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約束の日
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逃亡から1週間、相変わらずラジオでは俺達を捜索する報道がなされ、人目を忍ぶ生活が続いていた。
しかし幸いな事に、俺もエデンも近況の写真が無かった為、俺は献上品になる際に提出した履歴書の写真と、エデンは写真自体が存在しない為に似顔絵を公開されたようで、一般市民に生身の俺達の顔は認識されなかった。
なので割と堂々とコンビニやセルフスタンドを利用していた。
不安が払拭された訳ではないけれど、俺はこの日、朝からずっとそわそわしていた。
エデンの月のものが終わる日が今日だ。
今夜、俺はエデンと──
ずっと憧れ続けた人と結ばれるのだ、これが冷静でいられる訳がない。
しかし、それにしてもエデンは驚く程平常運行だ。まさか忘れてるんじゃあ……
俺の脳裏に一抹の不安が過ぎる。
「ねぇ、エデン。今日、体調はどう?」
俺は車通りの無い砂利道を走りながら、助手席で片膝を抱いた状態で座るエデンにそれとなく探りを入れてみる。
「絶好調」
と言うわり、エデンはいつも通りの低血圧な物言いで答える。
「俺達が逃亡してから1週間が経つね?」
「うん」
うん……
会話終了じゃん。
エデンは色恋沙汰には朴念仁なところがある。これはもっと切り込んで攻めないと。
「だいぶ疲れも溜まってるし、今日は車中泊じゃなくてさ、何処かに泊まって大きいベッドで休まない?」
もう、ほぼダイレクトだけど、これならどうだ?
「正直に言いなよ回りくどい。溜まってるのは別な物で、大きいベッドでは休む気なんか無いんでしょ」
「エデン、もう少し幻想的な言い方は出来ないの?」
ド直球過ぎて色気が無い。ガサツだなあ。
「幻想的か……」
「なに?」
ちょっと、思うところがありそうな哀愁のある言い方だったけど。
何の事にも関心の無いエデンだけど、ちょいちょい変なところで変な哲学を披露する節がある。
「何か、映画やドラマ、漫画やアニメでも、とにかく人間はやる事をロマンチックに描きがちだけど、裸になってそれに挑もうとする男のソレを見た時、何か、所詮は人間も動物で、畜生なんだなって思うんだよね。脳みそで欲情しただけでわかりやすく屹立してさ、私はあれを凄く不思議だなって思うんだよ」
「不思議……かな?」
俺はエデンの口からどんな衝撃発言が飛び出すのかびくびくしながら耳を傾けた。
「何で神様は男性をこんなメカニズムで造ったのか、そんな風に思う。だって行為だってヘンテコじゃない?」
「ヘンテコ……かな?」
俺は朝からあんなにわくわくしていたのに、エデンの鉄の哲学、通称鉄学で心が折れそうになっていた。
「あんなカクカク小刻みに腰を振って、ロマンチックのロの字も無くない?」
「えぇ……」
何か、何か全てを否定された気分だ。
「ねぇ、エデン」
でもへこたれたらそこで負けだ。
「ん?」
「小難しい事を言って俺を萎えさせようとしても無駄だよ」
「……」
エデンは窓で頬杖を着いて外を眺めている。
図星か。
「鮭みたいにさ、カァーッと口を開けて体外受精でよ──」
「良くないよ」
俺はスッパリエデンの言葉を一刀両断した。
そんなの嫌だよ。
ダメ、絶対に。
というか、発想がおかしくないか?
それにエデンの過去の体験上、あの行為を蔑んでも仕方が無いものの、杉山さんとは喜んでした筈じゃないか。
「だったら杉山さんとした時もロマンチックじゃなかったって事だよね」
杉山さんの名前を出すと、俺はどうしても卑屈な口調になってしまう。
自分でも思う。みっともない男だ。
「聞いたら萎えるんじゃないの?」
「……」
なるほど、つまり好きな人とする行為はロマンチックだったって言いたいのか。
ムカつく。
俺のハンドルさばきが必然的に荒くなる。
「エデンはよっぽど俺に無茶苦茶にされたいらしいね」
「お前は鬼畜だからな。そこら辺が杉山さんとお前との決定的な違いだよ」
めちゃムカつく。他の男と比べるなんて。
俺の、ハンドルを握る手に力が入る。
「でも俺は元献上品だよ?」
こんな事で杉山さんと張り合うのは、俺がまだ子供だからか。でも言わずにはいられない。
「だから?」
「性に関しては杉山さんよりずっと勉強してる」
「テクニックで言うなら杉山さんのが圧倒的に経験を積んでるじゃん」
「じゃあ春臣は?」
杉山さんの事に関しても春臣の事に関しても、どっちもエデンの口から聞きたくないのに、どうしてこう俺は知りたくなってしまうのか、自分でも嫌になる。
「こんな話、くだらないよ」
エデンからそう言われても仕方が無い。でも俺は俺で勝手にむしゃくしゃしてラブホに進路をとる。
「何処に行くつもり?」
俺の不可解な急ハンドルにエデンが辟易しながら尋ねた。
「解ってるはずだよ」
俺は前だけを見て、電柱に括られたラブホの看板を頼りに車を走らせる。
「昼間っから?」
「夜まで待てない」
「やれやれだね」
そう言ったきり、エデンはラブホに着くまで一言も口を開かなかった。
現地に到着し、俺が先に車を降りるもエデンは助手席で窓に頬杖を着いたままで、俺はそれをエスコートするみたいに外から助手席のドアを開けて降りるよう促すと、彼女は漸くその重い腰を上げた。
「そんなにガツガツされたら引くよ」
「ガツガツなんか──」
して……るな。
そんな事を言ったって、多少強引でもこうでもしなきゃここまで漕ぎ着けなかった。
「なんか痛そうだわ」
エデンが俺の顔を一瞥して言った。
「痛くしないよ、そこまで理性は吹っ飛んでないってば」
でも今からどうしようもなく動悸はしてる。
「どうだか」
エデンは悪態をつきながらもスタスタと先陣を切って車後方の階段から直接部屋に入った。
良かった。拒まれる素振りは見られない。
エデンの背中を追って室内に入ると、当たり前だけど大きなベッドが中央にデーンッと鎮座しており、今更目のやり場に困る。
「安いとほんとに狭い部屋にベッドしかないんだね」
いつも通り冷静なエデンの神経が信じられない。
「先にシャワー浴びてきなよ」
エデンはベッドに仰向けで倒れ込み、疲れきった様子で額に手を乗せた。そうなると有無を言わさず俺が先にシャワーをせざるを得なくなる。
「え、うん」
別に構わないけど。
シャワーを浴びて出て来たら寝てるって事はないよな?
疲れて寝ているエデンを起こすのは忍びない。
俺はカラスの行水の如く急いで体を洗うと、腰にタオルを巻いて風呂場から出た。
「エデン、起きてる?」
「うん」
エデンは横たわった状態から気だるそうに起き上がると着替えを持って風呂場に消える。
良かった、起きてた。そしてちゃんと素直にシャワーをしに行ってくれた。
俺はベッドに横たわり、そこから風呂場の磨りガラスを見つめる。
中の様子は見えないけど、シャワーの水音が艶かしくリアルだ。でもそれ以上に、俺の心音の方がうるさい。
あ、これって、献上の儀の時と感覚が似てる。
あの時はヤサカに邪魔されたけど、今日こそは、本当に……
否応なしに心躍る。
「……」
緊張してきた。
土壇場でエデンに拒否られないか不安だ。受け入れられたとしても、興奮し過ぎてちゃんと出来るか心配。
俺は献上品時代に培った性の知識をABCから倍速でおさらいする。
あくまでエデンファーストで、暴走しない。痛くしない。優しく、様子を見ながら。
キュッ
蛇口を閉める音がして、シャワーが止まった。
ドキッとした。
俺は起き上がり、長座で枕により掛かり、その時を待つ。
ギッ
エデンがシャツにズボンという姿で風呂場から出て来て、俺は内心『ん?』と思った。
そう言えば着替えを持って行ってたけど、この場合、普通、バスタオルを巻いた姿で出て来ないか?
違和感が凄い。
「脱がされるのにわざわざ着込んだの?」
「脱がす楽しみが増えるんじゃないかと思って」
エデンがそんな気の利くタイプか?
「俺を焦らしてるの?」
「あるいは、ね」
そう言うとエデン自らベッドに乗り、女豹の様に這って俺の上まで来る。
意外と積極的で驚いた。
俺はエデンのシャツを脱がそうとしてふと彼女の左手の薬指にある指輪に目が留まる。
「杉山さんからの婚約指輪だよね?」
「そうだね」
エデンの反応はいつも通り薄い。
「外さないの?」
こんな時に忌々しい。いや、こんな時だからこそ忌々しい。
「外さない」
エデンは迷いなく答えた。
「こんな時に他の男の指輪をしてるなんてマナー違反じゃない?」
一度目に付くと気になって仕方なくなる。俺は是が非でもその指輪をエデンの指から外させたいと思った。
「献上の儀でもないのに、マナーもクソもないよ。それに私達は何でもない筈じゃない」
「何でもないって?」
「恋人でも、セフレでも、友人でもない」
エデンは俺の面前に右手を突き出し、わざわざ指を折りながら述べた。
「だからベッドマナーは必要無いって?」
ちょっとイライラしてきた。
「イグザクトリー」
何だその理論、その言い草、そのふざけた英語。納得出来る訳無いじゃないか。
「嫌なものは嫌だ」
俺はエデンを押し倒して組み敷くと、抵抗する彼女の左手を捕まえ、握られたその拳を強引にこじ開けようとする。
「優しくするんじゃなかったの⁉」
「それとこれとは話が別だろ、目障りなんだよ」
まずはこれ(指輪)をどうにかしないと、立つ物も立たない。指輪を外させる、話はそれからだ。
「ろくでなし!お前は私から全てを奪う気なんだな!」
「イグザクトリー!でも俺がいるんだからその他の物は要らないじゃないか」
ムードもへったくれも無い。
俺達が指輪を巡って小競り合いをしていると、身を捩ったエデンのズボンのポケットから何かが抜け出た。
反射的にそれを見ると、それは立派な刺繍の入った御守りだった。
「これは?」
俺がそれに手を伸ばすと、御守りを落とした事に気付いたエデンが血相を変えて取り戻そうとして、すんでの所で俺は御守りを拾い上げる。
「何の御守り?」
薄暗い中、その御守りをベッドサイドの間接照明に当てて確認すると、御守り袋にはっきり『安産祈願』と刺繍されていた。
「え?」
安産祈願?
その言葉を頭の中で何度か反芻させて漸く気付いた。
「エデン、妊娠してるの?」
エデンのポーカーフェイスが一瞬ギクリと歪んだのが見えた。
図星か。
ショックだった。
杉山さんや春臣にエデンを抱かれた数百倍も衝撃が強かった。指輪の事なんて秒でどうでも良くなる。
誰の子だ?
春臣としても、こんなに早く妊娠が判るものか。それにこの御守りは逃亡生活より前にエデンが入手した物だ、杉山さんの子供で間違いない。
「杉山さんの子を妊娠してるから、憎っくき俺を利用してでも王室から逃げる必要があったって訳だ?月のものが終わったらヤらせてくれるなんて嘘までついてさあ」
そうだ、最初からおかしかったじゃないか。エデンが俺なんかに頼る筈ないんだ。俺はそれを自分の都合の良いようにだけ解釈してエデンの強かさから目を背けてたんだ。
耳鳴りがする。
こめかみの血管から血の流れる音がする。
どす黒い、鬱屈とした怒りが猛毒の様に俺の全身を巡る。
「そう」
エデンは開き直り、敵でも見る様な目で俺を牽制した。
「利用するだけ利用して、途中で俺を出し抜いてまく気だった?俺から杉山さんの子供を守る為にさあ?」
俺は感情がめちゃくちゃで、嫌味なくらい語気が強くなる。
「だったらどうする気?」
エデンは自らの腹を守る様に押さえ、俺から逃れる様に後ろへ後ずさる。
「そんなもの──」
俺はベッドを下り、クローゼットから針金ハンガーを取り出すと一本のカギ状の棒に作り変えた。
「掻き出すに決まってる」
エデンの中で他の男の愛の結晶が育まれていくのがどうしても許せなかった。
エデンと杉山さんの愛の証拠が遺るのが許せなかった。
だから、今、直ぐにでもそれを掻き出して無かった事にしてしまおうと思った。
エデンはさぞや絶望的な顔をするだろうと思った、が、彼女は──
「やっぱりな」
──と口の端を持ち上げて笑った。
「俺は本気だよ?」
俺はそれを証明する様にベッドに膝を掛け、エデンの足首を掴んで彼女を引き寄せる。
「分かってる。お前は万里と杉山さんを殺した鬼畜だからな‼」
空いている方の足でエデンから蹴りが繰り出され、俺はその足も捕まえて押さえ付けた。
「エデン、怪我をするから暴れないで。本当はエデンの体の為にも鬼灯でも使えたら良かったんだけど」
大人しく鬼灯を煎じられるとは思えない。
だからこの決定は仕方の無い事だった。
「何が怪我をするから、だ、思いやるフリをするのは止めろ」
「俺は別にエデンを傷付けたい訳じゃないんだ。子供をおろさせたいだけだ」
「ハッ、そういうとこだよ。エデンが絶対にお前を選ばない理由がさ」
「お前──」
今の台詞──
俺がベッドに手を着くと、布団の下でグシャッと紙が潰れる感触があった。
嫌な予感がした。
俺が布団を捲ると、そこに、この部屋のダイカットメモで折られた犬小屋の折り紙が無数に出てきた。
「お前、カザンか」
一体、いつから?
思い返してみると、逃亡を持ち掛けられた時から今までの全てのエデンがカザンの演技によるものだったんじゃあないかと思える。
ずっと騙されていたのか。
「ウナー」
俺が油断したところで、カザンから思い切り顔面に蹴りをくらい、後ろによろけた。
「いってぇ……」
俺は片手でカザンの足を掴み、もう片手で自身の顔を押さえる。
今、こいつを逃がしたら一生捕まらなくなる、そう思ったら自ずとカザンの足首を両手で捻っていた。
「絶対逃げられない様に足を折ってやる」
「ケケケ、そうはいくかよ」
カザンは捻られた方向にぐるりと体を回転させ、足への負荷をやり過ごす。
「何をそんな楽しそうに、鰐のデスロールかよ」
足を折られるって時に、こいつはどうしてこんなに愉快でいられる?
頭が沸いてるのか?
「だって笑っちゃうじゃないか、人生最良の日にエデンの妊娠が発覚して、自分が騙されて利用されていた事に気付くなんてさ。傑作じゃないか」
「こいつ、まじで──」
ここまでエデンを演じていられたのが嘘みたいにふてぶてしい。
俺は相手がエデンなのも忘れて本気でカザンを痛めつけようと拳を振り上げた、次の瞬間──
ガンッ‼‼
衝撃音と共に部屋のドアが突破され、俺はあっという間になだれ込んで来た特殊部隊に取り押さえられた。
「なっ」
「残念だったな、氷朱鷺。お前がウキウキでシャワーしてる間にフロントに通報を頼んでおいたんだよ」
「なんでこんな回りくどい事を」
俺は無駄な抵抗をするが、複数人に背中から体重をかけられ手も足も出ない。
「なんでって、お前に失脚してもらわなきゃ、安心してあの城で子供が産めないだろ?」
カザンはベッドを下り、御守りを拾うと衣服の乱れを直しながら捻られた足を確かめる様にクルクルと回した。
「お前、最初からそのつもりで……」
ヤサカの七光りがどこまで通用するか解らないが、俺は王妃誘拐の罪か、王妃を唆した罪で間違いなく城を追い出され、エデンへの接近禁止命令が下される。カザンは最初から、エデンの子供を俺や権力争いから遠ざけるつもりだったんだ。
それに──
「アッハッ、自分が杉山さんにした手に引っ掛かるなんてとんだ間抜けだなぁ?ウナー」
カザンはこれがやりたかったんだ。
杉山さんの敵討ち。復讐だ。
「エデンッ‼」
春臣が遅れてやって来ると、カザンをひしと抱き締めた。
「良かった、怪我は無いか?」
春臣の顔がやつれてる。相当心配していた様だ。
「大丈夫です。ご心配をおかけしてすいません」
カザンは瞬時にエデンの皮を被り、遠慮がちに春臣の背に手を回す。
こいつもカザンに騙されているとも知らずに、不憫な奴だ。
「お腹の子は?」
「掻き出されそうになりましたけど、何とか無事です」
カザンはしっとりしめやかに春臣の同情を誘う。
カザン劇場。見てられないな。
「掻き出されそうに⁉」
春臣はそばに落ちていた針金ハンガーを見て顔を強張らせた。
「氷朱鷺、お前には相応の罰を与える」
「春臣さん、どうか寛大な措置を。氷朱鷺も悪気があった訳じゃないんです」
拳を震わせる春臣をカザンが制止する様に抱きつく。
とんだ大根役者だ。笑わせてくれる。
カザンは春臣に見えない角度で『バーカバーカ』と口パクで俺を小馬鹿にした。
しかし幸いな事に、俺もエデンも近況の写真が無かった為、俺は献上品になる際に提出した履歴書の写真と、エデンは写真自体が存在しない為に似顔絵を公開されたようで、一般市民に生身の俺達の顔は認識されなかった。
なので割と堂々とコンビニやセルフスタンドを利用していた。
不安が払拭された訳ではないけれど、俺はこの日、朝からずっとそわそわしていた。
エデンの月のものが終わる日が今日だ。
今夜、俺はエデンと──
ずっと憧れ続けた人と結ばれるのだ、これが冷静でいられる訳がない。
しかし、それにしてもエデンは驚く程平常運行だ。まさか忘れてるんじゃあ……
俺の脳裏に一抹の不安が過ぎる。
「ねぇ、エデン。今日、体調はどう?」
俺は車通りの無い砂利道を走りながら、助手席で片膝を抱いた状態で座るエデンにそれとなく探りを入れてみる。
「絶好調」
と言うわり、エデンはいつも通りの低血圧な物言いで答える。
「俺達が逃亡してから1週間が経つね?」
「うん」
うん……
会話終了じゃん。
エデンは色恋沙汰には朴念仁なところがある。これはもっと切り込んで攻めないと。
「だいぶ疲れも溜まってるし、今日は車中泊じゃなくてさ、何処かに泊まって大きいベッドで休まない?」
もう、ほぼダイレクトだけど、これならどうだ?
「正直に言いなよ回りくどい。溜まってるのは別な物で、大きいベッドでは休む気なんか無いんでしょ」
「エデン、もう少し幻想的な言い方は出来ないの?」
ド直球過ぎて色気が無い。ガサツだなあ。
「幻想的か……」
「なに?」
ちょっと、思うところがありそうな哀愁のある言い方だったけど。
何の事にも関心の無いエデンだけど、ちょいちょい変なところで変な哲学を披露する節がある。
「何か、映画やドラマ、漫画やアニメでも、とにかく人間はやる事をロマンチックに描きがちだけど、裸になってそれに挑もうとする男のソレを見た時、何か、所詮は人間も動物で、畜生なんだなって思うんだよね。脳みそで欲情しただけでわかりやすく屹立してさ、私はあれを凄く不思議だなって思うんだよ」
「不思議……かな?」
俺はエデンの口からどんな衝撃発言が飛び出すのかびくびくしながら耳を傾けた。
「何で神様は男性をこんなメカニズムで造ったのか、そんな風に思う。だって行為だってヘンテコじゃない?」
「ヘンテコ……かな?」
俺は朝からあんなにわくわくしていたのに、エデンの鉄の哲学、通称鉄学で心が折れそうになっていた。
「あんなカクカク小刻みに腰を振って、ロマンチックのロの字も無くない?」
「えぇ……」
何か、何か全てを否定された気分だ。
「ねぇ、エデン」
でもへこたれたらそこで負けだ。
「ん?」
「小難しい事を言って俺を萎えさせようとしても無駄だよ」
「……」
エデンは窓で頬杖を着いて外を眺めている。
図星か。
「鮭みたいにさ、カァーッと口を開けて体外受精でよ──」
「良くないよ」
俺はスッパリエデンの言葉を一刀両断した。
そんなの嫌だよ。
ダメ、絶対に。
というか、発想がおかしくないか?
それにエデンの過去の体験上、あの行為を蔑んでも仕方が無いものの、杉山さんとは喜んでした筈じゃないか。
「だったら杉山さんとした時もロマンチックじゃなかったって事だよね」
杉山さんの名前を出すと、俺はどうしても卑屈な口調になってしまう。
自分でも思う。みっともない男だ。
「聞いたら萎えるんじゃないの?」
「……」
なるほど、つまり好きな人とする行為はロマンチックだったって言いたいのか。
ムカつく。
俺のハンドルさばきが必然的に荒くなる。
「エデンはよっぽど俺に無茶苦茶にされたいらしいね」
「お前は鬼畜だからな。そこら辺が杉山さんとお前との決定的な違いだよ」
めちゃムカつく。他の男と比べるなんて。
俺の、ハンドルを握る手に力が入る。
「でも俺は元献上品だよ?」
こんな事で杉山さんと張り合うのは、俺がまだ子供だからか。でも言わずにはいられない。
「だから?」
「性に関しては杉山さんよりずっと勉強してる」
「テクニックで言うなら杉山さんのが圧倒的に経験を積んでるじゃん」
「じゃあ春臣は?」
杉山さんの事に関しても春臣の事に関しても、どっちもエデンの口から聞きたくないのに、どうしてこう俺は知りたくなってしまうのか、自分でも嫌になる。
「こんな話、くだらないよ」
エデンからそう言われても仕方が無い。でも俺は俺で勝手にむしゃくしゃしてラブホに進路をとる。
「何処に行くつもり?」
俺の不可解な急ハンドルにエデンが辟易しながら尋ねた。
「解ってるはずだよ」
俺は前だけを見て、電柱に括られたラブホの看板を頼りに車を走らせる。
「昼間っから?」
「夜まで待てない」
「やれやれだね」
そう言ったきり、エデンはラブホに着くまで一言も口を開かなかった。
現地に到着し、俺が先に車を降りるもエデンは助手席で窓に頬杖を着いたままで、俺はそれをエスコートするみたいに外から助手席のドアを開けて降りるよう促すと、彼女は漸くその重い腰を上げた。
「そんなにガツガツされたら引くよ」
「ガツガツなんか──」
して……るな。
そんな事を言ったって、多少強引でもこうでもしなきゃここまで漕ぎ着けなかった。
「なんか痛そうだわ」
エデンが俺の顔を一瞥して言った。
「痛くしないよ、そこまで理性は吹っ飛んでないってば」
でも今からどうしようもなく動悸はしてる。
「どうだか」
エデンは悪態をつきながらもスタスタと先陣を切って車後方の階段から直接部屋に入った。
良かった。拒まれる素振りは見られない。
エデンの背中を追って室内に入ると、当たり前だけど大きなベッドが中央にデーンッと鎮座しており、今更目のやり場に困る。
「安いとほんとに狭い部屋にベッドしかないんだね」
いつも通り冷静なエデンの神経が信じられない。
「先にシャワー浴びてきなよ」
エデンはベッドに仰向けで倒れ込み、疲れきった様子で額に手を乗せた。そうなると有無を言わさず俺が先にシャワーをせざるを得なくなる。
「え、うん」
別に構わないけど。
シャワーを浴びて出て来たら寝てるって事はないよな?
疲れて寝ているエデンを起こすのは忍びない。
俺はカラスの行水の如く急いで体を洗うと、腰にタオルを巻いて風呂場から出た。
「エデン、起きてる?」
「うん」
エデンは横たわった状態から気だるそうに起き上がると着替えを持って風呂場に消える。
良かった、起きてた。そしてちゃんと素直にシャワーをしに行ってくれた。
俺はベッドに横たわり、そこから風呂場の磨りガラスを見つめる。
中の様子は見えないけど、シャワーの水音が艶かしくリアルだ。でもそれ以上に、俺の心音の方がうるさい。
あ、これって、献上の儀の時と感覚が似てる。
あの時はヤサカに邪魔されたけど、今日こそは、本当に……
否応なしに心躍る。
「……」
緊張してきた。
土壇場でエデンに拒否られないか不安だ。受け入れられたとしても、興奮し過ぎてちゃんと出来るか心配。
俺は献上品時代に培った性の知識をABCから倍速でおさらいする。
あくまでエデンファーストで、暴走しない。痛くしない。優しく、様子を見ながら。
キュッ
蛇口を閉める音がして、シャワーが止まった。
ドキッとした。
俺は起き上がり、長座で枕により掛かり、その時を待つ。
ギッ
エデンがシャツにズボンという姿で風呂場から出て来て、俺は内心『ん?』と思った。
そう言えば着替えを持って行ってたけど、この場合、普通、バスタオルを巻いた姿で出て来ないか?
違和感が凄い。
「脱がされるのにわざわざ着込んだの?」
「脱がす楽しみが増えるんじゃないかと思って」
エデンがそんな気の利くタイプか?
「俺を焦らしてるの?」
「あるいは、ね」
そう言うとエデン自らベッドに乗り、女豹の様に這って俺の上まで来る。
意外と積極的で驚いた。
俺はエデンのシャツを脱がそうとしてふと彼女の左手の薬指にある指輪に目が留まる。
「杉山さんからの婚約指輪だよね?」
「そうだね」
エデンの反応はいつも通り薄い。
「外さないの?」
こんな時に忌々しい。いや、こんな時だからこそ忌々しい。
「外さない」
エデンは迷いなく答えた。
「こんな時に他の男の指輪をしてるなんてマナー違反じゃない?」
一度目に付くと気になって仕方なくなる。俺は是が非でもその指輪をエデンの指から外させたいと思った。
「献上の儀でもないのに、マナーもクソもないよ。それに私達は何でもない筈じゃない」
「何でもないって?」
「恋人でも、セフレでも、友人でもない」
エデンは俺の面前に右手を突き出し、わざわざ指を折りながら述べた。
「だからベッドマナーは必要無いって?」
ちょっとイライラしてきた。
「イグザクトリー」
何だその理論、その言い草、そのふざけた英語。納得出来る訳無いじゃないか。
「嫌なものは嫌だ」
俺はエデンを押し倒して組み敷くと、抵抗する彼女の左手を捕まえ、握られたその拳を強引にこじ開けようとする。
「優しくするんじゃなかったの⁉」
「それとこれとは話が別だろ、目障りなんだよ」
まずはこれ(指輪)をどうにかしないと、立つ物も立たない。指輪を外させる、話はそれからだ。
「ろくでなし!お前は私から全てを奪う気なんだな!」
「イグザクトリー!でも俺がいるんだからその他の物は要らないじゃないか」
ムードもへったくれも無い。
俺達が指輪を巡って小競り合いをしていると、身を捩ったエデンのズボンのポケットから何かが抜け出た。
反射的にそれを見ると、それは立派な刺繍の入った御守りだった。
「これは?」
俺がそれに手を伸ばすと、御守りを落とした事に気付いたエデンが血相を変えて取り戻そうとして、すんでの所で俺は御守りを拾い上げる。
「何の御守り?」
薄暗い中、その御守りをベッドサイドの間接照明に当てて確認すると、御守り袋にはっきり『安産祈願』と刺繍されていた。
「え?」
安産祈願?
その言葉を頭の中で何度か反芻させて漸く気付いた。
「エデン、妊娠してるの?」
エデンのポーカーフェイスが一瞬ギクリと歪んだのが見えた。
図星か。
ショックだった。
杉山さんや春臣にエデンを抱かれた数百倍も衝撃が強かった。指輪の事なんて秒でどうでも良くなる。
誰の子だ?
春臣としても、こんなに早く妊娠が判るものか。それにこの御守りは逃亡生活より前にエデンが入手した物だ、杉山さんの子供で間違いない。
「杉山さんの子を妊娠してるから、憎っくき俺を利用してでも王室から逃げる必要があったって訳だ?月のものが終わったらヤらせてくれるなんて嘘までついてさあ」
そうだ、最初からおかしかったじゃないか。エデンが俺なんかに頼る筈ないんだ。俺はそれを自分の都合の良いようにだけ解釈してエデンの強かさから目を背けてたんだ。
耳鳴りがする。
こめかみの血管から血の流れる音がする。
どす黒い、鬱屈とした怒りが猛毒の様に俺の全身を巡る。
「そう」
エデンは開き直り、敵でも見る様な目で俺を牽制した。
「利用するだけ利用して、途中で俺を出し抜いてまく気だった?俺から杉山さんの子供を守る為にさあ?」
俺は感情がめちゃくちゃで、嫌味なくらい語気が強くなる。
「だったらどうする気?」
エデンは自らの腹を守る様に押さえ、俺から逃れる様に後ろへ後ずさる。
「そんなもの──」
俺はベッドを下り、クローゼットから針金ハンガーを取り出すと一本のカギ状の棒に作り変えた。
「掻き出すに決まってる」
エデンの中で他の男の愛の結晶が育まれていくのがどうしても許せなかった。
エデンと杉山さんの愛の証拠が遺るのが許せなかった。
だから、今、直ぐにでもそれを掻き出して無かった事にしてしまおうと思った。
エデンはさぞや絶望的な顔をするだろうと思った、が、彼女は──
「やっぱりな」
──と口の端を持ち上げて笑った。
「俺は本気だよ?」
俺はそれを証明する様にベッドに膝を掛け、エデンの足首を掴んで彼女を引き寄せる。
「分かってる。お前は万里と杉山さんを殺した鬼畜だからな‼」
空いている方の足でエデンから蹴りが繰り出され、俺はその足も捕まえて押さえ付けた。
「エデン、怪我をするから暴れないで。本当はエデンの体の為にも鬼灯でも使えたら良かったんだけど」
大人しく鬼灯を煎じられるとは思えない。
だからこの決定は仕方の無い事だった。
「何が怪我をするから、だ、思いやるフリをするのは止めろ」
「俺は別にエデンを傷付けたい訳じゃないんだ。子供をおろさせたいだけだ」
「ハッ、そういうとこだよ。エデンが絶対にお前を選ばない理由がさ」
「お前──」
今の台詞──
俺がベッドに手を着くと、布団の下でグシャッと紙が潰れる感触があった。
嫌な予感がした。
俺が布団を捲ると、そこに、この部屋のダイカットメモで折られた犬小屋の折り紙が無数に出てきた。
「お前、カザンか」
一体、いつから?
思い返してみると、逃亡を持ち掛けられた時から今までの全てのエデンがカザンの演技によるものだったんじゃあないかと思える。
ずっと騙されていたのか。
「ウナー」
俺が油断したところで、カザンから思い切り顔面に蹴りをくらい、後ろによろけた。
「いってぇ……」
俺は片手でカザンの足を掴み、もう片手で自身の顔を押さえる。
今、こいつを逃がしたら一生捕まらなくなる、そう思ったら自ずとカザンの足首を両手で捻っていた。
「絶対逃げられない様に足を折ってやる」
「ケケケ、そうはいくかよ」
カザンは捻られた方向にぐるりと体を回転させ、足への負荷をやり過ごす。
「何をそんな楽しそうに、鰐のデスロールかよ」
足を折られるって時に、こいつはどうしてこんなに愉快でいられる?
頭が沸いてるのか?
「だって笑っちゃうじゃないか、人生最良の日にエデンの妊娠が発覚して、自分が騙されて利用されていた事に気付くなんてさ。傑作じゃないか」
「こいつ、まじで──」
ここまでエデンを演じていられたのが嘘みたいにふてぶてしい。
俺は相手がエデンなのも忘れて本気でカザンを痛めつけようと拳を振り上げた、次の瞬間──
ガンッ‼‼
衝撃音と共に部屋のドアが突破され、俺はあっという間になだれ込んで来た特殊部隊に取り押さえられた。
「なっ」
「残念だったな、氷朱鷺。お前がウキウキでシャワーしてる間にフロントに通報を頼んでおいたんだよ」
「なんでこんな回りくどい事を」
俺は無駄な抵抗をするが、複数人に背中から体重をかけられ手も足も出ない。
「なんでって、お前に失脚してもらわなきゃ、安心してあの城で子供が産めないだろ?」
カザンはベッドを下り、御守りを拾うと衣服の乱れを直しながら捻られた足を確かめる様にクルクルと回した。
「お前、最初からそのつもりで……」
ヤサカの七光りがどこまで通用するか解らないが、俺は王妃誘拐の罪か、王妃を唆した罪で間違いなく城を追い出され、エデンへの接近禁止命令が下される。カザンは最初から、エデンの子供を俺や権力争いから遠ざけるつもりだったんだ。
それに──
「アッハッ、自分が杉山さんにした手に引っ掛かるなんてとんだ間抜けだなぁ?ウナー」
カザンはこれがやりたかったんだ。
杉山さんの敵討ち。復讐だ。
「エデンッ‼」
春臣が遅れてやって来ると、カザンをひしと抱き締めた。
「良かった、怪我は無いか?」
春臣の顔がやつれてる。相当心配していた様だ。
「大丈夫です。ご心配をおかけしてすいません」
カザンは瞬時にエデンの皮を被り、遠慮がちに春臣の背に手を回す。
こいつもカザンに騙されているとも知らずに、不憫な奴だ。
「お腹の子は?」
「掻き出されそうになりましたけど、何とか無事です」
カザンはしっとりしめやかに春臣の同情を誘う。
カザン劇場。見てられないな。
「掻き出されそうに⁉」
春臣はそばに落ちていた針金ハンガーを見て顔を強張らせた。
「氷朱鷺、お前には相応の罰を与える」
「春臣さん、どうか寛大な措置を。氷朱鷺も悪気があった訳じゃないんです」
拳を震わせる春臣をカザンが制止する様に抱きつく。
とんだ大根役者だ。笑わせてくれる。
カザンは春臣に見えない角度で『バーカバーカ』と口パクで俺を小馬鹿にした。
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