王女への献上品と、その調教師

華山富士鷹

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リベンジ

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 万里が死んでから49日が経った。まるでそれが合図だったかのようにすぐさま俺に献上の声がかかった。
 エデンとはあれから絶望的に気まずい雰囲気になり、事務的な会話こそすれど、俺がそれ以上に距離を詰めようとすると決まって彼女は部屋を出た。
 エデンは実の弟を失って悲しみの渦中にいる。けれどそれとは別に俺への憎悪も感じられる。俺がエデンに酷い事をしたからというのもあるが、それだけではないような気もする。

 もしかしたらエデンは何かに気付いた?

 万里を死に追いやった事を知るのは俺と王女と万里だけだ。エデンが知るはずもない。でも彼女の俺を見る目と言ったら、まるで人殺しでも見るような目をしていて居心地が悪い。今だって、ダイニングテーブルで朝食のトーストを食べる俺の顔をキッチンから振り返ってじっと睨んでいる。
 このトーストに毒でも塗ったんじゃないか?
 かと言って俺がエデンの方を見ると彼女は即座に目を逸らす、そんな毎日だ。
「今夜、献上の儀が済めば、後はトントン拍子に話が進んで俺達は全然会えなくなるんじゃないかな、って思うんだけど」
 もしもエデンと離れ離れになるとしたら、俺は凄く悲しいけれど、エデンは何とも思わないのだろうか?
 だとしたらそれこそ悲しい。親兄弟よりもずっと密接に暮らしてきたのに。
「それで?」
 エデンはキッチンに向かったまま背中で答えた。
 声音もそうだけど、やっぱり冷たい感じがする。
「だからもう少し、最期の時間を惜しむとかないのなかって」
「惜しんでいないとしたら?」
 エデンがボソッと何かを呟いた。
「え?」
 空耳か、何か良くない言葉が聞こえた気がしたが?
「寧ろ……いや、いい。これからここの国定公園に出掛けるけど来る?前にピクニックに行った所」
「いいの?」
 エデンは相変わらずこちらを向いてくれないが、向こうから誘いを持ち掛けてきてくれてホッとした。
 少しは俺の事を気にかけてくれてる?
「午後から献上の準備で忙しくなるし、お前が献上されたら二度と行けなくなるだろうし、最後のピクニックに」
 素っ気ないながらもエデンなりに俺との別れを惜しんでくれている、と思いたい。
「そうだね。献上される前にあの崖に花でも手向けたかったし」
 墓が無い分、やはり万里の墓参りはあの崖だと思う。ピクニックもそうだが、献上前に万里を弔えるならその方がいい。
「……花はちゃんとしたのを城に出入りしてる花屋さんに頼んであるから」
「うん。エデンは大丈夫なの?」
「何が?」
「いや、万里が亡くなって、ずっと行けずにいた場所だから、その、辛くないのかなって」
 花を頼んでいたくらいだからあの場所へ行く覚悟は出来ていたとは思う、が、実の弟が飛び降りた場所なんて、本当は見たくない筈だ。
「今行っても、何十年か後に行っても、どのみち辛いって事に気付いたから。それに私は、今、このタイミングで行かないと後悔すると思ったし」
「そう」
 俺の献上が終わればエデンは調教師じゃなくなってここを出て行く。だからこのタイミングなのかもしれない。
 俺は上着を着て先に玄関でエデンを待ち、リュックを背負った彼女が来るとその後に続いて歩いた。献上品は乗馬や課外授業以外で勝手に1人で建物の外に出る事を許されていない。だから俺はいつもエデンの後ろを歩いて彼女の背中ばかりを見ている。バイクに乗る時もそう、当然俺は後ろで彼女の腰に手を回して抱きついてるのだが、今日はリュックが邪魔で結局リュックにへばりついている。
 わざと?
 物理的にも距離をおかれてる?
 リュックからは菊を中心とした花束が顔を出していた。
 ピクニックとは言ったが、重々しい空気ではある。時々気分転換にこうしてエデンに国定公園まで連れて来てもらっていたけれど、あの頃はこんなに距離を感じなかったし、陰鬱な気分でもなかった。
 自業自得か。
 長い新緑の小道を抜け、細い砂利道を暫く走った所でバイクは止まり、そこから俺達は崖のある開けた場所まで歩いた。
「リュックなら俺が背負ったのに。普通、後ろの人が背負わない?」
「じゃあ、帰りはそうしたらいい」
 そう言うわり、エデンの言葉はどうでもいい事のように発せられる。投げやりというか、感情が無いというか、まるで静かに牽制されているみたいだ。
 突き放されてる。
「はい」
 そう言われて花束と火を着けた線香を何本か渡された。
 エデンはリュックから更にお菓子や缶ジュースをいくつか取り出し、花や線香と共に崖っぷちに並べていく。俺はその姿に習い、屈んでそこに線香を置き、花も同じ所へ供えようとすると『それは崖下に投げ込んで』と言われ、崖っぷちぎりぎりのヘリへと立った。
 少し身を乗り出すと、下の川から放出される冷気とその強風で空気が変わる。それはまるで現世とあの世の境界を表しているよう。そしてここから崖下を見下ろすと、激流から立ち上った水しぶきが霧となって霞み、その深い深淵を覆ってはおどろおどろしく演出している。遠くから聞こえる砂嵐の様な騒音が『ここから飛び降りたら、例え落ちた衝撃で死ななかったとしても、激流に押し流されて決して助からないな』と安易に想像させられた。
 万里はどっちだろう?
 全身を強く打って即死したのか、それとも全身を強く打ったうえに激痛の中苦しみもがいて溺れ死んだのか……
 せめて前者だが、それでもこんな高さから飛び降りるなんて、想像を絶する恐怖だったに違いない。万里は臆病なたちだったから尚更怖かっただろう。
 いつか、自分自身もここに立たされた事があったが、俺は撃たれてから落とされる予定だったから、万里の恐怖の比ではない。
 万里は最期、何を思い、何を感じて落ちて行ったのだろう?
 家族や杉山さんへの謝罪や感謝?
 それとも俺を恨みながら落ちて行った?
 ただただ恐怖や苦痛を感じながら逝くより、俺への憎悪を持って逝ったのなら、その方がいい。
「万里、ごめん」
 自然と溢れた言葉と共に、頬を生温い物がつたった。後方でしゃがんで手をあわせるエデンには聞こえないように、見えないように、俺は万里を弔った。
「……花を投げて」
 エデンが立ち上がり、そう俺に言った。
「うん」
 俺は言われた通り崖下に向けて花束を放る。花束は呆気なく霞の中へ消え、その後どうなったか目で追えなかった。
 万里に届くといいが。
 ──そう思いながら手を合わせ、エデンの方を振り返ろうとすると、後頭部に硬質な何かが押し当てられ、俺は動きを止めた。
 多分、これは──
「万里に許しは請うたか?」
 ため息を吐くみたいにエデンが問うた。
「そんな事はしてない。ただ、ごめんとは言った」
 俺の後頭部に当てられたのは間違いなく銃だ。
 何故そう思うのかと言うと、前出のエデンのセリフのせいではなく、俺自身の日頃の行いのせい。身から出た錆というやつで、なんとなくいつかはこうなるだろう事は解っていた。
 エデンは全てを知ったんだ。
「お前、王女に電話しなかったんだろ?」
「しなかった」
 もう、嘘をつく気は無かった。
「それはつまり、お前が、初夜に万里を選ぶよう王女を唆したから?」
「そう」
「なんで……なんで万里だったの?」
 エデンの声が、憎しみを抑え込むように切迫したものに変わる。
「都合が良かったんだ」
「万里が鬱陶しくて邪魔だった?」
「一時はそう思った。でも、万里がここに立たされたら、杉山さんは万里を撃てずに自滅すると思ったから」
「そんなくだらない事で……」
「もし誰かが必ず犠牲になるのだとしたら、自分に優位に働く方を選ぼうと思った」
「だからって……万里は氷朱鷺の事を友達だと思ってたのに!!」
 堪えきれなくなったのか、急にエデンが声を荒らげた。
 俺は──エデンを悲しませたり、こうして怒らせたかった訳じゃない。ただ愛されたくて、手に入れたくて、この最悪の事態を招いた。弁解の余地など無い。
「俺は、万里の処刑が確定した時に万里を友達だと自覚した。今になって後悔をしてると言っても信じてもらえないのは分かってる」
 きっとエデンは生涯俺を憎み、俺を愛してくれる事は絶対にないかもしれない。俺は生まれついてのサイコパスだから、例え万里が生きていたとしても、結果は同じ事になっていたと思う。
「友達に、どうしてこんな酷い事が出来るの……これを読め!!」
 そうして後ろから差し出されたのは一切れのメモだ。俺はそれを受け取って開くと、目を落とした。
『氷朱鷺へ、僕は君を憎んでなんかいないから、どうか自分を責めないで。愛してる。さよなら。万里』
 俺はこれを見て瞬時に目の奥が疼いた、が、ここで何かを感じてしまうのが怖くてグッと耐えた。万里の死後、俺はタガが外れ、非道になろうと決めたからだ。
「万里には悪い事をしたと思っているよ」
「よくもそんな事が言えたな、万里はお前を愛していたのに!」
 後頭部に銃口からの振動が伝わってくる。
「分かってた。寧ろそう仕向けてしまったとも思う」
「仕向けたって?」
「万里と寝たから」
 そう発言した途端、後ろからこめかみを銃で殴られた。
「っ……」
 血でも出たんじゃあないかと思う程こめかみに酷い痛みが走る。
「弟を弄んだ?!」
「結果的にはそう。でもそれは、万里がエデンと血が繋がっていると思ったから」
「意味が解らない」
「エデンを抱いているつもりで万里を抱いたって事」
「───っ」
 俺が淡々と語ると、エデンは言葉を失い、詰めるような嗚咽を漏らし、そして再度俺の後頭部に銃口を当てるとカチリとその撃鉄を起こした。
「気分が悪い。なんでそんな事をするの?」
「エデンが好きで好きで堪らなかったから。でもエデンは杉山さんが好きで、俺は献上品で手が届かなかったから」
「だからって、普通はそんな事しない」
「分かってる」
「私に恋愛感情はないけど、氷朱鷺の事はちゃんと愛してた」
「……でも嫌いになったろ?」
「嫌い?そんな生易しいもんじゃない。憎悪だよ。何度殺しても飽き足りない程のね」
「俺を撃つの?」
「お前が選べ。撃たれて落とされたいか、自分から飛び降りるか」
「状況は違えど、前にもこんな事があったね。俺は当時も今も、死ぬならエデンに撃たれたいと思ってる」
 俺がそう言うと、後頭部に感じる銃口の震えが大きくなった。
 俺が弟の仇と知っても尚、葛藤しているのか。
 本当に可哀想な人だ。これまで戦争で沢山の罪の無い人々を殺してきたはずなのに、よりによって憎き仇の俺を撃てないなんて……いや、逆に、これまで人を殺し過ぎたからこそ、戦地を離れた今、人を殺す事に躊躇いを覚えるのかもしれない。きっとエデンは、相手が俺でなくても躊躇したはずだ。
「……………」
「撃てないなら、ちょっと俺の背中を押すだけでいい」
 俺の執着とも言える異常な愛を止められるのはエデンだけだ。俺は自分では自分を止められない。殺られるなら、エデンの手で俺を止めてほしい。
「……………」
「エデン」
 死ぬのは怖くない。でも何の意味も無く自分から飛び降りるのは嫌だ。
「……いや、止めた。こんな所でお前を人思いに殺すのは温過ぎる。お前が献上されて、地位も権力も金も愛も家庭も全部手に入れて幸せの絶頂にいる時に全て奪ってやる」
 エデンは詰めていた息をいっきに吐き出し、己の緊張を解くと同時に俺の後頭部から銃口を離す。
「分かった。待ってる」
 俺がそうして振り返ると、エデンはもう俺の方を向いていなかった。
「帰ろう。午後から献上の準備がある」
「うん」
 こうして俺達は来た時と同じようにバイクに乗り、重々しい空気を乗せたまま部屋へ戻った。
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