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蜜柑色の彼と色褪せた世界
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「此処降りた所、体育館のすぐ側なんだけと、飯そこで良い?」
「…っ、ちょっと話を…」
そう言って、芦家は今度は此方を気にする事なく階段を足早に降りていってしまい、僕は追いかける以外に選択肢がなく、眉を顰めて階段を長い足を利用して、さっさと降りていった芦家を追いかける。
全く彼のペースに巻き込まれてばかりで、気分は良くないし苛立ってしまう。でもそれも今日が最後にしてやると僕は気持ちを強く持って、一階まで降りると芦家は体育館へと向かって伸びる渡り廊下へ向かって歩いていて、僕もそれを追いかけて渡り廊下へと向かう。
彼は脚が長く、歩幅が大きいようで少し小走りなだけでどんどんと先を歩いてしまっていくから、僕は必死にそれを追いかけて体育館へと入った。
まだ授業でも、来たことが無いその場所に芦家は何故か慣れた様子で体育館のステージの階段を登り、奥にどんどんと入っていこうとするので、流石にこんな所に入って良いのかと、僕は焦って口を開く。
「…っ、こんな所、入ったら駄目なんじゃ…ッ」
「大丈夫大丈夫、もう顧問にも昼飯此処に来て食ってもいいっておっけーもらってるし、先輩達にも使って良いって言われているからっ」
そう言って、奥に入っていく芦家に僕は目を瞬かせて先に行く彼を追いかけるしか無い。
彼の言う事に、そんな馬鹿な、と思う反面まだ少し彼の事など知らないが、彼がそういうならば嘘でもないのだろうと思わざる得ないのは、彼と言う人間の成せる所なのだろう。
埃っぽい細い階段を上がり、その先にあった扉を開いて中に入り手招きする芦家に、素直に聞くのは嫌だったものの小さく息を吐いて、その扉を潜るとそこにはバスケットボールが転がった部屋とロッカーだらけの小さい部屋であった。
「ここ、前の部室で今使ってないらしいんだけど使っていいぞって鍵もらったんだ」
「…どうやって…?」
「へへ、内緒」
埃っぽい室内の中、芦家は小く高い所につけられた小窓をその長身を活かして開くと、篭っていた空気が循環され詰まった感覚が抜け、呼吸が幾分楽になった気がする。
そして芦家は部室にあったマットにドカリと腰掛け、ビニール袋をガサガサと音を立てて漁り始める。
「よし、食おうぜ…、これ近所のパン屋さんから買ったのとおまけで大量にくれたパンが入ってるから黒瀬も好きなのあったら食えよ」
そう言って彼は胡座をかいた自分の上に、個別に薄いビニール袋で包装されたパンを抱えて笑う。
僕はその顔が、なんだかとても眩しく見えて息を詰まらせた。そして小さく息を吐く。
「パンはいらない」
「えぇ?でもこんだけあるんだし、なんか食えって…、あ、これとかうまいよ?」
そうして差し出されたクロワッサンを、僕は無視して芦家を見つめると、芦家その大きな目を瞬かせて僕を見つめていたので、自分の拳を握って、思っていた事を漸く伝えられると少し震える口を無理やり開く。
「もう、僕には関わらないでくれ、…迷惑だ」
「………………」
「君が僕となんで仲良くしてみたいと思ったのか知らないけど、僕は君が苦手なんだ……。それに、僕は何か君が思うような人間じゃないよ…、君、僕がピアノが上手いから話してみたかったんだろ?」
ピアノがない僕なんて、何もない抜け殻だ。それはそうだ、だってずっと全てを賭けてピアノだけに没頭してきたんだから。
だから、それを無くした僕は、黒瀬光という形をした何者でもない存在だ。だからもう、昔の僕の面影を僕に見ないで欲しかった。
なんの価値も無くなった僕に、価値があった頃の僕を重ねないで欲しかったんだ。
「……君が知っているかは知らないけど、僕はもうピアノは弾けないんだよ……ッ」
「………………」
「……、話はそれだけだ」
それだけを伝えて彼を残し、僕は踵を返そうとした。その時、彼の澄んだ声が蛍光灯がぶら下がりバスケットボールが転がる室内に通る。
「確かにお前のこと、ピアノの事で知っていたよ」
「………………」
「でもな、俺はピアノ以外のお前の事が知りたかったんだ」
最初の言葉にやはりなと、顔が歪んだが次の言葉になんと言われたのか理解ができず、出て行こうとした扉の方を向いていた顔を、思わず彼の方に振り返った。
その時の彼の表情は、一寸の迷いもなく此方を確りと曇りの無い瞳で射抜いていて、僕はその目に気圧されてしまいそうになって、手がピクリと痙攣を起こす。
「俺はお前の事、ピアノ以外何もしらねぇから知りてぇと思ったんだ」
「…………何を言って…」
「……俺の事苦手なのは分かった。でもな、やっばり俺、放っておくのはできねぇ」
「……何で?」
「俺、お前に助けられた」
「……助けられた?僕に…?」
「あぁ、お前のピアノで、俺はすげぇ色々助けられて…。だから、ずっと死にたそうな顔しているお前の事、放っておくなんて俺はしたく無い」
「…………ッ…」
「だからさ、動画でしか見た事ないけど昔みたいな顔していてくれるようになったら、俺から話しかけんのはやめるよ」
「……ッ、本当、勝手なことばかり…ッ!昔みたいな表情ってなんだよッ、いつの事を言ってるのか知らないけど、そんなのはもう無理なんだよ…っ」
彼の言葉に、頭に血が上り頬がカッと熱くなる。何を言っているのか分からないし、自分勝手な事ばかり言う彼に腹が立った。
昔のように?当たり前だろう。昔と今で表情が違うのは。音楽があった頃の僕とそれが無くなった僕とでは、中身が全く違うのだ。それを、昔みたいな表情にならなければ要求を飲まないなどと、言う彼に対し僕は沸々と煮えたぎる怒りが湧き出した。
「何でだよ?」
「何でって…ッ!何度も言わせないでくれっ!僕はもうピアノが…っ」
「ピアノが弾けなくなったからって、ずっとそんな顔してなくていいだろ」
何でもない事のようにそう言われて、呆気に取られる。晴天の霹靂だった。驚愕に目を見開いて、しかし、すぐに沸々と湧いてきた怒りにそれは覆い隠される。何を言っているんだ、この男は。
どれだけ僕がピアノを想っていたのか知らないからそのような事を言えるのか。自分の命よりも大切なものを失って、君もそう思えるのかと、口元を引き攣らせる。
「君は何も知らないからそんな事を言えるんだっ!!……ッ、僕がどれだけピアノを…っ!」
「…言い方が悪かった…、黒瀬がピアノをすげぇ大事に想ってるのは知ってんだ…、じゃ無かったらあんな風に人の心を動かせる訳がねぇって…」
蜜柑色の頭髪を少し困ったように掻き回して、少し反省したように目を伏せる様子を見せる芦家を見て、僕は自分が興奮して呼吸が荒くなっている事に気がつく。
こんなに感情を揺さぶられたのは、本当に久しぶりの事だった。そして気がつく。ピアノを失ってから全てが色褪せてどうでもいいのに、そんなのを気にせず僕の中に入り込んでくる彼にだけ、こんな風になってしまっているのだと。
「大事なものを無くしたら辛ぇけど、でもやっぱり、俺はお前にそんな顔していてほしくねぇんだ」
「……ッ、僕にはっ!ピアノしか無いんだよっ!ピアノが無い僕なんて…っ!」
何の価値も無いのだ。そう思って、そう言おうとした瞬間、座っていた彼が勢いよく立ち上がり、辺りに包装されたパンが音を立てて辺りに散らばる。
その音と共に、口を大きな節くれだった手で抑えら包み込まれていて、その言葉は口にする事なく飲み込まれた。
「そんな事ねぇ」
「………ッ」
言ってないにも関わらず、彼は僕が言いたかった言葉を真っ向から否定した。
彼を見上げると、彼は真剣に僕を見てその目は何か大海原を思わせる程、深く澱みが無い目をしていた。
その時、僕は目の奥がジンと熱くなって、色んなことに対する悔しさ涙が溢れてしまった。
ポタポタと彼の手に降りかかる自分の涙に、僕は彼の腕を力無く押すと、彼の腕はそのまま意外にも簡単に離れていった。
抑えられていない口から少し嗚咽が漏れてしまうのを抑えられなかった。
「……俺は、お前の事まだ何もしらねぇけど、でもすげぇ手が綺麗なやつだってのは知ってる」
「ふ…っ…うぅ……、そ、んなのが何だって…ッ」
「ただ綺麗だったんじゃねぇ、あんなふうに自分の手を管理できるのってすげぇと思う」
「…それだって!ピアノを弾く為だから…ッ」
「ピアノを弾く為に努力したのはお前だろ」
そう言われて、そんなのはただの自己管理だと思うのに、何故かその言葉に涙がどんどん溢れてきて、手の甲で擦るけど止まることはなかった。
止めどなく溢れてくる涙を流す間、彼は何も言わずに僕の側にいた。
涙を溢して瞑る目を、たまに開くとボヤけた視界の先には彼の蜜柑色の髪の色だけが鮮明に見えて、僕は何かが決壊してしまったかのように、何故か止める事ができない涙を流す間中、僕の目には彼の蜜柑色の頭髪が写り込んでいた。
「…っ、ちょっと話を…」
そう言って、芦家は今度は此方を気にする事なく階段を足早に降りていってしまい、僕は追いかける以外に選択肢がなく、眉を顰めて階段を長い足を利用して、さっさと降りていった芦家を追いかける。
全く彼のペースに巻き込まれてばかりで、気分は良くないし苛立ってしまう。でもそれも今日が最後にしてやると僕は気持ちを強く持って、一階まで降りると芦家は体育館へと向かって伸びる渡り廊下へ向かって歩いていて、僕もそれを追いかけて渡り廊下へと向かう。
彼は脚が長く、歩幅が大きいようで少し小走りなだけでどんどんと先を歩いてしまっていくから、僕は必死にそれを追いかけて体育館へと入った。
まだ授業でも、来たことが無いその場所に芦家は何故か慣れた様子で体育館のステージの階段を登り、奥にどんどんと入っていこうとするので、流石にこんな所に入って良いのかと、僕は焦って口を開く。
「…っ、こんな所、入ったら駄目なんじゃ…ッ」
「大丈夫大丈夫、もう顧問にも昼飯此処に来て食ってもいいっておっけーもらってるし、先輩達にも使って良いって言われているからっ」
そう言って、奥に入っていく芦家に僕は目を瞬かせて先に行く彼を追いかけるしか無い。
彼の言う事に、そんな馬鹿な、と思う反面まだ少し彼の事など知らないが、彼がそういうならば嘘でもないのだろうと思わざる得ないのは、彼と言う人間の成せる所なのだろう。
埃っぽい細い階段を上がり、その先にあった扉を開いて中に入り手招きする芦家に、素直に聞くのは嫌だったものの小さく息を吐いて、その扉を潜るとそこにはバスケットボールが転がった部屋とロッカーだらけの小さい部屋であった。
「ここ、前の部室で今使ってないらしいんだけど使っていいぞって鍵もらったんだ」
「…どうやって…?」
「へへ、内緒」
埃っぽい室内の中、芦家は小く高い所につけられた小窓をその長身を活かして開くと、篭っていた空気が循環され詰まった感覚が抜け、呼吸が幾分楽になった気がする。
そして芦家は部室にあったマットにドカリと腰掛け、ビニール袋をガサガサと音を立てて漁り始める。
「よし、食おうぜ…、これ近所のパン屋さんから買ったのとおまけで大量にくれたパンが入ってるから黒瀬も好きなのあったら食えよ」
そう言って彼は胡座をかいた自分の上に、個別に薄いビニール袋で包装されたパンを抱えて笑う。
僕はその顔が、なんだかとても眩しく見えて息を詰まらせた。そして小さく息を吐く。
「パンはいらない」
「えぇ?でもこんだけあるんだし、なんか食えって…、あ、これとかうまいよ?」
そうして差し出されたクロワッサンを、僕は無視して芦家を見つめると、芦家その大きな目を瞬かせて僕を見つめていたので、自分の拳を握って、思っていた事を漸く伝えられると少し震える口を無理やり開く。
「もう、僕には関わらないでくれ、…迷惑だ」
「………………」
「君が僕となんで仲良くしてみたいと思ったのか知らないけど、僕は君が苦手なんだ……。それに、僕は何か君が思うような人間じゃないよ…、君、僕がピアノが上手いから話してみたかったんだろ?」
ピアノがない僕なんて、何もない抜け殻だ。それはそうだ、だってずっと全てを賭けてピアノだけに没頭してきたんだから。
だから、それを無くした僕は、黒瀬光という形をした何者でもない存在だ。だからもう、昔の僕の面影を僕に見ないで欲しかった。
なんの価値も無くなった僕に、価値があった頃の僕を重ねないで欲しかったんだ。
「……君が知っているかは知らないけど、僕はもうピアノは弾けないんだよ……ッ」
「………………」
「……、話はそれだけだ」
それだけを伝えて彼を残し、僕は踵を返そうとした。その時、彼の澄んだ声が蛍光灯がぶら下がりバスケットボールが転がる室内に通る。
「確かにお前のこと、ピアノの事で知っていたよ」
「………………」
「でもな、俺はピアノ以外のお前の事が知りたかったんだ」
最初の言葉にやはりなと、顔が歪んだが次の言葉になんと言われたのか理解ができず、出て行こうとした扉の方を向いていた顔を、思わず彼の方に振り返った。
その時の彼の表情は、一寸の迷いもなく此方を確りと曇りの無い瞳で射抜いていて、僕はその目に気圧されてしまいそうになって、手がピクリと痙攣を起こす。
「俺はお前の事、ピアノ以外何もしらねぇから知りてぇと思ったんだ」
「…………何を言って…」
「……俺の事苦手なのは分かった。でもな、やっばり俺、放っておくのはできねぇ」
「……何で?」
「俺、お前に助けられた」
「……助けられた?僕に…?」
「あぁ、お前のピアノで、俺はすげぇ色々助けられて…。だから、ずっと死にたそうな顔しているお前の事、放っておくなんて俺はしたく無い」
「…………ッ…」
「だからさ、動画でしか見た事ないけど昔みたいな顔していてくれるようになったら、俺から話しかけんのはやめるよ」
「……ッ、本当、勝手なことばかり…ッ!昔みたいな表情ってなんだよッ、いつの事を言ってるのか知らないけど、そんなのはもう無理なんだよ…っ」
彼の言葉に、頭に血が上り頬がカッと熱くなる。何を言っているのか分からないし、自分勝手な事ばかり言う彼に腹が立った。
昔のように?当たり前だろう。昔と今で表情が違うのは。音楽があった頃の僕とそれが無くなった僕とでは、中身が全く違うのだ。それを、昔みたいな表情にならなければ要求を飲まないなどと、言う彼に対し僕は沸々と煮えたぎる怒りが湧き出した。
「何でだよ?」
「何でって…ッ!何度も言わせないでくれっ!僕はもうピアノが…っ」
「ピアノが弾けなくなったからって、ずっとそんな顔してなくていいだろ」
何でもない事のようにそう言われて、呆気に取られる。晴天の霹靂だった。驚愕に目を見開いて、しかし、すぐに沸々と湧いてきた怒りにそれは覆い隠される。何を言っているんだ、この男は。
どれだけ僕がピアノを想っていたのか知らないからそのような事を言えるのか。自分の命よりも大切なものを失って、君もそう思えるのかと、口元を引き攣らせる。
「君は何も知らないからそんな事を言えるんだっ!!……ッ、僕がどれだけピアノを…っ!」
「…言い方が悪かった…、黒瀬がピアノをすげぇ大事に想ってるのは知ってんだ…、じゃ無かったらあんな風に人の心を動かせる訳がねぇって…」
蜜柑色の頭髪を少し困ったように掻き回して、少し反省したように目を伏せる様子を見せる芦家を見て、僕は自分が興奮して呼吸が荒くなっている事に気がつく。
こんなに感情を揺さぶられたのは、本当に久しぶりの事だった。そして気がつく。ピアノを失ってから全てが色褪せてどうでもいいのに、そんなのを気にせず僕の中に入り込んでくる彼にだけ、こんな風になってしまっているのだと。
「大事なものを無くしたら辛ぇけど、でもやっぱり、俺はお前にそんな顔していてほしくねぇんだ」
「……ッ、僕にはっ!ピアノしか無いんだよっ!ピアノが無い僕なんて…っ!」
何の価値も無いのだ。そう思って、そう言おうとした瞬間、座っていた彼が勢いよく立ち上がり、辺りに包装されたパンが音を立てて辺りに散らばる。
その音と共に、口を大きな節くれだった手で抑えら包み込まれていて、その言葉は口にする事なく飲み込まれた。
「そんな事ねぇ」
「………ッ」
言ってないにも関わらず、彼は僕が言いたかった言葉を真っ向から否定した。
彼を見上げると、彼は真剣に僕を見てその目は何か大海原を思わせる程、深く澱みが無い目をしていた。
その時、僕は目の奥がジンと熱くなって、色んなことに対する悔しさ涙が溢れてしまった。
ポタポタと彼の手に降りかかる自分の涙に、僕は彼の腕を力無く押すと、彼の腕はそのまま意外にも簡単に離れていった。
抑えられていない口から少し嗚咽が漏れてしまうのを抑えられなかった。
「……俺は、お前の事まだ何もしらねぇけど、でもすげぇ手が綺麗なやつだってのは知ってる」
「ふ…っ…うぅ……、そ、んなのが何だって…ッ」
「ただ綺麗だったんじゃねぇ、あんなふうに自分の手を管理できるのってすげぇと思う」
「…それだって!ピアノを弾く為だから…ッ」
「ピアノを弾く為に努力したのはお前だろ」
そう言われて、そんなのはただの自己管理だと思うのに、何故かその言葉に涙がどんどん溢れてきて、手の甲で擦るけど止まることはなかった。
止めどなく溢れてくる涙を流す間、彼は何も言わずに僕の側にいた。
涙を溢して瞑る目を、たまに開くとボヤけた視界の先には彼の蜜柑色の髪の色だけが鮮明に見えて、僕は何かが決壊してしまったかのように、何故か止める事ができない涙を流す間中、僕の目には彼の蜜柑色の頭髪が写り込んでいた。
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