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【参章】とある少女の魂

鴉の足跡がある男

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蒼は無意識に刀で交わそうとする。
その瞬間、薄い鉄板が割れるような音が周囲に響いた。
固く閉じた目蓋を開けると、信じられない光景が広がっていた。

「あ…」

振り下ろされた鎌の刃は、真ん中から二つに切断されていた。男は信じられないといった表情で、切断さ
れた刃を食い入るように見ている。正直これには蒼自身も驚きだ。

しかも刀を使うのは初めてのはずなのに、勝手に手が動いた感じだった。まるで体が覚えているかのよう
に…いや、正確にいうと記憶が覚えているのかもしれない…

「そんな馬鹿な」

「おもちゃの刀じゃないんでね」

「この、クソガキが」

蒼の目を睨みつけた男は鎌を持っていない方の手で拳を作って、殴りかかって来た。

 普通の人間だったらここで殴られていただろう。

 しかし、蒼は『普通の人間』ではなかった。

 殴りかかって来た男の拳を刀で見事に交わし、怯んだ男の胸倉を掴んだ。

「お前、ただのガキじゃなさそうだな…」

「まあ…な」

正直自分でも不思議だった。今までの蒼だったら、まともに防御出来るはずがなかった。運動の成績だっ
て平均程度で、喧嘩なんて最後にしたのは随分前だ。

 けれど、勝手に動く手。自分の意思とは関係なく身を守る行動。それも動きに乱れがない。やはり浄罪
師の使徒だった頃の記憶が微かに蘇ってきたのだろうか。

すると、男は何とか蒼の手から逃れようともがき始めた。

「離せ、この…」

 そして男は蒼の腕を思いっきり噛んだ―

「痛っ!」

 あまりの痛さに、蒼は掴んでいた手を離してしまった。
自由の身になった男は、不気味に笑った後、懲りずに折れた刃先を蒼に向けて、突き出してきた。

(くそ…これじゃあ刀で抑えられない…)

 垂直に突き出された刃先の面積は狭く、しかも接近している状態だったので、とても細い刀では交わすことが出来ない…
 蒼は歯を食いしばって覚悟する。しかし突然のことで、頭の中には恐怖といったものは無かった。
すると、目を固く閉じた蒼の頬に、生ぬるい液体がかかった。恐る恐る、頬にかかった液体を手で拭って見ると、それは紛れもなく人間の血液であった。
しかし、その血液は蒼のものでは無かった。

「痛い…死にたくないよぅ…」

 そう言って、蒼の目の前で男は倒れ込んだ。男にはまだ息があるらしく、咳き込んでいる。いきなり倒れだした男を見て、状況が掴めない蒼はただ茫然と立ち尽くす。

「俺が…」

 蒼はまさか自分が?と一瞬思ったが、そんな考えは直ぐにかき消された。

「好き勝手に調子に乗りやがって…クズが」

倒れた男に誰かが近づいて来た。蒼は視線を上に持っていく…

そこには、黒いマントを身に纏った背丈の高い男が立っていた。

まさにこれは救世主?蒼は咄嗟にお礼を言った。

「助かりました」

黒マントの男は蒼の言葉を無視し、持っていた大きな剣で最後の止めを刺した。

小さな悲鳴が聞こえ、地面に倒れていた男は静かになった。

「殺さなくても…」

蒼は目の前で起きた殺人をただ見ていることしか出来なかった。こいつは、何者なのか、蒼の脳裏には、
そればかりが浮かぶ。そして、少なくとも一つ分かったことがあった。 

この男の魂はもう…

―生まれ変われないのか。

「クズに用は無い、こいつは使い物にならない…だから殺した」

冷徹な目で蒼を見つめる男…蒼はその場で動けないでいた。何故だか分からないが、金縛りにあったかの
ような感覚。ここで下手な動きをしたらこっちも殺される可能性もある…そんな気がした。

何故ならこいつは殺人者なのだから。

硬直する蒼をしばらく見つめた後、男は被っていた黒いフードを手で整え、歩き出した。

「また今度な。楽しみにしているよ」

「え…」

 また今度?一体どういう意味…
蒼は無意識に男に駆け寄り、その肩幅の広い肩を掴んだ。その直後、男は一瞬、後ろを振り向いた。
 その一瞬…それは本当に一瞬の出来事だった。ほんの数秒…男の右頬が見えたのだ。深く刻まれた古い傷…右頬に広がるそのマークは…

―鴉の足跡

 息が出来なかった。あまりに突然過ぎて…だって、鴉の足跡がある男は…

「お前…」

蒼の頭の中にふと、母親の死に顔が浮かんだ。血だらけで手を差し出してくる母親…あの日、鴉の足跡のある男に殺された。
思考回路が破壊寸前となった蒼は目の前にいる男のことを睨みつける。

 まるで、一週間以上何も口にしていない肉食獣が一匹の草食動物を見つけた時のように…

「お前が母さんを…」

 手に持っていた刀を強く握り締める。蒼は知っていた。この刀では人を斬れないことを…

 でも、斬らないと、この胸の内に宿した怒りはおさまらない。殺せなくてもいい…良く分かんないけど、
とにかくこの男に攻撃をしたい…もう我慢が出来ない。
この刀だったら殺人者にはならずに済む。今日で良かったのかもしれない。この刀を持っていなかったら蒼は確実に殺人者だったかもしれないのだから。
蒼は目にも止まらぬ速さで刀を振り切った。刃先を風がすり抜けて、綺麗な音が周囲に響く。この速さで振った刀は間違いなく男の胴体に当たるはずだった。
しかし刃先が男に触れることすら無かった。

「どうして…」

 信じられないことに、さっきまで目の前に確実に居た男は、跡形もなく消え失せていた。
 それは人間業ではなかった。一瞬にして消えたのだ。蒼は、呆然と立ち尽くす。

「後ろ、空いているよ」

 すると突然、後ろでそう囁かれた。
 しまった…

 あの男は草食動物なんかじゃない。
 大量殺人者だった。
 首筋に激痛が走る。もはや、先程の腕の痛みなど忘れるくらいの痛みだった。
 そして吐き気がした直後、視界が薄れていく…

 蒼は振り向く間もなく地に崩れた。
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