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開演当日

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 開演当日、それは俺の運命の日でもあった。
 別に、例え上手くかぐや姫を演じられたからと言って判決がどうにかなる訳ではないが、俺はその先を見据えていた。エデンにふられて精神的に打ちのめされたのは事実だが、それ以上に俺は根強い野心を燃やし、今日のこの演劇に挑む。エデンとはあれからギクシャクしているけれど……
「氷朱鷺、この演劇が終わったらどうするの?」
 舞台袖で自らの出番を待っていると、後ろからそっとケンタウルス姿の万里に抱きつかれた。
「どうするもこうするも、城の決定に従うさ」
 この身がどうなるかはわからない。その場で処断されるか、花街に売られて精神を消耗するか、捨て駒として最近起こったクーデターの最前線に送られるか、そのいずれかだろう。いずれにしても地獄であるのは確かだ。
「そんな、氷朱鷺、僕と逃げようよ!!」
 万里は駄々をこねるみたいに俺にしがみついて背中に顔を押し付けてくる。
「何を言い出すかと思えば……」
 エデンならまだしも、へなちょこの万里は足手まといにしかならないだろ。
「誰も知らない場所で2人だけで静かに暮らそう」
「……」
 どうして、エデンの口から聞きたかった言葉をこのへなちょこが口にするのか、腹立たしい。俺にとって憧れのエデンの言葉以外は全て何の価値もないのに。
「どうして俺がお前なんかと静かに暮らさないとならない?」
「えっ、ごめん。でも僕、本気だから。本気で氷朱鷺の事を──」
「始まる」
 使えると思ってちょっかいを出しただけなのに、可哀想な男だ。純粋で、愚直で、人を疑う事を知らないお人好し。
 俺は容赦なく腰からケンタウルスを引き剥がし、舞台へと進んだ。
 俺の役目は、かぐや姫が美しく成長してからの演技。
 一歩一歩、たおやかに舞台へ出て、勿体つけるように扇子で顔を隠す。時折流した目線をちらつかせ、扇を狭めて紅く熟れた唇の端を覗かせる。しなやかに舞っては艷やかな色気を振りまき、それでいて慎ましやかに、おしとやかに、控え目なやまとなでしこのように、危うさと健全さのバランスを取り、帝(マサムネ)や公達達(マサムネの取り巻き達)を気のないふりをして誘惑、翻弄する。
 彼ら、帝ですらも、演技を忘れてかぐや姫の虜になっていて本当に草が生える。俺が本当に誘惑したいのはお前らじゃない。お前らなんか眼中にないんだよ。俺が誘っているのは、マジックミラー張りになった劇場上部、王族らが鎮座するVIP席にいるであろう王女、ただ1人だ。俺は女形であるにも関わらず、ここから一直線に彼女がいるあたりを見上げ『お前を俺のものにしてやる』と強かに視線を送り、魂を込めて舞を舞う。
 追い込まれた鼠程無敵なものはない。処罰?処断?追放?そんなものは恐れてはいない。やるだけの事をやるまでだ。結果は後からついてくる。俺はただ、目の前の女を落とす、それだけ。エデンに対する情熱を王女へ向ける。そうすると自然に自分の演技や舞に心がこもる。それは、かぐや姫という役柄とは全くもって逸脱した私的な『心』だったけれど、この場にいた全観客を魅力するには充分だった。

 熱い。

 十二単衣の暑さも去ることながら、感情を込めて舞を舞うというのはこんなにも熱いものか。

 エデン……

 俺はエデンを諦めない。
 俺はまだ子供だから、大人になったらエデンも考えを改めるかもしれない。杉山さんとの事だって、俺を親離れさせる為の口実かもしれないし。なんにせよ、人の心はうつろいやすい。

 ……あ、これ、ストーカーと同じ心理じゃないか?

 都合のいいように物事を解釈するってやつ。
 まあ、そうか、ストーカーか。ストーカーかもしれない。
 不思議と罪悪感は無かった。
 厚顔無恥と罵る事無かれ、今は、一方通行で自分勝手な愛情の押し付けのように思われるかもしれないが、結果、エデンを幸せに出来れば何の問題もない。崖っぷちだが突破口はある。自分自身が生き残る事よりも、エデンを手に入れる事に集中しよう。

 そう、いつからか俺には計画があって──

 ふと、台詞を吐きながらVIP席から目線を外すと、広い観客席の最奥隅の方に祈る様に立つエデンを見つけ、少しだけ頬が熱くなった。
 来てくれないと思ってたのに……
 エデンに強引にキスをしてから、あからさまに彼女は俺と目を合わせてくれなくなり、口数も必要最小限で、今朝も彼女は早朝から元老会に呼び出され、ダイニングテーブルに『冷蔵庫にサンドイッチがある』旨の書き置きだけが残されていて、俺は胸にぽっかり穴が空いたような気分になっていた。
 完全に嫌われたと思ったのに……
 しかしエデンに見られてるかと思うと緊張する。彼女には十二単衣の女装姿をあまり見せないようにしていたのに、恥ずかしい。女顔で女装が似合ってしまう自分が憎いったらない。エデンの目に今の俺がどう映っているのか怖い。嬉しいような、恥ずかしいような、複雑な心境だ。
 俺はちょっと照れながらクライマックスの月へと帰るシーンに入る。俺は牛車ごとゴンドラに乗り、荷台の小窓からお爺さんとお婆さん役の献上品に手を振りながら何事もなくゆっくりと舞台からフェードアウトする、などの予定だった。正に牛歩とも言えるスピードで舞台袖へはけようとした瞬間、矢を構えて微動だにしない公達達を演じていたマサムネの取り巻き達が一斉に俺目掛けて矢を放った。
「っ!!」
 丁度、俺が観客席から見えなくなるタイミングでその放たれた矢の1本が牛車の御簾を貫通し、俺の肩にヒットする。
 痛みよりも雷にうたれたような衝撃を受け、俺は荷台の中で崩れ落ちた。
 下げられた緞帳の向こうからは鳴り止まない拍手と歓声が沸き上がっていたが、今の俺には、それもどこか遠くの関係のない場所で巻き起こっているように感じられた。
『氷朱鷺っ!!氷朱鷺っ!!』
 ケンタウルスが泣きそうな顔をして俺の名前を連呼している。ちょっと気が遠くなっていたが、おかげで意識がはっきりとして痛みがダイレクトに伝わってきた。
 いつの間にか俺は牛車やゴンドラから降り、舞台袖の地べたに座り込んでいた。
「っう……」
 俺は矢が刺さる肩を押さえて蹲る。
「いっ、今、電話で姉ちゃんを呼んだから」
「別にいい」
 エデンには弱いところを見せたくなかったのに、間髪入れずに彼女が息せき切って飛び込んできて、俺は思わず『チッ』と舌打ちしてしまう。
 万里、余計な事を──
「氷朱鷺、台車に乗せるから、すぐに医務室へ行こう」
 エデンは俺の前に膝を着き、前から後ろからと俺の患部を確認している。
「行かない。カーテンコールに出る」
 俺は痛みを押し隠し、立ち上がろうとして平然と片膝を立てた。
 ここまでやってきたんだ、カーテンコールで最後まで王女にアピールをしなければ。
「肩に矢が刺さったまま⁉駄目だって」
 エデンはそんな俺の前に立ちはだかるように両手を広げた。
「矢は抜く。幸い、打掛けが赤いから観客にはバレない」
 俺はエデンを押し退け、そのまま立ち上がって舞台へ出ようとする。
「そういう問題じゃない!!万里、台車を持ってきて」
「うんっ」
 万里はエデンに言われるがまま慌てて台車を取りに走った。
「矢は絶対取っちゃ駄目。出血が酷くなるし、かえしのせいで傷口がズタズタになるよ」
 エデンは普段通りの冷静さだが、言い方に少しキツさが目立つ。
「分かってる」
「分かってるなら従って」
 エデンがこんなにも心配してくれているのは、俺が彼女にとっての『家族』だからだ。
「嫌だよ。演劇が終わったんだから、俺はもう調教師の言う事はきかない」
 別に拗ねて反抗している訳じゃない。自分の計画を遂行したいだけなのだ。
「私は調教師として言ってるんじゃない、ただ単に心配して言ってるんだよ」
「家族としてだろ?それが重荷なんだよ」
 エデンは俺を心配して止めようとしてくれたが、俺はその彼女の腕を無下に振り払った。
「……ごめん、ずっと」
 エデンは傷付いた顔をした後に、可哀想なくらい申し訳なさそうな表情をして俯く。
 エデンにとっては、どうにも恋愛の対象に見れない弟に対して『だったらどうすればいいんだよ!?』って話なのに……
 自分でも不条理だとわかっているのに止められない。
「とにかく、俺は行く」
 所在無気に引っ込められたエデンの手を尻目に、俺はいっきに矢を抜き捨て、自らの名を呼ぶ舞台へと歩いて行く。
 ヤバ、凄い痛い。肩から血がしとどに流れ出ているのがわかる。下手したら死ぬ。しかしそうは思っても、俺はそんな事をおくびにも出さず、興奮冷めやらぬ熱気で歓声があがる舞台へと戻り、一礼した。
「っ……」
 一瞬、ぐらりと目眩がしてそのまま起き上がれないかと思ったが、そこは気力でなんとか持ち堪え、頭を上げて微笑んで見せた。
 会場には黄色い悲鳴がこだまし、その場にいた老若男女、全ての人々のハートを掴んだ。
 俺が横目で隣のマサムネを見ると、彼は苦虫を噛み潰したような顔をして拳を震わせている。
 ざまあ。これでいい。後はこのまま舞台袖に戻って──
 俺は途中まではしっかりとした足取りで歩いていたが、舞台袖へ隠れるや否や、目の前が砂嵐に襲われ、そのまま前方へ倒れ込んだ。硬い床に顔面を打ちつける覚悟は出来ていたが、思わぬ軟らかな感触に顔を覆われ、俺は安らかな気持ちになる。
「氷朱鷺っ!!」
 エデンの声が間近でして、俺がダイブしたのが彼女の胸であったと認識すると、俺は安心して意識を手放した。

 このまま死んでもいい。

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