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【壱章】殺人者が蔓延る世界

蘇る記憶

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神社の手前の石段を登っていくと、頂上には赤くて大きな鳥居が二本並んで立っていた。
先頭の鳥居の上にはカラスが三羽止まっていて、気のせいか、こちらをじっと見ているように感じた。

鳥居をくぐって神社の中へ入ると、砂利が一面に敷かれてあり、真ん中に幅四十五センチといったところの平らな敷石が歩道として設置されていた。まぁ、一般的な神社の造りを創造してもらえば良い。

「案外、普通の神社だな」

鴉ノ神社という意味深な名前がついた神社なのだからもう少し特徴があっても良いのではないか、と蒼は何か、物足りなさを感じた。

「そうだな…この敷地にはカラスも見当たらないしよぉ」

伊吹の言う通り、駅前のカラスの大群とは打って変わって、鳥居をくぐった後からカラスを目にしていない。鴉ノ神社なのにカラスがいないとは…

「不思議な空間だな…」

蒼はそう言うと、横に立っていた大きな樹の幹に手をかざした。その樹は樹齢百年を間違いなく上回っている程大きかった。両手を広げても反対側から見えないくらい幹が太いのだ。幹の下方には深緑色のコケがびっしり生えていた。まるで絨毯のように…

「蒼、よく見るとこの神社…やっぱり他と何かが違うような気がする…」

伊吹は右手の親指と人差し指を顎に当てて、深刻そうな顔でそう言った。

「俺もそう思う…けど、何が不自然なんだろう…」

 まず、鳥居が二本重なっていたのは別に驚くことでもない、現に千本なんちゃらという鳥居があるではないか、次に、下に敷かれた砂利、これも至って普通である。恣意といえば、蒼の横に立っている大きな樹が異様なのか?
と、考えながら蒼は歩き出した。十数メートル程先にある、拝殿へと続く石段に近づこうとしたのである。

「あれ?」

 石段の手前に来たところで、蒼は思わず止まってしまった。

「どうしたんだよ、いきなり止まって」

「伊吹…この神社…」

蒼は、この神社が他と違う点に気がついた。

「……、」

伊吹は、唾をゴクリと飲んで蒼の顔を見た。

「狛犬がおかしいぞ」

は?と肩をすくめる伊吹。

「だから、狛犬が犬じゃないんだよ…」

蒼はそう言って、左側にある白っぽい石像の上に手を置いた。

「ああ、確かに…こりゃあ、犬には見えないな」

その形は、頭が大きくて、二本足で翼のある、嘴の太い…あの生き物であった。

「カラス…か?」

伊吹は石像に顔を近づけると、確信を得たかのように自信満々でそう言った。

「でも、何でカラスが…」

そんな蒼を遮るようにして伊吹はきっぱりと、

「お前さぁ、もしかして狛犬って犬オンリーだと思っちゃってる?」

「え?」

と、何だかさっぱり分かりません状態の蒼に、

「神使っていうのも神社に祀られんだぞ?」

〝神使〟それは、狛犬と同じような働きをする神仏の守護神として狛犬同様に奉られるものだ。地方によって神社に置かれる動物は異なっていて、狐、兎、猿といった動物から蜂などといった昆虫まで幅広く存在する。勿論、鳥類が奉られている神社も少なくない。

「ああ…そんな気もしてきた…」

「でも、妙だな」

右側を向いて首を傾げた伊吹は、

「狛犬とか神使の石像って対になっているのが普通じゃね?」

伊吹がいうように普通なら右、左に対になって置かれるのが普通であるがこの神社の神使の石像は、何故か左に一体だけで、右側には黒い石でできた台座のみが置かれていた。

「なんで…台座だけが?」

蒼は右側の台座に近づき、手で触ってみた。真っ黒の石はまるで墓石のように磨かれていて表面が真っ平らであった。その御蔭で石に自分の顔が映った。勿論台座の上には何も置かれていない。

「まぁ、そういう神社もあるのかねぇ」

そう言うと、伊吹は石段を登り始めた。それに続いて蒼も納得のいかない気持ちを抑えて、石段に足を乗せた。
石段を登りきると、目の前に本日の目的地である拝殿が現れた。
拝殿の造りは立派で、ずっと前からあるものとは思えない程綺麗であった。黒と白を半々に塗ってある建物は拝殿というよりか、どこかの博物館のようにも見えた。黒地に白で勾玉模様のようなものが描かれているのである。

「うへぇ、なんだこの色、この模様…異様さはここから発せられてたんだなぁ?」

伊吹は不気味そうに拝殿を見ていた。蒼も苦笑いしかできない状態であった。

「伊吹、ちょっと気味が悪いから…早いところお祈りを…」

蒼はこの異様な雰囲気に我慢できなくなり、伊吹を急かし始めた。

「わかったよ、マジやばそうだしな」

そう言って、伊吹は中央にある賽銭箱へ五十円を投げ入れると、鐘を鳴らしてお祈りし始めた。賽銭箱は黒と白のストライプで、鐘の方は右半分が黒で左半分が白であった。伊吹が鐘を鳴らすと、ガラガラと音を立てて鐘は鳴った。気のせいか、それはカラスの鳴き声にも聞こえた。

「……よし、これで任務完了!」

 一分程で伊吹のお祈りは終わって、彼はそそくさと階段の方へ向いて帰ろうとし始めた。

―その時だった。

(待て)

 拝殿の向こう側からその声は聞こえた。それは、皺がれた老人の声にも聞こえた。けれども、言葉ははっきりと聞こえてきた。

「伊吹?今の聞こえたか?」

蒼が伊吹にそう聞くと、伊吹は顔を引きつらせて、

「今の声、お前じゃないのかよ…」

「俺じゃないよ、なんだか拝殿の向こう側から聞こえてきたけど」

 二人は顔を見合わせて、拝殿に近づいて黒と白の壁に耳を付けて静まった。

(こちらに来るんじゃ)

「うわっ」

「げっ」

蒼と伊吹は急いで耳を壁から離すと、驚きのあまり尻餅をついた。

「い…今、こちらに来いって言っていたよな?」

伊吹は顔を蒼くしてそう言った。体はガタガタに震えている。

「うっうん…」

すると、拝殿の屋根の上から黒い物体が舞い降りてきた。

「あれは…」

黒い体、太く鋭い嘴、二本足のそれは間違いなく鴉であった。その鴉は先ほど散々目にしてきたカラスよりも、ひとまわり大きく、異彩さを放っていた。

そう伊吹が言った後、

「まあ、落ち着きなさい」

その声は、確かに目の前に仁王立ちしている鴉から聞こえた。

「う…カラスが…しゃべっただとぉ」

伊吹は顔を真っ青にして、這い蹲うようにして後ずさった。

「大事な話があるんじゃ…」

その鴉はそう言うと、ゆっくりとこちらに近づいて来た。

「くっ来るなよ…」

伊吹が大声で叫んでも鴉はどんどん近づいてくる。鴉の真っ黒い顔は何処に目がついているかさえ分からなかった。要するに、表情が一切読み取れない…まぁ、人間以外の生物から表情を読み取ること自体難しいが。
1メートル程近寄った鴉はそこでピタリと足を止めた。

「吾輩は決して、おぬしらを傷つけに来たのではない…」

すると、だんだん頭がボーっとしていき、それと同時に視界がぼやけていった。蒼と伊吹はその場で倒れてしまった。

※      ※

「……ん?」

 気がつくと、木造の床の上に横になっていた。蒼の隣には伊吹がうつ伏せになっていた。

「おい!伊吹っ」

蒼は力ずくで伊吹の身体を起こして、左右に激しく揺さぶった。すると、伊吹の閉ざされた目蓋がゆっくりと開いていった。

「…蒼」

「良かった」

伊吹は頭を抑えながら、立ち上がると辺りを見回し始めた。蒼も同じく辺りを見回す…
 床から壁まで全てが木造でできていた。何年も前からあるらしく、木は古びていた。よく見ると所々に傷が付いていた。まるで鋭い抓で引っ掻いたような傷跡で。この部屋には窓がひとつも無く、天井に開いた直径三十センチ程の穴から差す光だけが唯一の光源であった。

「げっ!おい、蒼。これ見てみろよ…」

伊吹が悲鳴をあげた先に目をやると、そこには女の人の絵が描かれた壁があった。

「なんだよ、これ…」

それは〝壁に描かれている〟というよりは、〝壁に埋め込まれている〟と言った方がふさわしいだろう。木の板に粘度のような素材の女の体が、表半分食い込まれていたのだ。  

勿論、服は着ている感じであった。

「ああ…あああああああ」

頭の中が混乱した蒼は悲鳴を上げるしか成す術が無い。大体、ここ何処だよ!
蒼の叫び声のせいか、一瞬暗くなったかと思うと背後で物音がした。

「やっと、目を覚めしたかね」

後ろを振り返ると、そこには先ほどの鴉が立っていた。どうやら天井に開いた穴から入ってきたらしい。

「さっきのカラスじゃないか!」

蒼がそう言うと、

「吾輩は、カラスという名前じゃないぞ!」

そう言って、その鴉は目蓋を閉じた。(いや、実際よく分からなかったが)

「大体、ここ何処なんだよ、俺たちは何でこんな所に連れて来られなくちゃいけないんだ」

「それはのう…」

鴉はゆっくりと目蓋を持ち上げると、鋭い目つきでこう言った。

「おぬし達が浄罪師の使徒じゃからだよ」

『浄罪師?』『使徒?』何だかさっぱり理解できない二人は呆然とそこに立ち尽くした。
鴉はそんな二人を無視して話し続けた。

「いきなり言われても、理解できないということは百の承知じゃ。でもな、おぬしらが必要なのだよ、今すぐにでも」

「ちょ…何が…言いたいんだ?」

伊吹は鴉に向かって突進したかと思うと、鴉の嘴を思いっきり掴んだ。

「…む…ん…ぬ…」

鴉は慌てて、伊吹の手から逃れると、

「何をするのじゃ!これでは話せないじゃろうがっ!」

「だから、浄罪なんちゃらって一体何なんだよ!」

「はぁ…まだ思い出せないとは…ここまで近づいたのに…」

 鴉の行っていることがさっぱり分からない蒼は、

「あの…何が言いたいのですか…」

と、恐る恐る聞いた。

「おぬしらは浄罪師である真雛様の助手、つまり使徒なのじゃよ」

「おいおい、勘弁してくれよ、勝手なことぬかしやがって」

再び掴みかかった伊吹の手を交わすと、鴉は先ほど女の人が埋まっていた壁の前で止まった。

「吾輩が言うより、自分で確かめた方が早そうじゃ、では、蒼。この壁に手をかざしてみたまえ」

蒼は戸惑いながら、鴉の言った通りに女が埋まっている壁に触れた。
すると、

「うぁあああああああああああああああ」

頭が割るくらいの激痛、背後から鉄パイプで思いっきり殴られたような痛みが走った。蒼は両手で頭を抑えてその場に蹲る。

すると、蒼の頭の中で断片的に記憶が現れ始めた。それは蒼が中学生の頃の記憶、そして小学生の頃の記憶…そして次は…

―母親が亡くなった日の記憶の断片

その後も記憶の断片がフラッシュバックし続けた。とうとう、蒼が三歳の時の記憶が頭を駆け巡った。それはまるで記憶の逆走…どんどん昔の記憶が蘇って来た。
 もうこれ以上記憶が遡れないという所まで来ても、一行に記憶の逆走は止まらず、対に真っ暗となった。
 しかし、次にきた記憶の断片は病室のベッドの上であった。管やチューブに繋がれた自分…そして、誰かと楽しそうに話している記憶…子供と手を繋いでいる記憶…そして記憶が逆走する度に若返っていく自分…その後も次から次へと記憶がフラッシュバックし始めた。
 何度も何度も、記憶が生と死を繰り返していく…
 その記憶の中には、辛い記憶もいくつか混ざっていて、次第に蒼の目から涙が溢れ出した。昔の自分の記憶に出てきた人たちはもうこの世には居ない…自分だけが取り残されたような悲しみ…
蒼はしばらく沈黙のままであった。
その記憶は確かに自分が辿ってきた人生の数々であった。

「どうじゃ?思い出せたか、蒼…」

「これは一体…俺は…」

蒼は涙で濡れた頬を手のひらで拭うと、鴉の黒い目を見つめた。

「おぬしの記憶じゃよ、おぬしはあれから輪廻転生を五回繰り返しているようじゃな」

「輪廻転生…」

「じゃが、やはり浄罪師の使徒をしていた時の記憶はまだ戻っていないようじゃな…」

「俺は一体、何者なんだ」

鴉は蒼の肩の上に乗ると、

「おぬしは、永遠の記憶を授かった特別な存在なんじゃよ」

「永遠の記憶…」

「そうじゃ、おぬしは死んでも記憶が消えないんじゃよ」

「……、」

「真雛様が特別におぬしらに与えた能力じゃ」

「おい、言っている意味が分かんねえぞ」

ずっと黙っていた伊吹が会話に割り込んで来た。すると、鴉が伊吹の肩を掴んで彼を持ち上げると、そのまま例の壁に向かって放り投げた。人間を持ち上げる鴉とは一体…
そして、鈍い音と共に伊吹は崩れ落ちた。

「…痛っ、何しやが…」

そう言った直後、伊吹に異変が起きた。

「うわぁあああああああああああああああ」

伊吹は頭を抱えたままうつ伏せになってしまったのだ。

※ ※

「どうじゃ、二人とも…思い出しただろう?」

頭痛と記憶の逆走がおさまった伊吹はフラフラと立ち上がった。

「なるほど…その永遠って記憶のことはどうやら本当らしいな」

「当然じゃ」

その後、伊吹は悔しそうな表情をし始めた。

「てか俺、ずっと非リアって…どういうことだよ!」

 どうやら自分の辿ってきた過去で一度も結婚したことがないことが判明した伊吹は一人で憤慨してい
た。

「おぬしの性格じゃ、そりゃそうよ」

鴉はニヤリとしながらそう言った。

「はぁ?何だとこの!」

しかしその後、伊吹は表情を曇らせた。

「だけどよ…浄罪師の助手なんてしていた記憶はねぇぞ」

勿論、蒼自信にもその記憶はない。


「そうか…まだそこまでの記憶は戻っておらんのか…」

鴉は残念そうにそう言うと、

「しかし、おぬしらには永遠の記憶があるということは分かったな?」

蒼と伊吹は先ほど見た自信の記憶を思い返すと、

「確かに…あれは俺自身が歩んできた記憶だった…」

伊吹は両手で顔を覆ってその場に泣き崩れた。

 彼がどんな人生を送ってきたのかは蒼には分からない。ただ、幸せだった記憶よりも悲しみ、悲劇、別
れ、そして自分の死に際の記憶…きっと彼もそれらを思い出したのだろう。悲しい記憶は楽しかった記憶よ
りも案外覚えているものである。

 蒼はそんな伊吹を見ていることしかできなかった。
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