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葛藤

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 万里の事なんて、最初は単なるうるさいハエにしか思っていなかった。それが軽い好奇心からセフレに発展し、いつしか情が湧いてその関係が苦しくなっていた。俺を好きだと言う万里。でも俺は彼自身には全く愛情は無くて、その言葉を聞く度罪悪感に苛まれた。

 なんでなんだろう?

 この感情が何なのか、俺には解らない。


「初夜の相手には多摩川万里を選ぶ事をお勧めします」

 あの日、温室の滝の裏側で、こざかしいマサムネの名前を王女に推奨しようとして、咄嗟に出たのが万里の名前だった。
「多摩川万里?」
 当然、王女はその地味で目立たない少年の事など全く認識しておらず、恐らく、俺がここで万里の名を出さなかったら、間違いなく彼は処刑されていなかった。
「はい。ご存知無いですか?」
 俺は知ってて尋ねた。
「名前を聞くのも初めてだわ。どんな人なの?」
 王女は座っていたベンチに手を着き、前のめりで聞き返してきて、俺は淡々と嘘を並べ立てた。
「地味ですけど、見た目は小柄で、よく見ると可愛らしい顔をしているんですけど、中身がとんでもなく悪どい奴で、どうせ処刑されるなら罪が重い奴の方がヤサカ王女も気が咎めないと思いまして」
「確かに悪人相手なら選ぶのも気が楽だけど、悪人が初めての相手っていうのもなんだかねぇ……」
 王女は気が乗らないのか迷っている素振りを見せ、人差し指でベンチに何かを描いている。
「悪人と言っても、万里は女性には優しいですから」
「うーん、でも、まあ、他に候補は考えていなかったし、氷朱鷺がそう言うなら、そうする」
『氷朱鷺がそう言うなら』という言葉が、俺に万里処刑の全責任を感じさせた。
「内容が内容だけに、一度決定したら絶対に覆せないけど、それでもいいの?」
 未だに古い残酷なしきたりを続けていると世間に知られるのは王室としても避けたいのだろう。周知されれば献上品界隈でも初夜を嫌厭して脱走者も出る筈。
「……はい」
 俺はポツリと答えた。
 なんだろう、万里は俺にとって邪魔な存在なのに、何でか胸がスッとしない。俺との関係の口封じにはもってこいのチャンスなのに。
「妬ける?」
 王女がニヤニヤしながら俯き加減の俺の顔を覗き込んでた。
「え?」
 俺は違う事でモヤモヤしていて王女にまで気が回らなくなっていた。
「私の初めての相手がそのムカつく奴で、氷朱鷺はヤキモチ妬かないのかなぁと思って」
「勿論妬けますよ。だからすぐに俺を選んで下さいね」
 俺はその場しのぎの笑顔を繕ったが、顔が引きつって思うように笑えなかった。
 物事は思い通りに行くのに、どうして感情は思い通りにならないのだろう?


 初夜の相手が発表される当日、俺は朝から心がザワザワしていた。
 昨夜は一睡も出来なかった。
 万里が選ばれたら、きっとエデンは大喜びするだろう。でもその後万里は──
 エデンは凄くショックを受けて立ち直れないかもしれない。2人はまるで恋人同士のように仲が良かったから尚更だ。
 俺だってエデンが傷付くのは不本意だ。けれど万里は俺達の秘密をエデンに吐露する可能性がある。生かしておくのは危険だし、何より万里の処刑執行人はあの杉山さんだ。恐らくあいつはエデンの弟である万里を撃つ事が出来ない、そうなればあいつは万里もろとも処刑される。俺としては自らの手を汚さずして邪魔者2人を消せるとあって万々歳なのだ。
 でも何故だろう、俺にとっては喜ばしい事なのに、その時間が近付くにつれ、本当にこの決断が正しかったのか何度も自分に問うてしまう。そしてその度に俺は『これは必要な事だった』『それにどうせ万里はエデンとは血が繋がっていないんだ』だからこれで良かったんだと言い聞かせていた。
 何も知らない万里は、まさか自分が選ばれるとは思いもせず、いつも通り愛嬌を振りまいている。

 見ているのが辛かった。

 王女を唆す前は何とも思っていなかったのに、今は胸が痛くて仕方が無い。
 そして実際に万里に指名が入った瞬間、俺の心は揺れに揺れた。
 万里の死刑が決まってしまった。でも本当にこれで良かったのか?
 杉山さんはともかく、万里は……ぶっきらぼうな俺に何度冷たく突き放されても起き上がり小法師の如く立ち上がっては懐いてきてくれた。俺の邪な欲望にも歯を食いしばって耐え、俺を好きだと言ってくれた。でも俺は、そんな健気な万里を殺そうとしている。
 万里が死んだら、俺は──
 そこまで考えて、俺は部屋を出た。
 エデンの顔を見ているのが辛いというのもあったが、それよりも万里と話がしたかった。何を話したいかは自分でもよく解らなかったが、とにかく万里の顔を見て、自分の思った事を伝えようと万里と杉山さんが戻った部屋の前に立った。
「……」
 勢いで出て来てしまったが、今は杉山さんも万里と一緒にいる。邪魔者がいては万里と詰めた話しが出来ない。そう思い、俺は万里が1人になるのを待って曲がり角の先で待機する。

 暫くして、杉山さんが単体で部屋から出て来て、そのままエデンの部屋へと入って行くのが見え、すかさず俺は万里がいる部屋を訪ねた。
 玄関のドアが開けられると、そこに、いつも通りの万里の顔があった。
「氷朱鷺、どうしたの?」
 これまで俺単体で万里の所に来る事はほぼなかったので、彼は目を丸くしていた。
「ちょっと入れてくれ」
「え、勿論勿論。入って。今、お茶を淹れるから」
「や、いい。すぐ済むから」
 俺はお茶を淹れに行こうとする万里の腕を掴み、もう片方の手でドアを閉める。
「どうしたの?別れの挨拶?」
『まさかね』と万里は自嘲気味に笑った。
「万里、今からここを出ろ。そして二度と戻って来るな」
「え?」
 万里は状況が飲み込めず、キョトンと俺の方を見る。
 無理も無いか。
「今夜、王女と初夜を過ごしたらお前は障害と姦淫の罪で処刑される」
「ええっ、そんな化石みたいな大昔のしきたり、未だに続いてたの!?」
 普段から緊張感の無い万里が仰天すると、まるでコントでもやっているかのようにコメディタッチに見えた。
「王女から直々に聞いた」
「そっか、じゃあ仕方ないよね」
 もっと取り乱すかと思いきや、万里は存外落ち着いていて、あまりに潔く自分の運命を受け入れるのでこっちが肩透かしをくらう。
「それだけ?逃げないのか?」
 俺の方が興奮して万里の両肩に掴みかかった。
「どうして?」
 万里の透き通る様な純粋無垢な瞳がこちらを見上げる。
 これは疑う事を知らぬ目だ。
 俺はまるで十字架を向けられた吸血鬼のような心境になり、彼から目を逸らす。
「どうしてって、逃げないと殺されるんだぞ⁉」
「えへへ、心配してくれるの?」
 こうなっても尚、生温く笑っていられる万里を見ると、エデンと少し似ているところがあるなと思う。
「馬鹿言うな」
 そもそも俺が招いた事だけど。
「だってさ、僕が逃げたら他の人が初夜の献上品になって処刑されるだろ?それがもしかしたら氷朱鷺かもしれない。僕はそんなの嫌だから甘んじて受けるんだ」
 そんな事、本気で言ってるのか?
 自分よりも他人が大事なんて、それはまるで──
「俺は初夜に選ばれないから大丈夫だ」
「王女のお気に入りだから?」
「そう、だから──」
「氷朱鷺はいつから知ってたの?初夜に選ばれたら殺されるって」
 万里は世間話でもするかのように後ろ手に両手を組んで俺の顔を覗き込んだ。俺はその万里の曇りなき眼に内心狼狽えていた。
「最近」
「ふーん」
 万里のふとした口調や仕草がなんとなく怖い。万里にそのつもりが無くても、責められている気分だ。
「それがなんで、僕を逃がそうと?」
「それは……」
 罪悪感。それから……それから?

「氷朱鷺、氷朱鷺は全部知ってて王女の初夜の相手に僕を推奨したんでしょ?」

 ドキッとした。
 万里は全て察していたのだ。
「……」
 今更言い訳するのも滑稽か。
「だよね。僕は献上品の中でも一番新参者だし、知名度も無い。なのにこんな大役に抜擢されるなんて、誰かが王女に推薦しない限りあり得ないと思ってたんだ。絶対に何か裏があるって、ね」
「ごめん」
 俺は両手をだらんと投げ出し俯いた。
「そんなに僕が憎かった?」
 へへへと控えめに笑う万里を見ていると、こっちまで感傷的になってしまう。
「それは無い。腹が立った事もあったけど、それは絶対に無い。だからこうしてお前を逃しに来た」
「じゃあなんで僕を初夜に推したの?殺されるって解ってて」
 万里が泣き出しそうな目でこちらを見上げ、俺はその罪の重さから目を背ける。
 万里は自分が殺される事を悲しんでいるというより、俺に裏切られた事を悲しんでいるようだ。
「ごめん。後悔してる」
 自分でも、今にして思うと自分が解らない。
「……いいよ、これで良かったんだ。どうせ僕は初夜に選ばれなかったとしても献上されないまま献上期間を終えてどっかに売られてたと思う。それよりだったら誰かの役にたって故郷に錦を飾りたいし、何より姉ちゃんの肩の荷が少しでも軽くなれば、僕はそれでいいんだ」
 そうして万里の瞳から大粒の涙が溢れる落ちるのを見て、俺は本当の意味で自分の過ちを後悔する。

 俺は『親友』を裏切ってしまったんだ。

 ずっと引っ掛かっていた気持ちの答えはこれだったんだ。
「頼むから、ここから逃げるって言ってくれ。お前が逃げる為なら手は尽くす」
 それで例え己の命を失う事になっても、俺はそれでも良かった。自分の罪悪感を解消したいとか、そんな事じゃなくて、何の忖度無しに親友を失いたくないと思っていたのだ。
 こんな気持ち初めてだ。どうしてもっと早く気付けなかったんだ!
「それじゃあ氷朱鷺に迷惑がかかるじゃん。そんなの僕は嫌だし、氷朱鷺は王女の夫候補だから、姉ちゃんの為にもそんな事はしないで」
 万里がそう切実に懇願しても、俺はなかなか受け入れられずにいた。
 俺が自分で撒いた種なのに、どうして万里は俺の心配をするんだ。これまでだって俺から酷い仕打ちを受けてきたのに、なんで俺を嫌いにならないんだ。俺の気持ちは万里が想ってくれる気持ちと全然別物なのに。
「でも──」
「僕こそごめん。嫉妬して酷い事言った」
「気にしてない。だから──」
 早くここから逃げてくれ。
 俺の、初めて出来た親友。絶対に失いたくない。
「氷朱鷺、悪いと思うなら、僕の望まない事はしないで。お願い。本当はさ、こうなってみて実は少しホッとしてるんだ。殺されるのにだよ?今は殺されるより初夜そのものの方が怖いよ。変でしょ?」
 そう言って万里は冗談ぽく笑った。

 胸が痛い。

「……」
 万里から手を握り締められてお願いされたら、もう何も言えないじゃないか。
「でも最後にさ、僕の事嫌いかもしれないけど、キスしてほしいなって」
 万里は言いにくそうに視線を泳がせた。
「……しない。ごめん、出来ない」
 万里を親友と認識したせいか、そんな事したくなかった。万里の事をどうとも思っていなかった時の方が好き勝手出来ていたのに、友情とは不思議なものだ。
「……そっか、僕の事は姉ちゃんの代わりだったんだもんね」
 そっと離れていく万里の手を捕まえ、俺は彼の肩を強く抱き寄せる。
「そうじゃない。そうじゃなくて、親友とは出来ないって思ったんだ」
「残念、だけど……嬉しい」
 抱き返してくる万里を抱きながら、俺は、彼と違う形で出会っていたならと思いを巡らせた。
「氷朱鷺、大好きだよ」
「……」

 そしてその後、俺は最初で最後、唯一の親友を失う。

 俺のタガが完全に外れてしまったのは、この時からだ。


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