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葛藤

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「なっ!!」
 聞き間違いじゃない、セキレイさんははっきりと私に使いたくて用意したと言った。
 え、怖い、怖くない?
 私の知らないところで何かが推し進められていたようで怖い。信頼していた兄の隣で呑気に寝ていた筈が、狼の隣で寝息をたてていたとは、今になってゾッとする。
 え、え、寝てる間に勝手にあれを使われてないよね?
 というか、セキレイさんは妹相手に何を言っているの?
 今までずっと、妹をそんな目で見てきたの?
 いや、私だってセキレイさんを男として意識しているから人の事は言えないけれど、寝ているセキレイさんを襲おうとか、そこまでじゃない。何よりセキレイさんと関係をもってしまったらセキレイさんが地獄に落とされてしまうのだ、絶対に間違いがあってはいけない。
 しかしセキレイさんて、妹に手を出す程溜まってたの?
 死にたいの?
 それとも女なら見境なく手を出すタイプの人なの?
「そんな、悪い冗談、止めて下さい」
 せめて乾いた笑いの一つでも出せていたら、この場を凌げていたかもしれない。
「本気」
 私の心配をよそに、セキレイさんはとても落ち着いていて、真摯な目でこちらを見据えている。
 これは『本気』と書いて『激マジ』だ。
「う、嘘嘘、信じません」
 嘘だ、あれは本当の本当に本気の目だ。だから怖い。実の妹相手に本気でゴムを使おうとしていた人の目だ。
 いや、知らんけど。
「この際だから──」
「あ~~~~~っ!!!!!!」
 私は気恥ずかしさとか罪悪感とか疑念とかよく解らない感情でセキレイさんの言葉を遮った。絶対にその先を言わせてはいけないと思ったからだ。
 私は妹ながらにセキレイさんの事が好きだ。だから喜んでいい事なのかもしれないが、事はそう簡単ではない。セキレイさんと私が結ばれれば彼が地獄に堕ちる。だから私はセキレイさんに再会出来ただけで嬉しかったから、こういった先の事を想定していなかった。まさか、よもや、実の兄であるセキレイさんが実の妹である私と体の関係を持とうと思っていただなんて、つゆ程も思わなかった。いざ実際にこんな事に直面してみると頭が混乱して上手く回らない。
「わ、私、妹ですよ?しかも双子の」
 セキレイさんの事は好きだけど、双子同士でそれは……
「知ってる」
 ニコリともしないセキレイさんの顔が生々しくて怖い。
 やはりこの人は本気だ。すきを見せたら今にも食べられてしまいそうだ。
「いくら思春期で童貞だからって……やっぱり瑠璃さんと仲直りして下さい」
「あれを瑠璃に使えって?」
「……」
 私が言っている事は、つまりはそうなのだけど、そんな直接的な言い方をされると抵抗感がある。瑠璃さんに使うにしても、私の知らないところでやってほしい。
「お前はそれでいいのか?」
「……」
 嫌に決まっているけど、あれは、私とだけは使っちゃいけないのだ。
「俺はお前と使いた──」
「あ~~~~~~~~っ!!!!」
 私は立ち上がり、両手をクロスさせてセキレイさんの口を封じる。
 なんだって、こう、人の気も知らないで……
 気苦労で白髪になりそうだ。
「聞きたくないです」
 聞いてしまったらこの関係すら崩壊すると思った。
 不思議だ。私は前世からセキレイさんの事が好きで、何のしがらみも無ければ結ばれたいとさえ思っていたのに、今は、単に双子に転生しただけなのに、セキレイさんが地獄に堕ちるのを抜きにしても彼と繋がる事にちゃんと背徳感や罪悪感がある。
「分かった」
 セキレイさんが下からじっと私の様子を窺い、モゴモゴと私の手の中で答えた。
「この事は一時の気の迷いという事で無かった事にしてあげます」
「……」
「な、なんですか?なんか文句でもあるんですか?」
 急に黙られるのもなんか怖い。そもそもセキレイさんはシベリアンハスキーに顔が似ているから尚更。
「いや、ゴムが駄目なら生でお前と──」
「あ~~~~~~~~~~~っ!!!!」
 私はセキレイさんを窒息させるくらい強く彼の口元を押さえつけた。
 この人は何も分かってない。この人はなんっにも分かってない!!
「どうか妹を困らせないで下さい」
「妹、ね。ハイハイ」
 やれやれとセキレイさんが両手を仰いで見せたが、それはこっちのセリフだ。
「本当に分かったんですか?」
 セキレイさんは黙って頷く。
 これはなんかかわいい。
「手を離しますよ?」
「うん」
 私は恐る恐る両手をセキレイさんの口元から離し、自分の席に戻る。
「はぁ……」
 疲れた。心臓がもたない。
「翡翠」
「はっ、い……」
 まだ何かあるのか?
「俺は思春期で童貞だからって、ただ闇雲に興味本位でお前と関係を持ちたい訳じゃない。勿論、兄としてお前を大事に思う気持ちもある。でも、男としてお前を想う気持ちの方が強い。それだけは理解しといてくれよ」
 それはつまり体目当てじゃなくて…………
 …………考えるのはよそう。セキレイさんを地獄送りにしない為にも希望を持つのも駄目だ。
「私は、オニイサンが瑠璃さんとうまくいけばなって思ってます」
 これは私の建前だけど、セキレイさんの為にもそうなるべきだと思った。
「それは本心か?」
「……はい」
 だってそう言うしかないじゃない。
 私達は双子なんだから。
「双子だから?」
「双子だから」
 私はセキレイさんの目が見られなくなっていた。
「双子か、運命が憎いよ。双子じゃなかったら、俺はお前をむちゃくちゃにしてたのに」
 怖……
 双子じゃなかったから、セキレイさんは私に何をする気だったんだろう……
「双子じゃなかったら出会ってません」
「そうだな。双子じゃなかったら、俺らは何の繋がりも無いからな。なあ、翡翠」
「はい……」
「多分、俺達は何度生まれ変わっても双子になると思うよ」
 前世で一緒になれなかった悲運の男女は、神様が来世で双子にするのだ、そこでまたその男女は一緒になれず、そのまた更に来世で双子にされ一緒になれない。それを繰り返すのだと思う。
 神様は意地悪だ。
「そう、ですね」
 不毛だ。何度報われない恋をしても、何の意味も無い。
 どうしたらこの無限のループから抜け出せるのか、神のみぞ知る、だ。
 でも無謀なのに、私はどうしてもセキレイさんに惹かれるのだ。きっと何度生まれ変わっても、馬鹿の一つ覚えみたいに、または刷り込み現象みたいに、彼に惹きつけられて止まないだろう。
 好きで好きで仕方が無くて、双子だけど繋がりたい。でも禁忌を犯すのは怖い。セキレイさんを地獄に落とすのが怖い。もしセキレイさんが地獄に堕ちたら、この無限のループすら適用されなくなり、セキレイさんには二度と会えなくなる。それが一番怖い。
「オニイサンがお兄さんで良かったです。ずっと、私のお兄さんでいて下さい」
 結ばれないのならせめて妹としてセキレイさんのそばにいたい。それは本心だ。欲張れないから仕方無しに捻出した苦し紛れの本心。本心の本心は、また別の所にしまってしまった。
「お前は残酷だな」
 セキレイさんは憂いを含んだ表情で微笑み、途中で食事を止めた。
 胸が痛い。
 手放しで本心の本心を打ち明けられないのが苦しい。
 もしかしたらセキレイさんも私と同じ気持ちかもしれないのに、私は彼を他の女性の元へ送り出してやらないといけない。
 これが血を分けた兄妹の呪縛だ。

 二人共途中で食事を止め、なんとなくバラバラに寝る準備をすると、セキレイさんが自身の布団の端を掴んで中腰でそれを部屋の外に引っ張り出した。
「え、何をしてるんですか?」
 セキレイさんの後ろで様子を窺っていた私が尋ねた。
「もう俺とは安心して一緒に寝られないだろ?」
「それは……」
 同じ部屋で寝るのは気まずいとは思っていたけれど、こうして距離をおかれると結構寂しい。
「今は、お化けより俺の方が怖いだろ?」
「それはそうですけど……」
「そうなのかよ」
「はい。でも……」
 お化けの事なんかもうどうでもいい。ただセキレイさんと一緒にいたい、なんて私が言ったら、セキレイさんは禁忌を犯して地獄に堕ちるかもしれない。そう思うと何も言えなかった。
「大丈夫、部屋のすぐ前で寝るから、何かあったらすぐに呼べ。ただしちゃんと鍵はかけろよ」
「そこまでする必要ありますか?」
「兄ちゃんに夜這いされてもいいのか?」
 セキレイさんから顔を間近で覗き込まれ、私はそっぽを向いてツンケンする。
「そういうセクハラ止めて下さい」
 まったくこの人は、ほっといたら何度だって地獄に堕ちそうだ。
「本気だけど?」
 セキレイさんがニコッと白い歯を見せて微笑む。
 本気だから困ってるんでしょーが。
「分かりました。凄く戸締まりします」
 後ろ髪引かれるというか、名残り惜しいというか、セキレイさんが部屋のすぐ外に行くというだけなのに、遠距離恋愛でも始まるみたいに切ない。
「じゃあ……おやすみ」
 セキレイさんは私の頭を撫でようとして、その手を宙に迷わせてから誤魔化すように自身の後頭部を掻いた。
 私は私で、セキレイさんの手を求めていたところもあり、ちょっと頭を傾げてしまっていた。
 恥……つい条件反射でやってしまった。
「はい、おやすみなさい」
 私もセキレイさんも探り探り兄妹というものを演じている。
 それから私はセキレイさんから言われた通り部屋の鍵を掛け、ため息をつきながらベッドに腰掛けた。
 部屋に独りになって、セキレイさんの布団が無くなると、ここが随分広い空間に感じる。虚空とでも言うのだろうか、何か無を感じる。セキレイさんといる時はドキドキと絶対的安心感があったのに、今は何も無い。虚無だ。それでも、部屋のすぐ外にセキレイさんがいるかと思うと、また違った緊張感がある。
『翡翠』
「はっ、ハイッ!」
 いきなりドアの向こうから声をかけられ、私の背筋がピンと伸びた。
『腹出して寝るなよ』
「う、うん」
 びっくりした~!
 姿が見えな分、いつ話し掛けられるとも知れないスリルがある。
 そして多分、私はトイレに起きた時、寝ぼけてセキレイさんを踏みつけるだろう。


 翌朝、私はセキレイさんの事も忘れ、寝ぼけ眼でドアを開け、こちらに背を向けて丸くなっていた彼の背中にドアの角をぶつけてしまった。
「あっOMG!」
「イッ……なんでそこだけ流暢なんだよ……」
 セキレイさんは腰を押さえながら不機嫌そうな表情で起き上がる。
「よく眠れたか?」
「まだ少し落ち着きませんが、徐々に慣れると思います」
「別に慣れてくれなくてもいいんだけど」
「いえ、慣れておかないと……高校卒業したら一人暮らしをするつもりですし」
 神様にお願いした時は、セキレイさんと再会して、ずっと一緒にいたいと切望したけれど、実際にこうして同居してみると、楽しい反面、一緒にいる方が辛かったりもする。
 離れたら、この恋しい気持ちも薄れるかもしれない。
「心配だから俺もついてく」
「駄目です。い、妹にあんな物を使おうとしていた人とは住めません」
 私は気恥ずかしくてゴニョゴニョと言葉を濁した。
「ゴムな。嫌いになった?」
 セキレイさんは先刻までの苦い表情から、いさぎの良い、達観したような顔になる。
「兄ですから、嫌いにはなりませんけど、けど……」
 何と答えたら角が立たないのか?
「じゃあ、気持ち悪い?」
「そういうんじゃないですけど、けど、双子なんで、その、やっぱり、全米が震撼すると言いますか、全私が震撼すると言いますか……とにかく駄目なんです」
 私は丁寧に言葉を選んだつもりが、慎重になりすぎて上手く話せない。それがまた歯痒くて堪らない。
「だったら男としては?」
「む、難しい質問ですね」
「そう?イエスかノーかだけで簡単だと思うけど」
「世の中の物事が何でもイエスかノーかで分類出来ると思ったら大間違いですからね」
「それで、どっち?」 
 セキレイさんは布団を畳みながら尋ねた。
「……」
 なんとなく有耶無耶に出来ると思ったが、そうは問屋が卸してはくれないらしい。
「兄妹間でそんな質問をするのはおかしいと思います。でも強いて言うなら、あんな、6個綴りも枕の下に隠しておく人なんて嫌いです。こ、怖いです」
「ふっ、足りないかとも思ったけどな」
 茶目っ気なのか愛嬌なのか、セキレイさんは内容にそぐわない爽やかな笑顔で毛布を畳んでいく。
「ふざけないで下さい。今日は、ちゃんと瑠璃さんと和解して下さいね」
「分かってるよ。だから今日は先に帰ってて」
「はい」
 これで良かったんだ。
 その後セキレイさんと一緒に朝食を食べ、並んで歯磨きをして、一緒に登校して、授業を受けて……一人で帰路に着いた。
 電車に揺られながら、ふと──
「あぁ、そうだ、卵が無いんだった」
 本当は真っ直ぐ家に戻りたかったが、毎朝食べる卵が無いのでは話にならないと、次の駅で降りる事にした。
 疎らに人が乗車している中、私は吊り革を持ち、壁に寄り掛かってボンヤリ車窓の外を眺める。
 いつもはセキレイさんと並んで立ってるのに、隣に彼がいないだけでガランとしている気がする。
 夕暮れのオレンジが寂しさを増長させてならない。
 セキレイさんは同じ家に帰ってくるのに、今、この時、彼が別の女性と過ごしていると思うと、胸が潰れそうだ。
 そしてぼーっとしながらスーパーへ行き、適当に食材をカゴに入れていくが、思いの外カゴが重くて腕が千切れそうになる。
 あぁ、そうか、いつもはセキレイさんが持っててくれたから楽々買い物してたんだっけ。
 私は会計を済ませ、少し歩いた所で足を止め、そこからヒーヒー言いながら海浜公園のベンチに座る。
「マジで買いすぎた」
 ここからこのパンパンの買い物袋を持って一キロ程歩くなんて、家に着く頃には腕に力こぶが出来そうだ。
 夕暮れの中、さざ波の心地良い音を聞きながらオレンジに染まる海を見ていると、ちょっとだけおセンチになって、ちょっとだけ鬱になる。寄り添い合って座るカップルとか、ソフトクリームを食べながら帰路に着く母子とか、犬の散歩をするお爺さんを見ていると、自分だけがこの世に独りになったような、そんな錯覚さえ覚えた。
 今日は割と暑かったのに、頬を撫でる風が冷たくなってきた。

「帰ろう」

 帰ったらセキレイさんがいる。
 嬉しい筈なのに、なんだか寂しく感じる。
 私が重い腰を上げ、短く息を吐いて買い物袋を持ち上げた時、海側から誰かがこっちに手を振るのが見えた。
 砂を撒き散らしながら真っ直ぐ走って来る男性を、私はセキレイさんだと思った。
「えっ、なんで?」
 瑠璃さんは?
 複雑な心境だった。
 素直にセキレイさんに会えて喜ぶ事が罪に思えて罪悪感を感じる。
 しかしその人物が私の目の前まで来て、私はもっと複雑な気持ちになった。
「やっと見つけた」
 そう言った彼の顔は最初こそ夕日の逆光で見えなかったが、目が慣れてきてすぐに気付いた。

 それが波風風斗である事を──
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