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酒と氷朱鷺とエデンと
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王家の一族での晩餐会、今夜は主役の春臣とエデンを上座に置き、そこから序列順に縦2列にズラリと着席し、広いホールを血の繋がらない遠縁までが何列もテーブルを囲って座っていた。
最初に春臣とエデンの挨拶で始まり、乾杯を合図に各々普段通りの食事会をスタートさせる。
俺はエデンから春臣とヤサカを挟んだ3つ隣で慣れないヴィンテージワインに手を付けていた。
ほぼやけ酒だ。
カザンの事だから、俺の横暴を春臣に全て暴露しているだろう。さっきから春臣の牽制の視線が痛い。
でもそんな事はどうでもいい。
手を伸ばせば届きそうな所にエデンがいるのに、俺には話し掛ける事すら許されない。
形勢大逆転て訳か。
ちょっと前までエデンは俺の手の中にいて、どうとでも出来たのに──
こんな事なら時間をかけないで、無理矢理彼女を自分の物にしておけばよかった。
悔やんでも悔やみきれない。飲んでも何の慰めにもならない。
「エデンのお義姉さん、お祝いにワインでもどうかしら?」
ヤサカが胡散臭い恭しさでエデンのワイングラスにワインを口切りいっぱいなみなみと注いだ。
エデンを酔い潰して醜態を晒させようという魂胆が見え見えだ。
絡まれたエデンは表面張力でグラスから少し飛び出たワインにタジタジしている。
相変わらず意地の悪い事だ。
「ヤサ──」
「エデン、飲まなくていい」
俺がヤサカを窘めてエデンに助け舟を出そうとすると、すかさず春臣がエデンの前からそのグラスを撤去し、それをそのまま水の如く一気に飲み干す。
春臣の喉を、口から溢れた赤ワインが一筋伝い、それをエデンがナプキンでサッと拭き取った。
なんだよ、その自然な流れ。まるで鴛鴦夫婦じゃないか。
ムカつく。
エデンを守っていたのは自分なのに。
エデンに世話されていたのも自分なのに。
春臣の男気にも腹が立つ。それに焦っている自分にはもっと腹が立つ。
「くそ……」
やさぐれているから酒が進むのか、酒が進むからやさぐれるのか、もはや解らない。
ほんとに良くやってくれたよ、ヤサカ。よくも出し抜いてくれたな、カザン。
完敗だよ。
俺がワインを煽ろうとしてグラスを傾けると、直前でそれが空である事に気付く。するとエデンが給仕の使用人を呼んで何やら耳打ちした。
「?」
今のは何だ?
そう思っているとさっきの使用人がやって来て俺のグラスにワインを注ぐ。
?
エデンの気配りか?
「どうかしたの?随分と酒が進むじゃない?」
ヤサカが俺にわざとらしい皮肉を投げかけた。
分かってるくせに。
「こういう所は間が保たなくて苦手なだけです」
それも間違いではないが、今日はエデンの件もあって特別酒が進む。
「後の立食パーティーまで保てばいいけど」
「食事会の後に立食ですか?」
どんだけ食べるんだよ。
「要は場所を変えて、おつまみを食べながらの外交みたいなものよ」
「面倒くさいですね」
「今日はあの2人がメインなんだから、適当に乾杯して回ってたら終わるわよ」
ヤサカの『あの2人』というフレーズでエデン達を見ると、それはもう仲睦まじく談笑している。
随分と寵愛を受けているみたいだけど、あれはエデンか、それともカザンか、そこが肝心だ。エデンがあんな、まるで杉山さんといるみたいに和やかに笑っているなんて、俺は認めない。
あれはエデンじゃない。偽物のカザンだ。俺が愛した人じゃない。
そうでも考えないとおかしくなりそうだった。
酒が進む。
エデンが春臣に笑いかける度、給仕が注ぐワインを注がれるがままに飲み干していく。謂わばわんこそば状態だ。
渋いヴィンテージワインのせいか歯がギシギシする。鼻腔の奥に熟成樽の発酵した木の風味がこびりついて消えない(個人の見解)目の前が霞んで、挙動が老眼の人の様になっていたと思う。赤ワインに合う血も滴るローストビーフを見ていると急速に気分が悪くなった。
立食?
とんでもない。
立ち上がって会場に移動するのがやっとだった。
それでも、外見には普段通りを装っている為、俺は誰からも心配される事無く、遠縁と井戸端会議するヤサカから離れて壁際でシャンパンを飲んでいた。
シャンパンのスッキリとした喉越しでちょっと赤ワインの気持ち悪さが落ち着いたが、暫く経つと酩酊度が2倍になって返ってきた。
俺は軽く壁に寄り掛かり、このまま頭を撃ち抜かれた兵士の如くズルズルと座り込みたい衝動に襲われる。
眠たい。
あーあ、エデンと暮らした献上品部屋に戻りたい。あの頃に戻りたい。あの頃が1番平和で1番幸せだった、なんて、春臣に寄り添うエデンを見ながら思う。
俺は何処で、何を間違えたんだろう?
万里を見殺しにしても、しなくても、エデンは手に入っていなかったんじゃないか?
何処で道を踏み間違えたのか。
「生まれた時、からか……」
俺は自分の人生を振り返り、ポツリと呟く。
あの父親のもとに生まれてきた時からか、果てはあの父親の遺伝子のせいか。
俺はふと、印象深かった父親の首にある蛇のタトゥーを思い出す。
「殺し好きの……クサレ傭兵の遺伝子のせいか……」
自分の境遇を嘆いたのは改名してから初めてだ。
「酒の力は怖、い」
脱線した。何でこんな事を思ったんだろう?
忘れるって決めていたのに。
思考が纏まらない。
フワフワする。足元がおぼつかない。
愉快なのに絶望的だったり、楽しいのに泣きたくなったり、眠たいのに自暴自棄で刹那的だったり、情緒の波が激しい。
揺らぐ視界。でも1人だけハッキリと捉えれるのは摩天楼広がる大窓の前に立つ、タイトな純白のドレスを着たエデンだけ。肩まで伸びた髪を左耳にかけ、緑の花冠をした彼女はまるで、まるで──
──天使。
穢れた俺を楽園へと導いてくれる天使だ。
「いや、エデンこそが楽園(エデンの園)だ」
俺を苦しみから救ってくれたジャンヌ・ダルク。
手を伸ばせば……手を伸ばせば……
俺は人知れず歩き出していた。
談笑する人々の波を掻き分け、シャンパンを運ぶ給仕にぶつかり、チークダンスを楽しむ人達の群れを蹴散らしながらエデンの前に飛び出した。
「氷朱鷺っ⁉」
勢い余り、俺はエデンに壁ドンならぬ、窓ドンする。
「どうも、次期王妃様。ご婚約のご挨拶を」
「氷朱鷺、どうしたの?飲み過ぎたの?」
傷心にエデンの心配そうな声はルール違反だ。
駄目なのにキスしたくなる。
「飲ませたのは貴方じゃないですか」
逃げられない様にエデンの顎を捕まえて、上を向かせたらもう、俺等はロミオとジュリエットじゃないか、なんて、こんな酔っ払った頭でもそれが大罪であると痛感していた。
「具合悪い?」
エデンが俺の顔に触れる。
夢か?
彼女の指先が冷たくて、心地よくて、気付いたら俺はその手を握り締めていた。
第1王子の妃になる人に、だ。
幸い春臣は親戚筋の男衆らに捕まって飲まされてこちらの様子には気付いていない。
俺はまるでイケナイ恋をしている様で気分が高揚した。
花嫁を奪還しに来た間男みたいだ。
「エデン」
「何?」
「エデンエデン」
凄く伝えたい事がある。
「だから、何?」
俺の必死の様子にエデンが苦笑いして、俺は例え苦笑でも、それでもそれが凄く嬉しくて、駄目なのに、いけないのに、どうしても気持ちを伝えたくて、堪らなくて、苦しくなる。
「エデン、俺は、俺は──」
酩酊しているのに理性がブレーキをかける。これ以上は言ってはいけない、と。
「──」
「氷朱鷺?」
「……ご婚約、おめでとうございます」
苦しかった。
こんな事、絶対言いたくなかったのに。
身を八つ裂きにされたみたいだった。
「俺の負けだよ、エデン。いや、カザンかな?」
俺はそう言ってエデンから離れた。
具合が悪い。吐きそうだ。
苦しいのが心なのか体なのかわからなくなる。
「氷朱鷺」
エデンは何か言いたそうだったけれど、俺は吐き気に背を押される形でトイレの個室に駆け込んだ。
カッコ悪。
俺は飲んだ分、又はそれ以上の水分を便器に吐き出す。空腹に赤ワインばかりを詰め込んだせいでまるで便器の中が吐血でいっぱいになった様だった。
「ぅぅっ……」
全て吐き出してだいぶスッキリはしていたが、胃がせり上がったままなので酸っぱい物が込み上げてくる感覚が止まらない。
「ぅぇっ……」
胃酸とアルコールのせいで喉の灼熱感が酷い。それでも絞り出す様に何かを吐き出すと喉が焼ける様に痛んで、赤ワインよりも濃い赤が便器を染めた。
血か?
他人事の様にそう思っていると、男子トイレにカツカツとヒールの音が響き、俺のいる個室を開けた。
「氷朱鷺、大丈夫?」
俺が振り返ると、エデンがミネラルウォーターのボトルを差し出していた。
「なんで……ここに?」
今日の主役がここに来たら駄目だろ。ましてや第1王子の婚約者が、義理の妹の旦那の所に。
「なんでって、心配だったからに決まってる」
エデンは当たり前の様にボトルのキャップを外し、ボトルを俺に持たせる。
「毒でも入ってる?」
「入ってないよ笑。そんな事しなくても、千鳥足の酔っ払いなんか簡単に殺せるから」
エデンは笑いながら水を飲むよう促した。
「……そっか」
エデンが優しい。
一時は俺を殺そうとしていたエデンが俺の事を心配してくれている。
俺は酔っ払って夢でもみているんだろうか?
でも、風邪をひいた時、エデンが優しくしてくれたのを思い出す。
「ありがとう……ございます」
そう言って俺は喉を潤した。
火事みたいになっていたヒリヒリの喉が水で癒される。
「敬語なんて……ほら、まだ出そう?」
「出る、かも……」
エデンに背中をさすられ、俺は胃を濯ぐみたいに先刻の水を吐き出した。
「ぅぅっ……」
こんな姿、見られる筈じゃなかったのに。
カッコ悪い。
でも背中をさすってくれるエデンの手が温かくて、嫌な気分ではなかった。
もっと、ずっと一緒にいたい。
全部吐き出したらエデンがいなくなる。
そんな焦りもある中、ふとエデンが俺の背中をさすりながら左の耳元に顔を寄せて来た。
「氷朱鷺、このまま聞いてほしい」
「……ぇ?」
俺は口元のヨダレを手で拭い、左耳に集中する。
何だ?
俺が疑問に思う中、エデンが思わぬ事を耳打ちする。
「私と一緒にこの城を出てほしい」
最初に春臣とエデンの挨拶で始まり、乾杯を合図に各々普段通りの食事会をスタートさせる。
俺はエデンから春臣とヤサカを挟んだ3つ隣で慣れないヴィンテージワインに手を付けていた。
ほぼやけ酒だ。
カザンの事だから、俺の横暴を春臣に全て暴露しているだろう。さっきから春臣の牽制の視線が痛い。
でもそんな事はどうでもいい。
手を伸ばせば届きそうな所にエデンがいるのに、俺には話し掛ける事すら許されない。
形勢大逆転て訳か。
ちょっと前までエデンは俺の手の中にいて、どうとでも出来たのに──
こんな事なら時間をかけないで、無理矢理彼女を自分の物にしておけばよかった。
悔やんでも悔やみきれない。飲んでも何の慰めにもならない。
「エデンのお義姉さん、お祝いにワインでもどうかしら?」
ヤサカが胡散臭い恭しさでエデンのワイングラスにワインを口切りいっぱいなみなみと注いだ。
エデンを酔い潰して醜態を晒させようという魂胆が見え見えだ。
絡まれたエデンは表面張力でグラスから少し飛び出たワインにタジタジしている。
相変わらず意地の悪い事だ。
「ヤサ──」
「エデン、飲まなくていい」
俺がヤサカを窘めてエデンに助け舟を出そうとすると、すかさず春臣がエデンの前からそのグラスを撤去し、それをそのまま水の如く一気に飲み干す。
春臣の喉を、口から溢れた赤ワインが一筋伝い、それをエデンがナプキンでサッと拭き取った。
なんだよ、その自然な流れ。まるで鴛鴦夫婦じゃないか。
ムカつく。
エデンを守っていたのは自分なのに。
エデンに世話されていたのも自分なのに。
春臣の男気にも腹が立つ。それに焦っている自分にはもっと腹が立つ。
「くそ……」
やさぐれているから酒が進むのか、酒が進むからやさぐれるのか、もはや解らない。
ほんとに良くやってくれたよ、ヤサカ。よくも出し抜いてくれたな、カザン。
完敗だよ。
俺がワインを煽ろうとしてグラスを傾けると、直前でそれが空である事に気付く。するとエデンが給仕の使用人を呼んで何やら耳打ちした。
「?」
今のは何だ?
そう思っているとさっきの使用人がやって来て俺のグラスにワインを注ぐ。
?
エデンの気配りか?
「どうかしたの?随分と酒が進むじゃない?」
ヤサカが俺にわざとらしい皮肉を投げかけた。
分かってるくせに。
「こういう所は間が保たなくて苦手なだけです」
それも間違いではないが、今日はエデンの件もあって特別酒が進む。
「後の立食パーティーまで保てばいいけど」
「食事会の後に立食ですか?」
どんだけ食べるんだよ。
「要は場所を変えて、おつまみを食べながらの外交みたいなものよ」
「面倒くさいですね」
「今日はあの2人がメインなんだから、適当に乾杯して回ってたら終わるわよ」
ヤサカの『あの2人』というフレーズでエデン達を見ると、それはもう仲睦まじく談笑している。
随分と寵愛を受けているみたいだけど、あれはエデンか、それともカザンか、そこが肝心だ。エデンがあんな、まるで杉山さんといるみたいに和やかに笑っているなんて、俺は認めない。
あれはエデンじゃない。偽物のカザンだ。俺が愛した人じゃない。
そうでも考えないとおかしくなりそうだった。
酒が進む。
エデンが春臣に笑いかける度、給仕が注ぐワインを注がれるがままに飲み干していく。謂わばわんこそば状態だ。
渋いヴィンテージワインのせいか歯がギシギシする。鼻腔の奥に熟成樽の発酵した木の風味がこびりついて消えない(個人の見解)目の前が霞んで、挙動が老眼の人の様になっていたと思う。赤ワインに合う血も滴るローストビーフを見ていると急速に気分が悪くなった。
立食?
とんでもない。
立ち上がって会場に移動するのがやっとだった。
それでも、外見には普段通りを装っている為、俺は誰からも心配される事無く、遠縁と井戸端会議するヤサカから離れて壁際でシャンパンを飲んでいた。
シャンパンのスッキリとした喉越しでちょっと赤ワインの気持ち悪さが落ち着いたが、暫く経つと酩酊度が2倍になって返ってきた。
俺は軽く壁に寄り掛かり、このまま頭を撃ち抜かれた兵士の如くズルズルと座り込みたい衝動に襲われる。
眠たい。
あーあ、エデンと暮らした献上品部屋に戻りたい。あの頃に戻りたい。あの頃が1番平和で1番幸せだった、なんて、春臣に寄り添うエデンを見ながら思う。
俺は何処で、何を間違えたんだろう?
万里を見殺しにしても、しなくても、エデンは手に入っていなかったんじゃないか?
何処で道を踏み間違えたのか。
「生まれた時、からか……」
俺は自分の人生を振り返り、ポツリと呟く。
あの父親のもとに生まれてきた時からか、果てはあの父親の遺伝子のせいか。
俺はふと、印象深かった父親の首にある蛇のタトゥーを思い出す。
「殺し好きの……クサレ傭兵の遺伝子のせいか……」
自分の境遇を嘆いたのは改名してから初めてだ。
「酒の力は怖、い」
脱線した。何でこんな事を思ったんだろう?
忘れるって決めていたのに。
思考が纏まらない。
フワフワする。足元がおぼつかない。
愉快なのに絶望的だったり、楽しいのに泣きたくなったり、眠たいのに自暴自棄で刹那的だったり、情緒の波が激しい。
揺らぐ視界。でも1人だけハッキリと捉えれるのは摩天楼広がる大窓の前に立つ、タイトな純白のドレスを着たエデンだけ。肩まで伸びた髪を左耳にかけ、緑の花冠をした彼女はまるで、まるで──
──天使。
穢れた俺を楽園へと導いてくれる天使だ。
「いや、エデンこそが楽園(エデンの園)だ」
俺を苦しみから救ってくれたジャンヌ・ダルク。
手を伸ばせば……手を伸ばせば……
俺は人知れず歩き出していた。
談笑する人々の波を掻き分け、シャンパンを運ぶ給仕にぶつかり、チークダンスを楽しむ人達の群れを蹴散らしながらエデンの前に飛び出した。
「氷朱鷺っ⁉」
勢い余り、俺はエデンに壁ドンならぬ、窓ドンする。
「どうも、次期王妃様。ご婚約のご挨拶を」
「氷朱鷺、どうしたの?飲み過ぎたの?」
傷心にエデンの心配そうな声はルール違反だ。
駄目なのにキスしたくなる。
「飲ませたのは貴方じゃないですか」
逃げられない様にエデンの顎を捕まえて、上を向かせたらもう、俺等はロミオとジュリエットじゃないか、なんて、こんな酔っ払った頭でもそれが大罪であると痛感していた。
「具合悪い?」
エデンが俺の顔に触れる。
夢か?
彼女の指先が冷たくて、心地よくて、気付いたら俺はその手を握り締めていた。
第1王子の妃になる人に、だ。
幸い春臣は親戚筋の男衆らに捕まって飲まされてこちらの様子には気付いていない。
俺はまるでイケナイ恋をしている様で気分が高揚した。
花嫁を奪還しに来た間男みたいだ。
「エデン」
「何?」
「エデンエデン」
凄く伝えたい事がある。
「だから、何?」
俺の必死の様子にエデンが苦笑いして、俺は例え苦笑でも、それでもそれが凄く嬉しくて、駄目なのに、いけないのに、どうしても気持ちを伝えたくて、堪らなくて、苦しくなる。
「エデン、俺は、俺は──」
酩酊しているのに理性がブレーキをかける。これ以上は言ってはいけない、と。
「──」
「氷朱鷺?」
「……ご婚約、おめでとうございます」
苦しかった。
こんな事、絶対言いたくなかったのに。
身を八つ裂きにされたみたいだった。
「俺の負けだよ、エデン。いや、カザンかな?」
俺はそう言ってエデンから離れた。
具合が悪い。吐きそうだ。
苦しいのが心なのか体なのかわからなくなる。
「氷朱鷺」
エデンは何か言いたそうだったけれど、俺は吐き気に背を押される形でトイレの個室に駆け込んだ。
カッコ悪。
俺は飲んだ分、又はそれ以上の水分を便器に吐き出す。空腹に赤ワインばかりを詰め込んだせいでまるで便器の中が吐血でいっぱいになった様だった。
「ぅぅっ……」
全て吐き出してだいぶスッキリはしていたが、胃がせり上がったままなので酸っぱい物が込み上げてくる感覚が止まらない。
「ぅぇっ……」
胃酸とアルコールのせいで喉の灼熱感が酷い。それでも絞り出す様に何かを吐き出すと喉が焼ける様に痛んで、赤ワインよりも濃い赤が便器を染めた。
血か?
他人事の様にそう思っていると、男子トイレにカツカツとヒールの音が響き、俺のいる個室を開けた。
「氷朱鷺、大丈夫?」
俺が振り返ると、エデンがミネラルウォーターのボトルを差し出していた。
「なんで……ここに?」
今日の主役がここに来たら駄目だろ。ましてや第1王子の婚約者が、義理の妹の旦那の所に。
「なんでって、心配だったからに決まってる」
エデンは当たり前の様にボトルのキャップを外し、ボトルを俺に持たせる。
「毒でも入ってる?」
「入ってないよ笑。そんな事しなくても、千鳥足の酔っ払いなんか簡単に殺せるから」
エデンは笑いながら水を飲むよう促した。
「……そっか」
エデンが優しい。
一時は俺を殺そうとしていたエデンが俺の事を心配してくれている。
俺は酔っ払って夢でもみているんだろうか?
でも、風邪をひいた時、エデンが優しくしてくれたのを思い出す。
「ありがとう……ございます」
そう言って俺は喉を潤した。
火事みたいになっていたヒリヒリの喉が水で癒される。
「敬語なんて……ほら、まだ出そう?」
「出る、かも……」
エデンに背中をさすられ、俺は胃を濯ぐみたいに先刻の水を吐き出した。
「ぅぅっ……」
こんな姿、見られる筈じゃなかったのに。
カッコ悪い。
でも背中をさすってくれるエデンの手が温かくて、嫌な気分ではなかった。
もっと、ずっと一緒にいたい。
全部吐き出したらエデンがいなくなる。
そんな焦りもある中、ふとエデンが俺の背中をさすりながら左の耳元に顔を寄せて来た。
「氷朱鷺、このまま聞いてほしい」
「……ぇ?」
俺は口元のヨダレを手で拭い、左耳に集中する。
何だ?
俺が疑問に思う中、エデンが思わぬ事を耳打ちする。
「私と一緒にこの城を出てほしい」
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