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進展
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自分の気持ちに気付いてからというもの、俺はスミレとキスしてしまった事もあり、彼を大いに意識していた。
でも、男の俺では話にならないので、レイとしてスミレをデートに誘い出した。
デート当日、その日は天候にも恵まれ、俺とスミレは何駅か先の植物園にピクニックをしに、人でごった返す電車に揺られていた。
「スミレ、休日なのに結構人いるね?」
俺はオジサンが座る座席に向かって吊り革を持ち、スミレはその後ろから座席の端にある手摺に掴まって立っているのだが、人同士が密集していて身動きがとれない。
「辛かったら俺に寄りかかっていいですから」
耳元でスミレのハスキーボイスがして、俺は両の耳を赤くした。
なんか、今日はやけに耳に響くな。
「うん、ありがとう」
「誰かに触られたら、すぐに教えて」
「もしかして、スミレ、私を守る為に後ろに立ったの?」
「はい」
さり気なく身を呈して女を守るとか、いい男すぎるでしょ。マジ惚れ直す。ただでさえ今日のスミレはモノトーンな色合いのコーデで大人っぽくて、髪も自然に分けられてていつにも増して女性達の目を引くというのに、これ以上モテたら俺が嫉妬でどうにかなってしまう。デートと言っても、別に俺らは付き合っている訳でもないから嫉妬もなにもないんだけど、周りの女性達からスミレに向けられる熱視線を感じとると、俺はどうしても焦燥とせずにはいられないのだ。
もし、スミレが俺(レイ)の物になってくれれば、少しは安心出来るのだろうか?
「でもレイさん、悪い子だよね。あれ程言ったのにミニで来て、触られに来てるようなもんだよ?」
スミレが俺の耳元で声をひそめていると、急に電車が揺れ、彼の唇が俺の耳を掠めた。
「ぁっ!」
俺はゾクッとして吐息を漏らしてしまい、クスクスと後ろからスミレに笑われた。
「……デートだからって気合い入っちゃって」
俺の口からつい本音が溢れると、スミレの口から微かに『うぁ』と歓喜の声が聞こえる。
今日はこの日の為に女性のファッション雑誌を読み漁り、男ウケを意識して、白いコートの下にベージュでざっくり編みの腿丈セーターにニーハイブーツを履いて来ていた。
「レイさん、もしかして、こないだあげた下着、着けてきてます?」
「え、なんで……?」
俺は図星をつかれ、内心ドキリとした。
「だってあの時のストッキングに似てるから」
さすが変態、嗅覚が鋭い。
「ち、違うよ」
俺は恥ずかしさのあまり嘘をついた。
「なんだ」
スミレはどうしてか、たのしげに笑っている。
最初に比べたら、スミレは自然に笑うようになったと思う。結構からかわれている気もするけど、悪い気はしない。
「じゃあ、今度履いて来て下さい」
「履いて来たって気付かないって」
──と俺が何気なく返すと、スミレがフフッと静かに失笑した。
「そうですね、見ないと気付かないですよね」
あっ……(察し)
スミレって、仲良くなった女性にはちょっと意地悪なんだな。普段は超絶紳士で優しいのに、残念なイケメンだ。
……そんなところも全部好きだけど。
レイにだけ見せてくれてるのかな?
そう思うと、少しだけ安心できた。
「あっ」
「危ない」
またしても突如電車が揺れ、グラついた俺をスミレが後ろから片腕で抱き込む形で支えてくれた。
「俺が支えてますから」
「う、うん。ありがとう」
うわ、なんだこれ、緊張するな。こんなの、バックハグじゃん。カップルがやるやつだよ。スミレとは弥生の姿でキスした事もあるけど、それとこれとは別だ。慣れないよ。
それに、俺の旋毛にスミレが顔を埋めて匂いを嗅いでいるような感触もする。
スーハー、スーハー……
そのような息遣いも聞こえてきているけど、まさかあの堅物なスミレが公共の場でそんな真似をするはずがないか。
気のせい──
スーハー、スーハー
だよね……
更に気になるのは、俺の胸の下敷きになったスミレの腕だ。
乗ってる……明らかに乗ってるよね?
コート越しなのに意識しちゃうな。
スミレも、俺にドキドキしてくれてたらいいのに。
今はまだ、スミレにとって俺(レイ)は、自分が推している姉川レイのそっくりさんってだけで、異性という認識はあれど、好意までは持っていないんじゃあないかな。
キスの事だって、スミレはあれから一度も触れないし、そりゃ男相手って事もあるけど、俺ばっか意識しててなんか寂しい。
ギュム……
「……?」
「すいません、押されてて」
俺が黙って考え事をしていると、スミレが俺を抱く腕に力を込め、体を押し付けてきた。
「う、うん。いいよ」
嬉しいというか、恥ずかしいというか、体が熱い。今の自分が華奢なせいか、やけにスミレを逞しく感じる。
それにスミレったら……
「すいません、ほんとに」
スミレは自分のアレがゴリゴリと俺の腰をノックしている事に気付いたようで、執拗に謝罪してくれた。
「いいよ、仕方ないよ、生理現象だもん」
俺も男だから解る。こういう状況じゃあ、それは不可避なんだから。
それに、俺が俺のままだったら、スミレはこんな反応すらしてくれなかっただろうし。
『弥生が女だったら』
あの言葉には、そういった意味も含まれているのだと思う。
半分は男だけど、それでもスミレが俺を性の対象として見てくれているのは嬉しい。
目的の駅に着き、電車を降りた後も、スミレはとても平に先刻の不祥事を謝ってくれた。
「すいません、あんなとこでムラムラするつもりはなかったんです」
「気にしなくていいってば」
あんまり謝られるのも気まずいものだ。
俺はスミレと目も合わせられず困惑する。
「気持ち悪かったでしょ?」
青くて、反省して元気を失くすスミレを見ていると、俺はお姉さんとしてどうにかしてやりたくなる。
「気持ち悪くないよ。寧ろ……イヤじゃなかった」
俺が赤面してそう告白すると、スミレは目を丸くした後『参ったな』と俺の手を握って歩き出した。
「レイさんの魔性」
スミレが背中越しに呟いたが、俺はその言葉をそっくりそのまま彼に返してやりたい気分だった。
植物園に到着し、俺達は手を繋いだまま外園にある植木を愉しみ、体が冷えたところで何棟かある温室の1つに入る。
「あーホッとする~土臭くて、カビ臭くて、たまんない」
温室の、土臭くて生暖かい空気が心地よくて、俺は湯治に来た老人みたいな声を出した。
「ここは春に咲く花の温室みたいなんで、すごしやすいですよね」
通りで、春に見かける色とりどりの花々が沢山咲いている訳だ。
温室内は陶器のカエル等の置物が転々と置かれ、洋風のガーデンみたいに可愛らしくて、レンガで出来た石畳をスミレに手を引かれて歩いていると、まるで自分がお姫様にでもなったかのような気分になる。
「こっちです」
スミレに連れて来られたのは、温室奥の、大きな観葉植物群の影にあった紫の花を咲かせる菫のコーナー。その真ん中にはささやかなテーブルセットが設置されていた。
「こんな隠れ家みたいなとこ、よく知ってたね」
そもそも今どきの男子高校生が植物園なんて興味ないだろうに。
「ネットで調べました」
俺が近場がいいと言ったから、下調べしてくれたんだな。スミレはこういうところが卒が無い。できた男だな。
レイにもっと時間があったら、スミレと色んな所に遊びに行けるのに。
色々試したけれど、エビフライの魔法は、どんなに追いエビしても1日3時間しか保てない。しかも海老天や海老のフリッターではその効力を発揮しないという謎ぶりだ。
3時間で覚める夢なんて、儚すぎだろ……
「ここでお昼にしませんか?」
その言葉を合図に俺達は向かい合って席に着いた。
とりわけ、スミレは行儀よく俺の動向を窺い、餌を待つ大型犬のよう。
多分スミレは、俺が下着のお礼に何か作ると言っていた言葉に過大な期待をしているのだと思う。
「あんまり上手じゃないんだけど……」
俺は背負っていた黒のミニリュックから遠慮がちに自作のサンドイッチを取り出した。
料理なんて、中学の調理実習以来だよ。サンドイッチに失敗なんてないと思うけど、自信がない。俺が作ったのは、ツナや卵、ハムにレタスにキュウリ等の簡単な物だが、スミレのお口に合うかどうか、心配だ。
「どうぞ」
俺はサンドイッチの入った容器をスミレに差し出し、手に汗を握って彼の反応を窺う。
スミレはハムとレタスのサンドイッチを手に取り、ハムッとそれにかぶりついた。
かわいい……
スミレはそれを何回か咀嚼した後、喉仏を上下に大きく揺らして飲み込む。
こうしてスミレの食事シーンをまじまじと観察すると、ちょっと色っぽく見える。
「美味しい」
スミレは無表情だから、その言葉に偽りがないとは言えないけれど、それでも俺の肩の荷は少しだけ軽くなった。
「良かった」
「一緒に」
スミレに卵サンドをアーンされ、俺はそれをムグムグと食べ進める。
「食べ方が幼馴染みの弥生に似てる」
「うぐっ」
俺はスミレの言葉に不意打ちを食らい、卵サンドを喉に詰まらせた。
「大丈夫ですか?」
「う、うん」
「お茶です」
スミレにペットボトル入りのお茶を渡され、俺はそれで喉の卵サンドを押し流す。
「プッハー」
「豪快ですね」
「どうも」
食べ方なんて、皆一緒だろ。よく気がついたな。
スミレの、俺に対する洞察力は並外れてる。それを忘れていた。
油断してた。
「あ、これ、私の好きなメーカーのお茶だ」
それは、ジュース好きのお子ちゃまな俺が、唯一口に出来る苦くないお茶だった。
「それ、弥生が好きで、一口ちょうだいって言うと思っていつもそれを買っちゃうんですよね。俺はあまり好きじゃなかったから、良かったです」
「へ、ぇ……」
そうだったんだ。俺の為にわざわざ。健気だな。
「本当に仲いいんだね」
「最近は、酷い目にあわせちゃって、嫌われてるんですけどね」
スミレは自嘲気味に微笑して顎の前で両手を組んだ。
酷い目にあわせちゃった?
まさかキスの事?
確かに俺はあれから恥ずかしくてまともにスミレの顔を見れていないけれど、決して嫌ってなんかいない。なんなら好き過ぎて辛いくらいなんだけど。
「何かしたの?」
全部知ってるけどね。
「や、自分でもあり得ない事しちゃって、多分、凄く傷付けたんだけど、どうやって謝っていいか解らなくて」
「ごめんじゃ駄目なの?」
「謝ったらもっと気まずくなりそうで怖くて。凄く大事な奴だから、絶対に失いたくなくて……なのに、なんであんな事しちゃったのか、ほんと、自分が嫌になる」
スミレは本当に反省しているのか、ずっと目を伏せて俯いていた。
スミレは無表情だから、そんな風に悩んでたなんて知らなかった。俺ばっかり騒いでたのかと思ってた。全然いいのに。
「スミレが無表情だって、そんなに悩んで反省しているんなら、きっと相手にも伝わる筈だよ。スミレがその友達を変わらず大事にしていたら、きっと向こうもそれに応えてくれるよ」
「そう、かな。そうだといいんですけど」
「大丈夫、大丈夫。私が保証する」
何故なら本人だからね。
「レイさんに相談して良かった。ずっとその事ばかり気にしていたから」
「スミレはあまり顔に出さないけど、本当は凄く繊細なんだね」
スミレは、本当は凄くいい奴なのに、昔から仏頂面で、それで誤解を招いたり、損をする事も多かった。本人は一言もそんな話をしないけれど、それ故に沢山傷付いてきたんだろうと思う。俺でもレイでもいいから、何でも話してくれればいいのに。
「言いたい時はなんでも相談してね」
「ありがとうございます……レイさんって、やっぱり……誰かに似てますね」
スミレに真っ直ぐ目を見つめられ、俺はその色男ぶりにあてられて足元の菫の花に視線を逃した。
だから、お前の好きな姉川レイにだろ。
スミレの好きな姉川レイの姿になれてラッキーだったと思う反面、直接こういう事を言われると、やっぱり俺は時間制限有りのレプリカにすぎない分、本家が妬ましい。
でも、今、こうして俺がスミレと一緒にいられるのは、まごうことなく姉川様のお力あっての事なのだ、感謝こそすれ、利用しない手はない。
「その似てる人の事、スミレはどう思ってるの?」
「どうって……」
俺が探るように上目遣いでスミレを見ると、今度は彼の方が恥らって視線を下に逃した。
「イヤらしい目で見てる、とか?」
「そんな事、レイさんに失礼過ぎて言えません」
その言葉自体が肯定を意味しているという事に、スミレは気付いていない。
「私は気にしないから、聞きたい。スミレの事、知りたいの。教えてよ」
俺がズイとテーブルから身を乗り出すと、スミレは何かを決意するみたいに下唇を噛み締めた。
「見てます。手の届く人じゃないけど、好きなんで。でも最近はどっちがどっちか混同してきてて、正直、自分でも混乱してるんです」
やっぱりスミレは、姉川レイの事、本当に好きなんだ。凄く悲しいけど、でも、スミレがレイと姉川レイを混乱しつつあるのなら、俺にもチャンスはあるはず。
「私の事、その人の身代わりにしてもいいよ」
「え?」
スミレが耳を疑って顔を上げ、俺と目が合う。
「だって、ほら」
私は勇気を振り絞り、スミレの手を取って言った。
「私なら、手が届くし、実際に触れる」
するとスミレは俺と目を合わせたままそろそろと俺の腕を手繰り寄せ、その整った顔を極限まで近づける。
「レイさんの事、傷付けないようにずっと我慢してたのに、どうしてそんな事を言うんですか」
俺は、スミレの硝子玉みたいな瞳の魔力にかかり、するすると思いの丈を口にしていた。
「好きなの。スミレの事が好きなの」
男の俺のままじゃ絶対に言えなかった言葉だ。それが言えただけでも、俺は幸せだった。
「レイさん、俺はレイさんの思うような人間じゃないよ?」
スミレは試すように言ったけど、こっちだって、中身は弥生なんだ、スミレの思うようなレイじゃない。
でももう、どうだっていい。エビフライの魔法だっていつまで使えるかわからないんだ、スミレの好きにしてくれていい。スミレがどんな人間でも、俺は生まれた頃からスミレを見てきて、信じているから何をされたって構わない。
「全部受け入れる」
俺はスミレから目を離さずに断言した。
「……分かりました。俺もレイさんの全てを受け入れます」
そう言ってスミレが俺の唇を親指でなぞらえてくれたが、俺は後ろめたさで心臓がチクリと痛んだ。
『全て』なんて、スミレがレイの秘密を知ってしまったら、きっと嫌われる。
こんな事なら、3時間と言わず、一生レイのままで良かったのに。
でも何故だろう、そう思う一方で、必要としない本当の俺が心の奥底で悲しんでいた。
でも、男の俺では話にならないので、レイとしてスミレをデートに誘い出した。
デート当日、その日は天候にも恵まれ、俺とスミレは何駅か先の植物園にピクニックをしに、人でごった返す電車に揺られていた。
「スミレ、休日なのに結構人いるね?」
俺はオジサンが座る座席に向かって吊り革を持ち、スミレはその後ろから座席の端にある手摺に掴まって立っているのだが、人同士が密集していて身動きがとれない。
「辛かったら俺に寄りかかっていいですから」
耳元でスミレのハスキーボイスがして、俺は両の耳を赤くした。
なんか、今日はやけに耳に響くな。
「うん、ありがとう」
「誰かに触られたら、すぐに教えて」
「もしかして、スミレ、私を守る為に後ろに立ったの?」
「はい」
さり気なく身を呈して女を守るとか、いい男すぎるでしょ。マジ惚れ直す。ただでさえ今日のスミレはモノトーンな色合いのコーデで大人っぽくて、髪も自然に分けられてていつにも増して女性達の目を引くというのに、これ以上モテたら俺が嫉妬でどうにかなってしまう。デートと言っても、別に俺らは付き合っている訳でもないから嫉妬もなにもないんだけど、周りの女性達からスミレに向けられる熱視線を感じとると、俺はどうしても焦燥とせずにはいられないのだ。
もし、スミレが俺(レイ)の物になってくれれば、少しは安心出来るのだろうか?
「でもレイさん、悪い子だよね。あれ程言ったのにミニで来て、触られに来てるようなもんだよ?」
スミレが俺の耳元で声をひそめていると、急に電車が揺れ、彼の唇が俺の耳を掠めた。
「ぁっ!」
俺はゾクッとして吐息を漏らしてしまい、クスクスと後ろからスミレに笑われた。
「……デートだからって気合い入っちゃって」
俺の口からつい本音が溢れると、スミレの口から微かに『うぁ』と歓喜の声が聞こえる。
今日はこの日の為に女性のファッション雑誌を読み漁り、男ウケを意識して、白いコートの下にベージュでざっくり編みの腿丈セーターにニーハイブーツを履いて来ていた。
「レイさん、もしかして、こないだあげた下着、着けてきてます?」
「え、なんで……?」
俺は図星をつかれ、内心ドキリとした。
「だってあの時のストッキングに似てるから」
さすが変態、嗅覚が鋭い。
「ち、違うよ」
俺は恥ずかしさのあまり嘘をついた。
「なんだ」
スミレはどうしてか、たのしげに笑っている。
最初に比べたら、スミレは自然に笑うようになったと思う。結構からかわれている気もするけど、悪い気はしない。
「じゃあ、今度履いて来て下さい」
「履いて来たって気付かないって」
──と俺が何気なく返すと、スミレがフフッと静かに失笑した。
「そうですね、見ないと気付かないですよね」
あっ……(察し)
スミレって、仲良くなった女性にはちょっと意地悪なんだな。普段は超絶紳士で優しいのに、残念なイケメンだ。
……そんなところも全部好きだけど。
レイにだけ見せてくれてるのかな?
そう思うと、少しだけ安心できた。
「あっ」
「危ない」
またしても突如電車が揺れ、グラついた俺をスミレが後ろから片腕で抱き込む形で支えてくれた。
「俺が支えてますから」
「う、うん。ありがとう」
うわ、なんだこれ、緊張するな。こんなの、バックハグじゃん。カップルがやるやつだよ。スミレとは弥生の姿でキスした事もあるけど、それとこれとは別だ。慣れないよ。
それに、俺の旋毛にスミレが顔を埋めて匂いを嗅いでいるような感触もする。
スーハー、スーハー……
そのような息遣いも聞こえてきているけど、まさかあの堅物なスミレが公共の場でそんな真似をするはずがないか。
気のせい──
スーハー、スーハー
だよね……
更に気になるのは、俺の胸の下敷きになったスミレの腕だ。
乗ってる……明らかに乗ってるよね?
コート越しなのに意識しちゃうな。
スミレも、俺にドキドキしてくれてたらいいのに。
今はまだ、スミレにとって俺(レイ)は、自分が推している姉川レイのそっくりさんってだけで、異性という認識はあれど、好意までは持っていないんじゃあないかな。
キスの事だって、スミレはあれから一度も触れないし、そりゃ男相手って事もあるけど、俺ばっか意識しててなんか寂しい。
ギュム……
「……?」
「すいません、押されてて」
俺が黙って考え事をしていると、スミレが俺を抱く腕に力を込め、体を押し付けてきた。
「う、うん。いいよ」
嬉しいというか、恥ずかしいというか、体が熱い。今の自分が華奢なせいか、やけにスミレを逞しく感じる。
それにスミレったら……
「すいません、ほんとに」
スミレは自分のアレがゴリゴリと俺の腰をノックしている事に気付いたようで、執拗に謝罪してくれた。
「いいよ、仕方ないよ、生理現象だもん」
俺も男だから解る。こういう状況じゃあ、それは不可避なんだから。
それに、俺が俺のままだったら、スミレはこんな反応すらしてくれなかっただろうし。
『弥生が女だったら』
あの言葉には、そういった意味も含まれているのだと思う。
半分は男だけど、それでもスミレが俺を性の対象として見てくれているのは嬉しい。
目的の駅に着き、電車を降りた後も、スミレはとても平に先刻の不祥事を謝ってくれた。
「すいません、あんなとこでムラムラするつもりはなかったんです」
「気にしなくていいってば」
あんまり謝られるのも気まずいものだ。
俺はスミレと目も合わせられず困惑する。
「気持ち悪かったでしょ?」
青くて、反省して元気を失くすスミレを見ていると、俺はお姉さんとしてどうにかしてやりたくなる。
「気持ち悪くないよ。寧ろ……イヤじゃなかった」
俺が赤面してそう告白すると、スミレは目を丸くした後『参ったな』と俺の手を握って歩き出した。
「レイさんの魔性」
スミレが背中越しに呟いたが、俺はその言葉をそっくりそのまま彼に返してやりたい気分だった。
植物園に到着し、俺達は手を繋いだまま外園にある植木を愉しみ、体が冷えたところで何棟かある温室の1つに入る。
「あーホッとする~土臭くて、カビ臭くて、たまんない」
温室の、土臭くて生暖かい空気が心地よくて、俺は湯治に来た老人みたいな声を出した。
「ここは春に咲く花の温室みたいなんで、すごしやすいですよね」
通りで、春に見かける色とりどりの花々が沢山咲いている訳だ。
温室内は陶器のカエル等の置物が転々と置かれ、洋風のガーデンみたいに可愛らしくて、レンガで出来た石畳をスミレに手を引かれて歩いていると、まるで自分がお姫様にでもなったかのような気分になる。
「こっちです」
スミレに連れて来られたのは、温室奥の、大きな観葉植物群の影にあった紫の花を咲かせる菫のコーナー。その真ん中にはささやかなテーブルセットが設置されていた。
「こんな隠れ家みたいなとこ、よく知ってたね」
そもそも今どきの男子高校生が植物園なんて興味ないだろうに。
「ネットで調べました」
俺が近場がいいと言ったから、下調べしてくれたんだな。スミレはこういうところが卒が無い。できた男だな。
レイにもっと時間があったら、スミレと色んな所に遊びに行けるのに。
色々試したけれど、エビフライの魔法は、どんなに追いエビしても1日3時間しか保てない。しかも海老天や海老のフリッターではその効力を発揮しないという謎ぶりだ。
3時間で覚める夢なんて、儚すぎだろ……
「ここでお昼にしませんか?」
その言葉を合図に俺達は向かい合って席に着いた。
とりわけ、スミレは行儀よく俺の動向を窺い、餌を待つ大型犬のよう。
多分スミレは、俺が下着のお礼に何か作ると言っていた言葉に過大な期待をしているのだと思う。
「あんまり上手じゃないんだけど……」
俺は背負っていた黒のミニリュックから遠慮がちに自作のサンドイッチを取り出した。
料理なんて、中学の調理実習以来だよ。サンドイッチに失敗なんてないと思うけど、自信がない。俺が作ったのは、ツナや卵、ハムにレタスにキュウリ等の簡単な物だが、スミレのお口に合うかどうか、心配だ。
「どうぞ」
俺はサンドイッチの入った容器をスミレに差し出し、手に汗を握って彼の反応を窺う。
スミレはハムとレタスのサンドイッチを手に取り、ハムッとそれにかぶりついた。
かわいい……
スミレはそれを何回か咀嚼した後、喉仏を上下に大きく揺らして飲み込む。
こうしてスミレの食事シーンをまじまじと観察すると、ちょっと色っぽく見える。
「美味しい」
スミレは無表情だから、その言葉に偽りがないとは言えないけれど、それでも俺の肩の荷は少しだけ軽くなった。
「良かった」
「一緒に」
スミレに卵サンドをアーンされ、俺はそれをムグムグと食べ進める。
「食べ方が幼馴染みの弥生に似てる」
「うぐっ」
俺はスミレの言葉に不意打ちを食らい、卵サンドを喉に詰まらせた。
「大丈夫ですか?」
「う、うん」
「お茶です」
スミレにペットボトル入りのお茶を渡され、俺はそれで喉の卵サンドを押し流す。
「プッハー」
「豪快ですね」
「どうも」
食べ方なんて、皆一緒だろ。よく気がついたな。
スミレの、俺に対する洞察力は並外れてる。それを忘れていた。
油断してた。
「あ、これ、私の好きなメーカーのお茶だ」
それは、ジュース好きのお子ちゃまな俺が、唯一口に出来る苦くないお茶だった。
「それ、弥生が好きで、一口ちょうだいって言うと思っていつもそれを買っちゃうんですよね。俺はあまり好きじゃなかったから、良かったです」
「へ、ぇ……」
そうだったんだ。俺の為にわざわざ。健気だな。
「本当に仲いいんだね」
「最近は、酷い目にあわせちゃって、嫌われてるんですけどね」
スミレは自嘲気味に微笑して顎の前で両手を組んだ。
酷い目にあわせちゃった?
まさかキスの事?
確かに俺はあれから恥ずかしくてまともにスミレの顔を見れていないけれど、決して嫌ってなんかいない。なんなら好き過ぎて辛いくらいなんだけど。
「何かしたの?」
全部知ってるけどね。
「や、自分でもあり得ない事しちゃって、多分、凄く傷付けたんだけど、どうやって謝っていいか解らなくて」
「ごめんじゃ駄目なの?」
「謝ったらもっと気まずくなりそうで怖くて。凄く大事な奴だから、絶対に失いたくなくて……なのに、なんであんな事しちゃったのか、ほんと、自分が嫌になる」
スミレは本当に反省しているのか、ずっと目を伏せて俯いていた。
スミレは無表情だから、そんな風に悩んでたなんて知らなかった。俺ばっかり騒いでたのかと思ってた。全然いいのに。
「スミレが無表情だって、そんなに悩んで反省しているんなら、きっと相手にも伝わる筈だよ。スミレがその友達を変わらず大事にしていたら、きっと向こうもそれに応えてくれるよ」
「そう、かな。そうだといいんですけど」
「大丈夫、大丈夫。私が保証する」
何故なら本人だからね。
「レイさんに相談して良かった。ずっとその事ばかり気にしていたから」
「スミレはあまり顔に出さないけど、本当は凄く繊細なんだね」
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「言いたい時はなんでも相談してね」
「ありがとうございます……レイさんって、やっぱり……誰かに似てますね」
スミレに真っ直ぐ目を見つめられ、俺はその色男ぶりにあてられて足元の菫の花に視線を逃した。
だから、お前の好きな姉川レイにだろ。
スミレの好きな姉川レイの姿になれてラッキーだったと思う反面、直接こういう事を言われると、やっぱり俺は時間制限有りのレプリカにすぎない分、本家が妬ましい。
でも、今、こうして俺がスミレと一緒にいられるのは、まごうことなく姉川様のお力あっての事なのだ、感謝こそすれ、利用しない手はない。
「その似てる人の事、スミレはどう思ってるの?」
「どうって……」
俺が探るように上目遣いでスミレを見ると、今度は彼の方が恥らって視線を下に逃した。
「イヤらしい目で見てる、とか?」
「そんな事、レイさんに失礼過ぎて言えません」
その言葉自体が肯定を意味しているという事に、スミレは気付いていない。
「私は気にしないから、聞きたい。スミレの事、知りたいの。教えてよ」
俺がズイとテーブルから身を乗り出すと、スミレは何かを決意するみたいに下唇を噛み締めた。
「見てます。手の届く人じゃないけど、好きなんで。でも最近はどっちがどっちか混同してきてて、正直、自分でも混乱してるんです」
やっぱりスミレは、姉川レイの事、本当に好きなんだ。凄く悲しいけど、でも、スミレがレイと姉川レイを混乱しつつあるのなら、俺にもチャンスはあるはず。
「私の事、その人の身代わりにしてもいいよ」
「え?」
スミレが耳を疑って顔を上げ、俺と目が合う。
「だって、ほら」
私は勇気を振り絞り、スミレの手を取って言った。
「私なら、手が届くし、実際に触れる」
するとスミレは俺と目を合わせたままそろそろと俺の腕を手繰り寄せ、その整った顔を極限まで近づける。
「レイさんの事、傷付けないようにずっと我慢してたのに、どうしてそんな事を言うんですか」
俺は、スミレの硝子玉みたいな瞳の魔力にかかり、するすると思いの丈を口にしていた。
「好きなの。スミレの事が好きなの」
男の俺のままじゃ絶対に言えなかった言葉だ。それが言えただけでも、俺は幸せだった。
「レイさん、俺はレイさんの思うような人間じゃないよ?」
スミレは試すように言ったけど、こっちだって、中身は弥生なんだ、スミレの思うようなレイじゃない。
でももう、どうだっていい。エビフライの魔法だっていつまで使えるかわからないんだ、スミレの好きにしてくれていい。スミレがどんな人間でも、俺は生まれた頃からスミレを見てきて、信じているから何をされたって構わない。
「全部受け入れる」
俺はスミレから目を離さずに断言した。
「……分かりました。俺もレイさんの全てを受け入れます」
そう言ってスミレが俺の唇を親指でなぞらえてくれたが、俺は後ろめたさで心臓がチクリと痛んだ。
『全て』なんて、スミレがレイの秘密を知ってしまったら、きっと嫌われる。
こんな事なら、3時間と言わず、一生レイのままで良かったのに。
でも何故だろう、そう思う一方で、必要としない本当の俺が心の奥底で悲しんでいた。
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俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
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