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魔法は解ける

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「どうしたの?翡翠。奥の間が気になる?」
しばし王の隣で休んでいた私が、奥の間を横目で気にするのを目ざとく王に見付つけられ、私は首を引っ込める。
「い、いえ……」
私はあからさまにギクリと身を震わせた。
王は既に2回も果てたけど、今日は件の拷問部屋に行くのかな?
今でこそ王の予測不能な行動に右往左往しているのに、あの部屋に入ってしまったら、何をされるか解らない。多分、怪我はするのだろうけれど。
私は、優しい青年が狼の様に自分の体を貪るギャップに戸惑っていた。何より、彼を怖いと思うのに、体が反応してしまう自分自身にも当惑している。
どうしてなんだろう、全然、そんなつもりはないのに、大好きなセキレイさんに見られて逆に興奮していたとセキレイさん本人に思われたら、私はもう、自分への憎悪で死ねる。

ああ、でも、そうか……

私は王に触られ、挿入されながら、ずっとセキレイさんの事を考えていたから体が反応してしまったし、気持ち的にもこの困難を乗りきれたのかもしれない。
怪我の功名?
でもそれは王に対しても、セキレイさんに対しても失礼だし、最低な事だ。
大好きなセキレイさんをオカズに王様とヤるなんて、私は汚い。なんてあさましいんだろう。
私は女の子なのに、こんな……みっともない。
私は考えれば考える程落ち込んでいった。
「ごめんね、翡翠、あんまり翡翠が可愛くて無茶させちゃったね」
王は私に腕枕しながら優しく頭を撫でてくれる。
「とんでもないです」
でもやっぱり、こうして頭を撫でられていると、否が応でもセキレイさんを思い出してしまう。セキレイさんの弟である王と接していて、セキレイさんと違う部分を探すよりも、無意識にセキレイさんと同じところを探してしまう。そうして王の中にあるセキレイさんらしさを見つけると、少しホッとしてしまうのだ。
本当に、王に対して申し訳ない。

私は、王に申し訳ない程自分勝手にセキレイさんを深く愛している。

「じゃあ、翡翠、そろそろ……」
王が上体を起こし、裸の上半身にシルクのガウンを羽織ると、私の手を引き、それとなく目配せした。
「あの……はい……」
やっぱりあの部屋に行くんだ。
セキレイさんに感じているところを見られたくないから、痛くしてほしいとは言ったけれど、それでもやっぱり怖い。
どんな目にあわされるんだろう……
私は想像しただけで背筋がゾッとした。
私は裸のまま王に連れられ奥の部屋に入ると、過去に話で聞いていた通り、小部屋の中央には純白のシーツが敷かれたベッドが置かれ、その周りや壁にはそれにミスマッチな用途不明の拷問器具がズラリと揃っていた。
何年も前に瑪瑙さんが通され、逃げ出した部屋……
そんなフィルタリングをかけた色眼鏡で室内を見渡すと、現状の何倍も禍々しく見える。
それにあれは……

そこに例の三角木馬も聳え立っていた。

私はあれに座らされるのかな……
そう考えただけで膝が笑う。
後からセキレイさんも入室してきて、そのタイミングで私は足腰が立たなくなり、腰を抜かした。
「翡翠」
「翡翠」
2人の声がハモり、王とセキレイさん、2人の手が差し出され、私は一瞬どちらを取るか迷う。
「あの……自分で立てます」
結局、私は自力で起き上がった。

本当は、セキレイさんの手を取りたかった。

でもそれは許されない。
「……翡翠、今日は初日だから、慣らすだけであまり酷くしないから」
そうして王は私を優しく抱き上げ、ベッドに座らせてくれたけど、私に銀の首輪を嵌め、そこにチェーンを引っ掻けて壁と繋いだ。
逃げられない……
薄暗いにしても、今度は天蓋も無いし、セキレイさんに丸見えだ。
嫌だな……
私は、こんな事になってもセキレイさんに嫌われたくなかった。
横目でセキレイさんを確認すると、彼とばっちり目が合い、気まずさで三角木馬に視線を移す。
私はセキレイさんの前でどんな顔をしてこれに乗ればいいんだろう?多分、王に手足を縛られ、鞭で体をぶたれもするんだ。もしそれで気持ち良くなってまた体が反応してしまったら、きっと私は物凄くイヤらしい子で、変態なんだ。それをセキレイさんに知られてしまったら、きっと嫌われる。

でも逆に、そんな私を許してくれるのは王しかいない。

私が三角木馬を見上げたままボンヤリしていると、不意に目の前で王から指を鳴らされた。
パチン、パチン、パチン
「翡翠?翡翠?おーい」
何の引き金か、王の声がずっと遠くに聞こえる。

あ……あれ……?

なんか……

なんだか……

凄く、凄く怖い事を思い出しそうで……凄く怖い……

ふと下腹に力が入ると、ドロリとした白濁があそこから溢れ出てシーツを汚した。
その瞬間、私は全てを思い出してしまった。

私がなぶりものにされたあの夜の出来事を──

「ぅ、うわ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
私は感情が爆発して、途端に発狂して暴れ出した。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!
あの夜、私は身動きがとれないまま男に無理矢理犯された。
全部思い出した!
全部思い出すと、胃がムカムカしてきて気分が悪くなった。
胃が焼けるように痛い。気持ち悪い。鳥肌がやばい。
「翡翠!」
「翡翠!」
またしても声をハモらせ2人が私に触れたが、私は王の手を振り払い、セキレイさんにしがみついて泣き叫ぶ。
「セキレイさんっ!!セキレイさんっ!!怖い!怖い!」
セキレイさんだけが、私の救いだった。
私は首が絞まるのも構わず首輪を持ってチェーンを引く。
早くここから逃げ出したい!
自由がきかないのは怖い!ヤられる、ヤられる!
私はあの夜の事がいっきにフラッシュバックし、犯人の息遣いや目線、律動までもが脳を焼き尽くすように思い出される。
「翡翠、翡翠、落ち着け!首が絞まってる!大丈夫だから、俺が付いてる、俺が付いてるから、暴れるな」
セキレイさんは私が暴れぬようしっかりと抱き締めてくれたが、パニック状態に陥った私は早く拘束を解かれたくて死にもの狂いで脚をじたばたさせた。
「翡翠……一体、どうしたんだ?」
心配そうにおろおろする王を、セキレイさんは強い口調で一喝する。
「風斗!チェーンを外せ!翡翠はもうお前に献上されたんだ、今日は誰が何と言おうとお開きだ!」
そう言ってセキレイさんが強引に王を押しきってチェーンを外させ、自分が着ていたジャケットで私をくるみ、お姫様抱っこでその場から連れだってくれた。

セキレイさんの部屋に戻るなり、私は彼のベッドの上で泣きじゃくった。
「セキレイさん!セキレイさん!ごめんなさい、儀式を台無しにしてごめんなさい。逃げだしてごめんなさい」
確かに容量を超える程の恐怖もあった、しかしそれと同時に調教師であるセキレイさんへの申し訳なさもあった。
私はとんでもないことをしてしまったと自分を責めた。
「失敗した!セキレイさんに国をプレゼントするって言ったのに、私はこんなくだらない事で儀式をめちゃくちゃにしちゃった!私はもう選ばれない。セキレイさん、ごめんなさい。こんな出来の悪い献上品でごめんなさい」
私が体育座りをして両手で泣き顔を隠すと、セキレイさんは私を毛布で包み込み、そっと抱き締めてくれた。
「そんな事を言うな、俺が愛した翡翠をそんな風に責めないでやって。お前は何も悪くない。悪いのは、お前を献上品にしてしまった俺が悪いんだ。こんなにまでお前を愛してしまうなんて、わからなかったから。そのせいでお前をボロボロにしてしまった。ごめんな。それにお前は出来の悪い献上品なんかじゃない。俺の最愛の人だ」
セキレイさんとは一瞬だけ恋人だった事があった。その時もセキレイさんは私に愛を語ってくれたけど、私はそれを本当の意味で理解していなかったのだと思う。

この人は、この人だけは、本当に私を愛してくれている。

だからこそ、そんな彼の夢を志半ばで台無しにしてしまったのが悔やまれた。
「セキレイさん、これから私はどうなるんでしょう?もし処断されるなら、他の人にお願いします」
本当なら好きな相手に手をくだしてもらいたいけれど、セキレイさんにその役を背負わせるのは酷だ。
「何言ってるんだ、まだ解らないだろう?お前はベストを尽くしてちゃんと儀式を受けた。後は結果を待つだけだ」
セキレイさんは私を慰めるようにゆるゆると体を揺すって優しく微笑む。
不思議だな、セキレイさんと最初に出会った頃、この人はこんな風に笑いかけてくれるような人間じゃなかった。冷たくて、意地悪な大人だと思ったものだけど、今は、そんな風に笑いかけてくれる彼が大好きだ。
……本当に、不思議だ。
「本来なら、献上されてしまった献上品とこうして部屋に戻る事は許されていないんだが、今は少しだけ一緒にいよう」
な?とセキレイさんに頭を撫でられ、それからその大きくて繊細な手で頬を包まれ、私はようやく落ち着く事が出来た。
私はやっぱりこの手が好きだ。
「……なんで、部屋に戻っちゃ駄目なんですか?」
私がスンと鼻をすすり、様子を窺うように目を泳がせながらセキレイさんに尋ねると、彼は困った顔をして自分のうなじを掻く。
「あー、いや、一般的な話、処女喪失後の献上品と調教師が一緒にいて、その……間違いがあると……いけないから……」
セキレイさんは年下の私が可愛いと思うくらい動揺して、私と同じように目を泳がせた。
「あ……そうか……」
つまりヤってもバレない状況で調教師に手を出させない為の国の措置なのだろう。
私が理解すると、2人の間に気まずい空気が流れた。
「えぇと、シャワー、シャワーするか?」
セキレイさんが気まずい空気を払拭するように変に声をあげた。
「はい。あの……」
これは、セキレイさんが洗ってくれるという事でいいのだろうか?
「何?」
「……」
「ん?」
黙り込んだ私の顔を、セキレイさんが不思議がって覗き込む。
「セキレイさんが洗ってくれるんですか?」
私がズバリ尋ねると、セキレイさんは急に背を向けて立ち上がった。
セキレイさんの耳が赤い。
「いや、それはまずい」
「でも、前は洗ってくれました」
セキレイさんなら、身を任せられるのに。
「前はな、でも今は、もし俺が我慢出来なくなってお前を傷付けてしまったら、お前が可哀想だから」
セキレイさんは我慢出来なくなっても、きっと我慢する。だってセキレイさんは私には優しくて、いつだって誠実だった。
いくらバレないからと言っても、セキレイさんは私を抱いたりしない。

だってこの人は、本当に私を愛してくれているから。

「翡翠、もしお前が正室や側室に選ばれなくても、俺はお前を処断したりしない。それにこんな状態じゃあ正室も側室もない。翡翠、どんな結果になっても、俺は世界を敵に回しても、お前をここから連れ出してやるから」
かつてのセキレイさんや、翠がそうしたように、今度こそ、ここを?
でも、それじゃあセキレイさんは──
「セキレイさん、ありがとうございます。それから、ごめんなさい」
私は自分で思うよりもずっとずっとずっとセキレイさんの事が好きで、大好きで、凄く凄く愛している。だからこそ、彼を私のせいで不幸にしたくない。

私はまだ、諦めちゃ駄目だ。

部屋でシャワーを浴びた後、私はすぐにセキレイさんの部屋を出て、彼に連れられて『保留中』の献上品達が入る部屋に移住した。
そこは白くてベッド以外何も無くて、まるでこ綺麗な牢獄みたいな部屋だと思った。
私とセキレイさんが暮らしていた部屋とはまるで違う。無機質で、何の温かみもない。長くここにいたら精神を病んでしまうだろう。
実際、数日ここで過ごした間、私は食べ物を口にする事が出来なかった。このままじゃいけないと何かを一口でも飲み込もうものなら、その場で胸が悪くなり、胃液と共に吐き出される。
私は数日でみるみる痩せていった。

セキレイさんの部屋に戻りたい。

正直、考えるのはセキレイさんと暮らした何気無い日々ばかり。つまらない事で笑ったり、時には喧嘩をして部屋を飛び出したりしたけれど、それでも、心の底ではあの部屋が自分の帰るべき場所だと思っていたし、自分の居場所だと思っていた。それが当たり前すぎて、もう二度とセキレイさんの元に戻れないと思うと、とても悲しかった。
しかし、私は献上品としてセキレイさんの元を卒業し、彼は私にとって調教師でも何でもない赤の他人になってしまったのに、彼は規則を破って毎日の様に私の元を訪ねてくれた。
本当はいけないのに……
今朝も、セキレイさんは自身の会議の前に私の部屋に立ち寄ってくれた。
「翡翠、また痩せたんじゃあないか?ちゃんと食べているのか?ちゃんと眠っているのか?」
そう言うセキレイさんも、少しやつれた様に見える。
セキレイさんは私の頭を撫でようとして、通りかかった使用人の視線を感じてその手を引っ込める。
ただでさえ規則を破っているのだ、セキレイさんは私の部屋に入る事も、私の頭を撫でる事も出来ない。
……凄く寂しい。セキレイさんも、そう思ってくれているのかな?
「セキレイさん、心配ないですよ。昨日鷹雄さんの往診を受けた時、何も問題ないと言われましたし」
本当は鷹雄さんの往診なんてなかった。昨日は何も口にしないままただボンヤリ時を過ごした。
セキレイさんはもう私の調教師じゃないんだ、心配をかけては申し訳ない。
「……そうか。でも、ニシンを焼いて来たから、食べないかと思って」
セキレイさんは変な間をおき、内部が汗をかいたタッパーを掲げた。
多分、セキレイさんは私の嘘に気付いている。
「いや、でも違う物を用意するべきだったな。食欲が無い時はヨーグルトとかさっぱりした物の方が──」
「私がニシンに目がない事、覚えててくれたんですね」
私はそれだけで嬉しかった。
恐らく私は、このニシンもまた吐き出してしまうだろう。でも、セキレイさんのせっかくの好意を無駄にしたくなかった。
「翡翠、無理しなくてもいいんだぞ?」
セキレイさんが控え目にタッパーを差し出し、私がそれを受け取ると、タッパーはまだじんわり温かくて、セキレイさんは私に焼きたてを食べさせたくて急いでここへ来たのだと思ったら、涙が溢れた。
セキレイさんの気持ちが嬉しい。
私はやっぱりセキレイさんが好きだ。
「翡翠?やっぱり具合が悪いのか?今日、鷹雄が出張から帰って──いや、また鷹雄に診てもらった方がいい」
ほら、やっぱりセキレイさんは私の嘘に気付いていて、気付いたうえでその嘘に乗っかってくれている。
本当に、セキレイさんて人は──
「ごめんなさい、平気です。久しぶりのニシンが嬉しかったんです。セキレイさん、今度はアボカドが食べたいな」
私はアボカドが世の中で一番嫌いだけど、セキレイさんが作ってくれるアボカドサラダが無性に食べたくなった。
「お前、あれ嫌いじゃなかったか?」
セキレイさんは満更でもなく嬉しそうに笑う。
「嫌いです。でもセキレイさんのアボカドサラダが食べたいんです」
えへへと私は袖口で涙を拭い、照れ笑いをして顎を掻いた。
「わかった。明日にでも作って来るよ。あれは体にいいからな、多分」
『ペーストにするなよ』とセキレイさんに指をさされ、私はウンウンと2、3度頷く。
「じゃあ、また明日な」
セキレイさんはもう一度私の頭を撫でようとして、その手を宙に漂わせた。
「駄目だな、つい犬みたいに撫でたくなるんだよな」
セキレイさんがいかんいかんと自分を戒めながらその場を立ち去ろうとして、そこで事件は起こった。
セキレイさんが向かった反対側の通路から、物凄い勢いで誰かが駆け寄って来る足音がして、何事かと私が振り返ると、そこに手袋をはめて小さなガラス瓶を持った瑪瑙さんが私目掛けてそのガラス瓶の中身をぶちまけてきた。
「!」
本当に、あっと言う間もなかった。
気が付くと、ガラス瓶から放たれた液体が煙を上げながらシュワシュワと床を溶かし、それから……それから…… 

私を庇ってくれたセキレイさんの背中を痛々しく焼き進めていた。

これは硫酸だ。
そう気が付いた時、私は当たり前のように明日会えると思っていたセキレイさんがとても儚く思えた。
「セキレイさん!セキレイさん!」
セキレイさんのジャケットに大きな穴が空いて、目測を誤った瑪瑙さんが顔を真っ青にする。
やめてよ、何でそんな青い顔をしてセキレイさんを見るの?

それじゃあまるで、セキレイさんが死んじゃうみたいじゃない。

私が落としたニシンはタッパーの中でぐちゃぐちゃになっていて、セキレイさんは俯いて私に寄り掛かってきた。
「セキレイさん……?」

やめてよ、私はセキレイさんが作ってくれるアボカドサラダしか食べられないんだから、こんな所で──

──死なないでよ。
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