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第一話 天使と悪魔
しおりを挟む––––––天魔郷。
そこは、天界と魔界の相反する世界が合わさった神々が集う新天地。
足場の代わりと言わんばかりに広々と雲が行き渡っているその上に創造された二つの巨大城の中で生活を営んでいる天使と悪魔達。
食糧や飲み水といった生きるうえで最低限必要な事には十分な程恵まれており、共に食卓を囲む多くの仲間もいて何一つ不自由なく幸せそうに暮らしている世界。
––––––ただ、一点を覗いて……。
一見幸せそうに見えるこの天魔郷では、世界の中心を境に仮の形として天界と魔界を隔てながら共に過ごしているのである。
その天界と魔界の境目は雲の色で綺麗に分かりやすく別れていた。
天界の領域は透き通るような真っ白な雲。
魔界の領域は不気味さを与える真っ黒な雲。
側から見ても一発で天界と魔界の区別が付く程白と黒の二色で創造されてしまったこの天魔郷。
何故、態々一つの世界を二つの世界に分断したのか。
––––––単純に仲が悪いから。
原因は互いの掲げる野望や価値観の違いによるもの。
––––––天界側は人々に幸福を与え、世界平和を望もうとする種族。
––––––魔界側は人々に不幸を与え、世界征服を望もうとする種族。
何もかもが相反し、水と油とも呼べる関係の天使と悪魔。
毎日のように天使と悪魔の小競り合いや罵倒によって賑やかで絶えず、叙情にその争いはヒートアップしていき、武器や魔法を駆使しながら命の取り合いをしようとする者も現れてきた。
まさに現状では、落ち着いた日々を過ごす事が困難になってきているのが伺えた。
そして、その加速して鳴り止まない争いを唯一止める事が出来、絶対の権限を持つ者が天界と魔界で一人ずつ存在している。
いわゆる、『王』だ。
「皆さん、無駄な争い事はおやめ下さい」
細く落ち着いた声を聞いた大勢の者達は争いの手を一斉にピタッと止める。
後ろからゆっくりと争いの場に歩み寄る銀髪の少女。
白のガウンに金色のサンダルを履いた服装に加え、大きな白い両翼が背中に生えており、優しく穏やかな黄金色の瞳をしていた。
その姿を目にした天使達は直ぐに片膝をつきながら頭を下げ、敬礼の意を示し始める。
「おはようございます、セラフィー様!」
「おはようございます、皆さん。今日は朝から一段と騒がしいようですが、何か問題でも起こりましたか?」
「はい、悪魔族の者が奇襲を掛けてきたものですから、私達はそれに反逆するべく––––––」
「おいおい、随分と人聞きの悪い言い分するじゃねぇか……」
セラフィーとは対照的に、乱雑な言葉遣いで此方に歩み寄る黒髪の少年。
長い黒のマントを纏いながら茶色の革靴を履いた服装に加え、大きな黒い両翼が背中に生えており、冷酷で鋭い真紅色の瞳をしていた。
「っ!! ルシフェル……!」
ルシフェルが姿を現すと悪魔達も直ぐに片膝をつきながら頭を下げ、敬礼の意を示し始める。
「ルシフェル様! よくぞ、いらっしゃってくれました!」
「今日は随分と賑やかだったものでな。––––––それで、お前達が先に奇襲したというのは本当なのか?」
「いいえ、ルシフェル様! 断じてそのような行為はしておりません!」
「だってよ? セラフィー様……」
「…………」
「ふざけるな! お前達から先に手を出したんだろうがっ!」
「ああん!? 作り話を大概にしとけよ、クソ天使がよぉっ!」
二人の論争に周りがそうだそうだと油に火を注ぎ始め、沈黙に消化した場が再び炎上し始める。
「もう我慢出来ません! セラフィー様、悪魔族の者共に天罰の許可を!」
「ルシフェル様、この身の程知らずの天使族に悪罰の許可を!」
二人の証言は噛み合わず、このまま続けても水掛け論で終わってしまう事に気づいた両者は戦で解決しようとする。
––––––が。
「それは出来ません」
「断る」
セラフィーとルシフェルは戦の許可を迷う事なく拒否する。
「ど、どうしてですか!?」
「もうお忘れになってしまったのですか? 昨年、『堕天使』が襲撃をしてきた事を」
「!」
「お前らもだ。堕天使という存在を知ってしまった以上、今天使族との無意味な殺生は避けるべきだ」
「も、申し訳ございません! ルシフェル様」
「セラフィー様、どうか私のご無礼をお許し下さい!」
論争していた二人が、それぞれの王に深く頭を下げ謝罪の意を示す。
「そんなに畏まる必要はありません。私達は『神』といえど生き物です。時には争い事を好む時だってあるはずです」
叱られるかと思いきや、共感の言葉を送るセラフィー。
それを目の前で聞いていたルシフェルが興味津々に質問する。
「ほう……、お前の口からそんな言葉が出るとはな。なら、『今日は』お望みどおり力のぶつけ合いによる争いでもしてみるか?」
「争い事とは言っても殺生は駄目です。やはり、『いつも通り』の解決方法がよろしいかと」
「けっ、相変わらずつまんねー奴だなお前は」
「あら、ルシフェルからお褒めのお言葉を頂けるなんて光栄です」
「あぁ? 褒めてねーよ、馬鹿にしてんだよ」
「私には褒め言葉のように感じました」
「……ちっ」
期待していた反応とは違く、つまらなく感じてしまったルシフェルはそっぽを向いてしまう。
逆にその反応をニコニコと何処か楽しそうに見ているセラフィー。
ルシフェルの反応を楽しんだ後、一度大きく手をパンッと叩き全員からの視線を集める。
「今回はこちらで決着を付けましょう」
フサフサしている両翼から何やら『ある物』がボトボトと落ちてきた。
落ちてきた物を確認すると、ピコピコハンマーと簡易ヘルメットの二つ。
それを空に掲げるようにして周囲に見せびらかす。
「じゃーん! 『叩いて被ってジャンケンポン』です!」
周りはそれを見て頭の上にはてなマークが浮かび上がっている。
ルシフェルもそれを見て、なんだそれはと言いたそうな顔をしている。
それを察したかのようにセラフィーは遊び方の説明を始める。
「まず、このハンマーとヘルメットを横隣に置いて……」
いつの間にかハンマーとヘルメットを囲むように大勢の天使と悪魔達が気になる様子で集まって来ていた。
「後は二人でジャンケンをして勝った方はハンマーで相手の頭を叩きにいき、負けた方はヘルメットを被って防ぐ。見事、防ぐ事に成功したら再びジャンケンに戻り、ハンマーで相手の頭を直接叩く事に成功したらその人が勝者となるゲームです」
セラフィーのルール説明を聞き終えた周囲の者達はそれを先取りしようと奪い合いが始まってしまう。
「コラッ! これはセラフィー様が大事に持って来た代物だ! 我々天使達が先に遊ばせて貰う!」
「ふざけるな! こういうのは取ったもん勝ちだろうが!」
争いをなくす為に用意してきたのにも関わらず早くも争奪戦が始まってしまい本末転倒な気をしてしまうセラフィー。
「あ、あの、それはっ––––––」
争いの輪を止めようと中に入り込もうとするセラフィー。
「きゃッ!」
だが上手く輪に入り込めず、激しい争奪戦に参加している誰かの体が当たり尻もちをついて倒れてしまう。
その瞬間を目撃したルシフェルは怒りの感情を含んだ叫び声を前方で争奪戦をしている者達に向ける。
「いい加減にしろ、この馬鹿どもぉッッ!!」
「––––––ッッッ!!」
その迫力ある一言によって、この場だけ時間が止まったかのように全員の動きが止まる。
その声を聞いただけなのに、いつの間にか争奪戦をしていた者達の顔には冷や汗が次から次へと滲み出る。
その迫力が故に、誰も言葉を発する事が出来ない。いや、発する事が出来ないのである。
何か言葉を発すれば、無条件で殺されてしまうのではないか……今殺人の目をしているルシフェルは何をしでかすか分からない。
一触即発な空気に、全員が取るべき最善の方法は黙る事であった。
「……あ、悪い。つい怒鳴っちまった。気にしないで続けてくれ……」
らしくもない叫びをしてしまい、我に帰った後少々恥ずかしの思いをしてしまうルシフェル。
とは言っているものの、先程の恐怖が脳裏に焼き付いてしまった彼らは争いをする事無く、天使対悪魔で仲良く遊ぶ事にしたのであった。
★
––––––満月が明るく照らされているその日の夜。
悪魔達が住む悪魔城内では夕食の時間を楽しく、賑やかに過ごしていた。
長テーブルの上にはグラスに注がれた赤ワインに大きな骨付き肉などといった多くの料理が並べられている。
ルシフェルは長テーブルの中心に置かれてある王座に腰を下ろしながら、何か考え事をしている様子。
ナイフとフォークを手にし、目の前に置かれた七面鳥の丸焼きをじっと見つめている。
「ルシフェル様、何かお考え事ですか? 食事が進んでおられないご様子ですが……」
「……ん? あぁ、いや、なんでもねえ」
「お口に合いませんでしたか? でしたら、早急に料理長の者に新しいのを作り直させますが」
「なんでもねえって言ったろ。それに、味も悪くねーよ」
「失礼致しました、ルシフェル様!」
「……ベルゼ、明日は確か『エイプリルフール』とかいう嘘を付いてもいい日だったよな?」
「はい、私も詳しくは存じてはおりませんが、そのような日であると耳にした事はあります」
「ククッ……。なら、それを利用しない手はないよなぁ」
不適な笑みを浮かべるルシフェル。
「何か思い付いたのですか?」
「まぁな。もしかしたら、今日よりも騒がしくなるだろうぜ」
「一体、どのような……」
「それはな––––––」
★
––––––四月一日の丁度十二時。
天界と魔界の境目である場所に、それぞれの敷地内に大勢の天使と悪魔達が向かい合いながら集まっていた。
足場の雲が隠れてしまう程の大人数からして、天魔郷に居住している全員がこの場に集まって来ている事だろう。
昨日の争奪戦の人数とは比較にならない程だ。
何故、このような事態が起こっているのか。
大勢の天使達の中で一人先頭に立っている天界の王セラフィーは、同じく大勢の悪魔達の中で一人先頭に立っている魔界の王ルシフェルに素朴な疑問をぶつける。
「急にこの場に呼び出して、一体どうなされたのですか?」
「なぁに、そう警戒するな。今日はお前に大事なメッセージを伝えようと思ってな」
「大事なメッセージ?」
ほんの僅かだけ眉間にシワを寄せるセラフィー。
今まで悪魔族に呼び出されるという事がなかった為、どうやら警戒心は捨てきれない様子。
そんな警戒心も、目の前のルシフェルの行動により一瞬にして取り除かれる。
「っ!?」
なんとセラフィーの前で片膝を付き、セラフィーの手を優しく握って包み込みながら紳士のように救い上げ始めたのである。
ルシフェルの行動に便乗するように、いつの間にか後ろで立っていた悪魔達も片膝を付き始めていた。
側から見れば、まるでプロポーズをしているかのようだ。
「えっ、あ、あのっ……! これは一体!?」
赤面しながらも懸命に状況を理解しようとするセラフィーだが、冷静さを失い思考は纏らずにいる。
更に追い討ちをかけるように、ルシフェルからとんでもない一言が向けられる。
「セラフィー、俺はお前の事が好きだ。––––––俺と……付き合ってくれ!」
争奪戦の時と同じように、この場だけ時が止まったかのように静まり返る。
悪魔達は必死に笑いを堪えている一方、天使達は目が点になり、ポカーンと開いた口が塞がらないでいる。
下から向けられるルシフェルの熱い視線。
その真剣で真っ直ぐな瞳からは、嘘で言っているかのようには思わせない程。
直ぐに罵倒の嵐が降りかかって来るかと思いきや、天使達はセラフィーがどう返答するのか気になってしまい口を挟まないでいる様子。
ルシフェルからの唐突な告白に戸惑いを隠せないでいるセラフィー。
全員から熱い視線が向けられる。
「そ、そんなの……」
思わず聞きそびれてしまうほどの小さな声であったが、沈黙の中である為スムーズに聞き取れてしまう。
視線が泳いで止まらないセラフィーの目を、ルシフェルはジッと見つめ続ける。
「そんなの、ダメに決まっているでしょ!!」
遠くまで響き渡るセラフィーの叫び声。
ルシフェルに握られていた手を振り解き、返事だけ返すと走って天使城の中に姿を消していった。
この場にいた全員もその姿を最後まで見届ける。
「……クックック、ハーハッハッハ!! 見たかお前ら! セラフィーのあんなに慌てふためいた姿を!」
それに応答するかのように、後ろで待機していた悪魔達も一斉に笑い始める。
「さすがはルシフェル様! 見事な演技力で御座いました!」
「普段はあんなに落ち着いているのにあの取り乱した姿、表情、最高にたまらなかったです! ルシフェル様!」
ルシフェルの行いに悪魔達から絶賛の声が鳴り止まない。
反対に、自分たちの王を弄ばれた天使達は怒りが収まらないでいた。
「ふざけんな、ルシフェル! セラフィー様に謝れ!」
そのような罵倒の嵐がようやく降りかかって来た。
それに一切動じる事無く、ルシフェルは不適な笑みを浮かべながら天使達に質問を投げ掛けた。
「おいおい、お前達は今日が何の日か知らねぇのか?」
その質問を聞いた天使はハッとなり、ようやく悪魔達の作戦に気付き始める。
「まさか、エイプリルフール……!」
「そうだ、今日は一日嘘を付いても許される特別な日なんだよ!」
「くっ……外道がっ」
「何とでも言え。逆に言えばお前らだって嘘を付いてもいいんだぜ? まぁ純粋で清らかな心を持つ天使様達はそんなはしたない真似はしないと思うけどなぁ……」
「……ぐっ!」
悔やんで仕方がない天使達は拳に力が入り込む。
今直ぐにでも天罰という制裁を加えたい気持ちで溢れているが、王であるセラフィーの許可なしに勝手な真似をする事は原則出来ない。
だが逆に言えば、正当な理由があれば許されるという事。
今回の件でいえば、自分達の王を汚されたという点では制裁を加えても良い十分な理由だ。
それでもやらないのは、覆す事の出来ない圧倒的な実力の差がある為。
王とそれ以外の者では、火を見るより明らかなのである。
「もう用は済んだ。帰るぞお前達」
「ハッ!」
指を加えて見る事しか出来ない天使達を見下し、それに満足したルシフェルは踵を返して悪魔城に帰ろうとする。
その後ろを付いていくように残りの悪魔達も付いていく。
中には天使達にベロを見せ馬鹿にしたり、中指を立てたりと挑発して帰る者も。
心の底から怒りが込み上がって来る天使達。
それでも反発する事なく、その光景をただ黙って見つめる事しか出来なかった。
★
––––––四月一日の夜十一時。
夕食や風呂などを済ませ、後は眠りにつくだけのルシフェル。
今はルシフェル専用の部屋にあるベッドの上で仰向けになりながら何か思い浮かべている様子。
それは、セラフィーのあの言葉。
『そんなの、ダメに決まっているでしょ!!』
「…………」
その台詞を思い返すと、いつの間にかセラフィーを握っていた手に目を向けてしまっていた。
(くそ、なんだこのモヤモヤとした感じは。まるで本当にフラれたみてーじゃねぇか!)
思い描いていた作戦通り、セラフィーを嘘で騙し普段見られない慌てふためいた様子を周囲に晒しだす事が出来て満足な筈。
だが心の何処かで何かが引っかかり、その何かが分からずにいる為こうして仰向けになって考えている。
それでも答えが判明する事はなく、考えるだけ無駄だと思ったルシフェルは毛布を被さり、電気を消して眠りにつくのであった。
★
「––––––ル……フェル……」
「う~んっ……」
眠りに付いている中、微かに誰かに呼ばれている気がするも睡魔の方が勝っている為気にせず眠りのままでいようとするルシフェル。
「ルシフェルってばっ」
パシッと両頬を叩かれ一気に眠気が覚めた俺、何事かと思い直ぐに体を起こすが、その『ある姿』を見て体が硬直してしまう。
「セ、セラフィー!?」
ある姿とは、天界の王セラフィーであった。
「しーっ、声が大きいですっ」
セラフィーが唇に人差し指を当ててきて、緊張によるものか俺は口を固く結んでしまう。
どうやら他の悪魔達に気付かれたくない様子だったので、それに配慮して何故か俺も小声で対話する事にした。
「何でここにいんだよっ」
「……今日の事で、ちょっとお話がしたくて……」
「あ? 話?」
「……はい」
この時のセラフィーの表情は、悲しみ、嬉しみ、後悔、緊張……どれにも感じ取る事が出来、相手の心情を読み取る事に長けている俺でも読み取る事が出来なかった。
「なんだよ、確認って……」
今日の事ってなると、あの場面しか思い当たる節は無い。
「あの時、私に言った言葉は本当ですか?」
「……!」
『セラフィー、俺はお前が好きだ。––––––俺と……付き合ってくれ!』
「……さぁ、何のことやら」
「私には相手の心情を読み取る力があります。ルシフェルは、どうやら 鮮明に覚えているそうですね」
(まさか、セラフィーまで俺と同じ特技を持っているとは……。鎌を掛けやがったな)
「そんな私ですが、あの時の……あの時のルシフェルの心情は……何故か読み取る事が出来なかったのです」
「!!」
俺は少しだけ動揺してしまう。
「どういう事だ?」
「私にも分かりません。ただ一つ、分かる事があるとすれば––––––」
俺は思わず、唾を大きく飲み込んだ。
「––––––嘘で言っていたわけではない、という事です」
俺は背中にピリッと電気が走ったのを感じた。
「……ハッ、何を言い出すかと思えば。そんな事の為だけにわざわざ此処まで足を運んだというのかよ」
「そうです。別に天使が悪魔界に足を踏み入れても問題は無い筈ですから」
「その通りだ。あれは住み心地を良くする為の方法であって、相手の世界には自由に行き来していいと決めてあるからな。––––––ま、悪魔城に乗り込んできたのはセラフィー、お前が初めてだ」
「……」
「その度胸に免じて、真実を話してやるよ」
セラフィーの目は更に真剣度を増してルシフェルの目を見つめる。
「あれは……嘘だ」
「!!」
「今日はエイプリルフールっていう嘘をついても許されない日でな。だからあの台詞も全部嘘で言った事だ」
「……そう、だったんですね……」
先程まで俺に向けていた顔も今は下を向いて黙り込んでしまっている。
何かに期待して襲われるリスクを負って此処までやって来たのだろうが、俺の返事によってその期待は大きく裏切られてしまい絶望に浸っているように感じられた。
悪魔族にとって誰かの不幸は蜜の味。
だがその場から立ち去る事もなければ何か喋る事もないセラフィーを目の前にして、窮屈な空気で仕方が無かった為、俺はセラフィーの肩を掴んで声を掛け始める。
「お、おい。何もそんなに落ち込まなくても––––––!!」
落ち込んでいるとか、そういう次元の話ではなかった。
「……ぐっ……ぐすっ……」
セラフィーは次々と溢れ出て来る涙をただグッと堪えていたのだ。
頬を伝い、自身の手にポタポタと流れ落ちていく悲しみの涙。
俺は状況に理解出来ず、思わず心配の声を掛けてしまった。
「お、おいっ、どうしたんだよ!」
セラフィーは一度目を擦った後、ここに来た理由を話し出す。
「私は、ルシフェルの事がっ……好きでした」
「なっ!!」
過去形であった事に、何故か俺の心は傷ついてしまう。
それは今までに味わった事のない、締め付けられるような痛み。
セラフィーを見ていると、その痛みはより増していくのを感じる。
「な、なんで……なんで天界の王であるお前が、俺の事なんかっ……」
「天使が悪魔に恋するのは、いけない事なのでしょうか!?」
小声で喋る事を忘れ、今は自分の赴くままに声を発してしまうセラフィー。
その問いはまるで、自分にも言い聞かせているような気もして言葉の重みを感じてしまう。
「そ、そんなの……っ」
「天使と悪魔は仲良くしてはいけないのですか!?」
「っ!」
「天使と悪魔は恋仲の関係になってはいけないのですか!?」
「セラフィー……」
「私は、そうは思いません……っ」
徐々に冷静さを取り戻し、再び小声に戻る。
「……私達は、天使と悪魔。考え方も、価値観も、野望も、全てが正反対の種族です」
「…………」
するとセラフィーは俺の手を優しく握って包み込み、淑女のように救い上げ始めた。
「––––––!」
「でも、私と貴方は同じ『王』という立場です。下の気持ちに寄り添い、引っ張り、家族ともいえる仲間達を守り抜く。それだけは、私達の唯一の共通点だと思うのです」
(何故だ……何故こんなに、心が……)
「堕天使の襲撃の時も、先頭に立って皆を守ってくれた。––––––きっと私は、そんなルシフェルの優しさに惚れてしまったのでしょう。天界の王として失格かもしれませんね。へへっ……」
涙が月光に照らされながら眩しい笑顔を向けてくるセラフィー。
俺はそれを見て、思わず胸がドキッとしてしまう。
「お休みのところをお邪魔して、申し訳ございませんでした」
二人だけの時間が……終わりを告げようとしている。
(待て、もう行っちまうのかよ)
「初めてルシフェルとこうやって二人でお話が出来て、私幸せでした」
(なんだよそれ、もう二度と会えないような言い方は)
「私の本当の気持ちを知って貰えただけでも、今日此処に来た甲斐がありました」
(本当の気持ち……俺の、本当の気持ちは……)
「では、私はこれで失礼しますね」
セラフィーは一度頭を下げ、天界に戻ろうとベッドから立ち上がろうとした瞬間、ルシフェルに腕を掴まれ動きが止められる。
不意のそれに驚いたセラフィーは、ルシフェルの恥ずかしそうにしている顔を見つめる。
「ルシフェル……?」
「セラフィー、今日が何の日か覚えているよな?」
「エイプリルフール……嘘を付いてもいい日、でしたよね?」
「あぁ、そうだ」
「それが、どうかしましたか?」
「……だから、その、あれだ! あの言葉は嘘だって事だよ」
「……十分承知しております。ですが、二度も振るなんて酷な事はご遠慮願いたいものです。私、結構傷つきやすいタイプですので……」
折角泣き止んだセラフィーだが、再び泣き出しそうな顔になってしまう。
「待て、誤解だ! 俺はお前の事を振った覚えはねぇ!」
「––––––えっ?」
「だからっ、あの告白は……嘘の嘘だ!」
嘘で言った言葉が嘘であるという事。
––––––それは即ち。
「……すみませんっ。私、頭が悪いので……どういう事か分かりませんっ」
再び泣き出すのを堪えていたセラフィー。
辛うじて目尻に涙が浮かぶ程度で抑えられていた。
でもその涙はさっきの涙とは違い、悲しみによるものではなかった。
それを目にしてしまった俺は、無意識に、本能的に、衝動的にセラフィーの掴んでいた腕を引き寄せ、此方に倒れてくるセラフィーをそのまま優しく抱いた。
「……ありがとう、ルシフェルっ」
「~~~っ!」
頭の中では思考がごちゃごちゃになっていて、自分の取った行動が悪魔界の王として相応しいのかどうか分からなくってしまっていた。
いや、きっと相応わしくないはずだ。
俺は悪魔界の王として人々に不幸を与え、世界征服を成す者。
今のこいつの幸福で満ち溢れている満面の笑顔を絶望に変えてやるのが俺達悪魔界の定めでもある。
今すぐにでも嘘を付いてセラフィーに絶望を与える事だって可能な筈。
(なのにっ、どうしてだ……!)
俺は何故か––––––セラフィーのそんな顔を見たいとは思わないのだ。
だからさっき、嘘の嘘だと反射的に言ってしまった。
そうすれば、セラフィーのそんな顔を見ないで済むと思ったから。
案の定、セラフィーの暗い表情は雨雲が消えていくように明るく変わってくれた。
俺はそれを見て、不思議と心が軽くなったような感じがした。
同時に、胸の奥深くからじんわりと温まっていくような心地良さも。
「……セラフィー」
セラフィーを抱いたまま、耳元で囁く。
俺の吐息と声が耳の奥で感じてしまったのか、セラフィーは体をビクッと震わせた後、緊張して声が裏返ってしまう。
「は、はいっ!」
「さっきお前は、天界の王失格と言ったな」
「え、あ、はいっ」
「なら俺も、魔界の王失格だ」
「え?」
「今は堕天使の件もあり、お前達を殺す事は出来ない。––––––が、人質にする事は出来る。今日の無防備なお前には隙はいくらでもあったのに、俺はそれをしなかった」
「……」
「お前を人質に利用すれば、天使どもは成す術なく俺ら悪魔達の下部になった事だろう。世界征服という野望を持った俺達からすれば望ましき事だ」
「……じゃあ、なんで––––––」
「……お前の事が––––––だから」
「!!」
『好き』の言葉を濁し、はっきりと言い出す事が出来無かったルシフェルに、セラフィーは優しく微笑む。
「……それなら––––––」
俺を抱いているセラフィーの手が、少しだけ強くなったのを感じた。
「––––––私と二人きりで、多くの時間を過ごしませんか?」
「……馬鹿言え。天使と悪魔による監視が多いこの天魔郷で、そんな事が––––––」
「人間界であれば可能です」
「お前……そこまでして……!」
「むしろ、それしか方法は無いと思います。––––––ですが、ルシフェルがどうしても嫌なのであれば無理強いはさせません」
俺は少しだけ考えてしまう。
王が天魔郷を離れるという事は、その間の王の権限を誰かに譲渡させるという事になるからだ。
今までそのような事態は無く、初の試みとなる為不安を拭いきれないでいる。
堕天使だっていつ現れるのかも分からない……。
多くの神々の中でも最大級の『聖力』と『魔力』を持つ俺とセラフィーでさえ何とか倒しきれた堕天使を、他の奴らで倒し切れるのかという不安。
もし敗退すれば、奴らの命は無い。
これまで共に過ごして来た仲間達と笑い合える日々は、嘘だったかのように消え去ってしまう事だろう。
王として、仲間を見捨てるような真似はしたくない。
そんな仲間思いの心が、俺の決断を鈍らせる。
「仲間を心配しておられるのですね」
俺の心を読み取ったかのように、セラフィーは正確に的を射てきた。
というより、心を読んだのだ。
「お、お前! 勝手に俺の心を––––––」
「私もルシフェルと同じ気持ちですよ」
「なに?」
俺を抱いていたセラフィーはゆっくりと体を離していき、面と向かって話し出す。
「やっぱり、同じ王として考える事は一緒なのですね。ふふっ」
口元に手を当てながら笑顔を向けるセラフィー。
「ですが、ルシフェルには一つだけ、足りないものがあります」
「足りない、もの?」
「それは––––––『信じる心』です」
「……!」
「確かに堕天使は強敵でした。あの時、私とルシフェルがいなかったら勝てたのかも分かりません」
俺はほんの僅かだけ頷く。
「ですが、もしかしたら私達がいなくても勝てたのかもしれません」
「……!」
「一人では勝てなくても、みんなで力を合わせれば堕天使にだって勝てると信じています」
「……」
「もちろん、『みんな』とは天使と悪魔の事ですからね。そこだけは勘違いしないようにお願いします」
(信じる心、か。……確かに、こいつの言う通りかもしれないな)
反論出来ないのが何よりの証拠でもあった。
「……フッ、お前は本当に変な奴だな」
「……と言いますと?」
「人間界に行くぞ。––––––二人きりでな」
「……やったっ、ありがとうございます。ルシフェル」
「ただ勘違いはするな。言わばこれは……そう! 世界征服に向けての一環であって––––––」
「でしたら––––––」
言葉を遮られ、ハッとなってしまう。
「私の心を––––––征服してみませんか?」
意味深に捉えられる言葉を放ち、赤面しながら薄く笑みを浮かべるセラフィー。
「なんちて……っ」
そして直ぐに頭に手を当てドジっ子ポーズをするセラフィー。
不覚にも、俺はその一連に萌えてしまった。
「ばっ、馬鹿な事を言ってんじゃねぇ!! ……いいか、人間界に行く時は他の奴らに怪しまれないよう別々に行動させてもらうぞ。理由もそれっぽい事を周知させておけ、いいな?」
「勿論です」
怪しまれないよう天使と悪魔の境界線は張っておきたい事を理解するセラフィー。
それはセラフィーも同じ事であった。
もしバレてしまえば王としての立場が示せなくなってしまい、最悪の場合天使と悪魔による大戦争が起こりうるからだ。
現に王がいない所でも隠れて戦を起こしている神共もいる。
だがそれも、俺達がそれぞれ絶対の王として君臨しているからこそ最小限に抑えられているのが事実。
その歯止めが効かなくなってしまえば、誰も止める事は出来ない。
そして威厳を失った俺達は天使悪魔問わず、全員から後ろ指を指されながら生活しなければなくなる。
『裏切りの王』として。
それだけは、何としてでも避けなければならない。
––––––種族の為。
––––––世界の為。
––––––野望の為。
俺達が行おうとしている軽率な行動はこれらの命運を握っている。
相反する種族に『恋』をする事など以ての外だ。
堕天使の襲撃は俺達悪魔族の仕業という事をセラフィーは知らない。
堕天使は、悪魔とキスを交わした天使の成れの果て……。
悪魔の遺伝子が全身を蝕み、自我を失い、殺戮を道楽として存在続けようとする凶悪な神に心変わりしてしまう。
まさにそれは、『禁忌』とも言わざるを得ない。
だから俺は––––––。
––––––。
––––––もし、お互いが恋仲の延長線上までの関係になりつつようであれば……。
もしそれを、名付けるのであれば––––––。
––––––天使と悪魔の禁忌の恋。
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