復讐の告白

御船ノア

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第七話 桜坂栞はやらかす

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昼食ビュッフェを終えた14時30分。このあとのイベントは特になく、18時の夕食まで各グループ部屋で待機となる。
俺達はグループ全員で仲良く談笑するわけでもなく、各々自由気ままに過ごす形となっていた。
影山はひとり部屋を出てどこかへ行ってしまうし、アレクサンダーは部屋の中で体幹トレーニングを始めている。
残りの男子ふたりは同じ趣味を持っていたのか、スマホゲームの通信プレイで遊んでいる。
ひとり残された俺も特にやることが見当たらなかったため、持参した読書を読み始めることに。
全く親睦を深める気がない俺達だったが、特に問題なく18時までやり過ごすことができたので御の字と言ったところか。
18時になると女将さんが夕食であるすき焼き御膳を部屋に運んできてくれて、食べ終わったものから21時までに入浴を済ます流れ。
(それで22時には就寝、と)
夕食が運ばれてから1時間が経過しようとする頃。廊下からは生徒達の話し声が聞こえてくる。どうやら浴場へと向かっているようだ。
夕食を食べ終えたらすぐに浴場へと向かわないといけないルールはない。どんなに遅く向かっても21時までに入浴を終えればそれでいいのだ。
遅い時間を狙うメリットとしては人の混雑を避けられるということ。ここの宿は大浴場となっているため、窮屈で誰かが入れないということはない。
だが夕食を終えたら入浴へ向かうという流れがあるため、みんなその流れに従って夕食を終えたらすぐに浴場へと向かうことだろう。
入浴を早く済ませるメリットとしては就寝時間までの間、自由時間を確保できることぐらいか。
宿内を回るのもよし。部屋でみんなとおしゃべりするのもよし。正直その辺に関しては昼食を終えたあとの自由時間でも味わえたことなので、俺達のグループでは先程のように各々で自由気ままに過ごすパターンとなるだろうな。
きっと夜は定番とも言える好きな異性の話で盛り上がるのだろうが、俺達のグループではそのようなイベントは起こらなさそうだ。
俺は夕食を終えた同じグループの人がどうアクションを起こすのか観察してみることに。
「さて、ミーはお風呂へ行くとするかなァ」
アレクサンダーが立ち上がり、自分のバッグから入浴に必要なボディタオルやバスタオルなどの小道具を持って部屋を出る。
それに便乗するように他の人も入浴に必要なものを持って後に続く。ただ1名を除いて。
「影山さんは行かないのですか?」
椅子に座りスマホを見つめたままの影山に動きの素振りは見えない。
「九条クン。頼みがあるんだが……いいか?」
スマホから俺へと視線が移る。始めてみた真剣な目つき。
「一応、話は聞きますよ。なんですか?」
「……桜坂さんの連絡先を教えて欲しい」
これまた桜坂案件に驚きだ。
「理由を聞いてもいいですか?」
「できれば、内容は伏せたいのだが……」
「申し訳ないですが、正直に言ってもらわないと連絡先を教えるわけにはいきません」
そもそも俺が勝手に教えていいことではない。どのみち本人から許可を得ないと連絡先を教えることはできない。きっとその点に関しては影山も承知でいるはず。
「……桜坂さんに、友達からお付き合いができないかを、伝えたくてな……」
語尾に連れ徐々に小さくなくなっていく声。手も無意識に指を絡ませては解いたりして内心落ち着いていないのが分かる。
「それは、告白というやつですか?」
「いや、そんな大層がれたことじゃない。ただ純粋に友達から関わり合うことができないかを伝えに行く、そんな感じだ」
てっきり恋人になる前提でのお付き合いを申し込むのかと思ったが、影山はただひとりの女友達として関わりたいだけのようだ。
「素性の知らない男から急に愛の告白をされたら気味悪がれる。そうだろ?」
「そうですね」
だから影山はちゃんと誠意を持って、一歩ずつ段階を踏んで桜坂と密接な関係を築いていく。その一歩が連絡先の交換なのだろう。
「こういったイベントではなにかと交渉は成立しやすい。だから動くならいましかないと思った」
影山は真剣な眼差しで考えていたことをポロポロと口にし出す。言い出した以上、隠す必要はないと判断したか。それとも連絡先を教えてもらう相手に対しての誠意か。
「なるほど。ちなみに、どこで伝えるのかは決めているのですか?」
「21時に5階の奥、自販機コーナーがあるところだ。そこなら隠れられるし、誰かが来れば廊下の足音で分かる。5階にはお客さんは1組も来ていないっぽいしな」
「まさか、昼食後にそれをリサーチしていたのですか?」
「ああ」
「ははっ。なるほど」
昼食後の時点で連絡先を交換する気満々だったか。しかも徹底して下見をする姿勢からそれだけ本気だというのも伝わってきた。
「分かりました。ではいまから桜坂さんに電話をして、その旨を伝えますね」
俺はスマホをポケットから取り出し、桜坂にLINEで電話する。
入浴してしまう前に予め伝えておかないと、混乱を招いてしまうからな。
「ちょっと待て九条! 連絡先を教えてくれるんじゃ」
俺は影山に手で制して黙るようジェスチャーで伝える。
どうやらその反応からして、本人に直接許可をもらおうとするとは思わなかったらしい。
にしても、中々応答がない。
もしかして先に風呂へと向かってしまったとか?
数十秒コールを鳴らしていると、ようやく電話に応答してくれた。
「あ、もしもし。桜坂さん? ちょっと伝えたいことがあるんですけど」
「ほら、話せるようになったでしょ?」
「な、なるほど。この応答ってボタンを押せばいいのね? それで?」
「あとは普通に話せば大丈夫。あ、せーくん?」
「お、おう……! あれ? なんでみーちゃん?」
「ううん、違うの。桜坂さんがLINEの使い方が分からないって言うから」
「そ、そうなんだ……」
あいつマジか! いまどき高齢者でも使いこなせているのに現役女子高生が使いこなせないってある!?
中学時代から感じていたことだが、あまりにも機械音痴で世間知らず過ぎる。
桜坂にはツッコミたい気持ちでいっぱいだが、いまそれは置いておこう。影山の件を伝えることが先決だ。
「それでさ、桜坂にちょっと代わってもらえるか?」
「聞こえているわよ? 伝えたいことってなにかしら?」
「その前に確認です。そのスマホ、耳に当てて喋っています?」
「いいえ。スマホを床に置いて喋っているわ。隣には綾瀬さんもいる」
「プライバシーの欠片もないじゃないですか! いますぐそのスマホを自分の耳に当てて喋ってください! あと音量もできるだけ小さく! 他の人に聞かれない感じの!」
なぜスマホの電話ひとつでここまで世話を焼かないといけないのか。精神が削がれる勢いである。早く風呂に入りたい。
隣でみーちゃんが音量調整のやり方を教えている声が聞こえてくる。そのやり取りが終えると、やっとプライバシーが保護された状態でやり取りができそうだった。
みーちゃんも隣で人の話を盗み聞きするような真似はしないはず。
電話越しでどこかに移動するような足取りを感じたしな。きっとみーちゃんの足音だ。
「……待たせてごめんなさい。もう大丈夫よ」
「……じゃあ、改めて用件を伝えますよ?」
「ええ」
「僕と同じグループである影山さんって覚えていますか?」
「ハゲ山?」
「影山です。覚えてないですか? 二人三脚で僕と一緒のペアだった人ですよ」
「あー……もちろん覚えているわ」
絶対覚えてないなこいつ。
「その人が桜坂さんに伝えたいことがあるそうなんですよ。それで、21時に5階の奥にある自販機コーナーに来て欲しいとのことなんですが」
「21時……そうね。大丈夫よ」
「分かりました。では、よろしくお願いしますね」
「もし迷ったらあなたに連絡するから、そのときはよろしくね?」
「分かりました……。では切りますね」
「ええ、また」
桜坂との電話を切る。
ここから5階へと繋がる階段を登っていくだけなので迷う要素はどこにもないと思うのだが。心の中で心配で仕方がない自分がいる。
「九条、一体どういうことだ……!? 桜坂さんの連絡先を教えてくれるんじゃなかったのか!?」
影山が攻めるように問いかける。そういえば質問の途中だったな。
「影山さん。まさかとは思いますが、チャットで連作先の交換を伝えようとしていたのですか?」
「あ、ああ。なにか悪いか?」
「いえ、悪いとは言いません。ただ、チャットで気持ちを伝えようとするのは些か野暮というものです」
「なっ!?」
「チャットでお伝えするのは気持ちが楽だし手っ取り早い。それに送るタイミングや内容だって時間を掛けて作れる」
「……」
「でも僕はそんな甘ったれたやり方は好きじゃない。本当に桜坂さんのことを想っているのなら、面と向かって伝えるべきだと思う」
「……」
「きっかけを作るために僕が橋渡しになるのは一向に構わないです。だがそこから先、今回で言うなら連絡先を交換するのは自分の手で成し遂げるからこそ、そこに本当の価値が生まれるんじゃないでしょうか?」
いまの世の中は本当に便利だ。誰かひとりでも連絡先を知っていれば、その人を通じて連絡先を簡単に入手できてしまう。いまの俺と影山みたいに。
だがそうして簡単に手に入れられる時代だからこそ、それに対する価値が下がっているとも言える。
好きな人に声を掛けるのが恥ずかしい。断られて傷つくのが怖い。
それを回避するために、プライドを守るために間接的に関与し、入手する。
別にそれが悪いとは言わない。
ただ一つだけ確かなことは、友達を通じて連絡先を入手するのと、直接本人に頼んで入手するのとではそこに生まれる価値は今後のことも踏まえるとかなり変わってくるということ。
影山の桜坂に対する想いが本物なら、より苦難なほうを選んで欲しいと思う。
俺は影山を試したい。
「……た、確かに。どうせ交換するなら、直接交換しに行ったほうが気持ちも伝わるよな」
「そうです。ほとんどの人が気になっている異性に対して、マンツーマンで連絡先を交換することはしない。SNSを通じたほうがより安全な位置から話しかけられますからね。だからこそいまのご時世、直接交換しに行くほうがレアな存在として認識され価値が上がるものなのです」
「なるほど! それは盲点だった!」
「ご理解頂けたようでなによりです」
「まさか、お前に恋愛のアドアバイスをされるとは……。でもありがとう。おかげで自分がいかに男としてへたれであったのかを思い知らされた。桜坂さんには堂々と振る舞うよ」
「その意気です。先ほども言いましたが橋渡し役は担ってあげますので、またなにかあればご相談ください」
「ふむ。そのときが無いことを願うが、まぁよろしく頼む」
「はい、こちらこそ。では僕たちもお風呂へと向かいましょうか」
「そうだな。遅刻なんてしたらそれこそ幻滅されてしまう」
(すでに頭の中は桜坂のことでいっぱいのようだな。けどそれでいい。いまは桜坂のことだけを考えてもらい、無事連絡先を交換してもらわねば)
それをきっかけに、桜坂の意識が影山に向き続けてもらうためにも。


     ★


風呂の中は想像以上に大浴場だった。
大人数が浸れるスタンダードな広々とした風呂に、露天風呂、サウナ、他にも個人スペースで区切られたジェット風呂に電気風呂もある。もはや温泉。学校行事にしては中々の豪華さだ。
俺は風呂に浸かる前に体洗う用の席へと足を運ぶ。まずは風呂椅子に座って常備してあるシャンプーを手に適量を取り、シャカシャカと洗い始める。
「おやァ? ミスター九条ではないかァ」
人の目を気にしないためにわざと他人を見ないようにしていたら、まさかの隣がアレクサンダーだった。シャンプーの泡が立ちすぎて、まるでアフロのようになっている。
「アレクサンダーさんですか。シャンプーの泡で一瞬誰だか分からなかったですよ」
「ハハハッ! すごい泡だろうォ! ミーは毛穴ひとつの汚れを取り除くためにこのぐらいは泡立てるのさァ」
アレクサンダーが台に置いてあったブラシを手にする。そんな道具どこに置いてあったんだと疑問に思ったが、部屋でお風呂の準備をしているときに見えたのを思い出す。
アレクサンダーは髪を掻き上げるように優しく滑らかにブラッシングし始めた。
「こうしてブラッシングをしていくと、指では取れない細かい汚れも落とせるってわけだねェ」
美容院に行くとやってもらえるあれか。確かにあれ毛穴ひとつひとつが刺激されている感じがして、終わったあとは最高にスッキリするんだよなぁ。
「男の脂は頑固だからねェ。1日の最後にしっかりと落としてあげないと悪臭やハゲに繋がってしまう。それだけは絶対に避けないとねェ」
普通は指だけでシャンプーして終わりなのだが徹底したこだわりよう。
競技で初めて目にしたとき、確かに見た目の印象は爽やかで清潔感はかなり感じられた。
普段からこういった美意識を持って生活しているのかもな。確かに悪臭とハゲは絶対に避けたい。
「ところでミスター九条。ユーは体を鍛えるのが趣味なのかな?」
アレクサンダーが俺の体を横目で見る。
「いえ。そんな趣味ってほどではありませんよ」
「嘘は良くないねェ。ユーのその美しいボディは向上心なしに得られるものではない」
まるで俺を見透かしているような物言い。やけに説得力があるのは、アレクサンダーの体もインストラクター以上の体付きに仕上がっているからだろう。
「ミーは常にパーフェクなボディを追求しているから分かるのさァ。ユーのボディもパーフェクに近い。実に美しい」
やたらと褒められてむず痒さを感じていると、アレクサンダーが俺の右隣に座っている影山に対象を変える。
「それに比べ、ミスター影山は少々みっともないねェ。なんだね? そのシャー芯みたいな細さは」
「んなっ!?」
まさか自分へと振られると思わなかったのか、シャンプー中の影山は咄嗟にアレクサンダーへと振り向く。それにしてもシャー芯は草。そこはせめてもやしにしておけ。
「筋肉がまるでない。そんなんじゃ、守れるものも守り通せないよォ?」
「う、うるさいな! 関係ないだろ!? つうか、なんだよ守るって! いまどき殴り合いの喧嘩なんてしないっつうの!」
「分かっていないねェ」
アレクサンダーはシャワーで頭についた泡を丁寧に洗い流す。その後、ボディタオルにボディソープを染み込ませ、体全体を洗いながら再び口を開いた。
「さっきの続きだが、ユーは殴り合いの喧嘩をしないって言ったかなァ?」
「あ? それがなんだよ」
「例えば、ユーにガールフレンドがいたとしよう」
まるで影山に彼女がいるはずがないと断定しているかのようなニュアンス。影山の恋沙汰は俺も知らないが、桜坂に猛アタックをしようとしていることから、彼女がいないことは確かだ。アレクサンダー……意外と鋭いな。
「ある日のデートでチンピラに絡まれたとする。周りには助けを呼ぶ相手もいない。さて、ユーならどうするかなァ?」
「そんなの、口で止めるよう言うに決まっているだろ」
「確かに最初はそれでいいかもしれないねェ。だがそれが通じない相手だったらどうするゥ?」
「……どういうことだ?」
「世の中には残念ながら話が通じないモンキーもいるってことさァ。注意してすぐに反省できる人間達で溢れているなら、警察は手を焼かないだろうォ?」
「……まぁ、そうだな」
「つまり、チンピラがユーの話に聞く耳を持たず、ユーの彼女を強引に連れて行こうとする場面に陥ったらどうするって話さァ」
「それはっ……そんなことがあったら普通に警察を呼ぶしかないだろ!」
「ノンノンノ~ン♪ そんな小学生でも分かるようなアンサーを聞いているんじゃない。じゃあスマホの電波が通じなかったら? 充電が切れていたら?」
「っ……」
「どうやら、やっと理解してくれたようだねェ。つまりそういうことさァ」
アレクサンダーは影山の浮かない顔を見て察したようだ。
アレクサンダーはシャワーで体についた泡を落とし始める。
「男の魅力はボディに現れる。よ~く覚えておくんだねェ。ミスター影山」
シャワーで泡を落とし終えたアレクサンダーは自前の道具を手にし、この場をあとにする。
俺と影山だけが残され、妙に気まずい空気が漂い始めた。
「くそっ、なんだよあいつ! ただ自分の体を自慢したいだけだろッ」
溜まっていた怒りをぶつけるように、桶に溜めたお湯を自分の頭から盛大に被る。
「まぁなんていうか……そこまで気にする必要はないと思いますよ?」
「お前が言うと、嫌味に聞こえるな」
「え」
そういえばと思い返す。俺はアレクサンダーに称賛された側だった。
「……お前のその体、認めたくはないが確かにすごく鍛えられているな。普段筋トレに全く興味がない僕でも分かるぞ」
「あ、ありがとうございます」
さっきの手前もあり、どう返答したらいいのか困ってしまう。
「いつから鍛えているんだ?」
「ええっと、確か小学3年生のときですね」
「なにっ!? 小学生から!? まさかいまも!?」
「そうですね。一応」
「……ハハッ。そりゃあそんな体になるわな」
これまた返答に困ってしまい、俺は苦笑いをして誤魔化す。
「あー……あいつの顔を思い出しただけでむしゃくしゃしてきた……。悪い。僕は先に行く」
「あ、はい。分かりました」
影山も自身の道具を持ってこの場を去る。苛立ちを俺にぶつけないための配慮か。
できればこういう裸の付き合い場所では誰かと一緒に行動したかったが……。
結局ひとり残されてしまった俺は、仕方なく孤独のバスをすることに。
(露天風呂へ行くか)
いまの時間は生徒達で混みやすい時間帯。できるだけ密集区域を避けられる露天風呂がベストだろう。楽しみのサウナはそのあとだ。


     ★


運が良く、露天風呂は人気が少なかった。見た感じさんにんだけ。
空気も意外と肌寒く、すぐにお湯に飛び込みたくなる勢いだ。内から外への寒暖差の影響もあるな。
露天風呂はそこまで大人数が入れる広さではないため、個人で動いている人のほうが入りやすくて有利だと感じた。
グループで入ろうと思えば、人数によっては窮屈に感じるだろうからな。
そう思うと、成り行きで孤独のバスを味わうことになった俺は不幸中の幸いと言える。
露天風呂の人気が少ないのも納得だ。
俺は壁際の端っこに身をスゥーっと移動させ、夜空に照らされた月を眺めながらくつろぐ。
ぬるま湯が体の芯までじんわりと温めてくれて、最高にリラックス状態。
「今日は楽しかったね~」
「うん! 最初は正直乗り気じゃなかったけど、意外と楽しかった」
「明日で終わりだと思うと、なんだか寂しいね」
俺の背後でそんなガールズトークが聞こえてくる。
男湯と女湯は別々で区切られているはずだが、俺は露天風呂の作りを見て納得。
天井部分は男湯と女湯で隔てられていない構造になっていた。そこの隙間を通じて女湯からの話し声が聞こえてくるというわけか。
なんだか盗み聞きしているようで居心地が悪いというか、申し訳ないというか……。
「桜坂さん達はどうだった?」
(!? なにっ!? 桜坂だと!?)
通りで聞いたことがあるような声だと思った。いま俺の後ろで盛り上がっている女子は、競技で一緒のチームだった人!
(え? なに? じゃあなにか? いまこの壁のすぐ後ろに桜坂がいるってこと!?)
実質、混浴。
(落ち着け。これは俺の勝手な妄想だ。いまは風呂を楽しむんだ、集中するんだ。ひとりで悶々としていたら周りに変な目で見られるぞ! ここは落ち着いて月の数を数えるんだ! 月が1個、月が2個……)
幸いなのは俺以外にさんにんしかいないこと。それでも油断はできない。平常心、平常心……。
「そうね。私も結構楽しめたし、満足な一日だったわ」
「綾瀬さんは?」
「アタシもまぁ、それなりに? 楽しめたっちゃ楽しめた」
各々と今日の宿泊学習を振り返っている。あまり深く絡んでいない生徒もいるが、チームメイトから楽しいという感想を聞くとなんだかこちらも嬉しくなるな。
「アレクサンダーくん凄かったよねぇ! 桃のことを抱えて独走しちゃうんだもん!」
「それ私も思った! あんなことできるの多分あの人ぐらいじゃない?」
確かに相手が女の子とはいえ、片手で抱えたまま軽々と走り切ることは容易じゃない。もし俺がやろうと思っても、あんな涼しい顔をして走り切ることは難しい。あのような芸当を披露できたのはアレクサンダーの2メートル近い巨体とバランス良く鍛え上げられていたことによる恩恵。身長170センチ台の俺では身長差の影響でより不可能に近い。
「他にも印象が残っているのはアンカーだった九条くんと影山くんかなぁ」
「あー、あのふたりね。途中グダってた」
「そうそう。あのふたりのせいで1位取れないかと思っちゃったよ」
「ねー! デザート券も掛かってたし」
「せーくんはなにも悪くないよ」
「え?」
「悪いのはあのメガネ。松山だっけ?」
「違うわ。確か竹山よ」
(どっちもちげぇわ!)
みーちゃんと桜坂の間違いに内心ツッコミを入れてしまった。あいつの名前は梅山だ。
「んまぁ、なんでもいいけどさ。とにかく、せーくんのことを悪く言うのはやめてくれない?」
「……や、やだなぁ、冗談だよ冗談! ねぇ!?」
「う、うん! そんなキレなくたって……ねぇ!? 桜坂さん!」
「……あまり人のことを悪く言うのは良くないと思うわ。本人に聞かれたらまずいでしょ?」
(ガッツリ聞こえてますけど!?)
「そ、そっかぁ……。そうだよね? じゃあ、ウチらのぼせそうだから先上がるね!」
「わ、私も!」
「あ、あわわぁ……し、失礼します!」
そう言って露天風呂を後にするさんにん。庇ってくれたとはいえ、俺の話題で同じグループのメンバー同士がギスギスしてしまったことに申し訳なさを感じてしまう。
明日はグループによる自由行動が予定されている。その辺が心配だ。
「あちゃ~。ちょっと当たりが強かったかな~……」
額に手を当て、夜空を見上げる綾瀬さん。
「そうね。ちょっと刺は感じたわ」
「そこはそんなことないよってフォローして欲しいな……」
(みーちゃん、桜坂にフォローを期待しちゃあいかんよ)
「部屋に戻ったら、ちゃんと謝ろ」
「そのほうがいいわ。グループ活動は明日も控えているしね」
「本当にフォローしてくれないんだね……。まぁいいや」
綾瀬さんの呟きに私は頭に疑問符を浮かべてしまう。
「……桜坂さんってさ、せーくんと本当に幼馴染みなの?」
「……そ、それは」
「アタシさ、家で卒園のアルバムを確かめたんだ。けどそこには、やっぱり桜坂さんの名前はなかった」
「…………」
「嘘、だよね? 幼馴染みってのは」
「……ごめんなさい」
「ううん、別に謝って欲しいわけじゃないの。ただ、なんでそんな嘘をついたのか気になっただけ」
「そう、ね。なんでだったかしら……」
「え? 分からないの?」
「分からないと言えば分からないし、分かると言えば分かる」
「?」
私達が幼馴染みだと嘘をついたのは焼肉での打ち上げのとき。あのときは恋人関係であることをバレたくなくて、咄嗟に嘘を突いたもの。察しのいい彼が私に合わせてくれて、誤魔化すことに成功した。
今さらになって思う。

私はなぜ、あんな嘘をついたのだろう。

元恋人関係であることを暴露してしまえば、いっそ楽なのかもしれない。中学生の恋愛など、世間ではただの思春期ならではの興味の一環でしかない。そしてその大半がお遊びの恋愛。
自嘲して、笑い話にしてしまえば済む話なのでは?
そうすれば、あいつとも友達として付き合え……。

違うッ!!

私が恋人関係であることを隠したい理由。あいつと友達関係になりたくない理由。
それは『フラれた彼女』としてのポジションを維持し続け、友達以上恋人未満の関係になるのを防ぐためだ!
私はあいつから告白をさせ、盛大にフってやろうと企んでいたじゃないか。なぜこんな大事なことを忘れていた!?
全ては復讐のために。そのために私は動いているんじゃないか!
「綾瀬さんは、九条くんと幼馴染みなのよね?」
「うん。そうだけど」
「彼は、幼い頃はどんな感じの人だったの?」
綾瀬さんがあいつと幼馴染みであるなら利用しない手はない。ここは彼のことを知るためにも、情報収集も兼ねて質問するのがいいわね。
「アタシ、せーくんとの思い出は保育園時代しかないから、そんなに思い出せないけど……それでもいいの?」
「ええ、もちろん」
夜空を見上げながらかつての記憶を振り返り、しみじみと感傷に浸っている綾瀬さん。
「アタシさ、保育園時代気が弱くて、よく男子にちょっとかい出されて泣かされていたんだよね」
綾瀬さんが泣かされていた? 全く想像がつかない。
「そこでいつもせー君が身を呈して守ってくれるんだけどさ。それがちょーかっよかったんだよねぇ」
少しだけのぼせているのか、綾瀬さんの頬が赤い。
「へぇ~。それで?」
「そのとき、相手はさんにんだったかな。やっぱり喧嘩になるわけよ。殴ったり蹴ったりしてね」
「えぇ……。随分と盛んな人達ね」
保育園の年齢であれば感情をコントロールできないのは仕方がないこと。
「普通に考えて1対3の喧嘩なんて絶対にひとりのほうが負けると思うじゃん? でもせー君は違ったの」
「え、まさか……」
「そう。せー君は勝っちゃうわけ。もちろん漫画みたいに無傷ってわけではないけど、それでも凄いよね」
「ええ! 普通に凄いと思うわ!」
そういうのは漫画の世界だけだと思ったけど、実在するものなのね。
「あ、そういえば私も彼とのデート中チンピラに絡まれたことがあるんだけど、彼が追い払ってくれた思い出があるわね」
「えっ?」
「ん? ……あ」
「……桜坂さん、いまデートって言った? しかも彼って話の流れ的にせーくん……」
(キャアアアアアー!! しまったああああああああああ!! うっかり口を滑らせてしまったわああああああ!?)
(なにやってんだこのバカ桜アアアアアアアア!!)
当然、俺の怒涛のツッコミは聞こえない。
「アハ、アハハ……」
(待て桜坂! 諦めたらそこで試合終了ですよ!? なんでもいいからテキトーに誤魔化すんだ!)
「え、マジで……? 桜坂さんって、せー君と付き合ってたの……?」
「え、えぇ。まぁね」
九条は諦めた。この天然桜を止める術はもはやない。試合終了です。
「…………うっそ」
綾瀬さんが雷に打たれたように呆けている。
その事実を受け止めるのに気持ちを整理しているからか、数十秒黙り込んでしまっていた。
「せーくんと桜坂さんが……恋人…………」
「あ、あぁ~! でも誤解しないで! それは中学校時代の話であって、いまはもう恋人関係じゃないわ……っ!!」
「えっ? じゃあ……別れた、ってこと?」
「そ、そう! そういうことなの!」
「……そう、なんだ。そっか」
勢いで正直に告白してしまったけど、徐々に落ち着いていく様子の綾瀬さんを見て、こちらも安心する。
「……でも、なんだか驚き反面、嬉しさ反面って感じかな」
「え、どうして?」
「だってさ、桜坂さんって言ってしまえば高嶺の花なわけじゃん? 桜坂さんと恋人になりたい男子なんてそこら辺にいっぱいいるわけよ。そんな中からせーくんが選ばれたってことは、それだけ魅力がある男ってことでしょ?」
千年に一度の美少女というブランドの隣に立つということは、それだけの価値を要する男でないと成り立たないということ。
「そう思うと、幼馴染みとして嬉しく感じちゃって」
ニカっと、無邪気に笑う綾瀬さん。勝手に大人のクール系かと思っていたけど、意外とそんな顔も見せるのね。
私がもし男だったら、そのギャップに惚れちゃいそう。
「あ、でも誤解しないでね? 決して桜坂さんとせー君が別れたことを嬉しく思っているわけじゃないから」
「あーうん。もちろん理解しているわ」
嫌味で言っているわけじゃないことぐらい、表情を見れば分かる。
「ね、さっきのチンピラに絡まれたって話、良かったら聞かせてくれない?」
「ええ、いいわよ。といっても綾瀬さんの話とほとんど変わらないわ。私がチンピラに絡まれたところを彼がひとりで成敗してくれた。それだけよ」
「いやでも、園児と学生が喧嘩するのはまた違ってくるわけだし。そいつらはどんな感じの人だったの?」
「んーっとね……見た目は学ランの制服っぽいんだけど、なんか丈が短かったり長かったりしていたわね」
「いやそれヤンキーじゃん!!」
「確かに、言われてみればヤンキーみたいだったわね」
「桜坂さん、一体その人達をなんだと思ってたの?」
「コスプレ?」
「純粋か!」
(違うぞみーちゃん! そのバカはただ無知なだけだ!)
「……桜坂さんって、意外と世間知らず?」
「そうでもないと思うわ」
(嘘つけ! デートしたとき電車の乗り方や外食の仕方が分からないと言っていたのはどこのどいつだ!)
「……でも、分からないことも確かにあるわね」
「例えば?」
「人の心」
「急に哲学的なこと言い出したよこの人」
そっちの次元の話で聞いたわけじゃないのになぁとこめかみを抑えながら呟く綾瀬さん。
「本当のことよ。例えば仲良しカップルがいたとして、どちらも愛し合っていたとするじゃない?」
「うん」
「それがある日、急に相手から一方的に別れ話をされたらどう思う?」
「う~ん、アタシだったら理由を聞いちゃうかな」
「その理由も教えてくれない。ただ恋愛に興味がなくなったの一点張りだったら?」
「それは、ちょっと意味が分からないっていうか……こっちからするとなんで?ってなる」
「まさしく」
「……?」
「別れの原因がこちらにあるなら納得はできる。でもそれすら分からない。挙げ句の果てには恋愛に興味がなくなったという一点張り。こんなの、納得できるわけないじゃない……っ」
「……桜坂さん?」
「……あ、ごめんなさい。つまりなにが言いたいかっていうと、人が考えていることって分からないよねって話」
(…………)
「確かにそういう状況に陥ったとき、人の心が分かるなにかが実在すれば便利だなぁって思う。まぁあり得ないけど」
「そう。だから結局、本人の口から言ってもらわないと分からないのよね」
「しかも、それが本当かどうかも分からない」
「ホントにそう」
意気投合するふたりは思わず笑い合う。
「恋愛って、なんなんだろうね?」
「また哲学?」
女の子は恋愛のことになると話題が尽きず盛り上がる性質を持つ。
これ以上聞くに耐えない俺と思った俺は、なんとなく背後に気づかれぬよう静かに露天風呂を出た。


     ★


風呂から出た俺は体をバスタオルで拭き、寝間着に着替え、髪をドライヤーで乾かしてから脱衣所を出る。
(20時43分か。大分長くいたな)
露天風呂での一件があり、心に蟠るモヤを解消するべくジェット風呂やサウナなどを繰り返し癒しに堪能していたらこの時間になってしまった。
(ま、どうせこのあとは部屋に戻ってゆっくりするだけだから問題ないか)
入浴は21時まで済ませれば問題ない。この時間になると生徒数も少なく、みんな部屋に戻って談笑したりしているのだろう。
こちらとしては脱衣所に人が少ないのは大変喜ばしいことだったが。
「ん?」
「……あ」
男湯ののれんを潜れば、目の前には桜坂とみーちゃんのふたりが。
「もしかして、ふたりもいま出てきたところ?」
「そうよ。本当はもっと早めに出る予定だったんだけど」
「ドライヤーが意外と混み合っててさぁ……。ギリギリまで待ってたんだけど、もう諦めて出てきちゃった」
男湯にはドライヤーが4台設置してあった。女湯はどうか知らないが、仮に男湯と同じ台数であれば空くのに時間は掛かるだろう。男は髪が短くテキトーにわしゃわしゃしていればすぐに乾かせる。だが女はそうはいかない。
髪は女の子の命。髪にダメージを与えないように丁寧で繊細に扱わないといけない。イメージするだけでもそれなりの時間を要することは容易に想像がつく。
「それは大変だったな」
女の子の気持ちを味わったことのない俺は、そんなありきたりな返答しかできない。
「桜坂さん、どうかしましたか? なんだかさっきから落ち着かない感じですけど」
「だって私、このあと待ち合わせしているじゃない? なんとか山くんと」
「なんとか山って……。ちゃんと名前ぐらい覚えてやってくださいよ。仮にも同じ競技のチームメイトでしょ」
「ごめんなさい。で、名前はなんだったかしら?」
「きのこの山です」
「あなたのきのこ引きちぎるわよ?」
「唐突な下ネタはやめてください」
「まぁこの際なんだっていいわ。とにかく、たけのこの山くんを待たせるわけにはいかないから、私急ぐわね!」
「場所は覚えてますよね?」
「6階よね?」
「5階です。6階は存在しません」
「そう、ありがとう。じゃあ私急いでいるから。行こう、綾瀬さん!」
「ごめん桜坂さん! 先に行ってもらえる?」
「え!?」
「久々に、幼馴染み同士で話をしたくてさ」
「……そう、分かったわ。それじゃあまたね!」
「うん、また」
ふたりは軽く手をあげて挨拶し、桜坂は先に部屋へと戻って行く。
「話って?」
「別に、これといって話があるわけじゃないんだけど……このあとさ、ヒマ?」
「まぁ、これといって特には」
「そっか……。んじゃあさ、このあと1階の玄関前に来れる?」
「いいけど、荷物を部屋に置いてからでも大丈夫か?」
「もちろん!」
「分かった。1階玄関前だな? すぐ行くよ」
「うん! 急にごめんね?」
「気にしないでくれ。じゃあ、またあとで」
軽く手をあげ強制的に会話を終わらせる。
就寝時間は22時。教員達の見回りも考えると、そんなにゆっくりもしていられないからな。


     ★


21時05分。5階の奥、自販機コーナー。
影山は桜坂が来るのをよそよそと落ち着かない態度で待機していた。
(まさか、バックれ!? いや落ち着け影山勉! フラれるにはまだ早過ぎるだろぉ!)

『みっともないねェ』

「くっ……!」
ネガティヴなことを考えていると、それに紐づいてアレクサンダーの言葉が頭の中で連呼される。
(僕がみっともないだと……!?)
自身のお腹周りの脂肪をグニッとつまむ。元々細身体質の影山。見た目は太っている感じは見受けられない。細マッチョといえば相手を騙せるほどに。
筋肉が浮かび上がっているように見えるのは皮が薄いだけで、決して筋トレで身に付けた代物ではない。
影山は鍛えなくてもどこか鍛え上げられているような錯覚に見惚れ、自分を鼓舞していた部分もあった。
「……あいつらが異常なだけだろ。まだ高校1年生だぞ?」
アレクサンダーの言葉が深く突き刺さり、拭えないでいるのは自分がどれだけ自惚れていたのかを痛感させられたから。
そんな自身の体に嫌悪感を感じていると、ついに目的の人物が現れた。
「ごめんなさいっ! 遅れてしまって……」
「全然大丈夫だよ! むしろ僕のわがままに付き合ってくれてありがとう」
「いえっ、そんなことは……! それで? 伝えたいことってなにかしら?」
「それは、その……っ」
僕と連絡先を交換してくれ。その一言だけ伝えれば済む話なのに、いまの影山にそれを言う勇気は砕かれつつあった。
自信の喪失。いままで着飾っていた部分をアレクサンダーの指摘で真っ裸にされ、本来の自分を曝け出された羞恥心。
いまの自分は側から見たら本当にみっともない姿をしているのではないか。それに桜坂も気付いているのではないか。
影山勉は、桜坂栞と連絡先を交換するに値する男なのだろうか。
考えなくてもいいことを感情が勝手に考え始め、思考がぐちゃぐちゃになる。
「……もし桜坂さんが、僕たちの男子グループをランキング付けするなら一位は誰かな?」
「ふぇ? ランキンング?」
気付けば、そんなことを口にしていた。なんのランキングか言っていないのに、桜坂は勝手に男として見た場合のランキングだと思い込み、う~んと難問を解いているかのように考え始める。
「ごめんなさい、分からないわ」
桜坂は苦笑を浮かべ、申し訳なさそうに顔を傾ける。
「あなたのグループはみんないい人そうだし、競技で一緒に1位を勝ち取った仲間でもある。そんな人達をランキング付けするなんて私にはできないわ」
「ぁ……」
桜坂の回答を聞いて影山は思った。
(僕は、桜坂さんになんてことを言わせようとしているんだっ!)
自分の情けなさを改めて痛感してしまう。
「でも、どうして私なんかに……?」
「その、なんていうか……や、やっぱり千年に一度の美少女と謳われた桜坂さんから見た順位が気になってね!」
「そうだったのね。でも私、みんなが思っているほど大層な人間じゃないから」
「そんなことはないっ! 実際周りの人だって認めているし、僕たち男子から見ても桜坂さんは高嶺の花的存在に映っているんだから!」
「ありがとう。確かに周りからそういう目で見られているのは女の子として誇らしいし嬉しいわ。でも、私も結局はただのひとりの人間だし、世間の評価なんて所詮上辺のものだけに過ぎない。私だって愚痴は吐くし、フラれたことだってあるんですもの」
「……え? 桜坂さん、フラれたんですか……?」
「あ」
「男に……ですか?」
「え、あっ、いやっ、あの、そのぉ……!」
「その慌てよう、やっぱり男ですね!? 桜坂さんがフラれたぁッ!? 誰ですかそいつ!? 僕がぶっ殺してやりましょうか!?」
「いやいやいや! 大丈夫だからっ! 落ち着いて!?」
名前を言えばすぐにそいつのことを調べ上げ、殺しに行きそうな勢いだ。
「いいや! 落ち着いていられん! 桜坂さんをフるなどという悪質な輩には相応の罪を償わせてやらねば!」
(なんか変なスイッチ入っちゃっているんですけどこの人ぉッ!?)
綾瀬に続き、影山にも恋の事情をぽろっと口にしてしまった桜坂。
本来なら人に明かすことのない秘密も、たったひとりに明かしてしまうとそのガードは最初に比べて緩くなってしまうもの。
誰かに秘密を明かしたことがある。それだけで、その秘密はもはや秘密でなくなる。
「さぁ教えてくれ桜坂さん! そいつはいまどこでなにをしている!? 歳は!? 職業は!? 出身地に生年月日、それから家族構成」
「お願い落ち着いてえええッ!? 先生に気づかれちゃうわ!」
「ハッ」
男への怨念が強く周りが見えなくなっていた影山はいつの間にか肩を掴んで迫っていた桜坂からパッと距離を離す。
それから2回の深呼吸をし、徐々に冷静さを取り戻していった。
「……す、すまない。思わず熱くなってしまった」
「え、えぇ。大丈夫よ」
「……しかし、いまの話は本当なのか? 未だに信じられないんだが……」
「本当よ。中学三年生のときにね」
「中学三年!? つい最近ではないか……!」
桜坂栞という千年に一度の美少女をフルという無礼極まりない行為に拳を震わせてしまう影山。
だがそれは逆に、恋人になれるチャンスが訪れたということ。そうポジティブに捉えると安堵な気持ちが勝り、怒りも鎮まっていく感じがしたようだ。
しかし決して楽観視できるものでもない。それは言い換えれば、多くのライバルが桜坂の恋人になれるということ。
桜坂の隣のたったひとつの席の奪い合い。過酷な椅子取りゲームの幕開けだ。
「良かったら聞かせて欲しい。その男は一体どんな奴だったんだ?」
高嶺の花である桜坂をフルという最低無礼ヤリチンクソ野郎であるのは胸糞悪いが、それでも桜坂と恋人になれるスペックでもあったということ。

即ち、桜坂の好きなタイプであるということ!!

桜坂は天井を見上げるようにして、その人物を思い浮かべている。
「そうね。一言で言うならミステリアスって感じかしら」
「ミステリアス?」
「ええ。雰囲気も性格も」
「ミステリアス……」
桜坂の好きなタイプはミステリアスな男。それ以外の特徴は挙げないが、それだけを知れただけでも大収穫。
できれば顔も拝見させてもらいたいが、さすがにそれは踏み込み過ぎか。
ここからは自分の想像と推理に任せるしかない。影山は自分の記憶を頼りに可能性のある人物を絞り出す。
「!」
ミステリアスな雰囲気。桜坂と密接な関係。
このふたつの要素から導き出される人物がひとりだけいた。
(九条征士郎……!!)
入学式の日を思い出す。あの日、九条と桜坂はふたりきりで写真を撮っていた。その事実がすでに謎なのだが、他にも気になる点はいくつかあった。
入浴で見た男の理想とも言える鍛え上げられたボディ。そしてなぜか桜坂の連絡先を知っているという繋がり。
影山が心の底で抱いていた違和感の正体。
それは謎めいている九条征士郎という存在だった。
点と点が繋がるような感覚に、閉じていた口はまるで意志を持ち始めたかのようにゆっくりと開き始める。
「桜坂さんの元彼って、九条……?」
「ッ!?」
影山のピンポイントな指摘に心臓がドキッと跳ね上がる桜坂。
「な、ななっ、なにを根拠にそう言っているのかしら……!?」
「僕は、見てしまったんだ。入学式が終わったあと、ふたりが桜の木の前で写真を撮っているところを」
「!」
「仲良さそうにしてたから、つい……」
「……そう。でも残念。それは違うわ」
「え?」
「あいつ……彼とは確かに中学は一緒だった。でもそこになにか特別な関係があったわけじゃない。言ってしまえば、ただの腐れ縁よ」
「?」
「話が脱線してしまったわね。伝えたいことってそれだけかしら?」
「あ、いや……!」
影山がなにかに躊躇しているうちに、桜坂は自販機の上に飾られていた時計に目を向ける。
時刻は21時35分を指していた。
「そろそろ戻ったほうが良さそうね」
桜坂の視線に気づいた影山も時計に目を向ける。
「あぁ、そうだね」
22時には就寝。変に帰りが遅いとグループのメンバーに心配を掛けてしまう。先生に連絡されたりしたら面倒だ。
「それじゃあ、私はこれで。おやすみなさい」
「ああ。おやすみ……」
桜坂はやや早歩きで廊下を歩き、下へと続く階段へと向かって行く。そんな徐々に遠くなっていく桜坂の姿をずっと見守り続ける影山。
階段を降りて、姿が完全に見えなくなったところで影山は疲れたように壁に寄っかかる。
「矛盾している……やはりなにかあるな」
影山は桜坂の言動を思い返していた。
「でも仮に別れたとして、ふたりで仲良く写真を撮っているのは普通に考えておかしい、よな?」
破綻した男女があそこまで密接になれるものだろうか。
いや、そもそも桜坂の元彼が九条という確信もないため、前提がおかしいか。
それでも確かなことは、特別な関係じゃないふたりが密接な関係にあるということ。
「…………マジで謎」
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