72 / 73
カザンの居ぬ間に
しおりを挟む
長い間眠っていたと思う。
カザンからは春臣と結婚したとだけ告げられ、それ以降ずっと意識を押さえつけられていた。
それが、いきなり何の前触れもなく出てこれた。
「イテテ、倒れたのか、腰が痛い」
やたらと重くなった上半身を起こすと、自身のポッコリお腹に驚いた。
「えぇ、でっか!腰から倒れて良かった、というか、タイムスリップした!?それにカザンは何をしようとしてたの!?」
傍らには毒蛙の干物が落ちている。
「いや、誰を殺す気だよ!」
カザンの暴走を寸前で止められて本当に良かった。
私は細心の注意を払って毒を処分した。
「カザンの事だから、まだどこかに隠し持ってそうで怖い。何となく、誰を殺そうとしていたか検討がついてきたな」
もしかしたらヤサカの子供が男の子なのかも。それで焦ったカザンがその男の子を殺そうと毒を調合していたって事か。
「徹底してるな。もはやカザンは何になろうとしてるんだろう?」
この国の絶対的女王か?
「……疲れる。想像しただけで疲れる。でもこんな身重じゃここから1人で脱出なんて不可能だ」
私はその張り詰めたお腹を労る様に撫でる。すると、それに応える様にそこがポコッと隆起した。
「蹴ってる」
私は直に胎動を感じ、今度は感慨深くお腹を撫でる。
「杉山さんの子供が私の中ですくすく育ってる」
杉山さんはもういないけれど、彼の忘れ形見がここまで大きく成長してくれた。私はこの子をこの世の全てから守る。例え敵が自分の意識の中に潜んでいようと。
「でも子供を産んでからだと尚更身動きがとれなくなる」
ここはやはり、ちゃんと春臣と対峙しなければ。
そこにいきなり、忘れ物をしたという春臣が戻って来た。
「よぅ、誰か毒殺した?」
なんか、凄くカジュアルに恐ろしい事を聞いてくるな。カザンは恐らく本気でヤサカを毒殺しようとしていたのに、春臣は彼の本気度に気付いていない。
「いえ、まだです。危うくカミングスーンでした」
「危うく?」
春臣はリビングのテーブル上にあるメモリーカードを手に止まる。
「毒は捨てました」
「何故?というか、あれはガチ物だったのか?」
やっぱり、何ら把握してない。春臣は話半分でカザンの好きにさせているらしい。
「ガチ中のガチです」
「ちょっと疑問なんだが、毒を作ってはその毒を処分して無かった事にしたり、お前はどういうつもりで──」
「二重人格なんです、本当に」
春臣に全て打ち明けよう、そう思った。
「────そう、か。やはりと言えばやはりか」
春臣はメモリーカードをテーブルに戻し、私の目の前に立った。
「表現が難しいんだが、その、お前はどっちなんだ?」
「オリジナルです」
「そうか。まともな方の人格か」
まともな方……言い方はあれだが、毒を処分するくらいの理性を持ち合わせた常識的な人格と認識されているのだろう。
「お前が本物のエデンで、もう1人は?」
「砂山カザン。10代後半の少年です」
「少年?ウナが?」
春臣は目を見張り、片手で頭を抱えた。
それもそうか、目をかけている人格が男の子じゃ、頭も抱えたくなる。
「すみません、騙すつもりはなかったんです」
「いや、ウナは最初から自分は二重人格だと申告していた。話半分で信じていなかったのは俺の方なんだ」
春臣はそのまま大きくため息をついた。
せっかく娶った王妃に失望しただろうか?
「じゃあお前は、俺の事なんて好きじゃないんだろ?」
「あの、すみません、すみません、私は、オリジナルは杉山さんと愛を誓っていて、彼が亡くなった後でもそれは変わりなくて、それで、あの……」
嘘に嘘を重ねるのは性格的に限界があった。
私が躊躇いがちに本音をゲロすると、春臣は顔を上げて私の顔を凝視した。
「知らないのか?」
「え?何の事ですか?」
カザンがまた何かやらかしていたのか?
「いや、なんでもない」
春臣は不自然なくらい不自然に私から目を逸らした。
「?」
「お前らはどこまで情報や記憶を共有しているんだ?」
「カザンは私がどう行動をとるかまでは予測出来ませんが、情報や記憶のほぼ全てを把握しています。でも私はカザンから教わらない限り彼の人格でいる時の記憶はありません」
「そうか」
そう言った春臣の顔が安堵している様に見えて、私はそれに違和感を持った。
「だから毒を作ったり、処分したり、奇行を繰り返していたんです」
まさか、春臣の実の妹を毒殺しようとしていた、とまでは言えないが……
「なるほどな」
「すみません」
「いや、待て、毒が本物だとして──」
カザンがヤサカを毒殺しようとしていたと悟られたか?
私は内心冷や汗をかいた。
「まさか俺を毒殺しようと?」
春臣は閃いた様にハッとする。
そっちか!
「いえ、カザンは貴方を毒殺したりしませんよ、カザンは──」
何となく、カザンは春臣を気に入っているんじゃないだろうか?
だってもはやカザンは、私の幸せどうこうより、春臣と一緒にいられる人生をわざわざ選んでいる様に思える。
「カザンは貴方の事が好きなんだと思います」
「そうか……」
春臣は落胆まではいかないが、少し寂しそうに笑った。
まあ、複雑よね。見た目は女(多摩川エデン)なのに中身は少年で、単なる概念なんだもの。まるで実体の無い霧や煙でも好きになっている気分なのだろう。心中お察し致します。
「俺としては、二面性のある変わった個人を好きになったつもりだったんだけど、実物の方は俺に興味が無かったんだな」
「……」
こんな時、なんて言えばいいのか、言葉にならない。
「ごめんな」
春臣からポンと頭を撫でられた。
「え?」
謝るのはこっちの方では?
「いや、何でもない」
「失望しましたか?」
私は恐る恐る春臣の顔色を窺った。
「いや、真実を知ったというだけで、心持ちは何も変わらない」
やはり器の大きい漢だ。
「私としては正室ではなく、第二、第三……いえ、妾に降格していただいていいんです」
寧ろそうしてほしい。なんならその為に春臣に二重人格を打ち明けたくらいだ。
「新婚なのにそんな事を言うなんて酷いな」
そう言って春臣はいつも通り笑ってくれたけれど、私としてはそうしてくれた方が心も楽なのに、と思っていた。
「俺は生涯、1人の女しか娶らないって決めてるんだ、寂しい事を言うな。それが例え二重人格で、他の男を愛していても、望みが無い訳じゃないだろ?」
「……」
答え辛い質問だ。
「そんな答え辛そうな顔をするな笑」
「すみません」
そしてここからが本題だ。
「あの、それで、1つ提案なんですけど」
「なんだ?何でも言ってみろ」
「精神科医とか心療内科医を呼んでいただきたいんですけど」
「何故だ?」
「カザンを消したいんです」
私はずっと『自分』のトラウマから逃げ続けてきた。カザンという概念に全てのストレスやトラウマを押し付け、それらから目を逸らしてきた。でもそれももう、終わりにしなければ、今に大変な事になる。
「──ウナを?」
春臣の表情は変わらなかったが、一瞬時が止まったかの様な今の間はなんだ?
「え、はい。このままじゃ良くないじゃないですか」
「何が?」
「え、何がって、病気ですし、周りに迷惑をかけますし」
「それは問題ない」
いや、大有だろ。
「でも毒作ってましたよ」
「薬を作っていたのかもしれないだろ?」
「トリカブトにテトロドトキシンで?」
「趣味で作っただけかも」
「そんな、観賞用じゃあるまいし。毒ですよ?」
「まあ、そうなんだが……」
「春臣さんに使おうとした訳ではないにしろ、もし、自害用に作っていたとしたら、子供諸共死んでしまいます」
自分で言っておいてなんだけど、自害だなんて、まさかね。
「それは──」
なんかやけにしぶってないか?
春臣はカザンの事を特に気に入っていたようだけど、ここまでとは──
「……分かった。年内には手配しよう」
春臣が無理矢理会話を打ち切りメモリーカードも持たずにさっさと部屋を出ようとしたので、私はその肩を捕まえて強めに要求した。
「ナウでお願いします!!」
なんかの拍子に意識をカザンにバトンタッチしてしまったらこの計画は台無しだ。
「分かった分かった、今手配するよ」
春臣は観念した様に両手を上げ、尻ポケットからスマホを取り出してようやく医者を手配してくれた。
「本当にいいのか?」
通話後、春臣が私の両肩を捕まえてそう尋ねるので、私は分かりやすいように大きく頷いた。
「はい!」
「後悔しないか?」
「はい!」
私はもう一度大きく頷く。
「ファイナルアンサー?」
「はい!」
私は首が折れそうなくらいこれでもかと大きく頷いた。
もう医者を手配したというのにやけにしつこいな。そんなにカザンが好きなのか?
未練タラタラじゃないか。
「そうか、でも、お前の中の砂山カザンはお前自身を守る為に生まれたんだろ?意味があって存在しているのに、それを強制的に排除したら、それこそ精神が崩壊しやしないか?」
「それは……もっともですけど、でも、最近はカザンが暴走しつつあって、私には止められなくて……何か、漠然と、今に大変な事が起こるんじゃないかと不安で」
「それももっともだが……」
「春臣さんは、カザンがお好きなんですね」
「相手は少年なのに、おかしいか?」
「いえ、元の砂山カザンはしっかりした人間で、優しかったから、私も好きでしたし」
「元の?」
「あっ、そうか、言い忘れてましたね。砂山カザンは実在の人物なんです」
「え?」
春臣の、私の両肩を掴む手に力が入る。
「私を助けてくれたヒーローなんですけど、それがきっかけで命を落として、それ以降、彼をモデルに脳内でカザンという人格が誕生してしまって」
「そうだったのか」
春臣の、私の両肩を掴む手が脱力した。
「今は、脳内で作り出されたカザンの性格がバグっている様に思います」
「そうか」
「それももう、精算しないと」
「そうだな。なぁ?」
「はい?」
「俺は全部好きだったよ。お前もカザンも。カザンもお前の一部だろ?だから何一つ失いたくない、それが本音だ」
本当の意味で私の全てを受け入れてくれる人は、杉山さんの他にこの人しかいない、と思う。
「そう、ですか……」
何となくだけど、春臣とカザンは両思いの様に感じる。変な話、まるで私が2人の仲を引き裂こうとしているみたいだ。
複雑。
夕方になり『鷹雄』という医者が直接私達の部屋にやって来た。
「やーやーどーもどーもどーも、略してヤーヤドー」
なんか、イケメンだけどとてもチャラくてふざけた医者モドキが来た。
「梅毒なんだって?」
違うわ!!
「二重人格だ」
私は鷹雄のいい加減さにタジタジだが、傍らにいる春臣は全く動じていない。話によると大学が一緒だったそうだが……
「やっぱり!ビンゴ!」
白衣姿の鷹雄が指を鳴らして歓喜した。
いや、梅毒て決めつけてたじゃん。
「あの、大丈夫ですか?」
色んな意味で。
私はソファーに座り、目の前にしゃがんだ鷹雄と対峙する。
「アハ、心配になっちゃった?」
鷹雄は私の目線に合わせて立膝になった。
「なんか、ぶっとんでんなって思って」
「大丈夫大丈夫、俺も心配」
「……」
チェンジ!!
この国に法律というものが存在しなかったら、私は今頃この男のドタマをトンカチでかち割っていただろう。
「それで、治せそうか?」
この期に及んで冷静でいられる奴が信じられない。
「うーん……」
鷹雄から両手で両目の下瞼を引っ張られたり、手首の脈を診られたりして、ふとその手が彼自身の首から下げられていた聴診器に触れると、横で見ていた春臣がその手をいさめた。
「それはいい」
「嫉妬深いねぇ。医者に下心があるとでも?」
「無いのか?」
「ばかやろ、あるに決まってんだろ。だから俺は産婦人科医になったんだから」
鷹雄は心外そうに啖呵を切っていたが……って、ちょっと待て!
「精神科医じゃないの!?」
ちょっ、トンカチ持ってこい!!
「いやいや、何も心配いらないよ、俺は精神病も診れるって自負してる産婦人科医だからね!」
精神論!?
何か頭痛くなってきた。物理的に頭を抱えずにはいられない。
この自称精神科医の無免許精神科医が!
「鷹雄はヤブで有名な敏腕産婦人科医だから、何も心配いらない」
心配しかない。
「なんなんですか、その言葉遊びは、結局のところ産婦人科医の何者でもないじゃないですか」
「まあまあ、ピリピリしてたら母体に良くないよ」
誰のせいだよ。
「それで、見たところ……あぁ、君、そうか、なるほどね。君は病気なんかじゃないよ」
鷹雄が気を取り直して私を診ると、何かに気付いた様に両手を打った。
「え?」
「単なる思い込みだよ」
「思い込み?」
「先入観、かな?」
先入観で人格が分裂するものなのか?
「大丈夫、おにいさんが何とかしてあげるから」
そうすると鷹雄は片手で私の視界を奪う様に目元を覆い、もう片方の手を私の胸元に差し込んだ。
「なっ!」
何でそんな事をされたのか理解が追いつく前に彼の胸元の手が半地下のトラウマを呼び起こし、私は意識と血の気が引く。
まずい、カザンが──
人格が交代してしまうと直感した時、私はある事に気付いた。
春臣は最初からカザンを消す気なんかなかったんじゃないか?
だからこんなヤブ医者にわざとこんな事をさせて、無理矢理私の人格を交代させようとしているんだ。
2人はグルだったんじゃないか?
春臣に嵌められた。
私はまんまとその策に嵌り、意識を失った。
消されるのは……私の方だ……
カザンからは春臣と結婚したとだけ告げられ、それ以降ずっと意識を押さえつけられていた。
それが、いきなり何の前触れもなく出てこれた。
「イテテ、倒れたのか、腰が痛い」
やたらと重くなった上半身を起こすと、自身のポッコリお腹に驚いた。
「えぇ、でっか!腰から倒れて良かった、というか、タイムスリップした!?それにカザンは何をしようとしてたの!?」
傍らには毒蛙の干物が落ちている。
「いや、誰を殺す気だよ!」
カザンの暴走を寸前で止められて本当に良かった。
私は細心の注意を払って毒を処分した。
「カザンの事だから、まだどこかに隠し持ってそうで怖い。何となく、誰を殺そうとしていたか検討がついてきたな」
もしかしたらヤサカの子供が男の子なのかも。それで焦ったカザンがその男の子を殺そうと毒を調合していたって事か。
「徹底してるな。もはやカザンは何になろうとしてるんだろう?」
この国の絶対的女王か?
「……疲れる。想像しただけで疲れる。でもこんな身重じゃここから1人で脱出なんて不可能だ」
私はその張り詰めたお腹を労る様に撫でる。すると、それに応える様にそこがポコッと隆起した。
「蹴ってる」
私は直に胎動を感じ、今度は感慨深くお腹を撫でる。
「杉山さんの子供が私の中ですくすく育ってる」
杉山さんはもういないけれど、彼の忘れ形見がここまで大きく成長してくれた。私はこの子をこの世の全てから守る。例え敵が自分の意識の中に潜んでいようと。
「でも子供を産んでからだと尚更身動きがとれなくなる」
ここはやはり、ちゃんと春臣と対峙しなければ。
そこにいきなり、忘れ物をしたという春臣が戻って来た。
「よぅ、誰か毒殺した?」
なんか、凄くカジュアルに恐ろしい事を聞いてくるな。カザンは恐らく本気でヤサカを毒殺しようとしていたのに、春臣は彼の本気度に気付いていない。
「いえ、まだです。危うくカミングスーンでした」
「危うく?」
春臣はリビングのテーブル上にあるメモリーカードを手に止まる。
「毒は捨てました」
「何故?というか、あれはガチ物だったのか?」
やっぱり、何ら把握してない。春臣は話半分でカザンの好きにさせているらしい。
「ガチ中のガチです」
「ちょっと疑問なんだが、毒を作ってはその毒を処分して無かった事にしたり、お前はどういうつもりで──」
「二重人格なんです、本当に」
春臣に全て打ち明けよう、そう思った。
「────そう、か。やはりと言えばやはりか」
春臣はメモリーカードをテーブルに戻し、私の目の前に立った。
「表現が難しいんだが、その、お前はどっちなんだ?」
「オリジナルです」
「そうか。まともな方の人格か」
まともな方……言い方はあれだが、毒を処分するくらいの理性を持ち合わせた常識的な人格と認識されているのだろう。
「お前が本物のエデンで、もう1人は?」
「砂山カザン。10代後半の少年です」
「少年?ウナが?」
春臣は目を見張り、片手で頭を抱えた。
それもそうか、目をかけている人格が男の子じゃ、頭も抱えたくなる。
「すみません、騙すつもりはなかったんです」
「いや、ウナは最初から自分は二重人格だと申告していた。話半分で信じていなかったのは俺の方なんだ」
春臣はそのまま大きくため息をついた。
せっかく娶った王妃に失望しただろうか?
「じゃあお前は、俺の事なんて好きじゃないんだろ?」
「あの、すみません、すみません、私は、オリジナルは杉山さんと愛を誓っていて、彼が亡くなった後でもそれは変わりなくて、それで、あの……」
嘘に嘘を重ねるのは性格的に限界があった。
私が躊躇いがちに本音をゲロすると、春臣は顔を上げて私の顔を凝視した。
「知らないのか?」
「え?何の事ですか?」
カザンがまた何かやらかしていたのか?
「いや、なんでもない」
春臣は不自然なくらい不自然に私から目を逸らした。
「?」
「お前らはどこまで情報や記憶を共有しているんだ?」
「カザンは私がどう行動をとるかまでは予測出来ませんが、情報や記憶のほぼ全てを把握しています。でも私はカザンから教わらない限り彼の人格でいる時の記憶はありません」
「そうか」
そう言った春臣の顔が安堵している様に見えて、私はそれに違和感を持った。
「だから毒を作ったり、処分したり、奇行を繰り返していたんです」
まさか、春臣の実の妹を毒殺しようとしていた、とまでは言えないが……
「なるほどな」
「すみません」
「いや、待て、毒が本物だとして──」
カザンがヤサカを毒殺しようとしていたと悟られたか?
私は内心冷や汗をかいた。
「まさか俺を毒殺しようと?」
春臣は閃いた様にハッとする。
そっちか!
「いえ、カザンは貴方を毒殺したりしませんよ、カザンは──」
何となく、カザンは春臣を気に入っているんじゃないだろうか?
だってもはやカザンは、私の幸せどうこうより、春臣と一緒にいられる人生をわざわざ選んでいる様に思える。
「カザンは貴方の事が好きなんだと思います」
「そうか……」
春臣は落胆まではいかないが、少し寂しそうに笑った。
まあ、複雑よね。見た目は女(多摩川エデン)なのに中身は少年で、単なる概念なんだもの。まるで実体の無い霧や煙でも好きになっている気分なのだろう。心中お察し致します。
「俺としては、二面性のある変わった個人を好きになったつもりだったんだけど、実物の方は俺に興味が無かったんだな」
「……」
こんな時、なんて言えばいいのか、言葉にならない。
「ごめんな」
春臣からポンと頭を撫でられた。
「え?」
謝るのはこっちの方では?
「いや、何でもない」
「失望しましたか?」
私は恐る恐る春臣の顔色を窺った。
「いや、真実を知ったというだけで、心持ちは何も変わらない」
やはり器の大きい漢だ。
「私としては正室ではなく、第二、第三……いえ、妾に降格していただいていいんです」
寧ろそうしてほしい。なんならその為に春臣に二重人格を打ち明けたくらいだ。
「新婚なのにそんな事を言うなんて酷いな」
そう言って春臣はいつも通り笑ってくれたけれど、私としてはそうしてくれた方が心も楽なのに、と思っていた。
「俺は生涯、1人の女しか娶らないって決めてるんだ、寂しい事を言うな。それが例え二重人格で、他の男を愛していても、望みが無い訳じゃないだろ?」
「……」
答え辛い質問だ。
「そんな答え辛そうな顔をするな笑」
「すみません」
そしてここからが本題だ。
「あの、それで、1つ提案なんですけど」
「なんだ?何でも言ってみろ」
「精神科医とか心療内科医を呼んでいただきたいんですけど」
「何故だ?」
「カザンを消したいんです」
私はずっと『自分』のトラウマから逃げ続けてきた。カザンという概念に全てのストレスやトラウマを押し付け、それらから目を逸らしてきた。でもそれももう、終わりにしなければ、今に大変な事になる。
「──ウナを?」
春臣の表情は変わらなかったが、一瞬時が止まったかの様な今の間はなんだ?
「え、はい。このままじゃ良くないじゃないですか」
「何が?」
「え、何がって、病気ですし、周りに迷惑をかけますし」
「それは問題ない」
いや、大有だろ。
「でも毒作ってましたよ」
「薬を作っていたのかもしれないだろ?」
「トリカブトにテトロドトキシンで?」
「趣味で作っただけかも」
「そんな、観賞用じゃあるまいし。毒ですよ?」
「まあ、そうなんだが……」
「春臣さんに使おうとした訳ではないにしろ、もし、自害用に作っていたとしたら、子供諸共死んでしまいます」
自分で言っておいてなんだけど、自害だなんて、まさかね。
「それは──」
なんかやけにしぶってないか?
春臣はカザンの事を特に気に入っていたようだけど、ここまでとは──
「……分かった。年内には手配しよう」
春臣が無理矢理会話を打ち切りメモリーカードも持たずにさっさと部屋を出ようとしたので、私はその肩を捕まえて強めに要求した。
「ナウでお願いします!!」
なんかの拍子に意識をカザンにバトンタッチしてしまったらこの計画は台無しだ。
「分かった分かった、今手配するよ」
春臣は観念した様に両手を上げ、尻ポケットからスマホを取り出してようやく医者を手配してくれた。
「本当にいいのか?」
通話後、春臣が私の両肩を捕まえてそう尋ねるので、私は分かりやすいように大きく頷いた。
「はい!」
「後悔しないか?」
「はい!」
私はもう一度大きく頷く。
「ファイナルアンサー?」
「はい!」
私は首が折れそうなくらいこれでもかと大きく頷いた。
もう医者を手配したというのにやけにしつこいな。そんなにカザンが好きなのか?
未練タラタラじゃないか。
「そうか、でも、お前の中の砂山カザンはお前自身を守る為に生まれたんだろ?意味があって存在しているのに、それを強制的に排除したら、それこそ精神が崩壊しやしないか?」
「それは……もっともですけど、でも、最近はカザンが暴走しつつあって、私には止められなくて……何か、漠然と、今に大変な事が起こるんじゃないかと不安で」
「それももっともだが……」
「春臣さんは、カザンがお好きなんですね」
「相手は少年なのに、おかしいか?」
「いえ、元の砂山カザンはしっかりした人間で、優しかったから、私も好きでしたし」
「元の?」
「あっ、そうか、言い忘れてましたね。砂山カザンは実在の人物なんです」
「え?」
春臣の、私の両肩を掴む手に力が入る。
「私を助けてくれたヒーローなんですけど、それがきっかけで命を落として、それ以降、彼をモデルに脳内でカザンという人格が誕生してしまって」
「そうだったのか」
春臣の、私の両肩を掴む手が脱力した。
「今は、脳内で作り出されたカザンの性格がバグっている様に思います」
「そうか」
「それももう、精算しないと」
「そうだな。なぁ?」
「はい?」
「俺は全部好きだったよ。お前もカザンも。カザンもお前の一部だろ?だから何一つ失いたくない、それが本音だ」
本当の意味で私の全てを受け入れてくれる人は、杉山さんの他にこの人しかいない、と思う。
「そう、ですか……」
何となくだけど、春臣とカザンは両思いの様に感じる。変な話、まるで私が2人の仲を引き裂こうとしているみたいだ。
複雑。
夕方になり『鷹雄』という医者が直接私達の部屋にやって来た。
「やーやーどーもどーもどーも、略してヤーヤドー」
なんか、イケメンだけどとてもチャラくてふざけた医者モドキが来た。
「梅毒なんだって?」
違うわ!!
「二重人格だ」
私は鷹雄のいい加減さにタジタジだが、傍らにいる春臣は全く動じていない。話によると大学が一緒だったそうだが……
「やっぱり!ビンゴ!」
白衣姿の鷹雄が指を鳴らして歓喜した。
いや、梅毒て決めつけてたじゃん。
「あの、大丈夫ですか?」
色んな意味で。
私はソファーに座り、目の前にしゃがんだ鷹雄と対峙する。
「アハ、心配になっちゃった?」
鷹雄は私の目線に合わせて立膝になった。
「なんか、ぶっとんでんなって思って」
「大丈夫大丈夫、俺も心配」
「……」
チェンジ!!
この国に法律というものが存在しなかったら、私は今頃この男のドタマをトンカチでかち割っていただろう。
「それで、治せそうか?」
この期に及んで冷静でいられる奴が信じられない。
「うーん……」
鷹雄から両手で両目の下瞼を引っ張られたり、手首の脈を診られたりして、ふとその手が彼自身の首から下げられていた聴診器に触れると、横で見ていた春臣がその手をいさめた。
「それはいい」
「嫉妬深いねぇ。医者に下心があるとでも?」
「無いのか?」
「ばかやろ、あるに決まってんだろ。だから俺は産婦人科医になったんだから」
鷹雄は心外そうに啖呵を切っていたが……って、ちょっと待て!
「精神科医じゃないの!?」
ちょっ、トンカチ持ってこい!!
「いやいや、何も心配いらないよ、俺は精神病も診れるって自負してる産婦人科医だからね!」
精神論!?
何か頭痛くなってきた。物理的に頭を抱えずにはいられない。
この自称精神科医の無免許精神科医が!
「鷹雄はヤブで有名な敏腕産婦人科医だから、何も心配いらない」
心配しかない。
「なんなんですか、その言葉遊びは、結局のところ産婦人科医の何者でもないじゃないですか」
「まあまあ、ピリピリしてたら母体に良くないよ」
誰のせいだよ。
「それで、見たところ……あぁ、君、そうか、なるほどね。君は病気なんかじゃないよ」
鷹雄が気を取り直して私を診ると、何かに気付いた様に両手を打った。
「え?」
「単なる思い込みだよ」
「思い込み?」
「先入観、かな?」
先入観で人格が分裂するものなのか?
「大丈夫、おにいさんが何とかしてあげるから」
そうすると鷹雄は片手で私の視界を奪う様に目元を覆い、もう片方の手を私の胸元に差し込んだ。
「なっ!」
何でそんな事をされたのか理解が追いつく前に彼の胸元の手が半地下のトラウマを呼び起こし、私は意識と血の気が引く。
まずい、カザンが──
人格が交代してしまうと直感した時、私はある事に気付いた。
春臣は最初からカザンを消す気なんかなかったんじゃないか?
だからこんなヤブ医者にわざとこんな事をさせて、無理矢理私の人格を交代させようとしているんだ。
2人はグルだったんじゃないか?
春臣に嵌められた。
私はまんまとその策に嵌り、意識を失った。
消されるのは……私の方だ……
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる