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指輪の行方
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私とカザンの境界線がどこであったか、時々見失う事がある。それ程、私はカザンに侵食されていたのかもしれない。
しかし今回、氷朱鷺を陥れて春臣と結婚しようという意志は私には全く無かった。私はただ、全てから逃げ出して母一人子一人で静かに暮らせればそれで良かったのに、いつから、どこからかカザンの策略に意思を乗っ取られ、結果、あんな事になってしまった。
そして私の意思に反して、気が付くと私と春臣の距離もどんどん縮まっていた。
まず物理的な距離だ。
私は春臣の後宮から、春臣とこれから家庭を築いていくであろうペントハウスに居を移された。
ここは歴代の王家族が暮らすフロアだ、この切り立った頂点から国全域が見渡せるようだった。
「こんなに高い所に立つのは初めてかも」
私はフットサルでも出来そうな広いバルコニーから遠い街の夜景を遠い目で眺めていた。
「カザンのおかげで立てた頂点と感謝すべきなんだろうけど、私には似合わない場所だ」
この高さは権力の象徴の様にも思える。
荷が重すぎる。この重圧が私以上に重くのしかかるのが、産まれてくるこの子だ。
私は僅かに膨らんだ腹をそっと撫でる。
もう、子供と2人で静かに暮らしたい。
調教師とか献上品とか王配とか王宮とかたくさんだ。
せっかくカザンのおかげで氷朱鷺の脅威は無くなったのに、今は権力の脅威に圧倒されてる。
「今は休戦中だけど、暗殺とかクーデターとか権力争いにこの子を巻き込みたくない」
言葉にしただけでため息が漏れた。
「おいおいおいおいおい」
後方から春臣の声が性急に迫って来て、あっという間に肩からカーディガンを掛けられた。
「体を冷やすだろ、上着を忘れるな」
「いや、それは春臣さんの方こそ──」
春臣は、シャワー直後に腰タオルの状態でリビングに出て来て、薄着でバルコニーに立つ私を見るなり慌ててカーディガンを持って来た、というていをしている。
なんかデジャヴというか、既視感があるなあ。
杉山さんも優しい人だった。
春臣の優しさは杉山さんと重なるところばかりで、その度にかつての恋人が恋しくなった。
正直、春臣の優しさに触れるのが辛い。
放っておいてくれればいいのにと思うのだけれど、身重の私を彼は見逃してくれない。
ありがたいし、恐れ多い事だけど、彼を騙しているという後ろめたさもまた私を苦しめるのだ。
「そんな姿で、一国の王が風邪をひきますよ」
私は春臣の髪から雫が滴るのを見て、反射的に彼が首から掛けていたタオルでそれを拭いてやる。
「……今日は拭いてくれるんだな」
『今日は』
ちょっと気になるワードだ。
意識の留守中にカザンが春臣とどう接しているか、私は感知していない。
「と言いますと?」
「昨日は俺がお前の髪を乾かし──」
「すいませんっっ‼」
私は春臣の語尾を待たずして秒で頭を下げた。
カザンは、一国の王(となる人物)相手になんて事をさせているんだ。
意識が戻る度に肝が冷える。
「俺がやりたかったんだ」
そういう問題じゃない。
春臣は優しいからカザンが我儘放題じゃないか。
「とにかく、中に入りましょう」
私は春臣の広い背中を押してリビングへと戻る。
そんな時、ふと自分の左手の薬指に指輪が無い事に気付いた。
「えっ、指輪が無い‼」
「指輪?」
春臣が振り返ってパニクっている私の顔を覗き込む。
「なんでだろう、お風呂の時だって外したりしないのに」
私は流しや洗面所、風呂場、ソファーの下に至るまで部屋中を隈なく捜索する。その様子を春臣は怪訝な顔をしながら目で追っていた。
「どうしよう、なんでかな、結構きつかったのに指から抜けた?」
私に心当たりが無いという事は、カザンが落とした?
もしかして春臣と結婚する為に指輪を捨てた?
でもそれならそうと意思伝達するか、書き置きくらいする筈。
やっぱり私が意識を無くしている間に失くしたんだ。
でも何処に?
私はずっとこの部屋にいたし、やっぱり室内だと思うんだけど、なにぶん無意識下の時の事はわからない。
「あれは杉山さんの形見なのに……」
私と、この子の形見でもある。そう思うと、私の声はどんどん涙声になっていった。
「なんで無いの……」
「……エデン、指輪なら寝室のクローゼットの引き出しに入ってる」
春臣が戸惑いながらそう言い、私は飛び付く様に寝室クローゼットの扉を開け、中の引き出しを漁る。
「──あった!」
指輪は、引き出しの奥底に封印されるかの様にしまわれていた。私はそれを取り出し、胸に抱く。
「良かった!あったぁ……」
心底安堵する私を見て、春臣が呆気にとられていた。
「エデン、ついこの間、自分から外して自分でしまったのに忘れたのか?」
「えっ」
2人の間に気まずい空気が流れた。
カザンが自分からこれを外したって?
私の気持ちを知ってて、何故?
私にはカザンの気持ちが解らない。
でも春臣の手前、今これを再び左手の薬指に戻す訳にはいかない空気なのは分かった。
「あっ……そうでしたね。色々と考える事が多過ぎて忘れていました」
私は引きつった笑いを浮かべ、指輪を同じ場所に戻す。
別に失くした訳じゃないんだ、春臣に不審に思われるのもなんだし、今はこれをここに戻しておこう。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫ですっ、万事何も問題ありません」
私の顔は引きつったままだけど。
「物忘れもそうだが、亡くなった恋人の形見なんだろ?辛いならつけててもいいんだぞ?」
そう言われると、逆に申し訳無くてつけられない。
あぁ……良い人過ぎる。辛い。
「落としてもアレがアレなんで、ここにアレしておきます」
もうテンパってしどろもどろだ。
「本当に?」
春臣が真っ直ぐな目でじっと私を見つめる。
あぁ……良心が痛む。
「はぃっ、モウマンタイですっ‼」
なんかカザンみたいなキャラになってきてるな。オリジナルの自分の方からカザンに寄せてきているような……
「そうか」
そこで春臣が口に手を当てて暫し考え込んだ。
「やっぱり、亡くなった恋人の事は忘れられないものか?」
「そりゃ、好きだった時のまま突然亡くなりましたから、気持ちはそのまんまですけど……」
ですけど、何故、春臣はそんな事を聞くのか?
「そうだよな。当たり前か」
「何故、そんな事を聞くんですか?」
「え?」
私が思ったままを口にすると、またしても春臣に怪訝な顔をされた。
やばい、また辻褄の合わない事を聞いたか?
「天然なのか?言ったろう?」
何が?
この状況、言われたのはカザンだ。
私はハラハラしながら春臣の一挙一動を見守った。
「俺はお前を愛してるって」
「あっ」
愛……
え、いや、だって、これは、契約婚の筈。
私はあんぐりと口を開け、驚嘆した。
一体、どんな心境の変化だ?
春臣は献上品を差別していたフシがあったじゃないか。なのに何故⁉
カザンはこれを受け入れたの⁉
私は、だって、今でも杉山さんが好きで、春臣の事はそういう目で見た事が無い。
困る困る、カザンは別として、私は未だに隙あらばここから逃げ出したいと思っているのに。
「忘れっぽいのなら何度でも言うし、俺の事も好きになってほしいと思ってる」
これは、契約婚の筈だけど求婚じゃないか。
「す、すみま──」
私に断る権利は無い。ただでさえ春臣には世話になっているし、契約上と言っても婚約は婚約、結婚は結婚だ。
春臣は紳士で男前だから、当事者が違えば相思相愛で万事上手くいったんだろうけど、何しろ私は今も昔も杉山さん一筋だから、話は丸く収まらない。
「凄く、恐れ多いです」
「嫌か?」
「とんでもないです。勿体ないくらいですから」
それは本当だ。
「俺はお前の気持ちが解らない」
「ちょっ、ちょっと、整理が追いつかなくて、自分でも自分の気持ちが解らないんです」
嘘は苦手だ、ここはモヤッとさせて有耶無耶にしよう。
「そうか」
春臣は暫時顎に手を当てて物思いにふけったかと思うと、サラッと私の両手を握った。
「こうされるのは嫌か?」
春臣が真顔で尋ねる。
「え、別に嫌ではないですけど」
手を握られているだけだ。なんとも無いくらいなんとも無い。
「何も感じない?」
「え、まあ……」
これは何かの実験か?
「それは問題だ」
え、しくった?
「じゃあ、これは?」
そう言って春臣は私の腕を引き寄せて真正面から私を抱き締める。
「嫌か?」
「嫌ではないですけど……」
異性に抱かれるのは慣れない。それが一国の次期王となれば尚更、ドキドキもする。
「けど?」
先を促す様に春臣が尋ねた。
「ちょっと緊張でドキドキします」
「どんな感情で?」
感情って、そりゃ──
「権力に抱かれてる感じが」
ガクッと春臣が私の肩に額を落とした。
「恋愛感情でって事では無いんだな」
「や、でも、異性としては意識しますよ、そりゃ」
「そうか」
春臣が復活するみたいにその真顔を上げる。
「因みに確認なんだが、嫌ではないんだよな?」
「え、はい」
確かに嫌ではない。安心感はあるかも。
「なるほど」
これは……この確認作業はどこまでいくのだろう?
最終地点は?
春臣は紳士だから変な事はしないと思うけど、気分はまな板の鯉だ。
「じゃあ、こっち来て」
春臣に手を引かれて行ったのはソファーの前。ただ先に彼が腰を下ろし、その膝に私を横座りさせる。
これは……恥ずかしいな。そして恐れ多い。さっきより全然緊張する。
「軽いな」
それもその筈、私は自身の尻の感触が春臣に伝わらないよう少し腰を浮かせていた。
「これは?」
「ちょっと、ハードルと言いますか、難易度が高いかと」
脚がプルプルしてきた。
「嫌か?」
「嫌と言うより、圧倒的に恥ずかしいです」
「これでか?」
「これで、です」
「かわいいな」
「!」
突然の真顔デレ、反応に困ります。
「困ったな、次はキスなのに」
困りながらも愛おしそうに笑う春臣を、少しだけかわいいなと思ってしまった。
「事後確認しないところが貴方の良いところですね」
前にもキスを交わした事があったのに、一つ一つ順を追って確認するところが律儀で好感が持てる。
「キスされて、次期王を嫌いになる女性なんかいないのに」
「いや、権力で人の好意は得られないもんさ。それは金も同じ。人は寄って来ても、腹では相手の事なんかこれっぽっちも想っちゃいないんだから。だから俺は杜子◯て話を1つの教訓としてる。それにお前は忘れっぽいし、二重人格なんだろ?献上の儀の事を覚えていない可能性があるから」
ああ、それでこの確認か。
合点はいったが、春臣はどこまで私の二重人格というのを信じているのだろう?
なんか冗談みたいに言うから、半信半疑以前に、信憑性は別としてどうでも良く思っていそうだ。
器が大きい。多分この人は、細かい事は気にしないどんぶり勘定タイプの人間だ。
「そうなんです。私は二重人格なんで、私の私はこういった事に慣れてないんです」
──とでも言っておけばこの場は何とか切り抜けられる、そう思っていた。
だがこの考えは全くもって甘かった。男は野暮でアグレッシブだ。
「じゃあ、2回ずつじっくり確認していかないとな」
「えぇ……」
そういう事じゃない。なんでそうなった?
「2回で足りるか?」
「……充分です」
感服、完敗だ。
「でも貴方が愛した人格は、多分、私の方じゃないですよ」
二重人格についてどこまで真剣に話していいか探り探りだ。だって二重人格を正式に認めてしまったら信用を失くす様な気がしてハッキリ言及出来ないじゃないか。
「そうか?俺は、表情や感情がコロコロ変わるお前が面白くて好きなんだ」
二重人格者に対する100点満点の答えーーーっ‼
この人には敵わない。
「お前のお前に、俺はキスした事が?」
これはどっちだ?
イエスと答えたらキスは免れる?
ノーと答えたら確認てやつをされる?
いや、待てよ、イエスと答えたらキスを容認している前提で話が進むんじゃないか?
そうしたら当たり前のようにキスされる生活がスタートしてしまう。
最善の答えは何だ?
私が結構な勢いで悩んでいると、春臣が眉をややハの字にして微笑した。
「分かった分かった、お前のお前からキスされる時がくるのを我慢強く待つよ」
何が正解かは解らない。けれど私の私はキスの十字架を背負わされたようだ。
しかし今回、氷朱鷺を陥れて春臣と結婚しようという意志は私には全く無かった。私はただ、全てから逃げ出して母一人子一人で静かに暮らせればそれで良かったのに、いつから、どこからかカザンの策略に意思を乗っ取られ、結果、あんな事になってしまった。
そして私の意思に反して、気が付くと私と春臣の距離もどんどん縮まっていた。
まず物理的な距離だ。
私は春臣の後宮から、春臣とこれから家庭を築いていくであろうペントハウスに居を移された。
ここは歴代の王家族が暮らすフロアだ、この切り立った頂点から国全域が見渡せるようだった。
「こんなに高い所に立つのは初めてかも」
私はフットサルでも出来そうな広いバルコニーから遠い街の夜景を遠い目で眺めていた。
「カザンのおかげで立てた頂点と感謝すべきなんだろうけど、私には似合わない場所だ」
この高さは権力の象徴の様にも思える。
荷が重すぎる。この重圧が私以上に重くのしかかるのが、産まれてくるこの子だ。
私は僅かに膨らんだ腹をそっと撫でる。
もう、子供と2人で静かに暮らしたい。
調教師とか献上品とか王配とか王宮とかたくさんだ。
せっかくカザンのおかげで氷朱鷺の脅威は無くなったのに、今は権力の脅威に圧倒されてる。
「今は休戦中だけど、暗殺とかクーデターとか権力争いにこの子を巻き込みたくない」
言葉にしただけでため息が漏れた。
「おいおいおいおいおい」
後方から春臣の声が性急に迫って来て、あっという間に肩からカーディガンを掛けられた。
「体を冷やすだろ、上着を忘れるな」
「いや、それは春臣さんの方こそ──」
春臣は、シャワー直後に腰タオルの状態でリビングに出て来て、薄着でバルコニーに立つ私を見るなり慌ててカーディガンを持って来た、というていをしている。
なんかデジャヴというか、既視感があるなあ。
杉山さんも優しい人だった。
春臣の優しさは杉山さんと重なるところばかりで、その度にかつての恋人が恋しくなった。
正直、春臣の優しさに触れるのが辛い。
放っておいてくれればいいのにと思うのだけれど、身重の私を彼は見逃してくれない。
ありがたいし、恐れ多い事だけど、彼を騙しているという後ろめたさもまた私を苦しめるのだ。
「そんな姿で、一国の王が風邪をひきますよ」
私は春臣の髪から雫が滴るのを見て、反射的に彼が首から掛けていたタオルでそれを拭いてやる。
「……今日は拭いてくれるんだな」
『今日は』
ちょっと気になるワードだ。
意識の留守中にカザンが春臣とどう接しているか、私は感知していない。
「と言いますと?」
「昨日は俺がお前の髪を乾かし──」
「すいませんっっ‼」
私は春臣の語尾を待たずして秒で頭を下げた。
カザンは、一国の王(となる人物)相手になんて事をさせているんだ。
意識が戻る度に肝が冷える。
「俺がやりたかったんだ」
そういう問題じゃない。
春臣は優しいからカザンが我儘放題じゃないか。
「とにかく、中に入りましょう」
私は春臣の広い背中を押してリビングへと戻る。
そんな時、ふと自分の左手の薬指に指輪が無い事に気付いた。
「えっ、指輪が無い‼」
「指輪?」
春臣が振り返ってパニクっている私の顔を覗き込む。
「なんでだろう、お風呂の時だって外したりしないのに」
私は流しや洗面所、風呂場、ソファーの下に至るまで部屋中を隈なく捜索する。その様子を春臣は怪訝な顔をしながら目で追っていた。
「どうしよう、なんでかな、結構きつかったのに指から抜けた?」
私に心当たりが無いという事は、カザンが落とした?
もしかして春臣と結婚する為に指輪を捨てた?
でもそれならそうと意思伝達するか、書き置きくらいする筈。
やっぱり私が意識を無くしている間に失くしたんだ。
でも何処に?
私はずっとこの部屋にいたし、やっぱり室内だと思うんだけど、なにぶん無意識下の時の事はわからない。
「あれは杉山さんの形見なのに……」
私と、この子の形見でもある。そう思うと、私の声はどんどん涙声になっていった。
「なんで無いの……」
「……エデン、指輪なら寝室のクローゼットの引き出しに入ってる」
春臣が戸惑いながらそう言い、私は飛び付く様に寝室クローゼットの扉を開け、中の引き出しを漁る。
「──あった!」
指輪は、引き出しの奥底に封印されるかの様にしまわれていた。私はそれを取り出し、胸に抱く。
「良かった!あったぁ……」
心底安堵する私を見て、春臣が呆気にとられていた。
「エデン、ついこの間、自分から外して自分でしまったのに忘れたのか?」
「えっ」
2人の間に気まずい空気が流れた。
カザンが自分からこれを外したって?
私の気持ちを知ってて、何故?
私にはカザンの気持ちが解らない。
でも春臣の手前、今これを再び左手の薬指に戻す訳にはいかない空気なのは分かった。
「あっ……そうでしたね。色々と考える事が多過ぎて忘れていました」
私は引きつった笑いを浮かべ、指輪を同じ場所に戻す。
別に失くした訳じゃないんだ、春臣に不審に思われるのもなんだし、今はこれをここに戻しておこう。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫ですっ、万事何も問題ありません」
私の顔は引きつったままだけど。
「物忘れもそうだが、亡くなった恋人の形見なんだろ?辛いならつけててもいいんだぞ?」
そう言われると、逆に申し訳無くてつけられない。
あぁ……良い人過ぎる。辛い。
「落としてもアレがアレなんで、ここにアレしておきます」
もうテンパってしどろもどろだ。
「本当に?」
春臣が真っ直ぐな目でじっと私を見つめる。
あぁ……良心が痛む。
「はぃっ、モウマンタイですっ‼」
なんかカザンみたいなキャラになってきてるな。オリジナルの自分の方からカザンに寄せてきているような……
「そうか」
そこで春臣が口に手を当てて暫し考え込んだ。
「やっぱり、亡くなった恋人の事は忘れられないものか?」
「そりゃ、好きだった時のまま突然亡くなりましたから、気持ちはそのまんまですけど……」
ですけど、何故、春臣はそんな事を聞くのか?
「そうだよな。当たり前か」
「何故、そんな事を聞くんですか?」
「え?」
私が思ったままを口にすると、またしても春臣に怪訝な顔をされた。
やばい、また辻褄の合わない事を聞いたか?
「天然なのか?言ったろう?」
何が?
この状況、言われたのはカザンだ。
私はハラハラしながら春臣の一挙一動を見守った。
「俺はお前を愛してるって」
「あっ」
愛……
え、いや、だって、これは、契約婚の筈。
私はあんぐりと口を開け、驚嘆した。
一体、どんな心境の変化だ?
春臣は献上品を差別していたフシがあったじゃないか。なのに何故⁉
カザンはこれを受け入れたの⁉
私は、だって、今でも杉山さんが好きで、春臣の事はそういう目で見た事が無い。
困る困る、カザンは別として、私は未だに隙あらばここから逃げ出したいと思っているのに。
「忘れっぽいのなら何度でも言うし、俺の事も好きになってほしいと思ってる」
これは、契約婚の筈だけど求婚じゃないか。
「す、すみま──」
私に断る権利は無い。ただでさえ春臣には世話になっているし、契約上と言っても婚約は婚約、結婚は結婚だ。
春臣は紳士で男前だから、当事者が違えば相思相愛で万事上手くいったんだろうけど、何しろ私は今も昔も杉山さん一筋だから、話は丸く収まらない。
「凄く、恐れ多いです」
「嫌か?」
「とんでもないです。勿体ないくらいですから」
それは本当だ。
「俺はお前の気持ちが解らない」
「ちょっ、ちょっと、整理が追いつかなくて、自分でも自分の気持ちが解らないんです」
嘘は苦手だ、ここはモヤッとさせて有耶無耶にしよう。
「そうか」
春臣は暫時顎に手を当てて物思いにふけったかと思うと、サラッと私の両手を握った。
「こうされるのは嫌か?」
春臣が真顔で尋ねる。
「え、別に嫌ではないですけど」
手を握られているだけだ。なんとも無いくらいなんとも無い。
「何も感じない?」
「え、まあ……」
これは何かの実験か?
「それは問題だ」
え、しくった?
「じゃあ、これは?」
そう言って春臣は私の腕を引き寄せて真正面から私を抱き締める。
「嫌か?」
「嫌ではないですけど……」
異性に抱かれるのは慣れない。それが一国の次期王となれば尚更、ドキドキもする。
「けど?」
先を促す様に春臣が尋ねた。
「ちょっと緊張でドキドキします」
「どんな感情で?」
感情って、そりゃ──
「権力に抱かれてる感じが」
ガクッと春臣が私の肩に額を落とした。
「恋愛感情でって事では無いんだな」
「や、でも、異性としては意識しますよ、そりゃ」
「そうか」
春臣が復活するみたいにその真顔を上げる。
「因みに確認なんだが、嫌ではないんだよな?」
「え、はい」
確かに嫌ではない。安心感はあるかも。
「なるほど」
これは……この確認作業はどこまでいくのだろう?
最終地点は?
春臣は紳士だから変な事はしないと思うけど、気分はまな板の鯉だ。
「じゃあ、こっち来て」
春臣に手を引かれて行ったのはソファーの前。ただ先に彼が腰を下ろし、その膝に私を横座りさせる。
これは……恥ずかしいな。そして恐れ多い。さっきより全然緊張する。
「軽いな」
それもその筈、私は自身の尻の感触が春臣に伝わらないよう少し腰を浮かせていた。
「これは?」
「ちょっと、ハードルと言いますか、難易度が高いかと」
脚がプルプルしてきた。
「嫌か?」
「嫌と言うより、圧倒的に恥ずかしいです」
「これでか?」
「これで、です」
「かわいいな」
「!」
突然の真顔デレ、反応に困ります。
「困ったな、次はキスなのに」
困りながらも愛おしそうに笑う春臣を、少しだけかわいいなと思ってしまった。
「事後確認しないところが貴方の良いところですね」
前にもキスを交わした事があったのに、一つ一つ順を追って確認するところが律儀で好感が持てる。
「キスされて、次期王を嫌いになる女性なんかいないのに」
「いや、権力で人の好意は得られないもんさ。それは金も同じ。人は寄って来ても、腹では相手の事なんかこれっぽっちも想っちゃいないんだから。だから俺は杜子◯て話を1つの教訓としてる。それにお前は忘れっぽいし、二重人格なんだろ?献上の儀の事を覚えていない可能性があるから」
ああ、それでこの確認か。
合点はいったが、春臣はどこまで私の二重人格というのを信じているのだろう?
なんか冗談みたいに言うから、半信半疑以前に、信憑性は別としてどうでも良く思っていそうだ。
器が大きい。多分この人は、細かい事は気にしないどんぶり勘定タイプの人間だ。
「そうなんです。私は二重人格なんで、私の私はこういった事に慣れてないんです」
──とでも言っておけばこの場は何とか切り抜けられる、そう思っていた。
だがこの考えは全くもって甘かった。男は野暮でアグレッシブだ。
「じゃあ、2回ずつじっくり確認していかないとな」
「えぇ……」
そういう事じゃない。なんでそうなった?
「2回で足りるか?」
「……充分です」
感服、完敗だ。
「でも貴方が愛した人格は、多分、私の方じゃないですよ」
二重人格についてどこまで真剣に話していいか探り探りだ。だって二重人格を正式に認めてしまったら信用を失くす様な気がしてハッキリ言及出来ないじゃないか。
「そうか?俺は、表情や感情がコロコロ変わるお前が面白くて好きなんだ」
二重人格者に対する100点満点の答えーーーっ‼
この人には敵わない。
「お前のお前に、俺はキスした事が?」
これはどっちだ?
イエスと答えたらキスは免れる?
ノーと答えたら確認てやつをされる?
いや、待てよ、イエスと答えたらキスを容認している前提で話が進むんじゃないか?
そうしたら当たり前のようにキスされる生活がスタートしてしまう。
最善の答えは何だ?
私が結構な勢いで悩んでいると、春臣が眉をややハの字にして微笑した。
「分かった分かった、お前のお前からキスされる時がくるのを我慢強く待つよ」
何が正解かは解らない。けれど私の私はキスの十字架を背負わされたようだ。
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