王女への献上品と、その調教師

華山富士鷹

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白井 氷朱鷺(シライ ヒトキ)

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 私は里帰りを諦め、早速バイクの後ろに氷朱鷺を乗せて杉山邸へと戻ると、辺りはとっぷりと日も暮れ、すっかり夕食時になっていた。
「先にシャワーにしよう」
 私は氷朱鷺の手を引き、使用人が使う杉山邸の勝手口から長い廊下を抜け、突き当りの小さな角部屋に彼を連れ込むと、風呂場へと直行する。
「ここは私が使っている部屋だから、献上品として城に入るまで好きに暮らすといい」
 私が狭い脱衣所で弟にするように氷朱鷺の薄汚れた衣服を脱がせていくと、彼は恐縮したようにかしこまった。
「……もしかして、お姉さんが洗ってくれるんですか?」
「そうだよ。献上品の身の回りの事は全て調教師が世話するって言うからね。これからは慣れてもらわないと」
「なんか恥ずかしいですけど」
 そう言って氷朱鷺は頭を掻きながら子供らしくはにかんで見せる。
 子供ながらに照れてるのか、かわいいなぁ。
「いいからいいから、私は氷朱鷺と同じくらいの弟も世話してたから、恥ずかしがる事ないよ」
 私は腕まくりをすると、いっきに氷朱鷺の下着を脱がした。
「酷いな……」
 氷朱鷺の体中に青痣や炎症が見られ、私は思わず眉をひそめる。
「これからは私が守ってあげるから、氷朱鷺は私を本当の親か姉だと思って甘えてね」
 こんな小さな体でよく耐えたものだ。腕なんか棒切れみたいで簡単に折れそうなのに。
「お姉さん……」
 氷朱鷺は感動したように瞳を潤ませた。
「エデンでいいよ。敬語も使わなくていい。私が氷朱鷺を一人前の献上品にして、きっと王女の夫にしてみせる。そうしたら、私も氷朱鷺も良い人生を送れる」
 始めは自分の生活の為に調教師をやろうとしていたけれど、今は、半分は氷朱鷺の幸せの為に頑張ろうと思っている。この傷付いた小さな少年が大きな幸福を得られるように、私は全力を尽くしたい。
「私が、責任を持って氷朱鷺を幸せにしてみせるから」
 私がそうして氷朱鷺を胸に抱くと、彼は弱々しくも躊躇いがちに私の背中に手を回してくれた。
 本当に、故郷の弟のようにかわいい。
「エデン、僕も頑張って絶対エデンを幸せにする!」
「ありがとう。2人で頑張ろう」
 氷朱鷺は純粋で素直な子だ。きっと王女に愛されるような伴侶になれる。
「さあ、氷朱鷺、まずは体を綺麗にして、それから体に薬を塗るよ」
 私が氷朱鷺を煽るようにシャワー室へと連れて行くと、彼は不思議そうな顔をしてこちらを見上げた。
「エデンは?」
「私?」
「エデンも一緒に洗わないの?」
「私は人前で肌を見せられないから」
 こんな禍々しい傷痕、子供の目に触れさせる訳にはいかない。
「どうして?」
 氷朱鷺は無邪気に首を傾げているが、私が捕虜として拷問をされた事実なんて、わざわざ子供の耳に入れていいものではないだろう。
「綺麗じゃないから見せたくないんだよ」
 私は無理して作り笑いを浮かべたが、捕虜時代の事を思い出すといつも気が滅入った。
「そうなんだ……でもエデンはカッコイイよ!僕は将来、エデンみたいに強くなるんだ」
 そうして掲げられた氷朱鷺の腕は、女の子のように細くて頼りなかったが、私にとってはとても心強いものだった。
「楽しみにしてるよ」
 私は意気込む氷朱鷺の頭を撫で、温めのシャワーで彼を頭から洗い始める。ギュッと閉じられた彼の瞼が愛おしい。
「明日、シャンプーハット買ってくるね」


 それから私は氷朱鷺を隅々まで洗い、タオルドライすると、彼をベッドに座らせ、クローゼットから救急箱を引っ張り出し、その全身に薬を塗布した。
「今夜は病むかもしれないけど、我慢してね」
 そう言って私は氷朱鷺に自分の白いロンTを着せる。
 ……ブカブカだな。
 私のロンTは氷朱鷺の太腿まですっぽり覆い、襟元から左肩が露出して、まるで彼氏のシャツを着た彼女の様な仕上がりになってしまった。
 でもこれはこれでかわいいな。萌え袖だし、本当に女の子みたいだ。
「お腹が減ったでしょう?今、何か作るから、テーブルに着いてて」
 私がお一人様用のこじんまりとしたテーブルを指差すと、氷朱鷺は素直にそこへちょこんと着席する。
 犬がお座りしたみたいだ。
「エデン、エデンの脚の怪我は手当てしなくていいの?」
 氷朱鷺は腰を浮かせて私を心配そうに見上げる。
「大丈夫。後でやるよ」
 正直、杉山邸に戻り、張り詰めていた緊張の糸が途切れると、太腿の患部はジンジンと焼ける様に痛さを増したように思う。けれども私は氷朱鷺を心配させまいと、微笑しつつ、部屋の端にあるミニキッチンで冷蔵庫を漁った。
 ……卵に納豆か、子供の好きそうな物がまるでない。
 食に無頓着だった私はあまり料理を得意としていない。それでも、腹を空かせているであろう氷朱鷺の為に卵の殻入りの納豆オムレツを作り、その焦げて穴の空いた所をハート型のケチャップで誤魔化して提供した。
「わぁ、オムレツだ。なんかブツブツしてて美味しそう」
 氷朱鷺は嬉しそうにスプーンを握ったが、私は子供のストレートな感想に胸を痛めていた。
 ブツブツ……
「卵と納豆しか無くて、久しぶりに作ったんだけど、マズくても初日は見逃して」
「うん。どうもありがとう。じゃあ、いただきます」
 氷朱鷺は姿勢を正し、正座に合掌してから私の作った納豆オムレツをがっついてくれた。
 こんな不味そうな物をあんなに美味しそうに……育ち盛りだろうし、やっぱり相当お腹が減っていたんだ。これからは料理を勉強してちゃんとした物を食べさせてあげよう。
「エデンは食べないの?」
 氷朱鷺が納豆オムレツを半分くらい食べたあたりで、顔を上げた。
「私は野菜ジュースがあるからいいよ。奥歯が無いから、あまり咀嚼する物を食べないの」
「なんで奥歯が無いの?」
 当然ながら、氷朱鷺が不思議そうな顔で尋ねてくる。
「……虫……歯?」
 私が歯切れ悪く答えると、氷朱鷺は目を丸くした。
「虫歯……エデンて子供みたいなとこがあるんだね」
「うん、まあ……」
 本当は、拷問で奥歯を抜かれただけなんだけど。
 因みに手足の爪も全て剥がされたが、おかげさまで(?)今はちゃんと生え揃っている。
「氷朱鷺は私みたいにならないように、ちゃんと歯磨きしてね」
 と私が言うと、氷朱鷺は歯を見せて笑った。

「ごちそうさまでした」
 氷朱鷺は空になった皿を前に再度合掌して頭を下げる。
 年齢的に反抗期前だからか、礼儀正しい子だな。歳の割に敬語もちゃんと使えていたし、あまり手がかからないかもしれない。でも、これは喜ぶべき事かもしれないけれど、これはこれで子供らしくないというか、逆に出来過ぎていてちょっと心配だ。まだ私に気を許していないだけかな?
「後片付けは僕がやります」
 氷朱鷺が皿を手に立ち上がり、私はその手を制止した。
「いいよいいよ、今日は疲れたでしょ?私がやっておくから、氷朱鷺は歯磨きしてそこのベッドで寝な」
「でも……」
 氷朱鷺は申し訳なさそうにこちらをチラ見していたが、私は構わず彼の手から皿を奪う。
「じゃあ、明日からは2人でやろう」
 私がそうして打診すると、氷朱鷺は両手を胸の前で握り締めて意気込んだ。
「はいっ。料理も、これからはちゃんとお手伝いします」
「ありがとう。氷朱鷺はいい子だね」
 そう言って氷朱鷺に布団を掛けてやりながら、安らかに寝息をたてている彼を見ていると、そこらへんはやはり子供だなと思う。
「疲れてたんだな。よく寝てる」
 私が氷朱鷺の頬を人差し指でつんつんすると、彼は眉間に皺を寄せながら寝返りをうった。
 面白いな。
 コンコンッ
「は──」
 不意にドアをノックする音がして、私が『はい』と返事をする間もなく、それは開放された。
「エデン、帰ってたか」
 ドアを不躾に開け放ったのは領主の杉山さんだった。杉山さんは基本気遣いの人だが、こういうところがあるので、私は大体誰が来たか予測していた。
「はい。実家への道すがら、途中で引き返して来──」 
「そんな事より、廊下まで血痕が点々としてたぞ、何があったんだ?」
 私が淡々と状況を説明しようとすると、いつも穏やかな杉山さんが結構な剣幕で言葉を被せてきた。
「それが、海岸で大人に子供が暴行されてて、助けに──」
「その時にその太腿をやられたのか?」
 杉山さんはズカズカと私の前まで迫って来ると、私の両肩を力強く掴んできて、私はその気迫に気後れしてしまう。
「え、はい。それで──」
「その子は?」
 杉山さんがカザンの方を顎で指した。
「その時助けた亀──子供です。氷朱鷺と言うそうで、身寄りも無く、献上品になりたいと言うので連れて来──」
「話は後だ。早く手当てをしないと」
「え、はぁ……」
 私は『自分で出来るのにな』と思いながらも、少年兵時代もこうして杉山さんから強引に手当てを受けた事を思い出し、観念した。
「太腿だけか?」
 杉山さんから心配そうに顔を覗き込まれ、私はなんて事の無いように笑って自分の腹を指差す。
「何発か腹パンはされましたが、お概ね良好です」
「馬鹿言うな。お前はもう東の虎じゃないんだ。筋力の落ちたただの女の子なんだから、もっと自分を大事にしなさい」
 杉山さんが私の頭を抱き込み、そこをポンポンと撫でてくれて、私はすっかり童心に返っていた。
 この人の前では、私も氷朱鷺と同じ子供だな。
「さあ、手当てをするから全部脱いで」
「はい。お手間おかけします」
 そう言って私は素直にシャツやズボンを脱ぎ捨て、タンクトップに手を掛けた。するとそれを腕組みして見ていた杉山さんがいきなり『アッ』と声を漏らす。
「それは着たままでいい。捲って軟膏を塗ってやるから」
「え、はい」
 私は気の抜けた返事をしてそのままベッドに腰掛けた。
 昔は人を丸裸にして全身のあちこちに薬を塗ってくれたって言うのに、今日はどうしたんだろう?
 多少、腑に落ちなかったが、杉山さんが片膝を着いて宣言通りタンクトップを捲って私の脇腹に軟膏を塗り始めたので私も黙っていた。
「そう言えば、お前ももう16だったもんな」
 杉山さんは何故か感慨深げに軟膏を塗っていて、私は首を傾げるばかりだった。
「?」
「結構紫だけど、骨は大丈夫なんだろうか……」
 ふと杉山さんが独り言を呟きながら私の脇腹を指でつついてきて、私はそのこそばゆさに変な声が漏れる。
「ぁっ!」
「あ、悪い」
 驚いた杉山さんが両手を上げ、その場に変な空気が流れた。
「す、すみません。脇腹弱くて」
 くしゃみを我慢したような変な声が出てしまった……恥ずかしい!
「そう……だったな。忘れてた」
 なんだかんだ、杉山さんはギクシャクしながら針と糸の準備を始めた。
 大丈夫かな……
「子供の成長はほんとに早いな。自分は老いた気がしてなかったせいか、全然意識してなかった。お前はあんなに小さかったのに……父親になると、こんな気持ちになるのかな」
 ブツブツ言いながら、杉山さんは私の両手を取り、それを自分の両肩に乗せた。
「辛かったら、子供の時みたいに俺の肩に噛み付いてもいいから」
 そうして杉山さんが顔をやや斜めに反らすと、ぱっくりと開いた私の太腿の傷口に消毒液をかける。
「ああぁぁっ!!」
 私は歯を食いしばって唸り、杉山さんの肩に頭を乗せて彼の両肩に思い切り爪をたてた。
「イテテ、これからが本番だから、覚悟しとけよ」
 杉山さんがそう宣言し、糸を通した針を私の太腿に突き刺す。
「あっ!!ううっ、ああああぁぁぁぁぁ!!」
 私は脳天を突き抜けるような信じられない激痛に悶え苦しみながらも、氷朱鷺を起こさぬよう、断末魔の叫びを喉の奥で飲み込んだ。
「っ……頑張れ、耐えろ、あと少しだ」
 杉山さん自身も、肩の痛みに耐えながら迅速に処置を進めてくれて、開始から5分もの早さで傷口の縫合を終えた。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
 私は杉山さんから太腿に包帯を巻いてもらいながら、脱力して彼の肩にしなだれ掛かる。
「よしよし、よく頑張ったな、エデン」
『いい子いい子』するように杉山さんから背中を撫でられ、私は無意識のうちに彼の背に腕を回していた。私はこうしてこの広い背にしがみついていると、心から安心出来た。
「何してるの?」
 ふと背後から氷朱鷺の声がして振り返ると、彼は上体を起こし、お化けでも見るような目で杉山さんを見ていた。
 寝起きで見知らぬ男を見たら、そりゃ怖がるか。
 私はパッと杉山さんから離れ、唐突に立ち上がると、縫合部の激痛と貧血がいっきに襲ってきて立ちくらみを起こした。
「エデン」
 杉山さんがすぐに私を抱き抱えてくれて、私はもう一度ベッドに腰を据える。
「すみません、杉山さん。氷朱鷺も、ごめん、びっくりさせたね」
 私は杉山さんに頭を下げ、氷朱鷺にも謝罪の目配せをした。
「エデン、誰?」
 氷朱鷺は杉山さんを警戒し、手負いのオオカミのような目で彼を睨んでいる。
「大丈夫だよ氷朱鷺、大丈夫だから。彼は杉山さんで、私の保護者というか、後見人をしてくれてる人だから、何も心配いらないよ」
「コウ、ケン、ニン?」
 氷朱鷺は杉山さんを訝しんだまま私の手にしがみついてきた。
 私は、やはり氷朱鷺は大人の男達に暴行を受けたから杉山さんの事も怖いのだろうと不憫に思い、彼の手を優しくさすってやる。
「そうだよ、俺はエデンのお兄ちゃんみたいなものさ。よろしくな」
 杉山さんが満面の笑みで手を差し出すも、氷朱鷺はプイと顔を背けて彼の方を見もしなかった。
「こら、氷朱鷺」
 私が慌てて氷朱鷺を窘めたが、彼はそれきり岩のように何も喋らなくなる。
「すみません、根は素直でいい子なんですけど、人見知りするみたいです」
 私はバツが悪くて杉山さんに何度も頭を下げた。
「いいよいいよ、気にしてない。それにしてもびっくりするくらい綺麗な顔をしてるな、最初見た時は女の子かと思ったよ」
 何気なく放たれた杉山さんの言葉に、氷朱鷺は苛ついたのか唇を噛み締めている。
『女の子みたい』ってセリフは地雷なのか。
「初めてエデンに会った時も、子供ながらに凄い美人で、俺は舌を巻いたもんだよ」
「初耳ですけど」
「そうか?今はもっと綺麗になって、お兄ちゃんは戸惑ってるよ」
『いや、オジサンか』と杉山さんがおどけてその場を和ませようとしてくれたけど、氷朱鷺の杉山さんに対する警戒は一向に解けず、私達はそのまま城入りする事となった。

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