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第十七章

生きているだけで勝者である

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剛腕が俺の傍をかすめていく。

あと一歩横にずれていたらあの腕に吹き飛ばされ壁にたたきつけられていただろう。

それで死ななかっとしても一歩も動けない。

後は叩き潰されるのを待つだけだ。

命の危険を感じながらも何故か俺は冷静だった。

それどころか笑ってすらいる。

これが死を前にしたなんとかハイというやつなのだろうか。

アドレナリンという名の麻薬が恐怖を麻痺させているのかもしれない。

大広間に入ってこれで四度目の攻撃を避けることが出来た。

だが、目的の場所にはあまり近づけていない。

今俺がいるのは第五階層の階段を12時の方向として8時ぐらいの場所。

え、6時方向から入って来たのに全然進んでないじゃないかって?

こちとら素人ですよ?むしろ避けてるだけ偉いと思いません!?

とか何とか一人ツッコミを入れていると、とうとうその時がやって来てしまった。

「いたぞ、あそこだ!」

「手間取らせやがって。」

「何が精霊師だよ、こんな雑魚に手間取ってるじゃねぇか!」

距離を話したはずの追手にとうとう追いつかれてしまった。

キュプロスを倒せずにいる俺を見て噂に騙されたことに怒っているようだ。

いや知らんがな。

前門のキュプロス、後門の追手。

彼らも多少息を切らせているようだが、武器を抜き俺の方へと向かってくる。

だが武器を抜いたことで敵だと判断されたのか、先程まで俺を狙っていたキュプロスが雄叫びを上げながら追手の方に向かっていった。

「うるせぇ!お前の相手なんてしてられねぇんだよ!」

俺が必死になって避けていた右腕を追手の一人が軽々と持っていた盾で受け止める。

そしてその隙を付いてもう一人が足を切りつけ、バランスが崩れた所で弱点である目に持っていたロングソードを両手で突き上げた。

断末魔の叫びが大広間に響く。

さっきまでの苦労が何だったのかと言わんばかりの華麗な連携であっという間にキュプロスは背中から倒れてしまった。

余りの綺麗さに逃げるのも忘れ見入ってしまう。

ってあれ、よく見たらジクロル商店で喧嘩を売ってきた舐めプ男じゃないか!

まさかこんな所で出会うとは、というかお前まで例の連中に囲われてるのかよ。

冒険者として最低だな、おい。

「へへ、何がシュリアン商店のイナバだよ。噂は噂、所詮は名ばかりの商人じゃねぇか。覚悟しろよ、この前の分も含めてたっぷり返してやるからな。」

舐めプ男は突き刺したロングソードを引き抜き、こびりついた血を振り払って俺に剣を向けてくる。

この間いい感じに恥をかかせてしまっただけに、どうやらすぐ殺してくれる気はないようだ。

と言っても俺も殺される気はさらさらない。

「その名ばかりの商人にやられたのはどこのどなたでしたかね。」

「減らず口もそのぐらいにしとけよ、お前が戦えないひよっこって事はここに来るまでを見ても明らかなんだよ。何が不死身のイナバだ、首をはねればどうせ死ぬんだろ!おい、手を出すなよ、あいつは俺が殺る!」

えぇ死にますとも!

一瞬だけ腰にぶら下げた短剣に手を伸ばそうとするとそれをさせまいと舐めプ男は武器を構える。

手に持っているショートソードもあるけれど、キュプロスを一瞬で倒すような相手に通じるわけがない。

じゃあ、やることは一つ。

俺は舐めプ男の目を睨みつけながら右手に持ったショートソードを振り被ると思いっきり投げつけた。

「おい、待て!」

まさかそれを投げるとは思わなかったんだろう。

慌てて飛んでくるショートソードを叩き落としている隙に俺は5階層への道を駆け下りた。

駆け下りたというか転がり落ちたと言った方が正しいだろう。

二段飛ばしぐらいで駆け下りていたはずが途中で段を踏み外し、その拍子にバランスを崩してしまった。

足が空を切り盛大に肩を打ち付ける。

そのまま重力に逆らう事も出来ずゴロゴロと転がるように5階層に到着するのだった。

まるで階段から吐き出されるようにして広間に転がり出る。

余りの痛さに声も出ずその場にうずくまってしまった。

動けない。

でも動かなきゃ。

身体に力を入れようとするも激痛で指一本動かすことすらできない。

頭から温かい何かがツーっと垂れてくる感覚があるのだけはわかるが、後は痛いという事しかわからない。

胸を強く打ち付けたからか息もしにくい。

肋骨が折れたのかもしれないけど、そんなこと今はどうでもいい。

早く逃げないと。

ミノムシのようにモゾモゾと体を動かしていると、息を切らしてそいつはおりてきた。

「へ、良い音したと思ったらやっぱり落ちてやがったか。その様子じゃ何もできないみたいだな。」

舐めプ男の靴が近づいてくる。

そして俺の少し前で立ち止まると、この前のお返しと言わんばかりに俺の腹を右足で蹴り上げてきた。

吹き飛ばされ視界が回転する。

痛みよりも先に吐き気が押し寄せ、先程飲んだなけなしの水分が胃の中から吐き出されるのが分かった。

それに加えて色々なものが吐き出される。

蹴り上げられて吐き出された酸素を吸い込もうと慌てて息を吸って、逆に吐瀉物が気管に入り慌てて咳をする。

吐き出す酸素が無くても咳って出来るんだな。

涙で目の前が歪み舐めプ男が近づいてきたかはわからないが、それからさらに二度ほど蹴り上げられ最後には壁に背中を打ち付けた。

「おいおい、そんなので殺すなよ。」

「そうだ、たっぷり痛めつけて殺すんだろ?」

「すまんすまん、つい楽しくてよ。」

そんなやり取りが聞こえたような聞こえなかったような。

蹴り上げられても出てくるのは胃液ばかりで喉が焼けるようだ。

それに加えて全身が痛くて訳が分からなくなる。

助けを呼びたくても声が出ない。

痛い。

両手に穴をあけられた時の方がマシだと思えるぐらいに痛くて苦しい。

声を出せればドリちゃん達を呼べたかもしれないけれど、それもかなわない。

殺されるかもしれない恐怖よりも、次に来るであろう痛みへの恐怖の方が不思議と強かった。

「おい、聞こえてるか?これからたっぷりいたぶって殺してやるから、気絶しないでしっかり耐えろよ。」

恐らく足蹴にされたんだろう、頭を固いもので突かれたのはわかった。

これ以上痛い事をするならさっさと殺してくれ。

いや、ダメだ。

死んじゃいけない。

こんな所で死んだらエミリア達に会えなくなってしまうじゃないか。

生きて、生きて戻らないと。

ふと瞼の裏にエミリアとシルビア様がほほ笑む顔が浮かんだ。

それを見た瞬間に全身に力が満ち、何としてでも逃げだそうともがいた。

だが、どれだけ力を入れても思った方向に体は動かない。

「何やってんだよ、蟲みたいだなおい。」

「蟲、いいなそれ。火で炙ったら面白いように動くし同じようにやったらどうだ?」

「それはいいけど火の魔法は使えないぞ?」

「嘘だろ、使えねぇなぁ。」

「じゃあお前やれよ。俺はザキウスさんに連絡しとくからさ。」

ん、今なんて言った?

ザキウス?

確かにそう言わなかったか?

「んじゃ焼くか。足元から焼けばいい感じに動くかもな。」

焼く?

俺を?

いや、そんな事よりもザキウスだよ。

やっぱりあの爺が裏で糸引いてやがったか。

こいつらを殺さずに何としてでも捕まえて吐かせないと。

渾身の力で体を起こし、土下座をするような体制になる。

「おい、動くなよ!」

だが腰の上から踏まれたのか、思いっきり地面に押さえつけられてしまった。

それと同時に足に何か冷たいものがかけられる。

「人間どれぐらい焼かれたら死ぬのか興味あったんだ、せいぜい耐えろよクソ商人。」

焼かれる?

そう認識した瞬間恐怖が全身を駆け巡った。

「ヤ・・・メロ。」

そして出ないはずの声が漏れる。

「はぁ?何言ってるのか聞こえねぇよ。」

「タス・・ケ・・・テ。」

「バーカ、誰が助けに来るんだよ。」

かすれたような声では聞こえないのかもしれない。

まさかこんな状況になってもドリちゃん達は来てくれないのか?

距離の問題?

嫌だ、焼け死ぬなんてそんなのは絶対に嫌だ。

押さえつけられながらも体を動かすが微動だにしない。

「ヤメ・・・ロ!」

「うるせぇ!さっさと死ね!」

バチっていう音が聞こえたような気がした。

これは火打石の音?

そうだ、さっき自分で使ったじゃないか。

だが一回では火がつかなかったのか何度かバチバチと音がするも、体が燃えた様子はない。

いあ、わからないだけでもう燃えているのか?

嘘だろ。

まさか焼け死ぬなんて。

必死にもがくが見えるのは地面だけ。

それとダンジョンの奥が見えるだけだった。

それと、頭上から何かが飛んできて転がっていくのが見えた。

「チッ使えねぇなぁ!」

「おい、さっさと殺せ、ギルドが動いてるらしいぞ!」

「マジかよ!ばれると厄介だな、おい、次の隠れ家ってどこだ?」

「6階層に行ってすぐだ。」

「なら間に合うか・・・。よかったな、時間が無いから一瞬で殺してやるよ。」

殺す?

「イヤダ・・・いやだ!」

「うるせぇ!さっさとくたばれ!」

再び強く腰の上から踏みつけられる。

殺される、そう覚悟した。

「誰か!」

覚悟しても声は出る。

俺は最後の力を振り絞ってそう、叫んだ。

「お前らぁぁぁぁぁぁ!」

「くそ、誰だ!」

その声に重なるように別の声が耳に届く。

ふと、押さえつけられていた力が弱まりキン!という金属音が頭上でなった。

「おい、味方がいるなんて聞いてないぞ!」

「弓だ!奥を狙え!」

軽くなった身体。

最後の力を振り絞ってゴロゴロと転がり壁際まで行く。

「イナバ様ご無事ですか!」

「早くつれていけ!ここは俺がやる!ネーヤ、魔術師がいるぞ!」

「わかってる!あぁもう、そこ邪魔!」

聞き覚えのある声に名前を呼ばれたかと思うと首根っこを掴まれズルズルと引きずられていくのが分かった。

広間から通路まで引きずられたかと思うと再びドンと地面に下ろされる。

思いっきり顔面を打ち付けるがそんなことはどうでもよかった。

「すみません、回復は後回しです!」

首を上げて前を見る。

目に飛び込んできたのは舐めプ男と対峙するモア君と、その少し横で弓を射るネーヤさん、それとメイス片手にもう一人の冒険者に向かっていくジュリアさんの背中だった。

嘘だろ。

まさかこのタイミングで?

絶対に助からない、そう覚悟したというのに。

俺の最後の叫びに召喚されたかのように三人は助けに来てくれた。

俺は精霊師じゃなくて召喚師だったのか?

そんなバカみたいな錯覚を覚える。

激しく火花を散らしながら切り合う二人。

どちらが優勢かは素人の俺でもわかる。

モア君が右に左に素早く打ち込み、舐めプ男の剣がそれに振られる。

そしてそれに耐えきれずロングソードがカランと音を立てて地面に転がった。

「死ねえぇぇぇぇ!」

振り被った剣が素早く男に振り下ろされる。

「ダメだ!殺すな!」

殺しちゃいけない!

そいつには吐いてもらわないといけないことがたくさんあるんだ。

だが俺の声は間に合わずモア君の剣は振り下ろされ・・・。

「ヒ、ヒヒ・・・。」

肩口にピッタリ当たる形で剣は止まった。

「イナバ様?」

「モア、ボーッとしない!まだいるよ!」

「そいつは私が!舌なんてかませませんよ!」

ハッと我に返ったモア君がジュリアさんと入れ替わるようにもう一人の冒険者に切りかかる。

逃げようとするがネーヤさんがそれを牽制し、それからあっという間に勝敗は決した。

いつの間に魔術師を仕留めたんだろうか。

舐めプ男の体で見えないが、あの様子だと殺していないんだろう。

三人組を簀巻きにして猿轡をかませると、心配そうな顔をしたモア君とネーヤさんが戻ってきた。

「イナバ様遅くなり申し訳ありません。」

「いえ、あと少しでも遅かったら死んでいた所でした。助けに来て下さり本当に有難うございます。」

三に組を簀巻きにしている間にジュリアさんが回復魔法をかけてくれた。

それなりの怪我のはずだったのだが、モア君達が持ってきてくれていたシャルちゃんのポーションを飲んだ途端に痛みが引いていくのが分かった。

うん、この効き目なら喜んでお金出すわ。

ポーションってこんなにも効くんだな。

「ほんと、間一髪だったよ。急にモアがこっちにいるって走り出した時はおかしくなったのかと思ったけど。」

「え、そんな風に思ってたの?」

「でも間に合って本当に良かった。イナバ様も良く一人でここまで来れましたね。」

「ひたすら逃げていたら気づけばここまで来ていました。と言っても、最後は階段から転がり落ちてあのざまです。」

「それでもダンジョンはじめてなんですよね?それで5階層まで到達って新記録じゃないんですか?」

「さぁ、そんな記録があるかどうかは知りませんけど・・・。それも道がわかっていたからですよ?」

「いや、道がわかっていてもここまでは無理でしょ。」

「さすがイナバ様、ここでも伝説を作りますね。」

いやいや、あと少し遅ければ死んでいたのに伝説とかどうでもいいよ。

でも皆の笑顔を見るとそれにつられて俺の顔にも笑顔が戻ってくる。

本当に危なかった。

でも、俺の命はまだある。

相変わらず他力本願だけど、悪運だけは強いようだ。

「それで、こいつらなんですけど・・・。」

「やはり例の連中、それも首謀者であるザキウス氏に雇われていたようです。私がダンジョンに潜ったことを念話で知り、探していたところを遭遇。後はこうなったわけです。」

「じゃあ冒険者狩りもこいつらが?」

「それに関してはわかりませんが、三階層の隠し通路にいた連中が初心者を狙ったと話していました。」

「隠し通路?」

「通路の一部を壁と同じ素材で隠していたようです。そして冒険者が来たところで追いこんでいた。」

「そいつらはどうしたんですか?」

「三人いたので逃げ出そうとしたんですけど、ヘマをしてばれてしまい仕方なく火を放って逃げました。」

「え、三階層で火を?」

「いけませんでしたか?」

「それって、臭いの無いところでした?」

「そういえばそうですね。急に臭いが無くなった気がします。」

「「「あー、あそこかぁ・・・。」」」

三人同時に何とも言えない顔をする。

よくわからないんだが、あれか、『俺何かやっちゃいました?』系のやつなのか?

「実はですね、あの辺には燃える土があるんですよ。」

「燃える土?」

「臭いが無くなるとわかるんですけど、そこで火をつけると床ごと燃えて大変なことになるんです。」

「しばらくすると勝手に消えるんですけど、後始末が大変なのでジクロル商店には火気厳禁って言われてるんです。」

「そうなんですか・・・。」

泥炭というやつだろうか。

燃える土で、北欧の湿地帯とかにあるっていうやつ。

火をつけると後始末が大変だけどお手軽な燃料になるって聞いたことがある。

ウイスキーの香りづけするのにも使うんだっけ。

「でもまぁ、そいつらが死のうが生きようがどっちでもいいじゃない。やったことは許されないわけだし。」

「そう・・・だよな。」

「一応帰りに確認しておきましょうか。」

「でもこいつらを連れてだよ?大変じゃない?」

「あ、それは大丈夫。さっき念話で報告したら先行部隊がもうすぐ5階層につくからそこで引き渡してくれだって。」

おぉ、先行部隊も来ているのか。

それは助かる。

こいつらを連れて魔物と戦いながらは大変だなって思っていたんだ。

まぁ、戦うのは俺じゃないけど。

「イナバ様は大丈夫ですか?」

「お陰様ポーションが効きましたし、回復魔法もかけてもらいましたから。多少痛みますが動く分には問題ありません。あ、ポーション代は後でちゃんとお支払いしますね。」

「そんな、いいですよ!」

「ダメです。助けてもらったお礼もしないといけませんしね。」

「それはギルドからもらいます。元はと言えば勝手に先走って中に入ったモアが悪いんだから。」

「え、俺が悪いのかよ!」

「そうよ!アンタがもっと早く引き返していたらイナバ様がこんな目に合う前に助けられたじゃない!」

ネーヤさんに強く言われてシュンとした顔になっているモア君にまた笑ってしまった。

どうなる事かと思ったけど、こうやってまた笑えるなんて。

生きているって素晴らしいなぁ。

「おーい!無事かー!」

そんな風に生をかみしめているとダンジョンの奥からギルドの職員さんたちが向かってくるのが見えた。

さぁ、最後のもうひと踏ん張りだ。

こいつらを引き渡して三階層の確認をして、そして地上に帰ろう。

長かったようで短かったソロダンジョン攻略は、ボコボコにされながらも首の皮一枚で生き残り成功したのだった。
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