」
「ありがとう。でも翡翠は何もしなくていいよ」
そっと風斗さんからハグされ、私は漠然と、肌が合わないなと思った。彼とは何度か濃密なスキンシップをした事はあったけれど、王という恐れ多い人物であるが為に、未だに抱きしめられると違和感や緊張を覚える。
まだまだ距離があるな。
でも身分が違いすぎるから仕方ないか。
手料理でも振る舞って距離を縮めたかったのに、寂しいな。
「じゃあ、俺はソファーで休むから」
「えっ、ベッドは使われないんですか?」
ベッドを共にするのは緊張するが、新婚で夫婦別々に寝るのは冷え切っていないか?
あれ、私、避けられてる?
夜伽で怯え過ぎたから見放された?
私、この人に見放されたら、もう……
「10分休むだけだからね」
「10分……」
夫と過ごす時間より、コンシェルジュの鳥取さんと過ごす時間の方が長いなんて、皮肉なものだ。

それから風斗さんは本当に10分きっかりでこの冷え切った愛の巣を出て行った。
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